ただいま戻りましたわ、お母様、お父様。
そうして、魔王城に来てから一ヶ月と少し。
わたくし達が帰る日となった。
この一ヶ月ほどの間に何度か会談が行われ、まだ確実ではないものの、魔族とシャトリエ王国との交流の場を今後つくっていくという方向で話はまとまった。
これまで魔族領の魔族は正式に他国と交流することがなかったため、魔族側が交流を拒絶しなかったというだけでも十分な結果を得られたと言えよう。
最後の帰りの準備で侍女が慌ただしく動いている。
大体の荷物は積み込んだけれど、忘れ物がないかの確認もしているらしい。
最後に残った荷物を積みに侍女が出て行った。
わたくしはそれをソファーに座って見送った。
「少し前にも似たようなことを聞いたけれど、リーヴァイ、あなたは帰り支度はしなくていいのかしら?」
横に座ったリーヴァイが紅茶を飲む。
「特にやるべきことはないな。我はこちらにも必要な物が揃っている。行きも帰りも荷物は不要だ」
「そういえば、ここはあなたの家でもあるのよね」
「行き来は転移魔法で済むのだから、旅支度は必要ない」
その言葉にふと思う。
「旅をしないならそう言ってくれたら良かったのに」
「我はともかく、そなた達の荷物が少ないと怪しまれる。使者二人の記憶はルシアンが上手く操作するが、荷物があまりに少ないとおかしいだろう?」
一応、形としてはわたくし達は馬車で向かったということになっているそうだ。
魔族領に入ってからは迎えが来て、魔王城まで移動し、そして帰りも王都の近くまで魔法で送ってもらった。
そういうふうに使者達の記憶が改変するのだとか。
「まあ、それもそうね」
一ヶ月近く旅をするのに軽装だったら確かにおかしい。
旅の形を取るために荷物を沢山積み込んだのだろう。
「お母様とお父様も知っていたの?」
「ああ、そう伝えてある」
「お母様は心配性ね」
一瞬で旅が終わるなら危険は少ない。
「そなたは予想外の行動をするから不安だったのだろう」
リーヴァイが愉快そうに笑う。
「わたくしはもう子供ではないわ。十八歳になって、結婚適齢期の立派な淑女よ?」
ティーカップをテーブルに戻したリーヴァイが頷く。
「ああ、分かっている。そなたが十八になるのを待っていた」
そっと手を繋がれ、左手の薬指に口付けられる。
「ヴィヴィアン、ここに指輪を贈っても良いか?」
ジッと黄金色の瞳に見つめられる。
真剣な表情のリーヴァイにドキリとした。
「指輪を贈ってくれるの?」
「ああ、公爵家が用意したものでは、我の気が済まない」
手袋越しに左手の薬指をなぞられる。
「もちろん、喜んで受け取るわ。あなたが贈ってくれるなら、どんな物でも嬉しいけれど、でも、指輪が一番嬉しい」
「そうか」
リーヴァイが嬉しそうに微笑む。
今までリーヴァイの色々な表情を見てきたが、こんなに嬉しそうなのは初めてだった。
……あなたが嬉しいとわたくしも嬉しい、なんて、ありきたりかしら。
「贈るのは結婚式の時になる。恐らく、帰ったら我とそなたの結婚式の準備が始まるだろう」
「そうね。シャトリエ王国が魔族や魔人への対応を変えていくという意思表示も兼ねて、わたくし達の結婚式は盛大に行われるもの」
リーヴァイの手を握り返す。
「指輪、楽しみにしているわ」
* * * * *
帰還の準備が整ったと侍女が伝えに来たので、リーヴァイと共に魔王城の玄関ホールへ向かうことにした。
部屋を出る前に振り返る。
「インビジブル」
声をかければすぐに返事があった。
「はい、何かご入用でしょうか?」
この一ヶ月少し、彼女にはかなり世話になった。
城内の散策では常に案内してくれていたし、日常面でも、侍女を手助けしてくれて、わたくしは何も不自由がなかった。
「いいえ、そうではないの。今日までよくわたくしに仕えてくれたわね。あなたは気が利いて、物静かで、きっとわたくしが気付かないところでも色々と上手く取り計らってくれたのでしょう。おかげでこの一ヶ月、とても快適に過ごせたわ」
主人が不満を感じないというのは実は凄いことだ。
使用人が気を回し、あれこれと用意をし、主人の言葉にすぐに反応出来るようにするというのは大変なことだ。
「あなたがわたくしの担当で良かった。短い間だったけれど本当にありがとう。あなたさえ良ければ、またここに来る時には担当してくれると嬉しいわ」
「私もヴィヴィアン様にお仕え出来て楽しかったです。また魔王城へお越しになられた際には、喜んでお仕えいたします」
リーヴァイが横で笑った。
「良かったな、ヴィヴィアン」
「優秀な方をつけてくれて、リーヴァイもありがとう」
「感謝の気持ちは行動で表してくれると嬉しい」
腰を折って顔を寄せてくるリーヴァイに、少し背伸びをして、その頬に口付ける。
そうすればリーヴァイが満足そうな表情をした。
「さあ、行こう」
リーヴァイのエスコートで玄関ホールへ向かう。
廊下には何となく誰かの気配を感じたが、姿が見えなかったので、インビジブルか他の魔族がいたのだろう。
最後まで、会談に出ていた三人とインビジブル以外の魔族と会うことはなかった。
正面玄関に着くとお兄様とアルジェント様、ゼルディス様、ペネフィオーラ様がいた。
他二人の使者の姿が見えなかったけれど、恐らく、もう馬車に乗ってしまったのかもしれない。
わたくし達の姿を見て、四人が頭を下げる。
「良い、頭を上げよ」
リーヴァイの言葉に四人が姿勢を戻す。
「アルジェント、ゼルディス、ペネフィオーラ、留守を任せる。そなた達ならば何も心配することはないだろう」
「勿体ないお言葉でございます」
「……留守、守る」
「いつでもお帰りくださいねぇ」
「ああ、ヴィヴィアンとの結婚式を済ませたら時間が出来る。それ以降は時々、様子を見に戻ってくるつもりだ」
三人が嬉しそうに表情を明るくする。
リーヴァイが帰って来ることを心から喜んでいるのが伝わってきて、なんだか微笑ましかった。
アルジェント様がわたくしを見た。
「改めて、最初の会談で失礼な態度を取ってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げられる。
「頭を上げてください。わたくしはもう怒っておりませんわ。あなたは心から反省しているのですから、責める必要もないでしょう」
「お嬢様は外見だけでなく、性格もイザベルに似ていますね」
「家族ですもの。似ていて当然ですわ」
ふ、とアルジェント様が微笑む。
「今後、お嬢様も頻繁にこちらへ来ることも多くなるでしょう。我々はお嬢様を歓迎いたします。どうぞ、いつでも魔王様と共にお越しください」
「ありがとうございます」
それから、三人の視線がお兄様に向く。
「ルシアン、魔王様をしっかり補佐してくださいね。イザベルによろしく伝えておいていただけると嬉しいです」
「……尽力」
「お元気でねぇ」
お兄様が三人に頷き返した。
「ああ、君達も魔王城を頼むよ」
お兄様はそれぞれと握手を交わした。
「こうしていると名残惜しくなってしまうな。ヴィヴィアン、ルシアン、帰るとしよう」
「ええ、そうね」
「はい、そうしましょう」
わたくしとお兄様が頷けば、三人が、頭を下げて「行ってらっしゃいませ」と揃って送り出してくれた。
外に停めてあった馬車に乗り込み、扉が閉められる。
「では、王都の近くまで飛ぶ」
リーヴァイが言い、パチリと指を鳴らせば、一瞬の浮遊感があって車窓が変わる。
そこは森の中だった。
恐らく、一ヶ月と少し前に魔王城へ転移する際に街道から外れた、王都近くのあの森だろう。
お兄様が馬車から降りて、問題がないか確認しに行く。
「お母様とお父様には帰ることを伝えてあるの?」
リーヴァイへ問うと頷き返される。
「ああ、イザベルに伝えてある。今か今かと待っているだろうな」
「お母様はわたくしに対してちょっと過保護よね」
「魔族に比べて人間や魔人は体が弱い。イザベルが心配をするのも、そなたのことが可愛くて仕方がないのだろう」
そう言われると悪い気はしない。
お母様はちょっと過保護だけれど、過干渉とは違うし、わたくしを大事に思い、愛してくれているのは分かっている。
「何歳になったらお母様は心配せずにいてくれるようになるかしら?」
「さてな。だが、そなたが何歳になってもイザベルにとっては可愛い娘に違いはない。心配するのは親心というものかもしれないな」
話していると扉が叩かれ、お兄様が戻って来る。
「問題はありませんでした。これから王都へ向かいます」
お兄様も馬車に乗り込み、扉が閉まると、ややあってゆっくりと馬車が動き出した。
こうして馬車に乗るのも久しぶりだ。
馬車は街道へ戻ると王都を目指して走る。
「昼前には王都へ入れるでしょう」
「そうか」
「僕は公爵邸へ帰還せず、そのまま王城へ報告をしに向かいますが、魔王様はいかがされますか?」
「使者の一員である以上は我も行ったほうが良かろう」
それから、リーヴァイとお兄様がわたくしを見る。
「ヴィヴィアン、そなたは公爵邸に一足先に戻るといい」
「そうですね、そのほうがいいと思います。……ヴィヴィアン、先に帰って父上と母上に顔を見せてあげてくれるかい? 二人とも心配しているだろうからね」
「ええ、分かりましたわ」
王太子はお兄様達の報告を聞くだろうし、とりあえず、帰ったらアンジュとクローデットに帰還した旨の手紙を送ったほうがいいだろう。
……二人も心配してくれていそうね。
馬車は森を抜け、しばらく走り、やがて王都に到着する。
王都の中へ入る際にリーヴァイとお兄様が馬車から降りた。別の馬車があるので、そちらで王城へ向かうらしい。
「それでは、また後ほど」
「ヴィヴィアン、気を付けてね」
もう馬車で帰るだけなのに、お兄様も心配性である。
「リーヴァイ、お兄様、行ってらっしゃい」
二人は別の馬車に乗り換えると、王城へ向かった。
わたくしの乗った馬車と荷物を積んだ馬車は、ゆっくりと王都の中を通ってランドロー公爵邸へ行く。
……久しぶりだからか賑やかに感じるわね。
一ヶ月ぶりの王都を眺めながら帰り、公爵家の敷地の門を越えれば、最も見慣れた公爵邸が見えてくる。
馬車が停まり、扉が開けられ、御者の手を借りて降りる。
顔を上げれば、お母様とお父様、使用人達が出迎えてくれていた。
「お帰りなさい、ヴィヴィアン……!」
ギュッとお母様に抱き寄せられる。
「よく戻った、ヴィヴィアン。ルシアン達は王城へ報告に?」
お父様が問いながらわたくしの頭を撫でた。
「はい、そうです。ただいま戻りましたわ、お母様、お父様。こちらは何か変わったことはありませんでしたか?」
「いいえ、何もなかったわ。でも、あなたもルシアンもいなくて、屋敷の中が静かで、とても寂しかったわ」
お母様の手がわたくしの両頬に触れ、顔を上げられる。
心配そうに見つめられ、そうして、わたくしの元気な顔を見たからか、お母様がホッとした表情で微笑んだ。
「あなたが無事に帰って来てくれて嬉しいわ。魔族領で不便はなかったかしら? 誰かに虐められなかった?」
「ええ、とても快適に過ごせましたし、誰にも虐められるようなことはございませんでした」
「そう、良かった……」
お母様とわたくしを、お父様も抱き締めた。
「我が家にはルシアンとヴィヴィアンがいないと少し物足りないな。やはり、ヴィヴィアンはどこかに嫁に出さずにいたほうがいい」
「そうね、ヴィヴィアンはずっと公爵邸で過ごせばいいわ。家族はみんなでいるべきよ」
お父様もお母様もよほど寂しかったのだろう。
いつもは厳しい顔付きのお父様も、今は微笑んでいる。
「わたくしも、寂しかったです。魔族領での一ヶ月で、お父様とお母様にお話ししたいことが沢山出来ましたわ」
お父様とお母様が頷いた。
「そうか、ヴィヴィアンが疲れていないなら、一緒にお茶でもしよう。魔族領での話は私も興味がある」
「私もヴィヴィアンのお話が聞きたいわ」
さあ、とお父様とお母様に促されて屋敷へ向かう。
使用人達が一斉に頭を下げて「お帰りなさいませ」と言う。
見慣れた使用人達の顔を見るとホッとした。
居間に行くと既にお茶の用意がされていて、テーブルにはわたくしの好きなお菓子ばかりが並んでいた。
それを見て、魔王城に入った初日を思い出して笑みが浮かぶ。
席に着くとお父様に声をかけられた。
「魔族領ではどうだった?」
「ふふ、実はこの一ヶ月の間、魔王城で過ごしていたのです。とてももてなしていただけて、姿が見えない不思議な魔族がメイドとしてついてくれたんです。その魔族はインビジブルといって──……」
お父様もお母様もわたくしの話をずっと聞いてくれた。
一ヶ月離れていた間の時間を埋めるように、沢山の話をしたけれど、アルジェント様に試された件だけは黙っておいた。
……お母様が怒りそうだもの。
普段は温厚なお母様だが、怒ると凄く怖いから。
結局、リーヴァイとお兄様が帰って来るまで、わたくしはお母様とお父様と一緒に過ごしたのだった。




