あら、それなら適任がいるじゃない。
教会から帰って来て、一ヶ月が経った。
アンジュとクローデットも十七歳となり、それぞれの誕生日パーティーに出席させてもらったり、三人でお茶会をしたり、わたくし達は変わらず友人関係を深めていた。
もうアンジュが事故で亡くなる可能性も低く、クローデットは両陛下からもこの一年で気に入られたし、プリシラの件も落ち着いた。
そして今、お父様の書斎に家族全員で集まっている。
「我がシャトリエ王国を含めた周辺国同士は、昔から対魔族に関する同盟を結んでいる」
お父様の言葉に全員が頷く。
千年近く昔、魔族と人間との戦争が最も激化していた時期に結ばれた『人類共同戦線同盟』に、この大陸の国はほとんどが参加している。
だが、この同盟は形ばかりになっていた。
ここ二、三百年、魔族と人間の間に大きな衝突は起きていない。
魔王であるリーヴァイが力を封じられ、生まれ変わることで不在になっていたため魔族が動かなかったことも理由の一つだろう。
「先日、参加国の全てが揃っての話し合いが行われた」
お父様の言葉を全員が待つ。
同盟は五年に一度、魔族への対応をどうするかという話し合いの場を設け、参加国全てで意見を出し合って、同盟全体の総意をまとめる。
魔族と人間とで衝突がなくなってからは、基本的に『静観』という状態で落ち着いているはずだが。
「それにより同盟の方向が定まった。……今後も同盟は魔族に対して『静観』を維持する予定だ。魔族領に面した国の中には魔族と交易をしている村や街も若干ながらあることから、段階的に魔族との交流を増やしていくことも決定した」
それにわたくし達は驚いた。
リーヴァイも考えるように目を伏せている。
「人間と魔族は長い間、敵対関係にあった。しかし、このまま永遠にいがみ合い続けても互いに利益はない。教会もこの決定には好意的な反応を示している」
「戦争の際には真っ先に聖女や聖人を戦地に送った教会が、魔族との交流に好意的とは皮肉なものですね」
お父様の言葉にお兄様が少し不満そうに目を細めた。
お母様も難しい顔で考え込んでいた。
……原作と違って戦争が起こらないのはいいことだけど。
人間と魔族は常識も、考え方も、価値観も、恐らく何もかもが違いすぎて、互いに歩み寄るのは少し難しいかもしれない。
特に魔族は『同族以外への関心や情が薄い』のと、寿命が人間よりも長い種族が多いため、人間に対して憎しみを持つ者が多い。
人間が五十年から七、八十年ほどで世代交代をするのに比べて、魔族は大抵が数百年ほど生きるため、先の戦争の生き残りもまだいるだろう。その魔族達はどう思うか。
人間を信じられない魔族、魔族を信じられない人間。
両者の溝を埋めることが出来るかどうか。
「恐らく、ここ数百年、聖女や聖人の出現率が減り、国家間の戦争や飢饉など、様々な事情もあってどの国も魔族との戦争を行う余裕があまりないのだろう」
「戦えばより疲弊するから、友好関係を築こうというわけですのね」
「ああ、それに魔族はほとんどが魔法を扱える。どの国も魔法の発展を望んでおり、魔法に長けた魔族と交流し、魔法の知識を増やすことで国の発展にも繋がるのではという考えもあるようだ」
……それはあまりにも都合の良い考えではないかしら?
交流を持つのはともかく、魔族がそんな簡単に魔法に関する知識を人間に教えるとは思えない。
教えた魔法の知識を人間が戦争に使う可能性は高いのだ。
わざわざ敵が優位になるようなことはしないだろう。
「人間もこの数百年でだいぶ頭が緩くなっているようだ」
リーヴァイの言葉に誰も否定はしなかった。
「だが、今は魔族も数が少ない。人間と戦争を起こしても勝算は低い。人間は好きではないが、魔族全体のことを思えばいつまでも戦争を続けるわけにもいくまい」
お母様とお兄様が、リーヴァイへ気遣うような視線を向ける。
「そういえば、魔族と人間はどうして対立しておりますの?」
わたくしの問いにお母様が困ったような顔をした。
お兄様も口を噤んでいたが、リーヴァイが答えた。
「遥か昔は人間と魔族は共存していた。だが、魔法や武力、寿命など、魔族のほうが人間よりも能力が高く、それ故に魔族を恐れて攻撃をしてきたことが発端だった」
当時は今より人間は寿命が短く、魔法の技術も拙く、弱かった。
だからこそ人間は魔族に対して危機感を覚えた。
もし魔族が人間を滅ぼそうとしたら?
もし魔族が人間を支配しようとしたら?
魔族が同族以外に関心が少なかったことも原因だった。
魔族の人間に対するよそよそしさもまた、疑念を抱かせるきっかけとなってしまった。
人間は、魔族が自分達にいつ牙を剥くかと疑うようになり、魔族への迫害が広がり、そこから関係は一気に悪化した。
「戦争の始まりは魔族の母子の死だった」
迫害により貧困に陥った魔族の母子がいた。
母親は魔族という理由でどこも雇ってもらえず、教会からも拒絶され、もはや人間は誰も助けてはくれない。
何とか魔族同士で助け合っていたが、母親が流行病により倒れてしまう。
子供は必死に街を走り回り、母親を診てくれる医者を探したが、人間の医者は皆、子供を拒絶した。
治癒魔法をかけたが、病の苦しみを一時的に緩和するくらいしか効果はなく、薬を買う金もなかった。あったとしても売ってくれる者がいるかどうかも分からない。
それでも子供は母親のために医者に助けを求め続けた。
だが、ある夜、子供が物音で目を覚ました。
小屋の外に出ると街の人間達がそこにいた。
子供は人間達が助けてくれるのではと思ったが、人間達は持ってきた道具で子供を殴り殺すと、病で動けない母親のいる小屋に火を放った。
母親が流行病にかかったことが街の人間達の間に広がり、病をうつされるかもしれないという理由で母子は殺されてしまった。
これが人間の母子であったなら、彼らは同じことをしただろうか?
魔族だからと迫害され、魔族だからと差別され、魔族だからと殺された。
この話は魔族の間に瞬く間に広がり、そして、ついに魔族は人間と戦うことを決めた。
そこから、人間と魔族の長い戦争の歴史が始まったのだ。
「そんな……」
魔族を恐れて迫害した結果、人間は自分達が恐れていた事態を招いてしまった。
「魔族とて争いは好んでいない。しかし、殺さなければ殺され、戦わなければ愛する者を失う。……あのまま無抵抗に奪われ続けるわけにはいかなかった」
……それはそうよ。
そのまま耐え続けていてもより酷い扱いとなっただろう。
魔族は抵抗するためにも戦うしかなかったはずだ。
「今の人間は『魔族は危険な存在』『昔から対立しているから』という曖昧な認識で魔族を敵視してきた。人間からすれば数えきれないほどの世代を跨ぎ、感情が薄くなっているだろうが、魔族にとってはまだほんの数世代前の話であり、憎しみや怒りの感情は強い」
リーヴァイが小さく息を吐く。
「……人間との和平は難しいのね」
「我が『そうする』と言えば従うが、不満は募るだろう。人間も魔族も互いに殺しすぎた。長い年月で積もった憎悪は消えはしない」
今、和平の道を選んだとしても一時凌ぎに過ぎない。
「それでも魔族を絶やさないために、和睦に応じるしかないか」
魔族にとっては苦渋の選択だろう。
一方的に敵視され、攻撃され、迫害され、そうして今度は和平を結ぼうと提案してくる。
そんな人間と和平を結びたくはないが、戦争になれば、魔族の数はもっと減る。
「だが、そうなると誰に和睦の使者を任せるべきか」
リーヴァイが珍しく眉根を寄せて考えている。
「人間に友好的な魔族は少ないから?」
「ああ、国境沿いに住む魔族ならば交易があるのだろうが、小さな村や街の者を使者として立たせるわけにはいくまい」
貴族や平民とは違うが、魔族にも身分のようなものはあるらしく、強い者ほど敬われるが責任も伴う。
人間にそれなりに好意的、もしくは敵意が少なく、判断力が高く、ある程度は人間の常識や礼儀作法に明るい者でなければ使者には立てられない。
お母様、お兄様、リーヴァイが悩んでいる。
「あら、それなら適任がいるじゃない」
わたくしの言葉に全員がこちらを見る。
だから、わたくしはリーヴァイを指差した。
「あなた自身が使者に立てばいいのよ」
お母様とお兄様がギョッとした様子で立ち上がった。
「ヴィヴィアン!」
「いくら何でもそれは危険すぎる!」
怒った様子の二人をわたくしは手で制した。
「そう怒らないでください。何も、リーヴァイが魔王だと明かした上で使者に立つ必要はありませんわ。幸い、今のリーヴァイは魔人ですもの。魔族領に有力な知り合いがいるということにして、人間と魔族の橋渡し役になればよろしいでしょう」
ほとんどの人間は、相手が魔族か魔人かの区別がつかない。
魔族は相手が魔族か人間か、それとも魔人なのか分かるらしい。
この場合、魔族はリーヴァイが魔王だと理解出来るが、人間はリーヴァイが『自分は魔人だ』と言えば、それを信じるしかない。
判別出来たとしても、実際にリーヴァイは魔人である。
あとは魔王であることを黙っていれば気付かれはしない。
「魔族をいきなり引き入れれば反感を買うでしょうけれど、魔人は国内にもそれなりにいますし、公爵令嬢の奴隷ならば安全面を考えても受け入れられやすいのではないかしら」
お兄様とお母様が顔を見合わせる。
リーヴァイが愉快そうに笑った。
「なるほど、合理的だ」
「たとえば、王太子殿下とクローデットにこっそり話してみるのはいかが? あの二人はわたくしに恩義があるし、リーヴァイも見慣れているから、いきなり敵意を向けることはないと思うわ」
原作でもクローデットが魔王を生かす選択肢を選んだ時、魔族側であるお兄様とパターソン兄弟の他に、王太子も魔王を生かして魔族と交流を図ることに賛成する場面がある。
……ギルバートは反対派だけれど。
それでも、クローデットの選択を認めてはくれる。
もしかしたら原作の裏でも、聖女や聖人の出現減少から、本当は人間側もあまり戦いたくなかったのかもしれない。
しかし、原作では魔王が憎悪によって人間と対立する。
その事件が起こらなかったこの世界では、両者が妥協し、一時的にでも和平を結ぶことが可能なのではないだろうか。
「確かに、魔王様は現在ヴィヴィアンの侍従なので、ランドロー公爵家が介入しても不思議はありませんね。むしろ『我が家の使用人だから』と我が家が魔族との交流を担うことも出来るかもしれません」
「あら、そうなれば私達は連絡が取りやすくなる上に、同盟の動きもより詳細に分かるわ」
お兄様とお母様が話し合い、二人とも頷いた。
「では、我が使者として立とう」
そう言ったリーヴァイは楽しそうだった。
……リーヴァイって少し快楽主義なところがあるわよね。
面白いことが好きというか、予想外のことが好きというか、意外とノリがいい時がある。
「そのためにも、やはり王太子とクローデットには魔人であることを伝えるべきね。やがて王と王妃になるあの二人が魔人や魔族に友好的に動けば、周囲もそれに従わざるを得ないもの」
同盟が『魔族との平和的関係を望む』というのなら、魔族もそれを利用すればいい。
……本当は人間と魔族がまた共存出来ればいいのだけど。
寿命の長い魔族は戦争のことも覚えているため、人間を簡単に許すことはないだろうし、お互いに表面上の和平となるだろう。
それでも、戦争が起こるよりかはずっといいはずだ。
「そうすると、その隷属の首輪も問題ね……」
今のリーヴァイはどう見ても『わがままな公爵令嬢が無理やり奴隷にしています』という風体なので、せめて、もっと隷属魔法が分かりにくい状態にしなければ。
しかし、奴隷から解放してしまうといざという時が不安だし、何より、公爵令嬢の奴隷という制約があるからこそ、人間側も警戒心が薄くなる。
……わたくし、完全にもう魔族派ね。
最初はお母様やお兄様、リーヴァイが魔族だから、何となく魔族側についていたけれど、いつの間にか完全に魔族派になっている。
一体いつ頃からだったか、と考えているとリーヴァイに名前を呼ばれた。
「ヴィヴィアン?」
「いえ、何でもないわ。リーヴァイを元々売っていた奴隷商のところに行って、隷属の首輪を外しましょう。その代わり、直接首に刻むのはどうかしら? 普段は服で隠れるから『魔族は気付かないだろう』と言えば済むと思うわ」
「うむ、それで構わん」
リーヴァイが『解放してくれ』と言わなかったことにホッとして、それにわたくしは内心で驚いた。
……あらやだ、もしかしてわたくし、リーヴァイを手放したくないのかしら?
愛する人が本当に望むなら、奴隷から解放すべきだ。
でも、その時にわたくしは素直に頷けるだろうか。
「我はそなたの奴隷で良い。この関係も存外悪くないものだ」
「奴隷でいたいなんて言うのはあなたくらいだわ」
「そうか? 隷属魔法は下手な魔法よりもずっと強力な『縛り』でもある。まだしばらくはこの鎖で繋がれていよう」
トントン、とリーヴァイが首輪を指先で軽く叩く。
「わたくしは自分が変だという自覚があるけれど、あなたも十分変わり者ね。魔王が人間の奴隷でいたいなんて普通はありえないわ」
「ありえないなどということ自体がありえない。この世は『ありえる』からこそ、全てがそこに存在しているのだ」
まるで謎かけのような言葉に苦笑してしまう。
「それなら、この『奇跡』に感謝しないといけないわね」
わたくしの手の中に魔王が存在する。
もう、この世界は原作とは全く違う流れを進んでいる。
今この瞬間こそが『奇跡』の積み重ねだった。




