ただいま戻りました。
ガタリと目の前でシェリルが席から立ち上がった。
その勢いと大きな音に全員が視線を向けた。
「あなた達、いい加減にしなさい!」
怒りと苛立ちの滲むシェリルの声が食堂に響く。
わたくしの周りにいた聖騎士達も、わたくしも、誰もが鋭いその声に口を噤んだ。
「聖騎士ともあろう者が女性に現を抜かすとは何事ですか! 規律を正すべき者がそれを乱すとは恥ずかしい! 聖騎士の誓いを忘れたのですか!?」
聖騎士達が気まずそうに互いに視線を合わせる。
自分達の行動が聖騎士に相応しくない自覚はあるらしい。
「それから、ランドロー公爵令嬢!」
名指しで呼ばれてわたくしは思わず背筋が少し伸びた。
「結婚前のご令嬢が、たとえ相手が侍従であろうと、そのように異性と過度な触れ合いをするのはふしだらですよ!」
……やっぱり可愛い人ね。
わたくしはリーヴァイを横に座らせ、寄りかかっていたのだが、どうやらシェリルからしたら過度な触れ合いだったらしい。
リーヴァイの腕に抱き着きながら返事をする。
「あら、彼はいいのよ。わたくしの婚約者ですもの」
「そもそも貴族の女性なのですから、貞淑さを──……え?」
シェリルが捲し立てかけた言葉を切り、目を丸くする。
周囲にいた聖騎士達もギョッとした顔でこちらを見る。
一瞬の後に「ええええっ!?」と驚愕の叫びが食堂に響き渡り、シェリルも聖騎士達も、様子を窺っていた他の人々も、ぽかんと口を開けていた。
「親密なのは婚約者の特権でしてよ?」
わたくしは微笑んで、リーヴァイの頬に口付けた。
* * * * *
プリシラが神官長達に伝えてくれたようで、その後、聖騎士達がわたくしの仕事に横槍を入れてくることはなくなった。
ただし、相変わらずよく声をかけられる。
何故と思ったが、理由は聖騎士達本人が教えてくれた。
「聖女様を正しい道に導いてくださったのは、ご令嬢だとお聞きしました! 本当にありがとうございます!」
「おかげで聖女様の護衛がしやすくなりました」
「それにご令嬢のように美しく心優しい方が来て、皆、せめて一言でも言葉を交わせたらと思ってしまうのです」
……貴族のご令嬢ならば、わたくし以外も来ているはずなのに。
公爵令嬢を優遇しろと言われ、最初はそうしていたが、わたくしが『優遇はやめてほしい』と願ったことが広まって、逆効果になったようだ。
話しかけても邪険に扱われないので、普段ならば言葉を交わせない相手と話してみたいという気持ちもあったそうだ。
清掃の時間などは声をかけられないけれど、食事の時間はいつも、聖騎士達と同席することとなり、シェリル様もリーヴァイもそれを鬱陶しく感じているふうだった。
わたくしも食事中にあれこれ話しかけられて困った。
そうして、残り後二日となった今日。
夕食時についにシェリルの怒りが爆発した。
食後、聖騎士に取り囲まれて動けなくなった上に、リーヴァイが不機嫌だったのでくっついて機嫌を取っていたのだが、それもシェリルの怒りを助長させてしまったらしい。
しかし、わたくしとリーヴァイが婚約者だと告げたことで、驚きのあまり怒りがどこかへ行ってしまったのだろう。
シェリルが茫然とした様子で訊き返してくる。
「本当に婚約者なのですか……?」
それにわたくしは頷いた。
「ええ、事実ですわ。大々的に婚約発表はしていないけれど、陛下の承認も得ておりますし、公爵家公認の婚約者で恋人ですのよ」
全員の視線がリーヴァイに向けられ、首元で止まる。
誰もが『奴隷の使用人が公爵令嬢の婚約者なのか?』という疑念に満ちた表情を浮かべていた。
「わたくし達にも色々と事情がありますの。この通り、彼は一目で異国出身だと分かるでしょう? たとえ奴隷から解放しても『元奴隷の異国人』は虐げられやすいもの。でも、公爵令嬢たるわたくしの所有物であれば、誰も傷付けようとは思いませんわ」
シェリルが目を伏せ、すぐにこちらを見る。
「侍従を守るために奴隷のままにしている、と?」
「ええ、これについては彼も了承しておりますわ」
リーヴァイが同意するように大きく頷いた。
シェリルはしばしリーヴァイを見つめ、そして、溜め息を吐く。
「事情があるのは理解しました。しかし、それなら何故、婚約者だと言わなかったのですか? そう言っていれば聖騎士達も色々と控えたでしょう」
「婚約者だと伝えていたら、彼は入れなかったでしょう?」
「確信犯ですか……」
頭が痛いというふうにシェリルが額に手を当てる。
「でもわたくし達、教会に来てからは我慢しておりますのよ。神聖な教会に相応しくない振る舞いはしていませんわ」
「そんなにべったりくっついていて?」
「これは愛情表現の一種ですわ。親しい間柄で、握手をしたり、抱き締め合ったりして仲を深めるのと同じようなものでしてよ」
「いや、違うでしょ」
思わずといったふうにシェリルが即答する。
それが面白くてわたくしは笑ってしまった。
シェリルはそんな自分が恥ずかしかったのか、こほん、と小さく咳払いをすると話題を戻した。
「とにかく、ここ最近の聖騎士達は少し弛んでいます。ランドロー公爵令嬢も、教会内での異性との過度な触れ合いはやめてください。今すぐ」
「残念だわ」
もっとくっついていたかったが、リーヴァイの腕から離れる。
聖騎士達はこれ以上シェリルの怒りに触れるのはまずいと思ったのか、気まずそうに「失礼しました……」と食堂を出て行った。
わたくし達も食事を終えていたので、食器を片付け、食堂を後にする。
「シェリル様、ありがとうございます」
前を行くシェリルに声をかければ、返事があった。
「感謝していただくことは何もありませんが」
「わたくしが困っていたから、言ってくださったのでしょう?」
「聖騎士達の行動が目に余るものだったので注意しただけです」
やはり無愛想であるが、それが逆に微笑ましい。
そして、初日からそうであったように、シェリルはわたくしとリーヴァイを部屋まで送り届けてから帰って行った。
……本当に面倒見の良い方ね。
教会に来て、もう内部はある程度把握しているけれど、迷わないようにシェリルは毎日ついてくれている。
清掃の時もわたくしの様子を確認して、危ない時は声をかけてくれるし、リーヴァイにも分け隔てなく話しかける。
リーヴァイが喋らなくても怒らない。
むしろ、奴隷のリーヴァイに同情しているふうだった。
「あと二日で終わりね」
部屋に入り、ベッドに座れば、横にリーヴァイが腰掛ける。
「教会の暮らしは退屈すぎる。それに聖なる気に満ちていて、少し居心地が悪い」
「あら、そうなの? でも帰らなかったのね」
「ヴィヴィアンだけを残すのは心配だからな」
リーヴァイがわたくしの額へ口付けた。
そのまま、唇へも口付けられそうになり、リーヴァイの口元に指を添えて止める。
「教会内での過度な触れ合いはダメよ?」
「あの小煩い神官はいないぞ?」
「でも、教会ですもの。神様が見ているかもしれないわ」
わたくしの言葉にリーヴァイが愉快そうに笑った。
「なるほど」
しかし、わたくしの手を退けると躊躇いなく口付けてくる。
「では『もう見たくない』と思うほど見せつけてやろう」
「神様に嫌われてしまうわよ?」
「構わん」
「ふふ、強気ね」
リーヴァイへ抱き着けば、抱き締め返される。
「過度な触れ合いはいけないのではなかったか?」
意趣返しなのか、先ほどわたくしが言った言葉が降ってくる。
それがおかしくて笑ってしまった。
「わたくし達にとってはこれくらい普通のことでしょう? どの程度で過度な触れ合いになるかは人それぞれだわ」
「先ほどは止めたのに?」
リーヴァイの手がわたくしの頬を撫でる。
「あまり男をからかうものではない」
そう言うわりにはリーヴァイは楽しそうだった。
わたくしの反応が彼にとっては面白いらしい。
リーヴァイの手を取り、指に口付ける。
「そうね、ごめんなさい」
教会に来てからリーヴァイとの触れ合いが減った。
もしかしたら、それもあってリーヴァイは少し不機嫌だったのかもしれない。
「それに、聖騎士達に優しくしすぎだ。ヴィヴィアン、そなたは美しい。少し優しくするだけで勘違いしてしまう者もいる。あまり男に笑いかけないほうがいい」
「あら、貴族の令嬢は常に淑やかに微笑んでいるべきと教育されるのだけれど……」
ジッとリーヴァイを見つめる。
「リーヴァイ、あなた、嫉妬しているの?」
わたしの問いにリーヴァイが目を瞬かせ、そして、はははと声を上げて笑い出した。
そうして心底愉快そうな笑みを浮かべてわたくしを見る。
「ああ、そうなのかもしれん。我は嫉妬したのか。長い時を生きてきたが、このような感情が我にあるとは思わなかった」
「今のあなたは生まれて二十数年しか経っていないじゃない」
「体の年齢に精神が引っ張られたか。だが、悪くはない」
リーヴァイの手がわたくしをギュッと抱き締める。
「あまり我に嫉妬をさせるな。そなたに近づく男が皆、死ぬこととなる」
さらりととんでもないことを言われた。
だが、それを嬉しいと感じてしまうわたくしもどうかしているのだろう。
「お兄様とお父様は許してあげてちょうだい」
「それ以外は殺しても構わないと?」
わたくしはそれに頷き返す。
「他にわたくしに近しい男性はあなただけですもの」
極論を言えば、それ以外はどうでもいい。
「だから機嫌を直して、ね?」
リーヴァイへ口付ければ、素直に受け入れられる。
唇を離すとリーヴァイが微笑んだ。
「結婚したら覚悟しておけ」
……あまり嫉妬させないほうが良さそうね。
リーヴァイの機嫌を直すために、もう一度口付けた。
* * * * *
そうして二日が経ち、教会で過ごす時間にも終わりが来た。
この二日間は聖騎士達に声をかけられることもなく、快適に過ごすことが出来た。
……二週間はあっという間だったわね。
朝食後の清掃を済ませ、帰り支度をする。
わたくしもリーヴァイも荷物は少なく、すぐに支度は済んでしまった。
帰りまでまだ少し時間がある。
プリシラには昨日のうちに挨拶をしてあるので、あとはもう帰るだけだが、なんだか部屋で過ごすのも勿体ないような気がする。
「そうだわ、最後のお祈りでもしてこようかしら」
わたくしの言葉にリーヴァイが呆れた顔をした。
「毎日祈りを捧げているのに、まだ願うことがあるのか?」
「これでもわたくしの祈りはただ一つよ」
「そうなのか?」
意外そうな表情で見られて、わたくしは苦笑した。
「もちろん、色々と願いはあるけれど、わたくしは公爵令嬢だもの。大抵の願いは叶えられるわ。でも、わたくしがずっと望んでいる願いは公爵家の力を使っても叶うか分からないものよ」
リーヴァイへ近づき、その頬に触れる。
記憶を取り戻してからずっと願っていること。
何よりも、わたくし自身のことよりも、いつだって願っている。
「わたくしはいつもあなたの幸せを願っているわ」
美しい黄金色の瞳が驚いた様子で瞬いた。
「『推し』とやらだからか?」
「最初はそうだったけれど、今は、愛する人として幸せになってほしいのよ。わがままを言えるなら、幸せなあなたのそばにわたくしの居場所があると嬉しいわ」
もし、リーヴァイの幸せにわたくしが要らないのであれば、それはそれで仕方がないとも思う。
でもそれを望んでいるわけではない。
幸せなあなたのそばで、幸せそうなあなたを見たい。
あなたが幸せになるのを手伝えるならもっといい。
「本当にそなたは変わり者だな」
ふ、とリーヴァイが小さく笑った。
それは今までのどの微笑みよりも柔らかなものだった。
リーヴァイの手がわたくしに伸ばされる。
しかし、それがわたくしに触れる前に部屋の扉が叩かれ、リーヴァイは扉へ向かう。
部屋を訪れたのはシェリルだった。
「迎えの馬車が到着しましたよ」
どうやらそれを知らせに来てくれたようだ。
残念だが、最後のお祈りは出来そうもない。
「シェリル様、二週間、ありがとうございました」
シェリルに礼を執る。
この二週間、彼女は本当によくわたくしの面倒を見て、それでいて助けが必要ない時は見守ってくれた。
そのおかげでわたくしは色々なことを経験出来た。
同時に、シェリルはわたくしを守ってもいたのだろう。
常にわたくしのそばにいることで、男性の多い教会内で問題が起こらないように気を配ってくれてもいたのだと思う。
「ランドロー公爵令嬢も二週間、お疲れ様でした」
シェリルも右手を胸に当てて、教会式の礼を執る
「大体の貴族のご令嬢はすぐに嫌がって部屋に引きこもってしまうことが多いのですが、あなたは清掃も洗濯も、嫌がることなく真面目に向き合っていました。これからも周囲への感謝と奉仕の心を忘れず、信仰心を持ち、清く正しい生活を心がけてください」
最後まで彼女らしい言葉に、わたくしは頷いた。
「ええ、そういたしますわ」
「教会の扉は常に開かれています。迷える時、苦しい時、悲しい時、そして喜びの時も、いつでも祈りを捧げにいらしてください」
「宿泊はしませんが、また祈りを捧げにまいります」
「では、正面玄関までお見送りします」
リーヴァイが荷物を持ち、わたくしも持てるものは自分で持ち、シェリルについて行く。
あっという間の二週間だったのに、長かったような気もして、不思議な感覚だった。
正面玄関に着くと、外には公爵家の馬車が待機していた。
荷物を馬車へ積み込み、振り返る。
「本当にお世話になりました」
教会に一礼し、馬車へと乗り込む。
馬車の扉が閉まる直前、シェリルが言った。
「ランドロー公爵令嬢の行く道に幸福があらんことを」
それにわたくしは微笑んだ。
「家族がいて、友人がいて、愛する人がいる。わたくしはもう十分、幸せですわ。シェリル様にも幸福があるよう、祈っております」
「ありがとうございます」
そして、馬車の扉が閉まる。
ゆっくりと馬車が動き出し、景色が流れていく。
馬車は街中をしばらく走ると見慣れた我が家へ到着する。
たった二週間なのに、随分、懐かしい気持ちになった。
馬車が到着し、正面玄関から中へ入ると、玄関ホールにお父様とお母様、お兄様がいて、わたくし達を出迎えてくれた。
「お帰り、ヴィヴィアン」
「お帰りなさい」
「お帰り、二週間よく頑張ってきたね」
温かな言葉に自然と笑みが浮かぶ。
大変だったけれど、楽しい二週間であった。
お母様に抱き締められ、お兄様に頭を撫でられ、お父様が優しい眼差しでわたくしを見る。
……やっぱり我が家が一番ね。
「お父様、お母様、お兄様、ただいま戻りました」




