一体、何を考えているのかしら?
クローデットより『プリシラに聖印が現れた』と聞いてから三ヶ月。
プリシラの聖印は本物であったそうで、クローデットから話を聞いた翌月には彼女は教会に入り、正式にプリシラ・バスチエが聖女であることが公表された。
それにより、バスチエ家は伯爵位の中でも家格が上がった。
王太子妃と聖女を輩出した家として、分家の子息令嬢などに婚約打診が山のように届いているのだとか。
そして予想通り、聖女が出た家ということもあって、クローデットを王太子妃に推す声が一気に高まった。
中にはプリシラを王太子妃に据えたらどうかという声もあったようだが、それはプリシラ本人が拒否したそうだ。
社交界は新たな聖女の話題で持ちきりである。
数百年ぶりの聖女に国内は沸き立っていた。
ついこの間までは『プリシラ・バスチエ伯爵令嬢』はお茶会に招くには少々問題のある人間とされていたのに、今では『聖女プリシラ』としてどのお茶会も彼女を招きたがっているようだ。
だが、プリシラはほとんどのお茶会を断っているらしい。
理由は『聖女活動が忙しい』から。
教会に入ってからは毎日慈善活動を行い、王都内の教会や孤児院を回って忙しくしている──……というのは建前で、やはり教会でも色々と問題行動を起こしている。
これについては教会に潜入しているフランシスとアレンの人狼兄弟が、お兄様に報告を上げた。
プリシラは教会に入ったものの、性に合わなかった。
聖女だけが着られる純白の特別な装いは、彼女にとっては地味らしく「毎日違うドレスが着たいわ!」と騒いだり、教会の食事に「これじゃあ平民と同じじゃない!」と文句を言ったり、とにかく何をするにも不満ばかりなので教会側もうんざりしているそうだ。
本来ならば聖女に剣を捧げて守護するべき護衛騎士達も、聖女らしからぬプリシラの様子に幻滅し、誰も剣を捧げない。
それどころか聖女の護衛騎士の任から外れたがっている。
「護衛騎士にも色々と注文したそうだよ。たとえば『見目が良いこと』『若い男性であること』『口煩くないもの』とかね」
お兄様が呆れた様子で言うので、わたくしも首を傾げてしまった。
「護衛騎士でハレムでもつくるのかしら?」
遠い東の砂漠の国では、王族はそれぞれにハレムを持つ。
ハレムとは後宮のような場所で、男性の王族ならば女性のみのハレムがあり、女性の王族ならば男性のみのハレムを持つことが出来るらしい。
王国では国王陛下のみ後宮を持つことが許されているが、その砂漠の国は王族ならば誰もがハレムを持っていて、生まれて来た子を競わせ、より優秀なものが次の王となる完全実力主義なのだとか。
ただし、王族と言っても真に『王族』と呼ばれるのは『国王となった者とその親、そして同じ両親を持つ兄弟』だそうで、王が変われば王族も変わる。
砂漠の国は血筋よりも『優秀さ』が優先される。
……まあ、その話はともかく。
「聖女がハレムをつくったら歴史に残りそうですわ」
「いや、報告によると見目の良い護衛騎士達を引き連れてはいるものの、色欲に溺れるようなことはないらしい。どうやら今代の聖女様は相当な『美形好き』なのだろう、と」
「見目の良い者で周囲を固めて楽しんでいる?」
「まあ、そういうことだね。聖女としての活動もしているけれど、気分次第でやったりやらなかったりしているようだし、ドレスを着たいと言うわりには貴族のお茶会などは面倒だからと断っているそうだ」
……やっぱり聖女として問題しかないじゃない。
クローデットが溜め息を吐くのも頷ける。
自分から進んで教会入りをしたのに不満や文句ばかりで、聖女の活動も貴族令嬢としての活動も適当で、それなのに自分のわがままは通そうとする。
「つまり、聖女として甘い汁だけ吸いたいのね」
今まで伯爵家でわがままが通っていただけに、聖女として教会に入れば、より自分のわがままが通ると考えているのだ。
思惑通り、周囲は『聖女のわがまま』を聞くけれど、その度に『プリシラ・バスチエへの信頼』や『今代の聖女への期待』は失っていく。
権利ばかり主張して義務を果たさない者は尊敬などされない。
そのうち、教会から愛想を尽かされて伯爵家に戻されるのではなかろうか。
そうなった時はクローデットも巻き添えになるだろう。
プリシラもバスチエ伯爵家もどうなろうと関係ないが、クローデットが王太子の婚約者から外れるのは少々問題である。
「聖女プリシラが教会から見放されるのは良くありませんわね」
「そうだね、王太子の婚約者であるバスチエ伯爵令嬢も何かしら問題があると言われかねないし、最悪『聖女の品位を損ねた』として伯爵家そのものが教会から破門されるかもしれない。教会に破門された家の令嬢を王家は認めないだろう」
少し考えればこんなことはすぐに分かるはずなのに、プリシラはその辺りのことを理解していないのだろう。
理解していてやっているとしたら、頭がおかしいのか、破滅願望者なのか。どちらにしてもまともではない。
それに巻き込まれるクローデットが可哀想だ。
「お兄様、どうにかなりませんか?」
お兄様が珍しく悩んだ様子で眉根を寄せる。
「一応、パターソン兄弟が聖女プリシラをおだてて、ご機嫌取りをして、気に入られたみたいだから、上手く聖女としての活動にやる気を出させる方向には出来るだろうけど……それもいつまで続くかは分からないな」
思わずお兄様と顔を見合わせ、溜め息を吐く。
敵である聖女が破滅したほうが魔族としては良い話のはずなのに、そうなるとクローデットにも影響が出て、クローデットの後見をしているランドロー公爵家も非難される。
公爵家が力を失うのはよろしくない。
この権力と財力、立場があるからこそ、王国などの人間側の情報収集を行えているのだ。
結果、聖女の身の心配をする魔族という変な状態だ。
「とりあえず、しばらくはパターソン兄弟に上手く聖女プリシラの舵取りをしてもらおうか」
「それしかありませんわね」
原作で聖女となったクローデットの護衛騎士に就く兄弟は、兄は穏やかで、弟は明るく元気で、魔族でありながらも人間に対しての嫌悪感が少ない。
攻略対象の中では二番目に難易度が低いキャラクター達である。
ちなみに、一番難易度が低いのは暗殺者のイヴォンなのだが、彼だけは原作開始前から『クローデットが助けた』という設定があるため、最初から好感度が非常に高い。
難易度順にすると簡単なほうから暗殺者イヴォン、パターソン人狼兄弟、王太子の護衛騎士ギルバート、王太子エドワード、公爵令息ルシアン、そして隠し攻略対象ディミアンとなる。
ルシアンとディミアンは難易度が他の攻略対象より高く、選択肢によって好感度が上下するのだが、他攻略対象と違って選択肢の回数がルート分岐に繋がる。
ルシアンは選択肢を三回、ディミアンは選択肢を一回間違えて好感度が下がると強制的にノーマルエンドに、それ以上間違えるとバッドエンドに突入する鬼仕様だ。
ルシアンルートは二回まで選択肢の失敗は許容されるが、ディミアンは失敗が許されない。選択肢を間違えなければハッピーエンドとなる。
他の攻略対象は好感度が多少下がっていても、七割ほど好感度があればハッピーエンドを迎えられる。
だがルシアンは九割、ディミアンに至ってはMAXでなければ攻略出来ないのだ。
乙女ゲームなのでゲーム開始時に攻略したいキャラクターを選び、そのキャラクターのルートで行けるはずなのに、この二人だけは初回は大体バッドエンドを迎える。
しかもルシアンルートからのディミアンルートを選択すると、王太子からのディミアンルートに比べて難易度が格段に跳ね上がる。
けれどもルシアンルートからのディミアンルートが上手くいけば、魔王ディミアンと臣下ルシアンのやり取りや二人の並んだ絵など、通常では見られない特典が出てくることもある。
……前世のわたくしも相当やり込んだようだけれど。
今はもうだいぶ忘れてしまっている。
話はかなり逸れてしまったが、とにかく、パターソン兄弟は比較的、攻略しやすいキャラクターだ。
そうは言っても、今のクローデットは王太子と婚約しているし、わがまま放題なプリシラを見てパターソン兄弟が恋に落ちることもないだろう。
話が落ち着いたところで部屋の扉が叩かれた。
「どうぞ」
お兄様が声をかければ、お兄様の侍従が入室した。
「失礼いたします。ルシアン様、お手紙が届いているのですが……」
仕事は出来るがいつも無表情なお兄様の侍従が、珍しく困惑した様子で言葉を濁す。
お兄様もそれに不思議そうな顔をした。
「差出人は?」
「それが、その、教会からでして……」
「教会?」
お兄様が手を差し出せば、侍従が目の前で手紙の封を切り、お兄様へと渡す。
手紙を開き、内容を確認したお兄様がまた眉根を寄せた。
「寄付の催促ですか?」
たまにそういうことがある。
表向きは前回の寄付に対する感謝と、寄付金が何に使われたかの報告だが、時には遠回しに更に寄付してほしいと書かれていることもあった。
大きな教会は金回りが良いけれど、小さなところは資金繰りに困っていることも多いため、苦しくなると助けを求める。
教会や孤児院への寄付を渋る貴族ほど、催促の手紙は増える。ギリギリの金額しか与えないのだから当然だが。
お兄様がわたくしに手紙を差し出した。
「聖女プリシラがわがままを言っているらしい」
受け取り、素早く手紙の内容に目を通す。
手紙は教会の神官長からで、聖女プリシラが『ランドロー公爵家に行きたい』と騒ぐので困っているそうだ。
何でも、姉クローデットが公爵令嬢であるわたくしと親しい間柄だというのに、自分がどれほど頼んでもわたくしに紹介してくれない。以前の無礼について謝罪させてくれない姉は意地悪だ。謝りたいから公爵家と繋ぎを取れ。行けないなら聖女の活動は一切しない。
そうして、本当に部屋から出て来ないので、大変申し訳なく、また無礼を承知の上で、手紙を送って来たという。
手紙には、お父様に面会の打診をしたが断られているとのことだった。
「一体、何を考えているのかしら?」
これが『私も公爵家の養子にしろ』ならばまだ分かる。
姉がいずれ公爵令嬢となるのに、聖女の自分が伯爵令嬢に過ぎないのが気に入らないというのであれば理解出来る。
プリシラの主張は『ランドロー公爵家に行きたい』『公爵令嬢に謝りたい』というものだが、彼女にはわたくしの悪評を広めて、何故か庇うという謎の行動をしていた部分もあった。
その行動の意図が掴めないため、正直に言えばあまり会いたくない。
「ヴィヴィアンが会いたくないなら断ることも出来るよ」
「でも、断れば公爵家と教会の関係が崩れますわ」
王国の民はほとんどが教会の信徒だ。
教会との関係が悪化して没落した家も過去にはあった。
わたくしの頭をお兄様が優しく撫でる。
「そうでもないさ。教会側も簡単には聖女を手放したくはないだろうから、事を大きくはしたくないはずだ。本来は他貴族の紹介がなければ会えないところを無理に通そうとしている以上、断っても公爵家に非はない。むしろ、公爵家を軽んじているのかと抗議することも出来る」
お兄様の言葉にホッとする。
わたくしが断ったせいで、公爵家が窮地に陥るということはないのだろう。
不意に、それまで沈黙していたリーヴァイが口を開いた。
「その聖女に会えばいい」
「えっ?」
リーヴァイが『会うこと』を薦めてきたので驚いた。
「聖女がどのような目的で公爵家に来たがっているかは知らぬが、ルシアンも同席し、聖女に『魅了』をかければいい。聖印が現れたばかりならばまだ聖女としての力もさほど開花していないだろう。ルシアンであれば精神干渉は容易いはずだ」
それにお兄様が理解した様子で頷いた。
「『魅了』で聖女を落とすのは良い手かもしれません。目的を聞き出し、問題を起こさないように命令することも可能です」
「聖女を操ろうなんて大胆な考えね」
リーヴァイの提案は驚いたが、悪くはない。
力をつけてしまう前に『魅了』で聖女を落としておけば、魔族への敵対行動を制限出来る上にクローデットを巻き込んでの破滅も防げる。
何をするか分からないなら、首輪をつければいい。
わたくしでは聖女に『魅了』をかけても弾かれてしまうかもしれないが、お兄様はかなり強い魔族なので、まだ力に目覚めたばかりの聖女なら『魅了』が効く可能性が高い。
プリシラが聖女の活動を怠っているのであれば、魔族に対抗するための浄化の力の訓練も真面目にやってはいないだろう。
話を聞く限り、精神力が強いとも思えない。
お兄様と顔を見合わせ、頷き合う。
「やるしかなさそうだね」
そういうわけで、プリシラを公爵家に招くこととなった。
お父様とお母様に伝えると心配されたものの、教会との関係を考え、恩を売るためにも受け入れる方向で決まった。




