わたくしの奴隷はこの子だけで十分よ。
王太子とクローデットとのお茶会から三日後。
わたくしはリーヴァイを連れ、奴隷商を訪れた。
……ここに来るのは二度目ね。
一度目はリーヴァイの所在を知るために手紙を送り、誰が彼を購入したのか訊きに来た。
それからもう四年も経った。
店の者の案内で応接室へ通される。
前もって手紙を送って日時を決めていたこともあり、応接室には既に奴隷商人がいて、わたくし達を出迎えた。
「お嬢様、ようこそお越しくださいました」
あの当時はあまり奴隷商人を気にしていなかったけれど、改めて見ると、何だか一癖も二癖もありそうな老人である。
四年前から全く変わっていないように見えるのは気のせいか。
一瞬、魔族か魔人なのではと思ったが、もし魔族ならばリーヴァイを奴隷にして売り飛ばしはしないだろうから、やはり人間なのだろう。
勧められたソファーに腰掛ける。
「お望みのものを手に入れられたようで何よりでございます」
奴隷商の視線がリーヴァイへ向けられる。
四年前、たった一度しか来ていないわたくしのことでもきちんと覚えている辺り、さすがと言うべきか。
「ええ、あなたのおかげよ。あの時は世話になったわね」
「いえいえ、こちらこそお嬢様のおかげで色々と稼がせていただきましたので」
「あら、そうなの?」
「お嬢様に奴隷を譲ったというご夫人が、その後、数名の奴隷を購入していかれまして。その奴隷も結局は戻って来たため、こちらとしては全体的に見れば儲かりました」
それはバーンズ伯爵夫人のことだろう。
話によると、わたくしがリーヴァイを買い取った後、すぐに新たな奴隷を数名購入していったそうだ。
リーヴァイの購入に渡した金百五十枚を使ったのだ。
……そこまでは楽しかったでしょうね。
これは予想だが、リーヴァイのことを知ったお母様がバーンズ伯爵夫人を許すはずもなく、お母様に嫌われた夫人はあっという間に社交界で爪弾きにされたはずだ。
風の噂でバーンズ伯爵家は事業に失敗して没落してしまったと聞いたが、もしかしたら、バーンズ伯爵家の没落にお兄様も密かに関わっていたかもしれない。
お母様もお兄様も、リーヴァイを至上の主君として崇めているので、記憶を取り戻す前であってもリーヴァイへの非道な振る舞いを許せなかったと思う。
そして、半年もしないうちにバーンズ伯爵夫人が購入した奴隷を奴隷商へ売却しに来たそうだ。
金貨百五十枚で購入した奴隷達は、たった二十枚の金貨にしかならず、夫人はかなりごねたらしい。
「ですが、夫人は奴隷の扱いがあまりに悪く、痩せてしまったり傷がついてしまったりしていたので、底値しかつけられませんでした」
夫人はよほど金が欲しかったようで、最後はそれでもいいからと金貨を受け取り、帰って行ったという。
その後、バーンズ伯爵家は完全に没落し、多額の借金を抱えてしまったことで国へ納める税に手をつけてしまい、支払うことも出来なくなって貴族位を剥奪された。
バーンズ伯爵家が管理していた領地と伯爵位は、別の家に与えられ、新たな伯爵家となっている。
奴隷商は売却時と引き取り時の差額で儲けたわけだ。
リーヴァイは澄ました顔で話を聞いていた。
「でも仕方がないわ。バーンズ伯爵夫人は奴隷の扱いも酷かったし、金遣いも荒そうだったもの。いつかはああなっていたわ」
もしも購入したのがリーヴァイでなければ今も伯爵夫人として過ごせていただろうが、そうでなかったとしても、金遣いの荒さでそのうち家は傾いた。
お母様もお兄様も、それにちょっと手を加えただけ。
「そうでしょうねえ」
「あなたは客が減ってつまらないのではなくって?」
「そうでもございませんよ。夫人は貴族という身分を使って、いつも値切ってから奴隷を購入しようとされるので、こちらとしてはお客様としての価値はほとんどありませんでした」
「まあ、それは貴族としては少々恥ずかしいわね」
貴族は基本的に値切り交渉はしない。
それだけの財力があると誇示するのが当然で、買い物で値切るなんて恥ずかしいことだと言われる。
何より、貴族が金を使うことは国にとっても重要だ。
ドレス一着だって、店に注文して購入することで、お針子達など働いている者に金が入り、ドレスを作るために布地や糸、針、レース職人など多くの職業の者達に金が行き渡り、それで彼らが買い物をすることで金がより色々な場所へ流れていく。
ドレスを買えば、それに合う靴やボンネット、装飾品も揃えることになるため、そういった貴族の買い物は結果的に経済を回していく。
そのことを分かっているから値切りなどしない。
「むしろ、お嬢様が奴隷を連れ歩いてくださっているおかげで、最近は貴族の皆様からお声をかけていただける機会が増えまして、商売も上手くいっております」
「そう、それは良かったわ」
「ですので、本日の作業はお安くさせていただきます」
奴隷商の言葉にわたくしは微笑んだ。
「結構よ。値段通りを支払うわ。公爵令嬢であるわたくしが金を惜しんだと思われたくはありませんもの」
奴隷商は目を丸くし、そして楽しそうに笑った。
「ほっほっほ、失礼いたしました。では、後ほど公爵家に規定額通りに請求させていただきます」
「ええ、そうしてちょうだい」
「お嬢様、よろしければもう一人か二人ほど、奴隷を購入いたしませんか? 健康で見目も良く、貴族の礼儀作法にも明るい者がおりますが」
それにわたくしは首を振った。
「わたくしの奴隷はこの子だけで十分よ。それに、こう見えてこの子は嫉妬深いから、別の奴隷を購入しても仲良く出来ないわ」
「そうでしたか、残念ですなあ」
やはり愉快そうに奴隷商が笑い、そして本題に入る。
「さて、本日は奴隷の隷属の首輪を外したいとのことでしたが、隷属状態は維持したままで本当によろしいのですね?」
「ええ、首輪が邪魔なの。隷属魔法はそのまま首に移してちょうだい」
「かしこまりました」
奴隷商がテーブルの隅に置かれたベルを鳴らすと、ややあって部屋の扉が叩かれ、魔法士らしき人物が入って来る。
奴隷商が魔法士に話し、魔法士がリーヴァイに近づく。
リーヴァイは僅かに眉根を寄せていたが、抵抗することはなく、魔法士が首輪へ触れた。
詠唱を行い、首輪が光ると、次の瞬間にがガチャンと隷属の首輪がリーヴァイの首から外れた。
意外にもあっさりしたものだった。
首輪を持った魔法士が奴隷商に頷いた。
「作業が完了しました。どうぞ、ご確認ください」
奴隷商の言葉に、リーヴァイを手招いた。
近づいて来たリーヴァイがテーブルの脇、わたくしの足元で跪く。
首元を寛げ、わたくしに首が見えるようにリーヴァイが顔を上げた。黒色の独特な刺青みたいな模様が首をぐるりと覆うように入っている。
隷属の首輪に刻まれていた模様がそのまま移っていた。
「上手く出来たようね」
リーヴァイの頬を撫で、離せば、リーヴァイが服の乱れを素早く整える。
「ありがとう」
「いいえ、今後とも、どうぞご贔屓に」
そうして案内を受けて奴隷商の店を出る。
停めていた馬車に乗り、公爵邸へと帰った。
馬車の中でリーヴァイが自身の首元を触っていたので、訊いてみた。
「やっぱり首輪がないほうが楽かしら?」
「物理的な重みで言うならばそうだが、あの程度、あってもなくても変わりはない。しかし、なくなるとそれはそれで少し物足りなく感じるものだな」
「今までずっと着けていたから、ないと落ち着かないのね」
リーヴァイの首に触れ、服の隙間から僅かに覗く模様を指で辿る。
「少し見えているけれど、チョーカーを着けたら目立たないかしら?」
「ヴィヴィアンが選んでくれるなら着けよう」
「ええ、もちろん、わたくしが選んであげる」
リーヴァイの頬に口付ける。
隷属の首輪がなくなったことで、リーヴァイの首周りがスッキリして、こちらのほうが侍従らしくて良い。
珍しさについリーヴァイの首元を撫でていると、手を掴まれた。
「あまり触れるな。誘われているのかと勘違いしてしまう」
「あら、ごめんなさい」
……でも、がっしりとしていて良い首筋だわ。
もうちょっと触っていたかったけれど、これ以上触ると後が怖そうなので、素直に手を引っ込める。
「今更だけれど、首に隷属魔法をそのまま刻んでも問題ないのよね? でも、それなら何故わざわざ隷属の首輪なんてあるのかしら?」
わたくしの疑問にリーヴァイが答える。
「隷属の首輪は命令違反をしても首が締まって痛みを感じる程度だが、直に隷属魔法をかけると体全体に適用される。つまり、我がヴィヴィアンの命令を無視すれば、全身に痛みが走る上に硬直して動けなくなる。最悪、死ぬ可能性もある」
「待って、そんな危ないことなの?」
「別に問題はないだろう? ヴィヴィアンが我に命令などほとんどしないし、その程度で死ぬほど柔ではない」
リーヴァイも奴隷商もあっさり頷くから、それほど問題はないと思っていたが、大ありだった。
「リーヴァイが苦しむのは嫌よ」
「ならば我に命令をしなければ良い」
「それはそうだけど……首輪のままのほうが良かったわね」
「そうか? そなたの所有印もなかなかに悪くないぞ。これがある限り、我らの間には確固たる繋がりが出来る」
リーヴァイの言葉にふと思う。
「あなた、意外とそういうものに執着しているわよね。わたくしの左手の薬指、まだ噛み跡が消えないのだけれど」
「それは予約だからな。消す理由がない」
おかげで十六歳の誕生日以降、ずっとわたくしは手袋を着けている。
それもあって、実は王太子と直に肌が触れたこともなかった。
「我は強欲な魔王だ。目に見える形もなければ満足出来ん」
リーヴァイの顔には、悪そうな笑みが浮かんでいた。
* * * * *
妹と主君である魔王が帰って来た。
「お帰り、ヴィヴィアン」
公爵家の中でも、侍女や侍従以外の前では基本的に主君も使用人の一人として扱わなければならない。
ルシアンにとって主君は絶対的な存在だ。
最初はその主君を使用人にするなど、とてもではないが不敬で出来るものではないと感じていた。
しかし、当の主君は愉快そうに笑うのだ。
『我はヴィヴィアンの奴隷で、公爵家の使用人だ。公爵令息であるそなたが我に丁寧に接していてはおかしいだろう』
と言って、妹の侍従に甘んじている。
それどころか使用人としての仕事を学び、使用人棟に住み、むしろ使用人としての暮らしを満喫している様子であった。
主君がウィヴィアンの侍従になって数年立ち、最近、ようやく妹のそばに侍従服姿で付き従う主君の姿にも慣れた。
「ただいま戻りました」
ヴィヴィアンが微笑み、近づいて来る。
「お兄様はこれからお出掛けですか?」
「うん、ちょっと王城に。多分、あの話だと思う。もし話が進んだ場合、僕も公爵家次期当主として立つことになるだろうから」
主君を魔族領への使者に立てるという話。
それをヴィウィアンが王太子に提案し、陛下の耳に入ったことで、話し合いが行われているのだろう。
ランドロー公爵家が魔族領との交流で使者の一人となれれば、より様々な情報を得ることが可能だ。
「ヴィヴィアンのほうは問題なく終わったみたいだね」
妹の後ろにいる主君を見る。
今朝はあったはずの隷属の首輪はなくなっていた。
「リーヴァイ」
妹が名前を呼び、主君が襟に指をかけ、首元を晒す。
そこには刺青のような模様が入っている。
本当に隷属魔法を首に直接移したのだろう。
「これなら目立ちにくいでしょう? あとはチョーカーでも着ければ、傍目には分かりませんわ」
「そう……」
ここでどのような反応をすれば良いのか、ルシアンは迷い、己が感じている微妙な気持ちから、苦笑が漏れてしまった。
ルシアンには分からないが、主君は妹との主従関係をそれなりに気に入っているらしい。
本気で抗えば、今の主君であれば簡単に隷属魔法など解けるのだが、そうしないくらいにはこの状況を楽しみたいと思っているのかもしれない。
「侍従だからといって、あまり彼を困らせないようにね」
「あら、分かっておりますわ。わたくし、もう小さな頃とは違いますのよ。知っていらっしゃるでしょう?」
ルシアンからすれば十分、今も困る状態なのだが。
しかし、妹も主君も現状が良いと思っている以上、ルシアンがそれを変えることは出来ない。
もし無理やりルシアンが奴隷から解放させても、主君は喜ばないし、妹からも嫌われてしまうだけだ。
……ヴィヴィアンも魔王様も少し似ている。
どちらも難解な思考で、予測がつかない。
「お兄様、お気を付けて行ってらっしゃいませ」
「ああ、ありがとう、行ってくるよ」
妹の頭を撫で、ルシアンは屋敷を出た。
妹が乗って来たものとは別の馬車が外に停まっており、それに乗り込めば、すぐに扉が閉まり、馬車が動き出す。
小さく揺られながら車窓を眺める。
……でも、難解だからこそ面白いんだよね。
主君も、妹も、ルシアンの想像の範囲外だからこそ、もっとそばで見ていたいと思う。
「しかし、魔王様はヴィヴィアンに甘いな……」
けれども、それは主君だけではない。
母イザベルも、自分も、公爵も、皆そうだ。
この公爵家で最も発言力があるのは実は妹かもしれない。
そう思うとルシアンは小さく笑う。
そんな公爵家の在り様が、とても面白かった。
* * * * *




