そろそろ動く時期ですわ。
誘拐事件が起こってから一週間後。
わたくしは何事もなく、屋敷に王太子とクローデットを招いてお茶会を行うことにした。
公爵令嬢たるわたくしが誘拐されたことは広まっていないし、王家は知っていても婚約を継続させる方向で考えているようだし、アンジュとクローデットには告げていない。
二人が口外するとは思っていないが、伝えても、余計な心配をさせてしまうだけだ。
一年ぶりに帰って来たリーヴァイは、またわたくしの侍従としてそばにいる。
リーヴァイはクローデットに興味がないようなので原作通りにはならないと分かっているけれど、人間との争いを起こさせないためにも隷属の首輪はつけさせたままだ。
一足先に王太子が到着したので出迎える。
「本日はご足労いただき、ありがとうございます」
何ともありませんよと礼を執って見せると、王太子はどこかホッとした様子で頷いた。
「ああ……その、怪我はないか?」
「はい、この通り元気ですわ」
「そうか、良かった……」
手で示せば、王太子がソファーに腰掛ける。
わたくしも向かい側のソファーへ座った。
王太子の視線がわたくしの斜め後ろにいるリーヴァイへ向けられた。どこか感心したふうにまじまじと見る。
「もしや、以前見た君の……?」
「ええ、わたくしの侍従です。少し前に里帰りを終えて戻ってまいりましたの。ふふ、なかなかの美丈夫になったでしょう?」
わたくしが片手を上げれば、リーヴァイがそこへ頬擦りをした。
……あら、前より顎がしっかりしたわね。
以前の体を取り込んだと言っていたから、その影響だろうか。
少年らしさはなくなり、男性的な色香を感じさせる。
「あ、ああ……確かに、君が私を好まない理由はよく分かった」
王太子の美しさは中性的だが、リーヴァイは男性的な美しさである。
原作のリーヴァイ、わたくしが最も好きだったのは、この美丈夫のほうだった。青少年のリーヴァイも可愛くていい。
だが、この大人の男性という雰囲気が良い。
それにどことなく悪そうな、危険な男というのも非常に惹かれる。
実際は魔王なので悪の中の悪なのだが。
「以前もそうでしたが、ご覧の通り、この国の者ではないので言葉遣いに少々問題がございまして、わたくしや公爵家以外の方とは言葉を交わさないようにさせておりますの」
「それではいつまでも不得手なままではないか?」
「今は使用人相手に練習中ですわ」
別に言葉に不自由はしていないが、何せ魔王なので、言葉遣いというか態度が不遜である。
そのまま貴族と接すれば絶対に問題が起こるだろう。
そもそも、リーヴァイは人間が嫌いだ。
嫌いな人間とは必要以上に言葉を交わすつもりはないようで、侍従としてついて来ても、わたくし以外と話すことはなかった。
恐らく今後もそうだと思われる。
「そうそう、先日の誘拐事件につきましては、クローデットにも秘密にしていただけますかしら?」
「それは構わないが……何故と訊いても?」
「余計な心配をさせたくないのです。こうしてわたくしは無事ですのに、お友達を暗い顔にさせたくはありませんわ」
王太子は一瞬、物言いたげな顔をしたものの頷いた。
「分かった。私もクローデットの悲しむ顔は見たくない」
お互いに頷き合っていると応接室の扉が叩かれる。
恐らくクローデットが到着したのだろう。
入室の許可を出せば、メイドがおり、予想通りクローデットが現れた。
既に王太子がいることに驚いた様子で慌てて頭を下げる。
「本日はお招きいただき、ありがとうございます。お二人をお待たせしてしまい申し訳ございません……!」
「クローデット、謝ることはない。早く君に会いたくて私の気が急いてしまっただけだ」
立ち上がった王太子がクローデットに歩み寄り、手を取って、二人でソファーへ座る。
「殿下も今いらしたばかりですもの、クローデットが謝罪をする必要はないわ」
わたしもそう言えば、クローデットはホッとした様子で微笑んだ。原作のヒロインだけあってとても可愛らしい。
それから、クローデットの視線がわたくしの後ろへ向けられた。
「ヴィヴィアン様の侍従さんもお久しぶりですね。やはり、ヴィヴィアン様のおそばにいてお似合いなのはあなただと思います」
クローデットの言葉にリーヴァイが目礼を返す。
リーヴァイとお似合いだと言ってもらえるのは嬉しい。
「ありがとう、クローデット。あなたと殿下もとてもお似合いよ」
ニコリとクローデットが嬉しそうに微笑んだ。
「今日お招きしたのは今後についてお話をするためです。もうすぐクローデットのデビュタントがあるでしょう? そろそろ動く時期ですわ」
わたくしの言葉に王太子が頷いた。
「君との婚約破棄だな」
「ええ、そうですわ」
大勢の前でわざと大々的に婚約破棄をする。
沢山の目撃者がいる以上、王族の言葉をなかったことには出来ない。
しかもランドロー公爵家に対してその所業である。
とてもではないが婚約は継続出来なくなる。
「ですが、本当にヴィヴィアン様は大丈夫なのでしょうか? 陛下のお決めになられたことを覆すなんて……」
クローデットはわたくしが罪に問われないか心配しているらしい。
「大丈夫よ。わたくしは婚約破棄を一方的に告げられるだけですもの。これに関して責任を負うのは殿下になるわ」
「『身勝手な王太子が婚約を一方的に破棄して新たな婚約者を選ぶ』ということになれば、ランドロー公爵令嬢には非はない。まあ、そうは言えども王太子の顔色を伺って令嬢への婚約打診はないだろうが」
この一年、王太子とは夜会にも共に出たけれど、わたくし達の間にあるのは取引相手との繋がりだけで、そこにそれ以上の感情はない。
「……そう考えると私のほうが損な役回りではないか?」
王太子が小首を傾げたので、わたくしは微笑む。
「まあ、今更お気付きになられましたの? ですが、わたくしも『婚約破棄された令嬢』となるのですから、似たようなものではございませんか」
貴族の令嬢にとっては致命的だ。
……わたくしには何の痛みもありませんけれど。
むしろ他の貴族と結婚するような事態にはならないので、わたくしには利点しかない。
「動くとするならば、やはり王家主催の夜会か」
「はい、わたくしはクローデットのデビュタント当日が良いと思いますわ。今は次期王太子妃の侍女にさせたいからとクローデットの婚約を見送らせておりますけれど、デビュタントしたクローデットに求婚する者が出て来たら面倒ですもの」
クローデットへ視線を向ければ頷き返される。
「我が家は伯爵家なので、より上の爵位の方に求婚されたら断れないと思います。お父様は結婚させようとするでしょう」
デビュタントと同時に王太子がわたくしと婚約破棄をし、クローデットに求婚することで、この話は一瞬で皆の知るところとなる。
その後は二人とも大変だろうが、それに関しては二人の努力次第なのでわたくしにはどうしようもない。
王太子妃教育は出来る限りクローデットにそのまま教えたけれど、両陛下に気に入られるかどうかは別の問題だ。
……それについては既に考えがある。
「お父様がクローデットを養子にすると言ってくださったので、殿下とクローデットの婚約の後押し程度ならば出来ますわ。ランドロー公爵家から嫁ぐとなれば、我が公爵家と王家の繋がりは強固なものとなるでしょう」
調べたが、クローデットの実母は元侯爵令嬢で、その家には二代前に王家の王女が嫁いでいるので、血筋としても悪くはない。
血筋も爵位も教養も問題がなければ反対はないだろう。
国王陛下は自分の思い通りにならないことに腹を立てるかもしれないが、婚約破棄騒動を出せば、わたくしにもう一度婚約しろとは言い出せないはずだ。
「本当か?」
「ふふ、お父様はああ見えてわたくしに甘いのです。わたくしが殿下と婚約することも元々反対しておりましたし、クローデットの後見役として養子縁組をすることは公爵家にとっても悪いことではございませんわ」
「そうか、公爵にも君にも頭が上がらないな」
原作ではかなり気が強くて、主人公のクローデットを引っ張っていく王子だったエドワードだが、こうして接してみると少し印象が変わった。
……本当にクローデットを愛しているのね。
手を取り、微笑み合う二人は仲睦まじく、いつか二人が結婚すれば王妃の友人という立場にわたくしはなるだろう。
わたくし達は原作通りにはならない。
「それでは、計画通りにお願いいたします」
頷く二人は真剣な表情だった。
* * * * *
「──……それで、これは何かしら?」
王太子とクローデットが帰った後。
どういうわけかリーヴァイに抱き締められていた。
……嫌ではないからいいのだけれど。
まるでわたくしを捕まえておくかのように抱き寄せ、がっしりとした手は固くわたくしを閉じ込める。
部屋に戻って来てからこんな状態である。
「少し妬けるな」
額に口付けられるとくすぐったい。
「あら、もしかして殿下のことかしら?」
「ああ」
「確かにわたくし達は婚約しているけれど、取引相手というだけで、それ以上でも以下でもないわ。それにもうすぐ婚約破棄するもの」
手を伸ばしてリーヴァイの頬に触れる。
「分かっているが、他の男のものだというのは面白くない」
わたくしの手を取り、掌に口付けるリーヴァイは不満そうで、それがなんだかとても可愛く見えてしまう。
そのまま引き寄せて頬へ口付ける。
「わたくしはあなただけのものよ」
リーヴァイがこちらへ顔を向ける。
「お父様もお母様も、お兄様だって認めているじゃない」
顔を寄せ、リーヴァイにもう一度口付ける。
……これが夢だと言われても信じるわ。
推しがわたくしのものだなんて。
思わずうっとりと眺めていれば、リーヴァイが顔を離した。
「ヴィヴィアン、そなたが愛しているのは我か? それとも魔王か?」
リーヴァイの問いにわたくしは微笑んだ。
「さあ、どちらだと思う? わたくしは『リーヴァイ』を愛しているわ。でも、同じくらい『ディミアン』も好きよ」
「我を愛しているとは言わないのだな」
「だって事実ですもの。わたくしがあなたを愛するきっかけになったのは『ディミアン』で、だけど、今の『リーヴァイ』も愛しているの。……ごめんなさいね」
引き寄せて、もう一度頬へ口付ける。
それからリーヴァイの頭を引き寄せ、膝の上に誘導する。
不満げな顔をしつつも素直に膝の上に頭を乗せて、ソファーの上で少し窮屈そうに横になるのだから、やっぱり可愛い。
「他の男性との結婚話を抑えるために殿下と婚約しているだけよ。愛しているのはあなただけ。あなたに嘘は吐かないわ」
リーヴァイが小さく笑った。
「まるで悪女の囁きだな。我はそなたに騙された哀れな男か」
「あら、騙すなんて人聞きが悪いわ」
それに最初から嘘は吐いていない。
原作のヴィヴィアンも悪女であった。
自分の目的のためなら他を顧みないところは、今のわたくしにもあって、だからこそわたくしはわたくしこそがヴィヴィアン・ランドローだと断言出来る。
「わたくしの記憶を覗いたのだから、わたくしが悪女だということは知っているでしょう?」
リーヴァイの頭を優しく撫でる。
癖のあるふわふわの銀髪は触り心地が好い。
「魔王を誑し込むなど、想像以上だ」
「それに関してはわたくしのせいではないわ。あなたがわたくしに落ちたのがいけないのですもの」
「ふ、本当に悪女だな」
愉快そうに笑うリーヴァイにわたくしも微笑み返す。
……でも、わたくしは本当に悪い女なのよ。
原作でヒロインが彼を助け、愛を注ぐことでヒロインに心を開くようになったのを、わたくしも利用した。
そうすればリーヴァイの心がわたくしに向くと分かった上で優しく甘やかしたのだ。
そして、きっとリーヴァイもそのことに気付いている。
「悪女はお嫌い?」
そっとリーヴァイの頬に触れる。
顎の形を指で辿れば、くすぐったそうにリーヴァイが目を細めた。
「いいや、魔王の横には悪女が似合うだろう」
「そうでしょう?」
絶世の美女であるお母様とそっくりな容姿のわたくしならば、リーヴァイの横に並んでも見劣りはしない。
「ああ、魔王の妻らしくていい」
そうしてふと気付く。
「わたくしがあなたと結婚するなら、お兄様はあなたの義兄になるのね」
「ふむ、言われてみればそうだな」
「あなたも一緒にお兄様を『お兄様』と呼ぶ?」
「ははは、ルシアンの驚く顔を見るのも一興だ」
おかしそうにリーヴァイが声を上げて笑う。
けれど、その様子には嫌そうな感じはなかった。
翌朝、お兄様と顔を合わせたリーヴァイが、お兄様のことを「今後は義兄上と呼ぶべきか?」とからかっていた。
お兄様がギョッとした顔で首を振って断っていた。
「そんな畏れ多い……!」
「良いではないか義兄上」
「ひっ!? お、おやめください、魔王様!!」
珍しく弱腰のお兄様を見ることが出来て、少し面白かった。
後ほどお兄様に訊いてみたら、崇拝する魔王様に『義兄』と呼ばれると心臓が縮み上がるような思いがしたそうだ。
「特別なのはヴィヴィアンだけだよ。僕達はあくまで『ヴィヴィアンの家族だから』気軽に声をかけてもらっているだけさ」
だからありがとう、とお兄様に頭を撫でられた。
「魔王様に声をかけていただけるのは名誉なことなんだ」
そう言ったお兄様は本当に嬉しそうだった。
魔族にとって、魔王という存在は非常に重要なのだろう。
わたくしは何もしていないけれど、お兄様から感謝の言葉をもらえたことは嬉しかった。




