婚約破棄されて差し上げますわ。
誘拐事件から一ヶ月、ついに王家主催の夜会の日となった。
今日の王太子は青色の装いをすると聞いていたので、あえてわたくしは赤いドレスを着て向かう。
いつもより全身の手入れをしっかり行い、ややキツめに見える化粧を施してもらい、美しいながらもどこか毒のある雰囲気を漂わせている。
これならばデビュタントで白い装いの、清純そうなクローデットと良い対比となるだろう。
王太子がわたくしではなくクローデットを選ぶ要素として『毒婦』もしくは『悪女』という言葉が出て来る予定だ。
その言葉が似合うようにしたのである。
「どうかしら、リーヴァイ?」
そして、今日の夜会にわたくしはリーヴァイを連れて行く。
会場に入らなくとも、王城にまで連れて行くほどのお気に入りの侍従がいるという姿を皆に見せ、王太子の婚約破棄も致し方なしと思わせる。
これならば王太子だけが悪にはならないし、わたくしも、その後に他の貴族を当てがわれることもない。
振り返れば、リーヴァイが微笑んだ。
「素晴らしく美しい悪女に見える」
「魔王を誑し込んでいてもおかしくなさそうなくらい?」
少しだけ茶化してみれば、リーヴァイが近づき、わたくしの肩にそっと触れる。
そうして指先で肩の形をなぞるように首へ辿っていく。
「お望みならば跪いて愛を捧げようか?」
そのまま引き寄せられて口付けられそうになったので、リーヴァイの唇に指を当ててそれを止める。
「ダメ、お化粧が崩れてしまうわ」
「そのほうが『奴隷に入れ込んでいる令嬢』らしくて良いのではないか?」
「あら、言われてみればそうね」
わたくしの止めた手を外し、リーヴァイに口付けられる。
離れたリーヴァイの唇に紅がついてしまっていた。
「でも、本当はあなたが口付けをしたいだけでしょう?」
リーヴァイは小さく笑うだけだった。
「まあいいわ」
手を差し出せばリーヴァイが恭しくわたくしの手を取り、エスコートしてもらいながら部屋を出る。
玄関ホールへ行けば、お兄様が既に待っていた。
わたくしを見てお兄様が微笑む。
「普段のヴィヴィアンも美しいけれど、今日はいっそう美しいね。その美しさで数多の人間を堕落させる悪魔と言われたら信じてしまいそうだよ」
「ありがとうございます。お兄様も変わらず素敵ですわ」
わたくしが婚約してからはお兄様にエスコートをしてもらう機会が減り、お兄様はそれを残念がっていた。
婚約破棄されれば、またお兄様の出番となるだろうが。
「あら、待たせてごめんなさいね」
お母様とお父様も準備を整えて来る。
相変わらずお母様は美しいし、お父様は素敵だし、お兄様はかっこいいし、我が家は公爵家という立場に相応しい美男美女揃いである。
全員で馬車に乗り、王城へと向かう。
わたくしの誘拐事件があってから、警備を見直し、よりしっかりと護衛がつくこととなった。
今夜は全員で動くので警備は厳重だ。
馬車が街中をゆっくりと走って行く。
婚約破棄をされると分かっているのに心は軽やかだ。
馬車が王城に到着し、お父様達とは会場の手前で別れる。
……わたくしは王太子と入場だものね。
使用人の案内を受けて別室へ移動する。
たった一年だけれど、王太子の婚約者という立場もなかなかに悪くなかったと思う。
王妃を通じて社交を広めてみたり、王族の歴史や礼儀作法を学ぶのも良い時間だったし、クローデットにそれを教えるのも案外楽しかった。
貴族の令嬢として『王太子の婚約者』ほど名誉な立場はない。
……でも、わたくしには少し窮屈だわ。
別室に着くと王太子が待っていた。
「来たか」
冷たい声にわたくしも形だけの微笑みを浮かべる。
王太子はわたくしの返事に興味がないといった様子で近づいて来て、腕を差し出される。その腕に手を添えた。
そうして二人で無言のまま、会場となる舞踏の間へ向かう。
使用人達が下がり、部屋を出て、廊下を歩く。
「……覚悟は出来ているか?」
歩きながら問われて微笑んだ。
「そのようなものは、殿下に話を持ちかけた段階で済ませておりますわ」
「そうか」
ふ、と殿下が一瞬笑った。
そして舞踏の間へ到着する。
王太子が騎士に頷き、会場への扉が開かれた。
王太子とわたくしの入場を告げる声が響く。
大勢の視線を受けながら二人で入場した。
王太子の婚約者として、他の貴族よりも一段高い位置に王太子と共に立つ。
両陛下が入場し、集まった貴族に対して挨拶をしている。
「……いつ行う?」
王太子が前を向いたまま、ほとんど口を動かさずに囁く。
「わたくし達が踊る際にしましょう」
「分かった」
陛下挨拶が終わり、わたくしと王太子のダンスの時間となる。
王太子と共に下りて舞踏の間の中心へ進み出る。
曲が鳴り、わたくしと王太子が互いに向き合う。
そして本来ならば手を取って踊りが始まる。
誰もがそう思っているだろう。
だが、王太子はわたくしの横をすり抜けて行く。
全員の視線が王太子を追い、王太子は人々の中からクローデットの手を取り、わたくしを見た。
自然とわたくしと二人との間にいた人々が道を開ける。
「ランドロー公爵令嬢!!」
王太子が音楽をかき消すほどの大声でわたくしを呼ぶ。
それに思わずといった様子で楽団が動きを止め、シンと会場内が静まり返った。
全員の視線がわたくし達に注がれている。
「私、エドワード・ルノ=シャトリエはヴィヴィアン・ランドロー公爵令嬢との婚約を今ここで破棄する!!」
ざわりと人々が騒めいた。
「まあ、婚約破棄だなんて。理由をお聞かせ願えますでしょうか?」
わたくしの問いに王太子がわたくしを睨むように見る。
「ランドロー公爵令嬢、貴様のことは最初から気に入らなかった。王太子の婚約者という立場でありながら、男の奴隷に入れ上げていた。……いや、そもそも、私にはずっと思い合う相手がいたのだ」
「思い合う方とは、そちらの方ですの?」
「そうだ。貴様のような悪女と違い、クローデットは清らかで純粋な心を持つ、慈悲深い令嬢である」
王太子の言葉にクローデットが慌てた様子で言う。
「そんな、エドワード様……! ヴィヴィアン様は決して悪女などではありません……!」
それは予定にはないものだったが、王太子が励ますようにクローデットの手をしっかりと握る。
「大丈夫だ、クローデット」
「エドワード様……」
……クローデット、我慢してちょうだい。
わたくしを悪く言ったことに対してクローデットは不満だったようだけれど、王太子が上手く話の流れをつくってくれた。
「ランドロー公爵令嬢との婚約を破棄し、私は、ここにいるクローデット・バスチエ伯爵令嬢を妻とする!! 私は彼女以外と結婚をするつもりはない!!」
ガタンと音がして、顔を向ければ、王族席で王妃様が倒れてしまっていた。あまりに予想外のことで気を失ったらしい。
わたくしは微笑み、よく通るようにやや声を張り上げた。
「かしこまりました。婚約破棄されて差し上げますわ」
王太子が婚約破棄を突きつけ、公爵令嬢が受け入れた。
その瞬間、貴族達の騒めきがいっそう大きくなった。
不仲だとは分かっていたけれど、まさか公衆の面前で婚約破棄をするとは誰も想像がつかなかったことだろう。
「っ、エドワード、ランドロー公爵令嬢、下がれ!」
陛下の怒りを含んだ声にわたくしは礼を執る。
騎士達が来て、わたくしだけでなく、王太子とクローデットを別室へ連れて行く。
部屋に到着するとすぐにお父様達もやって来た。
「ヴィヴィアン、大丈夫かい?」
お兄様が駆け寄り、わたくしをそっと抱き締める。
「ええ、わたくしは何ともありませんわ」
お父様とお母様の後ろにちゃっかりリーヴァイがいた。
お父様達は不愉快ですと言わんばかりに王太子とクローデットを見たが、それは演技である。
騎士達が室内にいて、ここで話した内容は両陛下に伝わってしまうため、迂闊に話すことが出来ない。
それから、バスチエ伯爵が遅れて来た。
真っ青な顔色で冷や汗が止まらないらしく、頻りにハンカチで額を拭いつつ、入室した。
だが、わたくし達を見ると床に膝と両手をつき、頭を下げる。
「も、申し訳ございません……!!」
バスチエ伯爵はまるで死刑宣告をされた罪人のように、謝罪の言葉を繰り返し、娘の行動に目が行き届いていなかったことを懺悔していた。
そんなバスチエ伯爵にお父様が声をかける。
「バスチエ伯爵、この件については両陛下がお越しになられるまで、我々だけで話すことは出来ない。とりあえず立ちたまえ」
「は、はい……!」
慌てて立ち上がったバスチエ伯爵が、クローデットを睨むように見たため、クローデットは悲しげに俯いた。
貴族の令嬢は親の決めた相手と結婚するのが当たり前で、それは義務でもあり、このような騒ぎを起こすなどあってはならないことだった。
シンと静まり返った室内の空気は重苦しい。
お父様達とバスチエ伯爵はソファーに座り、リーヴァイは壁際に控え、王太子とクローデット、わたくしは立ったまま。
しかし、沈黙は長続きすることはなかった。
部屋の扉が開き、国王陛下が入って来た。
全員が立ち上がり、礼を執ったが、陛下は手を上げてそれに応えるとソファーに腰掛ける。
陛下が座ったことで、お父様達も腰を下ろした。
「それで、エドワードよ、これは一体どういうことだ?」
怒鳴ってはいないものの、陛下の声は怒気が含まれていた。
気が弱いのかバスチエ伯爵の背筋がキュッと伸びる。
けれども王太子はまっすぐに陛下を見る。
「先ほどご覧になられた通り、私はランドロー公爵令嬢との婚約を破棄し、こちらのクローデット・バスチエ伯爵令嬢と結婚します」
「何故だ。公爵令嬢のほうが美しく、聡明で、血筋も爵位も欠点がない。次期王妃としての風格もある」
「ですが、公爵令嬢は昔から奴隷に入れ上げています。そんな者を王妃には出来ません。それに、私にはずっと心を通わせていた相手がおります」
陛下の視線がクローデットへ向けられる。
クローデットは一瞬、怯みそうになっていたけれど、背筋を伸ばすと立ち上がって美しい礼を執った。
時間は短かったが、クローデットには厳しく教育した。
そのおかげかわたくしに引けを取らないほどの美しい所作に、陛下が驚いた様子でクローデットを見る。
「クローデットは伯爵家でありながらも慈善活動にも意欲的で、この通り礼儀作法も明るく、問題行動もありません。伯爵令嬢という身分では王太子妃として足りないというのであれば、より上の家格に養子に入り、嫁げば問題ないはずです」
「だが、血筋が──……いや、バスチエ伯爵家に嫁いだのはウィンザード侯爵家の令嬢だったか。確か、何代か前に王女が侯爵家に降嫁したが……」
「はい、クローデットには王家の血が流れています」
伯爵家だが、血筋に問題はない。
伯爵家と侯爵家の血だけでなく、王家の血も引いている。
そうなれば問題なのは爵位と能力だけだ。
「バスチエ伯爵令嬢がランドロー公爵令嬢よりも優れているとは思えない」
陛下の言葉にクローデットが僅かに唇を噛み締める。
わたくしは思わず笑ってしまった。
「陛下、でしたら試験期間を与えて差し上げてはいかがでしょうか? どちらにせよ、わたくしは大勢の前で婚約破棄を言い渡されてしまったので、殿下との婚約は続けられませんわ」
「ランドロー公爵令嬢、そなたは悔しくないのか? 公衆の面前であのような屈辱を受けたのだぞ?」
「不快ではありますが、王族の決定に従うのが臣下というものでございます」
わたくしを見て、公爵家を見て、王太子とクローデットを見て、陛下が何かに気付いたような顔をする。
本来であれば公爵であるお父様は『公爵家の名誉を汚された』と怒り狂い、王太子への処罰と娘への誠実な対応を求めるはずだ。
けれども、お父様もお母様も一度も王太子を責めていない。
わたくしも平然としており、王太子も一度も公爵家への謝罪の言葉を口に出していない。
まるで、そうする必要がないというようだ。
「そなた達、まさか……」
陛下の顔に怒りが浮かぶ。
王太子と公爵家が共謀して、婚約を破棄した。
その事実に辿り着いたのだろう。
お父様が素知らぬ顔で口を開いた。
「王太子殿下の一方的な婚約破棄で我が公爵家の名誉に傷が付きました。いくら王家とは言え、公爵家を軽んじられては困ります」
「これはそなた達が仕組んだことであろうっ」
「まさか、そのようなことをして我が家に利点はありません」
陛下の追及をお父様はさらりと躱す。
「しかし、一人の男として、愛する女性と結婚したいという王太子殿下のお気持ちは理解出来ます。私も妻と結婚するために奔走した覚えがありますので」
お父様の言葉に王太子がお父様とお母様を見る。
……そういえば、お母様は他国の貴族の出ということになっているのよね?
それで、お父様は本当なら国内の有力貴族と結婚するはずだったのだが、反対を押し切ってお母様と結婚したと昔聞いたことがある。
お母様はほとんど家出同然で出てきたため、実家とは縁が切れてしまって帰れないのだとか。
実際は魔族なので、恐らく他国の貴族に魅了をかけて操った上で実子のふりをして潜入し、お父様に近づいたのだろう。
「このまま婚約を続けたとしても、次代の王は望めないと思いませんか? それならば愛する者同士で結婚し、次代が生まれたほうがよろしいでしょう」
それに誰も反対しない。
バスチエ伯爵は理解が追いつかないのか戸惑っているばかりだし、公爵家はお母様もお兄様もわたくしも反対しない。




