ずっと、あなたのそばにいていいの……?
ソファーで休憩した後、わたくしとリーヴァイはそれぞれ着替えをしに一旦別れた。
朝も入浴したのにまた入浴して、バスローブを着て出る。
そこには沢山の夜着が並んでいた。
全て見覚えのないものばかりだった。
「これは……?」
「奥様からヴィヴィアン様への結婚祝いでこざいます」
試しに一着、夜着を手に取ってみる。
生地はその向こうにある手が透けて見えるほど薄く、繊細な刺繍が施されている。
……楽しみにしていてって、これのことだったのね。
だからあんなに楽しげだったのだ。
「お母様ったら……」
どれもヒラヒラしていて、生地が薄くて、でも刺繍やレース、リボンなどがついていて──……言ってしまえば扇情的なものばかりであった。
つまり、今後はこれを着てリーヴァイと夜を過ごしなさいという、お母様なりの応援なのだろう。
……でもリーヴァイに効くかしら?
魔王の記憶もあるのなら、わたくしよりもずっと長く生きているだろうし、色仕掛けに弱いようには思えないが。
「今夜はどれをお召しになられますか?」
侍女の言葉に我に返る。
「そうね……黒にしようかしら」
「かしこまりました」
どうせ着るなら、わたくしの美しさを際立たせるものがいい。下手に隠そうと地味なものを着て、それが初めての夜の思い出になるのは嫌だ。
好きな人には、いつでも綺麗な自分を記憶していてほしいと思うのはわがままだろうか。
黒い夜着は胸元も背中もかなり開いていて、生地というより、ほぼレースで出来ている。肩紐は小さなリボンがいくつかついていた。背中の下、腰からお尻の下辺りまでリボンが結ばれており、それを解くと簡単に脱ぐことが出来る。
最後に髪を整えて、薄く化粧を施された。
「ヴィヴィアン様、お綺麗です」
「ありがとう」
夜着の上からローブを着て、部屋を出る。
廊下は人気がなく、目的地にはすぐに着いた。
わたくしの部屋は残したまま、わたくしとリーヴァイ用の寝室とリーヴァイの私室が用意された。
これから夜はこの寝室で眠ることになる。
侍女が扉を叩き、開けた。
中へ入ると背後で扉が静かに閉められる。
「ヴィヴィアン、こちらへ」
バスローブ姿のリーヴァイがベッドの縁に座り、手招きをする。
近づくと微かにお酒の匂いがした。
どうやら、待っている間にワインを飲んでいたようだ。
「そなたも飲むか?」
「いえ、それより甘いものが食べたい気分よ」
リーヴァイの横に腰掛ければ、口元にチョコレートが差し出されたので、それを食べる。
「ん……ありがとう」
甘くてほろ苦いチョコレートにホッとする。
結婚式に披露宴と今日は朝からずっと忙しかった。
疲れた体にお菓子の甘さが染み渡る。
「人間の結婚というのは色々と大変なのだな」
リーヴァイのしみじみとした声に笑ってしまった。
「貴族が大変なだけよ。それに、公爵家となれば招待客は山ほどいるから、普通の結婚とはまた違うと思うわ」
「そうか。まあ、良い経験にはなった」
「でも、もう一度やれと言われたら嫌ね」
「確かにな」
また差し出されたチョコレートをかじる。
「そういえば、この指輪はいつの間に買ったの?」
左手の薬指にある指輪を眺めると、リーヴァイが笑った。
「買ったのではない。それは我の鱗から作ったものだ」
「まあ、ドラゴンの鱗で作った指輪なんて、寝物語に出てきそうね」
「頑丈だから壊れることもまずないだろう。これは世界に一対しかない、そなたと我のためだけの指輪だ」
「素敵。そういうの、わたくし大好きよ」
そう思うとより指輪への愛情が深くなる。
リーヴァイのドラゴンの姿は黒色で、だから、指輪も黒なのだろう。金の線が真ん中に入っているおかげで華やかで品もある。宝石の色はわたくしとリーヴァイの瞳の色か。
眺めていれば、リーヴァイの手が触れてくる。
悪戯をするように指が絡められる。
「それから、これも渡しておこう」
手に何かが握らされた。
リーヴァイの手が離れたので、掌の中を確認すると、ペンダントがそこにあった。
「中に我の逆鱗が入っている」
「逆鱗?」
「ドラゴンの首元にたった一枚しかない逆さの鱗のことだ。これは一生に一度のみ、伴侶となる相手に捧げるもので、これをそなたが飲めば、我と同じ寿命となる」
……同じ寿命……。
いつか、リーヴァイより先に死ぬと分かっていた。
リーヴァイは魔王で、多分、本来は寿命というものがあまりないのではと考えていたので、せめてわたくしが生きている間だけでも彼と愛し合えたならそれで良かった。
そう、思っていたのに。
気付けば涙がこぼれていた。
「ずっと、あなたのそばにいていいの……?」
リーヴァイに抱き寄せられる。
「ああ、我の妻はそなただけだ」
「……っ、嬉しい……」
数十年、共にいられるだけで幸せだと思っていたのに、リーヴァイはそれ以上の未来もわたくしに与えてくれようとしている。
「だが、寿命が延びると共に歳も取らなくなる。周りの人間からも怪しまれるだろう。これをいつ飲むかは、そなたの判断に任せる」
「分かったわ」
「それと失くしてもらいたくないのでな、ペンダントは常に身に着けていてほしい。外れないように魔法をかけても良いか?」
「ええ、お願い」
リーヴァイがわたくしの首にペンダントを着け、魔法をかける。
試しに外そうとしても、金具がしっかり留まっているし、顎から上以上には鎖を持ち上げることは出来なかった。
ペンダントは見た目に反してとても軽いので、常に着けていても疲れないだろう。
「今すぐに飲みたいくらいだけれど、もうあと数年してからにするわ。今のわたくしはまだあなたの横に立つには少し若いもの。同じ年齢くらいに見えるようになったら飲むわ」
「きっと、その時のそなたも美しいのだろうな」
リーヴァイの手がわたくしの頬に触れる。
ゆっくりと顔が近づいて来た。
「そろそろ、夫婦の時間を過ごしても?」
耳元で囁くように問われて頷いた。
「ええ、もちろん」
わたくしもリーヴァイの首に腕を回す。
そっと背中に手が添えられ、ベッドへ優しく押し倒された。
その際に着ていたローブがはだけて、夜着が露わになる。
リーヴァイが驚いた表情でまじまじとわたくしを見下ろした。
「お母様からの結婚祝いだそうよ」
「なるほど、イザベルらしい贈り物だ」
愉快そうにリーヴァイが小さく笑う。
「これを着て来たということは、覚悟は出来ているな?」
その問いにわたくしは微笑んだ。
「婚約した時点でもう覚悟は決まっていたわ」
そもそも、覚悟なんて必要がない。
わたくしは愛する人と結ばれるのだから。
「わたくしの全てをあなたにあげる」
「ああ、我の全てをそなたにやろう」
降ってきた口付けに目を閉じる。
もう、何も不安はなかった。
* * * * *
同じベッドで眠るヴィヴィアンの髪を指先で弄びながら、リーヴァイは新妻の気持ち良さそうな寝顔を眺めていた。
鮮やかな金髪が惜しげもなくシーツに広がっている。
……まさか、妻を娶る日がくるとはな。
長い間、魔王として生きてきた。
封印から逃れるために転生し、ルシアンによって記憶を取り戻した時、人間への憎しみを強く感じた。
もしもヴィヴィアンに購入されていない未来があったとしたら、確かに、リーヴァイは魔族を率いて人間との戦争を再開させていたかもしれない。
けれども、たった三日だが、ヴィヴィアンはリーヴァイに温もりと優しさ、安心感、心地好さを与えた。
記憶を取り戻してからも、むしろ、その三日間のことを思い出してはどこか残念にリーヴァイは感じていた。
記憶を取り戻した後のリーヴァイにもヴィヴィアンは優しかったが、記憶を取り戻す前のリーヴァイへの甘やかし方とは違う、
あの愛情に満ちた触れ合いも、柔らかな声も、記憶を取り戻したリーヴァイの前ではしてくれなくなった。
リーヴァイへの慈愛の眼差しは変わらないが、だからこそ、余計にあの三日間を思い出しては惜しく思う。
……もう、あのように接してはくれないのだろうな。
あの時のリーヴァイは魔王としての記憶もなく、虐待された憐れな奴隷でしかなく、ヴィヴィアンはそんなか弱い存在だったからこそあのように甘やかしたのだ。
正直、今のリーヴァイは甘やかされるより、甘やかすほうが好きだ。
ヴィヴィアンは身内に甘く、公爵令嬢でありながら人との関係は狭く深くといった様子である。
愛情深く、そこがヴィヴィアンの美点だが、同時にその愛情を独り占めしたくもあった。
「どこかに閉じ込めてしまえば、そなたは我だけのものになるのだろうか?」
しかし、多分それは上手くはいかないだろう。
ヴィヴィアンの愛情深さとは、その人物への心の傾け具合と比例している。
どれほど美しいもので満たしても、どれほど美味な食事を用意しても、この世の財宝を全て集めてみせたとしても、恐らくヴィヴィアンの心は壊れてしまうだろう。
リーヴァイの腕の中にいて、リーヴァイに愛を囁き、全てを捧げると言ったが、本当の意味ではヴィヴィアンの全てを手に入れることは叶わない。
だからこそ、愉快だった。
「魔王を翻弄するとは、そなたは悪女だな」
リーヴァイ自身も、己の中にこのような感情があるとは知らなかった。
誰かを欲しいと思う心、嫉妬、不満、そして願い。
魔王として君臨しているだけでは決して生まれることのなかったこれらの感情は、不快さはなく、そう感じる己を含めて不可思議で面白い。
これほど心を揺さぶられる経験など初めてだった。
逆鱗の入ったペンダントを贈った時、ヴィヴィアンは驚いていた。
『ずっと、あなたのそばにいていいの……?』
そう問いかけてきたヴィヴィアンはどこか不安そうで。
普段の自信に満ちあふれた公爵令嬢の仮面が剥がれ、か弱い本音が見えた時、リーヴァイは内心で喜びを感じた。
……不安に感じるほどには、我を愛してくれているのか。
けれど、思い返してみれば、最初からヴィヴィアンはリーヴァイに一番心を傾けていた。
もしかしたら殺されるかもしれない、家族に嫌われるかもしれないと覚悟をした上で、魔王であるリーヴァイを己の奴隷とした。己の命より、リーヴァイの命を優先した。
奴隷になってから今まで、ヴィヴィアンは一度もリーヴァイへ『命令』を下したことはない。
いつだって『お願い』で、それに強制力はなく、リーヴァイが嫌だと言えば無理強いはしなかった。
「……いっそ、命令してくれればいいのだが」
自分のことを『わがままだ』と言って、悪ぶって、でもそんなところが可愛らしい。
隷属魔法でリーヴァイを縛ればいい。
自分だけを愛せと。永遠にそばにいろと。
そう命令すればヴィヴィアン自身も安心出来るだろうに、そういうことは考えもつかないのか、それともそういった命令は下したくないのか。
リーヴァイは誰かに指図されるのは好きではないが、ヴィヴィアンの命令ならば喜んで聞くというのに。
魔王をその手中に納めていながら何もしない。
本人は否定するだろうけれど、ヴィヴィアンは純粋だ。
身内のためならどんな苦労も厭わない。
イザベルが随分と娘に対して過保護なのは、そういった部分を理解しているからこそ心配が尽きないのだろう。
「そなたはどれほど眺めていても見飽きることがないな」
予想外の言動で、その美しさで、愛情深さで魅了する。
魔人としての『魅了』の力を使わなくても、ヴィヴィアンは十分魅力的な存在だ。
「……そなたが逆鱗を飲む日が待ち遠しい」
ドラゴンの逆鱗を摂取した者は寿命が延びる。
リーヴァイは特に魔力が多く、有する魔力量が多いほど魔族は寿命も長い。
ヴィヴィアンにとっては永遠に等しい時間を生きることになり、周囲の者達が死んでいく中で心が壊れてしまう可能性もある。
そうなったとしても、リーヴァイはヴィヴィアンを愛し続ける。
いつか、ヴィヴィアンはそれに気付くだろう。
リーヴァイが与えた逆鱗のせいで、大切な者達に置いていかれるのだと、理解する日が来る。
「ヴィヴィアン、我を赦さなくて良い」
憎しみが生まれたとしても、その感情が強いほど、ヴィヴィアンの心にリーヴァイという存在が刻まれる。
たとえ逃げ出そうとも、結局、ヴィヴィアンはリーヴァイの下に戻ってくるしかない。
同じ時を生きることが出来るのはリーヴァイだけだ。
「そなたが思うより、我は悪い男なのだろう」
ヴィヴィアンが苦しむと分かっていて逆鱗を渡した。
「だが、そなたも悪い。……魔王など見捨てれば良かったものを、優しくするから、こうしてつけ込まれる」
眠るヴィヴィアンを抱き寄せる。
この温もりをリーヴァイは知ってしまった。
リーヴァイはこう見えて貪欲である。
一度手に入れたものを手放すつもりはない。
「愛している、ヴィヴィアン」
リーヴァイはそっとヴィヴィアンの額に口付ける。
……魔王を落とした責任は取ってもらうぞ。
「推し魔王様のバッドエンドを回避するために、本人を買うことにした。」本日2話更新予定です。
夕方頃に最終話を更新いたしますので、お楽しみにどうぞ(✳︎´∨︎`✳︎).°。




