二週間よろしくお願いいたします。
「ランドロー公爵令嬢、そちらの方は?」
黒に近いダークブラウンの髪に、金の瞳をした女性神官がわたくしのすぐ後ろにいるリーヴァイへ目を向ける。
リーヴァイが黙って目礼をした。
女性神官の視線がリーヴァイの首元で止まる。
「まさか、付き添いというのは……」
「ええ、彼のことですわ。わたくしの侍従ですのよ」
眉根を寄せた女性神官に、わたくしは微笑み返す。
「彼もきちんと奉仕活動に参加しますわ」
* * * * *
シャトリエ王国の民のほとんどは教会の信徒である。
国によって教典の解釈違いはあるものの、基本的にこの世界の人々は男神イェルドヴァーグを崇め、信じている。
世界を創造し、生命を生み出した唯一神。
どの国のどの教会も『ヴァーグ教』なのだ。
そして、我が国では貴族の令嬢は十八歳の誕生日を迎える二、三ヶ月前くらいから、誕生日前日までの間に二週間ほど教会で過ごすという慣習があった。
結婚適齢期の十八歳のうちに結婚出来るようにという願掛けと、短期間とは言え教会で神に仕えた敬虔な信徒という箔付けを目的としたもので、教会も多額の寄付金が入るならば文句はないらしい。
元を辿ればこれは平民の間で行われた風習だった。
十八歳を迎える娘がいる家が教会へ寄付金を渡し、神官に『娘が幸せな結婚を出来ますように』と祈りを捧げてもらう。
それが貴族にも広がり、見栄やら体面やらが色々とあって、現在の『教会で二週間過ごして祈りを捧げる』という形になった。
そして、よほど貧乏な家でもない限りは教会に寄付金を渡し、娘を二週間預けるのが当たり前となった。
教会側もこれで得られる寄付金を当てにしているところはあるだろう。
公爵令嬢であるわたくしも例外ではない。
「ヴィヴィアン、そろそろ教会へ行ってきなさい」
そんなお父様の言葉から、教会へ行くことが決まった。
その日のうちに教会へ手紙を送り、翌日には返事が来て、その間に準備を整えて三日後には教会入りである。
教会にはきちんと『娘と付き添いの二人で行く』と伝えてあったはずなのだが、この状況だ。
「侍女ではなく、侍従……ですか」
女性神官の手には、教会で過ごす間に着る服がある。
それを見て、わたくしは彼女の言いたいことに気が付いた。
「大丈夫ですわ。着替えでしたら彼に手伝っていただきますし、着方さえ分かれば一人でも着ることが出来ますので」
女性神官の疑念に満ちた眼差しにわたくしは笑みを浮かべたまま、服を受け取るために手を差し出した。
寄付金はお母様が一緒に来て、払って、帰って行った。
寄付金を受け取った教会はわたくしを拒否出来ない。
しばし沈黙していた女性神官が溜め息を吐いた。
「……着替えは一人で出来るようになってください」
「あら、彼に手伝ってもらってはいけませんの?」
「婚前の女性が異性に肌を見せるなどあってはなりません! いいですか、教会ではご自分のことはご自分でなさってください!」
眉根を寄せたままそう言う女性神官に頷く。
「分かりました。改めまして、ランドロー公爵家の長女、ヴィヴィアン・ランドローと申します」
「……あなたの担当となるシェリル・アーバンです。シェリルとお呼びください」
「シェリル様、二週間よろしくお願いいたします」
そうして、わたくし達が二週間泊まる部屋に案内される。
部屋は狭く、二人分のベッドと机、チェストが置かれているだけの質素なもので、娯楽品や嗜好品などもない。
「荷物を置いて、服を着替えてください。ここで待っておりますので。いいですか、着替えは衝立の向こうでしてくださいね?」
「ええ、自分のことは自分で、ですわね」
「チェストの中に替えの服も何着か入れてあります。あなたの侍従に関しては、改めて服を用意するので今日はそのまま過ごしていただくことになります」
リーヴァイがシェリル様の言葉に小さく頷いた。
一旦、扉を閉めて荷物を片付ける。
そうは言ってもあまり荷物は多くない。
教会で過ごす際に持ち込めるものが元々少なく、ある程度は教会が用意してくれるため、手ぶらで来ても何とかなるくらいである。
服を確認し、衝立の向こうで着替える。
こうなることは分かっていたため、一人で着替えが出来る地味なドレスで今日は来た。
ドレスを脱いで教会の服に着替える。
服は修道女のものと同じだった。
足元までストンと長い黒色のワンピースに白い幅広の詰め襟、頭にはウィンプルと呼ばれる黒地に白線の入った頭布を被る。
ワンピースは頭から被るだけなので簡単だ。
地味な装いだが、ドレスと違って動きやすい。
「どうかしら?」
衝立から出ると、片付けを終えたリーヴァイが振り返る。
「これはまた、美しい修道女がいたものだ」
鏡で確認したが、なかなかに悪くないと思う。
準備を整えて部屋の扉を開ける。
「お待たせしました」
わたくしの服を確認したシェリル様が微妙な顔をしたが、服装に問題はなかったらしく頷いた。
「今日から二週間、教会の生活様式に従っていただきます。まず、これから昼まで教会内の掃除を行います。昼食後はお祈りの時間、その後、奉仕活動に参加し、夕食を摂り、夜のお祈りと清めをして自由時間となります。翌朝は鐘が鳴ったら起きて、朝のお祈りを行い、朝食を済ませたら本日と同様に過ごします。質問はございますか?」
「いえ、ありませんわ」
「それでは清掃を行いましょう」
そういうわけで、二週間を教会で過ごすこととなった。
* * * * *
シェリル・アーバンは元孤児である。
今は上級神官として出世しているものの、王都内にある教会付きの孤児院に捨てられた娼婦の子だった。
孤児院は常に貧しく、互いに身を寄せ合い、助け合い、空腹や寒さに耐えながら生きていくのは幼い子供にはとてもつらかった。
教会には定期的に貴族が来るけれど、シェリルがいた孤児院の教会に来る貴族は寄付金を出し渋る家で、いつも運営はギリギリという状態。
シェリルを育ててくれた神官や修道女は自分達の食事や給金を後回しにして、子供達を飢えさせないよう、寒さで死人が出ないよう、必死に努力してくれていた。
たまに様子を見に来る貴族はいつだって横柄で、子供が近づいたり服に触れようものなら殴る蹴るは当たり前だった。
神官も修道女も常に頭を下げ続けて寄付金をもらう。
「いつも我慢ばかりさせてごめんなさい」
シェリルを抱き締め、困り顔で謝る修道女は痩せていて、それでも自分達のためにあちこち駆け回って頭を下げてくれる彼女達を尊敬していた。
しかし、その修道女はシェリルが十六歳の成人を迎える前に亡くなってしまった。
栄養失調と過労が原因で風邪をこじらせたのだ。
医者に診てもらう余裕も、薬を買う金もなかった。
教会で小さな葬式をして修道女は共同墓地へ埋められた。
幸い、シェリルには魔法の素質があり、そのおかげでより大きな教会へ神官見習いとして入り、治癒魔法を会得することが出来た。
その後、元の孤児院の運営状況や寄付金、貴族について調べた結果、貴族は孤児院に寄付をした後に『警備費』などと言って寄付金の半額近くを奪い取っていた。
以前から孤児院の強盗事件があったが、貴族が警備のために兵を派遣してくれたことなど一度もなかったというのに『自分達の庇護下にいるおかげで襲われない』と謝礼名目で寄付金の返還をさせていたのだ。
すぐに教会上層部に伝え、貴族の本家に抗議をしてもらい、それによって孤児院付きの教会を担当する貴族は他の家に変わった。
それ以降はきちんと額面通りの寄付金を運営に当てられるようになったものの、亡くなった修道女が生き返るわけではない。
……貴族なんてみんな同じ。
今まで教会に来たどの貴族も、どの家の令嬢も、横柄な態度で好き勝手なことばかりした。
今回は公爵令嬢と聞き、きっとわがまま放題でこちらの話などまともに聞きもしないだろうと思っていた。
振り返れば、ランドロー公爵令嬢が雑巾を手に、祈りの間の長椅子を磨いている。
掃除をしたことがないそうで、手つきはぎこちなく、やり方も効率が悪い。雑巾を絞るのすら上手く出来ていない。
それでもランドロー公爵令嬢は掃除を続ける。
令嬢の掃除は下手だが、その後ろを彼女の侍従がついて回り、残った汚れなどを拭いて綺麗にしている。
意外にも真面目な様子で取り組んではいるが……。
「ランドロー公爵令嬢、拭き掃除は丸く拭いてはいけません。きちんと角まで、埃の筋が残らないよう丁寧に拭いてください。それでは二度手間です」
声をかけると令嬢が振り返り、後ろにいる侍従を見て目を瞬かせた。
「あら、ごめんなさい」
令嬢が侍従に手招きをして何事かを囁くと、侍従が頷き、令嬢から離れる。
そうして、令嬢はもう一度、丁寧に長椅子を拭く。
まだ寒い中での掃除は体が冷える。
水で絞った雑巾を持つ令嬢の手が赤くなってしまっていたが、令嬢は気にしたふうもなく、真剣な表情で拭き掃除をしていた。
長椅子を拭き終え、自分で確認し、満足そうに頷いてから次の長椅子に取り掛かる。
シェリルが拭くより倍以上かかっていたが黙っておく。
清掃は普段自分達が使っている場所を清潔に保つ意味もあるが、物や場所など周囲にあるものに対して感謝の気持ちを忘れないよう、自分の心と向き合う時間でもある。
あまりあれこれ言いすぎるのも良くないだろう。
これまで担当してきた貴族の令嬢は掃除と聞くと、嫌がるか自分の侍女に任せて見ているか、やったとしても適当だった。
「シェリル様、あちらの棚も拭いてよろしいかしら?」
長椅子を全て拭き終えた令嬢が訊いてくる。
「ええ、どうぞ。昼食までは清掃の時間ですので、汚れていると感じた場所を綺麗にしてください」
公爵令嬢はそれに頷き、今度は棚へ向かう。
慣れていないせいか時間はかかっているが、注意したことに気を付けているようで、清掃はきちんと出来ていた。
木桶の水に雑巾を浸し、しっかりこすって汚れを落とし、水気がなくなるように出来るだけ強く絞る。
だが、令嬢はそういったことも初めてなのだろう。
何度も絞らなければならず、苦労しているようだ。
それでも「もうやめる」とか「やりたくない」とか、そういった言葉は一度も出てこなかった。
昼食の時間を告げる鐘の音が鳴るまで、令嬢は真面目に清掃に取り込んでいた。
「昼食の時間なので終わりましょう」
と声をかけると、むしろ少し残念そうな顔をされた。
「まあ、もうそんな時間ですの? せっかくやり方が分かって、掃除をするのが楽しくなってきましたのに」
「また明日も午前中は清掃があります」
「そうですわね、今日出来なかったところは明日やりましょう」
そう言って楽しそうに笑う令嬢から雑巾を回収する。
侍従は無口だが、そちらも真面目に清掃をしており、どちらも丁寧に仕事をするのでいつもより祈りの間も綺麗になった気がした。
「それでは昼食に行きましょう」
掃除道具を片付け、声をかければ令嬢が頷く。
「体を動かしたからかもしれませんが、気分もスッキリしますし、頑張った分だけ部屋が綺麗になるのも気持ちが良いですわね」
令嬢は仕事をさせられたというのに、機嫌が良さそうである。
「教会内の清掃も奉仕活動の一つです。真面目に取り組む姿をきっと主もご覧になっているでしょう。どのような行いも、いずれ自分に返ってくるものです。良いことをすれば良いことが、悪いことをすれば悪いことが訪れると経典にも書かれております」
「あら、それは違いますわ」
シェリルの言葉に令嬢が微笑む。
「自分の使う場所を自分で綺麗にしただけですもの、これは『良いこと』ではありませんわ。いつも屋敷を清掃してくれている使用人達への感謝の気持ちを忘れてはいけませんわね」
それに、思わずまじまじと令嬢を見てしまった。
貴族が使用人に感謝することはまずない。
使用人は屋敷の一部、道具や家具のようなもので、使用人に感謝の気持ちを持つことなどない。貴族にとってはそれが当たり前だから。
……でも、このご令嬢は……。
もしかしたら、他の貴族の令嬢とは違うのだろうか。
「いつもより動いたからか、とてもお腹が空きましたわ」
しかし、まだ二週間の初日である。
いつまでもこれが続くかどうかも分からない。
途中で嫌になって投げ出すかもしれないし、面倒になって部屋にこもるかもしれない。
侍従がふと顔を上げると、令嬢に耳打ちする。
「クリームスープ? それはいいわね。少し体が冷えてしまったから、温かいスープが飲めると嬉しいわ」
侍従がまた令嬢に耳打ちし、令嬢が微笑み、頷く。
主人と使用人のわりには距離が近い。
貴族の女性の中には、結婚しても愛人を持ったり、奴隷を購入してそばに置く方もいると言うけれど、この侍従もそうなのだろうか。
侍従の首には黒い隷属の首輪が着けられている。
……やっぱり貴族なんて信用出来ない。
どれほど真面目に清掃をしても、敬虔な信徒であったとしても、こうして奴隷を侍らせているなんて信じられない。
法で奴隷は禁じられていなくても、経典には『隣人を愛し、尊敬すべし』と書かれている。
貴族の令嬢のそばにいるのは侍女であるべきで、わざわざ男性の使用人を近くに置くのは、そういうことなのだろう。
「教会の食事は質素です。貴族の皆様が普段、口にする食事とは全く異なりますので、ご了承ください」
シェリルの言葉に令嬢はやはり微笑む。
「ええ、楽しみですわ」
なんとも風変わりな令嬢であった。
* * * * *




