これは予想外の展開ですわね……。
婚約破棄騒動から四ヶ月。
それは唐突にわたくしの耳に飛び込んで来た。
「実はまだ公表はしていないのですが、先日、プリシラの十六歳の誕生日に、彼女に聖印が現れました」
そう言ったクローデットは頭が痛いといった様子だった。
「何ですって? プリシラ様とは、あの……?」
「はい、以前ヴィヴィアン様に無礼を働いた妹です……」
それに思わずリーヴァイと顔を見合わせる。
原作ではクローデットの十六歳の誕生日に、クローデットに聖印が現れるはずであった。
しかし、何故か原作にはいないはずのクローデットの義妹が、十六歳の誕生日に聖印持ちとなった。
それが事実であるのなら、この世界はわたくしの記憶しているものとは違う流れを通っているということになる。
……もしかして、この世界の主人公はクローデットではない……?
ゲーム通りならば主人公クローデットが持つはずの聖印を、クローデットの義妹が授かるという謎にわたくしは混乱してしまった。
「それでは、プリシラ様は教会へ移られるのですか?」
聖女となった者は生活の場を教会に移すこととなる。
「はい、でも、あの子が教会での生活に耐えられるかどうか……」
クローデットの話を聞く限り、わがままなご令嬢のようだし、毎日の生活の動きが決まっている教会はつらいだろう。
聖女と言っても贅沢は出来ないし、生家から離れなければならない上に、聖女としての立ち居振る舞いを求められる。それでいて、魔族との戦争が起これば出征に参加しなければいけない。
聖女とは名誉職のようなものだ。
普通の貴族の令嬢のような裕福な暮らしは出来なくなる。
「お父様は王太子妃と聖女、二人の高貴な人間を排出した家になると興奮しておりましたが、プリシラが教会に入っても長続きしないと思います」
「そうね、貴族の暮らしに慣れてしまったら、教会での暮らしは難しいわ」
クローデットに聖印が現れなかったことには驚いたが、それと同時にホッとしているわたくしもいた。
もしクローデットが聖女となれば、いつか、敵対関係になるだろう。
だが、クローデットの義妹であれば、もし人間と魔族とで戦争が起こっても裏切ることに躊躇いは感じない。
「プリシラ様はいつ頃、教会へ?」
「早ければ来月には教会へ入ることになるかと。既に教会へは連絡を済ませているので、聖印の確認が出来れば、教会はすぐにでもプリシラを招き入れることでしょう。今も、もう教会から聖女候補として護衛に聖騎士様も数名、派遣されています」
……と、なると暗殺は難しいわね。
原作で起こった人間と魔族の戦争は、最初に攻撃してきたのは魔族だが、人間が捕らえた魔族を公開処刑したのが問題だった。
その魔族は人間を傷付けておらず、罪も犯していない、ひっそりと人目から隠れて生きていた魔族であった。
むしろその魔族は人助けをしたのに、この国は『重罪人』として公開処刑したのだ。
それをディミアンは目撃することとなる。
大勢の人間達が『魔族だから』という理由で石を投げ、罵倒し、処刑しろと口々に叫び、王国の騎士達も人助けをした魔族を『騙していた』という理由で処刑した。
原作で、魔族は同族への情が深い生き物だという話がある。
きっと、ディミアンにとっては家族を目の前で殺されたような気持ちだったのだろう。
クローデットと共に過ごすことで癒やされかけていた人間への憎しみが再燃し、クローデットの下を去って、人間に復讐するために戦争を起こすのも分かる気がする。
原作通りにしないためには『聖女』という存在を消せばいい。
人間側は聖女がいなければ強気には出れないし、今のところ、リーヴァイは人間への憎しみを再燃させてはいない。
この場合『聖女プリシラ』はどのような行動を取るか分からない不確定要素として、危険だった。
……いっそ、傭兵でも雇って殺してしまおうかしら?
それか、金さえ積めばどんな仕事でも引き受ける犯罪組織に依頼して──……いや、それを行えば犯罪組織にランドロー公爵家の弱みを握らせてしまうこととなる。
「ヴィヴィアン様、大丈夫ですか?」
クローデットに名を呼ばれて我に返る。
「あ、ええ、大丈夫よ。驚いてしまって……」
「そうですよね。わたしもとても驚きました。……姉のわたしが言うべきではないのかもしれませんが、プリシラは『聖女』と呼ばれるには少し、性格に問題がありますから……」
困ったように眉を下げてクローデットが微笑んだ。
話の内容からしても、恐らく以前のあのお茶会からあまり言動に変化が見られないのだろう。
聖女になっても問題ばかり起こしそうだ。
……そういえば、教会にも魔族が潜入しているのよね。
確か、原作では人狼の兄弟が聖騎士となっている。
銀髪に灰色の瞳をした、その兄弟は幼い頃から人間の孤児として王都で育ち、その身体能力の高さから聖騎士に選ばれた。
原作では聖女となったクローデットの護衛騎士として、クローデットを守るという表向きの仕事をしつつ、教会や聖女の行動を監視している設定だったはずだ。
「プリシラ様の今後はともかく、伯爵家から聖女が出るのは喜ばしいことよ。我が国で『聖印持ち』は数百年ぶりですもの」
だからこそ、クローデットは教会で崇められた。
しかも聖女に相応しい清廉潔白さを持ち合わせていたクローデットは、聖女として民からも貴族からも受け入れられた。
……だけど、プリシラ様はどうかしらね。
あの色々と幼い令嬢が『聖女』になれるだろうか。
「それに、聖女の姉ならば殿下との婚約もよりしやすくなるわ。王家も教会も互いに協力関係を築くために、きっとクローデットと殿下の婚約を推し進めていくでしょう」
クローデットが考えるように手元のティーカップへ視線を落とす。
ややあって、彼女の中で考えがまとまったのか視線を上げた。
「……今は妹に関して、静観しておくことにします」
「ええ、それがいいと思うわ」
こちらもこちらで、どうするか話し合う必要がある。
新しい紅茶をティーカップに注ぐリーヴァイの口元は、愉快そうに僅かに弧を描いていた。
* * * * *
クローデットが帰ってすぐに、わたくしはプリシラに聖印が現れたことをお母様とお兄様に報告した。
お兄様はすぐさま、教会に潜伏している魔族と連絡を取りに『寄付』をしに教会へ出向き、夕方には帰って来た。
お父様は王城に呼ばれているので今はいない。
お母様とお兄様、リーヴァイとわたくしの四人でお父様の書斎に集まり、話し合う。
「結論から言うと『バスチエ伯爵家の次女に聖印が現れた』のは事実なようだ。幸い、聖女の護衛騎士に潜伏させている者が何人か選ばれた」
お兄様の言葉に、やはり、と思う。
「もしかして、銀髪の人狼の兄弟かしら?」
「……そういえば、ヴィヴィアンは知っているんだったね」
驚いた顔で振り向いたお兄様が苦笑する。
わたくしの記憶に関してはリーヴァイから、お母様とお兄様には内容が共有されているのですぐに分かったのだろう。
この人狼の兄弟は原作では攻略対象でもあった。
兄フランシス・パターソンと弟アレン・パターソン。
この兄弟は二人で一つの攻略ルートで、ノーマルエンドでは聖女と護衛の関係のままだが、ハッピーエンドでは聖女のために人間側に寝返り、兄弟二人から愛される話となる。逆にバッドエンドでは兄は魔族側に、弟は人間側につき、兄弟で殺し合ってどちらも死ぬエンドを迎える。
この二人のルートでは、お兄様が魔族であるとは明かされない。
お兄様が魔族だと判明するのは、お兄様のルートのみだ。
そして、お兄様のルートを一度攻略しないと隠し攻略対象であるディミアンルートは開放されない。
ディミアンルートに入るには、一度お兄様ルートのノーマル、ハッピー、バッドのどれかを攻略後に、もう一度お兄様ルートか王太子のエドワードルートを選ぶ必要があった。
「だが、我は今のところ戦争を始めるつもりはない」
リーヴァイの言葉に全員が頷く。
「そうなりますと、聖女とすぐさま敵対関係になることはございませんね」
「聖女の暗殺は可能ですが、殺せば、必ず魔族が疑われるでしょう」
お母様とお兄様が言い、リーヴァイが頷く。
「それこそヴィヴィアンの記憶通りに戦争となる」
聖女の存在は魔族にとって鬱陶しいが、殺しても戦争になる。
今、戦争を起こしても魔族が必ず勝てる確証はない。
「……これは予想外の展開ですわね」
クローデットが聖女となれば、この先の行動は予想出来たが、その義妹ではもうどのように動くか想像がつかない。
書斎に沈黙が広がる。
「しばらくは様子を見るしかあるまい」
リーヴァイが小さく息を吐き、お母様とお兄様が同意する。
「そうですわね」
「一応、聖女の言動は監視させておきます」
はあ、とお母様とお兄様も溜め息を吐く。
魔族にとって聖女の出現は一大事なのだろう。
クローデットとは内容は違うものの、同じように、頭が痛いといった様子でお母様とお兄様は困り顔をしていた。
「バスチエ伯爵家の次女が聖女となれば、私達も会う機会は増えるでしょう。ヴィヴィアン、あなたはあまり近づきすぎないようにね」
「はい、お母様」
わたくしは常にリーヴァイを連れ歩いている。
聖女となったプリシラに、リーヴァイを連れたまま会うのはあまりに危険が大きい。
だからわたくしもリーヴァイも聖女に近づくべきではない。
「静観はするが、もし聖女が魔族と戦争を起こそうとする素振りを見せたら、その場合は暗殺も視野に入れる」
「かしこまりました」
「いつでも可能なように手配をしておきます」
リーヴァイの決定にお母様もお兄様も頷いた。
わたくしも特に異論はなかった。
「……これから面倒なことになりそうですわね」
あまり良い予感がしないことだけが心配だった。
* * * * *
「あははは! やっぱり私がこの世界の主人公なのね!」
夜、薄暗い部屋の中に嬉しそうな少女の声が響く。
プリシラ・バスチエが右手の甲を見れば、そこには教会が掲げている太陽と月を模った聖印が淡い光と共に浮かぶ。
今までは原作と違う流れになっていたが、元よりプリシラの『推し』は王太子ではないので、クローデットが王太子と婚約しても何ら問題はなかった。
「……早く会いたいな、ルシアン様……」
プリシラが聖女として教会入りし、公表されれば、ランドロー公爵家へ訪問してもきっと断りはしないだろう。
本当ならば原作通りデビュタントまで待つべきだろうが、もしその間に『ルシアン』が婚約してしまったらと思うと気持ちが急いてしまう。
既にこの世界は原作と異なっている。
魔王ディミアンは何故か王太子とルシアンルートで悪役になるはずのヴィヴィアン・ランドローの奴隷になって侍従をしているし、王太子とクローデットは婚約するし、そもそもプリシラの存在自体が原作と違う。
だから『ルシアン』もどうなるか分からない。
もしかしたら誰か適当な令嬢と婚約してしまうかもしれない。
そうなったら、プリシラが『ルシアン』と婚約することが難しくなる。
出来ないことはないだろうが、聖女が他人の婚約者を無理やり奪うというのはさすがにまずいとプリシラも分かってはいた。
……原作とは違うけど、ここでは私は主人公だし!
いっそ、こちらから近づけばいい。
ルシアンルートは台詞を暗記するほどやり込んだので、どの選択肢でも最適な答えを選ぶことが出来る。好感度を上げるのは簡単だろう。
「ルシアン様って他人には冷たいけど、身内にはとっても甘いのよね。見た目も凄くかっこいいし、声もいいし、公爵令息だし、ルートに入ると溺愛してくるし!」
思わずプリシラは毛布の中で小さく黄色い悲鳴を上げた。
あの夢にまで見た『ルシアン』を直に見られるだけでなく、本当に愛される日が訪れる。
そうなれば、どれほど幸せな毎日を過ごせることか。
「ヴィヴィアンだって、前はあんなだったけど、ルシアン様が私を愛して婚約者にするって言えば、文句は言わないはず。それでディミアンを解放させればルシアン様も喜ぶかも!」
ディミアンがいまだに奴隷のままなのは、きっとヴィヴィアンが解放を拒否しているからだろう。
隷属の首輪は主人の意思と血を確認しなければ外れない。
つまり、ヴィヴィアンが頷かない限りは外せないのだ。
聖女として命令すればヴィヴィアンも抗えないはず。
……ディミアンの恩人になれれば最高ね!
少し流れは違ってしまうが、ディミアンを奴隷から解放して優しくすれば、ルシアンの好感度の上がりも早くなる。
ルシアンは魔王ディミアンを崇拝しているから、魔王を助けたとなれば、たとえ聖女でも無下には出来ない。
「……ルシアン様、私が絶対に攻略してあげるからね……!」
プリシラは拳を握り、意気込んだ。
そのためにも早く教会に入らなければ。
* * * * *




