最悪の贈り物ね。
「う……」
ズキリと痛む頭に触れようとして、手が動かせないことに気付く。
辺りを見回せば、薄暗くて埃っぽく、狭いどこかの部屋に閉じ込められているようだった。
高いところにある小窓から月明かりが差し込んでいる。
その小窓には鉄柵がはめ入れられていた。
高さと大きさからして、あそこから脱け出すことは無理そうだ。
「一体何が……?」
足は自由だけれど、両腕は後ろで固定されている。
見下ろせば、わたくしの親指より太い縄で縛られていて、辺りにそれを断ち切るための刃物などもない。
とりあえず埃まみれの床から起き上がる。
今の時間は分からないものの、月明かりが差してくるということは月はかなり高い位置にあるのだろう。
「十七歳の誕生日にしては、最悪の贈り物ね」
* * * * *
十七歳の誕生日前日の今日。
一日早いが、両陛下と王太子を交えて四人でお茶をした。
婚約して以降、王太子のわたくしへの態度を気にしていたので、周囲に『婚約は問題なく続いている』ことを広めたかったのだろう。
きっと数日後には王妃付きの侍女達が『王太子と婚約者の間に亀裂はない』と噂を流し、よりわたくし達の関係は注目される。
……ある意味では丁度良いのかもしれないわ。
もうしばらくするとデビュタントの時期となる。
今年、クローデットは成人を迎え、社交界に出る。
わたくしとアンジュが目をかけている伯爵令嬢というだけでも目立つだろうが、今注目されているわたくし達が大勢の前で婚約破棄を行い、王太子がクローデットに求婚すれば、国王であろうともこの問題を揉み消すことは出来ない。
わたくしは王太子に婚約破棄された令嬢となり、逆にクローデットは王太子の愛を得た幸運な令嬢となる。
原作と異なり、十六歳を迎えてもクローデットに聖印は現れなかったことは気にかかるが……。
そんなことを王城からの帰り道、馬車の中で考えていた。
しかし、その時に問題が起こった。
突然馬車が揺れ、速度が上がり、驚く間もなく車体が横倒しになった。
馬車の中にいたわたくしは振り回され、壁に叩きつけられ、恐らくそのまま気絶してしまったのだろう。
……まさか誘拐されるなんて想定外だわ。
目を覚ますと、どこかの埃まみれの部屋にいた。
改めて辺りを見回してみる。
狭い部屋は小窓の下に木箱が積み重ねられているものの、普段は滅多に人が立ち入らないのだろう。空気もどこか埃っぽく、先ほどまで倒れていた床では砂の感触があった。
ドレスも髪も砂と埃で汚れてしまった。
……お気に入りのドレスなのに。
どんな者達に襲われたのかは分からないが、一人や二人で行ったわけではないだろう。
わたくしの乗っていた馬車にはランドロー公爵家の紋章が入っていたし、護衛もいたので、きっと大人数で襲って来たに違いない。
……護衛達が生きているといいのだけれど。
わたくしがここにいることを考えると、護衛達は皆、殺されてしまったかもしれない。生きていたとしても重傷だろう。
それに侍女や御者も、無事かどうか分からない。
ただ、こうしてわたくしのみがこの部屋に閉じ込められていることを考えると侍女は連れて来られなかったのだ。
「……お父様達はきっと探してくれているはず」
でも、お父様達は誘拐先を知らないから助けは来ない。
信じていないわけではないが、このまま、何もせずに待っていても身の安全がどうなるかも分からない。
……自分で逃げ出すしかないわ。
わたくしには剣の腕も体術の覚えもないけれど、一つだけ、普通の人間より優れているものがある。
何とか扉のそばまで床を這いずり、移動する。
「誰か! 誰かいませんの!? わたくし、お腹が空きましたわ!!」
試しに叫んでみると扉が外側から強い力で叩かれた。
「うるせぇな! 静かにしてろ!!」
どうやら扉の外には見張りがいるらしい。
……むしろ好都合ね。
わたくしは出来る限り、わがままな令嬢らしく騒ぐ。
「汚いし、お腹は空くし、わたくしお花を摘みに行きたいわ!! お手洗いに連れて行ってくださいませんと漏らしてしまったら恥ずかしくて死んでしまいそう!!」
「漏らせばいいだろ!」
「それを掃除するのはあなたではなくって!?」
言い返すと扉の向こうで沈黙が落ちる。
どうするべきか考えているのが感じられた。
「ああ、早く連れて行ってちょうだい……!!」
と切羽詰まった様子で言えば、扉のほうからガチャガチャと鍵を扱うような音がして、扉が開かれた。
そこに立っていたのは、そこそこ体格の良い男だった。
「チッ、仕方ねぇな──……」
目が合った瞬間にわたくしはその男へ『魅了』をかけた。
『魅了』をかけることは得意になったが、逆に『魅了』を解くことは苦手なままだった。
だが、今回は解くことまでは考えなくていい。
全力で男に『魅了』をかければ、苛立っていた男の顔がぼんやりとしたものへと変わる。
強くかけすぎると自我を失ってしまうらしいが、誘拐を行った者達の仲間に情けなど必要ない。
「ここはどこ?」
わたくしの問いに男が答える。
「貧民街の、拠点の一つ……」
「あなた達は何者?」
「俺達は、この辺りを仕切って、いる『黒狼』の仲間だ……」
……聞いたことがないわ。
「その『黒狼』がどうして公爵家の馬車を襲ったの?」
平民が貴族を傷付ければ重罪となる。
たとえ、相手が貴族だと知らなかったとしても罪に問われるが、公爵家の紋章入りの馬車を襲ったのだから、知らなかったということはありえない。
「ランドロー、公爵家に、仕返しをするため……」
「仕返し? 公爵家があなた達に何をしたの?」
「俺達の仲間が、捕らえられた……それを指揮していたのは、ランドロー公爵家だった……」
「あなた達の仲間は一体、何をして捕まったのかしら?」
公爵家に仕返しをするなんてよほどのことだろう。
だが、男の答えにわたくしは唖然としてしまった。
「仲間は、孤児院を襲って、金を集めていた……」
それに思い出したのは、わたくしが慈善活動に参加し始めた時のことだった。
あの頃、王都の孤児院が強盗に襲われ、金品を奪われる事件が頻繁に起こっていて、わたくしはお父様に強盗団を一掃するようにお願いした。
そして、お父様は強盗達を捕縛した。
……確か、強盗団は三つあったと聞いていたけれど……。
もしそれが末端の者達による仕業だったとしたら?
その後ろに更に別の者達がいたとしたら?
「わたくしを誘拐した理由は……」
「公爵家から、身代金をむしり取って、令嬢は闇市の、奴隷商に、売る予定だ……その後、公爵令嬢が、奴隷に落ちたと噂を、広めて……」
この男達の目的は金だけではなく、公爵家の名誉を汚そうとしていたのだ。
公爵令嬢であり、王太子の婚約者が誘拐され、奴隷に落とされたと広まれば公爵家の家名に傷が付き、強盗捕縛の指揮を執っていたお父様を苦しめることが出来る。
しかし、それはあまりにも自分勝手な復讐だった。
ランドロー公爵家は孤児院を襲う強盗を、つまり犯罪者を捕縛しただけで、公爵家が責められる謂れはない。
「あなた達が犯罪行為をしなければ……いえ、いいわ」
と思わず言いかけたものの『魅了』の効いた男に言っても意味はないと気付き、言うのをやめた。
ここでこの男に詰め寄ったところで無意味だ。
……それよりもここから早く出なくては。
「今ここにあなたの仲間は何人いるの?」
「三十くらい……」
見つからずに逃げるのは無理そうだ。
……そうなるとしたら。
「わたくしを外まで案内しなさい。仲間に訊かれても『奴隷商に売りに行く』と言って気付かれないようになさい」
男がまだどこかぼんやりした様子で頷く。
多少様子はおかしいが、返答が出来れば気付かれないかもしれないし、わたくし一人で動けばすぐに捕まってしまう。
縄を解かせないのは、誰かに見つかった時に何故縄を解いているのかと疑われるのを防ぐためだ。
男の先導で部屋を出る。
薄暗い廊下は狭く、建物もかなり古そうだ。
埃っぽさは少しは良くなっているものの、廊下もあまり綺麗とは言いがたく、隅には埃が溜まっていた。
カツ、コツ、と二人分の足音だけが響く。
……ここから出たら屋敷までどうやって戻れば……。
この男に案内をさせて、公爵家まで戻れば何とかなるだろうか。そうすれば男は証人にもなる。
そう思いながら歩いていると廊下の向こうから人が歩いて来る。
「ん? おい、何でそいつを出してるんだ?」
別の男に話しかけられ、魅了している男が答える。
「奴隷商に売りに……」
「いや、まだ早いだろ。身代金を受け取ってからって話だったじゃないか」
「……頭がそうするって」
男は魅了がかかっていても多少は思考が働くらしい。
相手の男がわたくしを見たので『魅了』を軽くかける。
「わたくし達を見逃しなさい」
相手の男がぼうっとしながらも道を開けた。
「……ああ、まあ、どっちにしても売る予定だからいいか……」
そうして、また最初に魅了をかけた男と共に廊下を進む。
まだドキドキと心臓が脈打っている。
……魅了が使えて良かった。
その後は何事もなく進み、建物の玄関ホールへ出る。
……後少し……!
魅了をかけた男と共に玄関へ向かう。
「おいおい、どこに行く気だ?」
しかし、かけられた声にギシリと体が硬直した。
声のしたほうへ振り向けば、二階から大男が見下ろしていた。
そして、恐らくその仲間達だろう男達が、奥から出て来て囲まれる。
外へと続く扉までは後二メートルと少しくらい。
走り出せば逃げられるかもしれないが、わたしが腕を縛られたままなので男を使わなければ扉を開けられない。
ジリジリと他の男達が近づいて来る。
「……わたくしを守りなさい」
男に命令すれば、男が腰からナイフを引き抜いて構える。
それに大男が、おや、というふうに首を傾げた。
「どういうこった? まさか、誘拐したガキに絆されちまったのか?」
大男の問いに、魅了がかかっている男は答えない。
それに大男は肩を竦めるとこちらを見下ろした。
「その二人を捕まえろ」
男達がより近づいて来たので、一番近くの男へ目を向ける。
……こんな数に使えるのか分からないけれど。
一番近くにいた男と目を合わせて『魅了』をかける。
かけられた男がぼうっとした顔をする。
すぐに別の男に視線を向けて更に『魅了』をかけ、また別の男へ目を向け『魅了』を繰り返す。
四人ほど魅了をかけたところで急激に体が重くなった。
大男は異変に気付いた様子で声を荒げた。
「さっさと捕まえろ!」
それにわたくしも対抗する。
「わたくしを守りなさい!」
大男の部下達とわたくしが魅了をかけた男達が、あまり広くはない玄関ホールでぶつかり合う。
……今のうちに外へ出なければ!
玄関扉へ駆け寄り、後ろ手に扉を開けようとした。
だが、ガチッと扉の取っ手が途中で止まる。
「鍵!?」
鍵がかかっている。
慌てて扉を見たが、扉は内側も鍵を差し込む形のもので、専用の鍵がなければ開けられない仕組みになっていた。
扉に体当たりをしてみるがビクともしない。
古い建物に似つかわしくないほど頑丈な扉だった。
後ろでガツンと大きな音がして、振り向けば、魅了をかけていた男達の最後の一人が倒れるところであった。
いつの間にか大男は二階から下りて、近づいて来る。
「っ……!」
大男と目を合わせて『魅了』をかけた。
だが、バチリと目に痛みが走り、思わず悲鳴が漏れた。
「ぁあ……っ!?」
痛む片目を瞑りながらも、何とか大男を見る。
大男は目を丸くし、そして、笑った。
「驚いた。もしかしてお前も同類か?」
その意味を理解し、絶望した。
多分、この大男も魔人なのだ。
魔族と人間のハーフで、しかもわたくしより強い。
だから『魅了』をかけようとしても効かなかった。
弾かれるような感じがしたのは、わたくしより能力が上だから。
大男がおかしそうに声を上げて笑った。
「気に食わねえ公爵家のガキなんて売り飛ばしてやろうと思ったが、これは使えそうだ! 奴隷にして手元に置いておいたほうが面白いだろうな!」
大股で大男が近づき、わたくしの腕を掴む。
「離しなさい! この無礼者!!」
「おっと、そんなのも使えるのか」
ギロリと睨み『威圧』をかける。
まだ練習中であまり制御出来ないが、最近になって何とか形になったばかりの『威圧』だが、大男には何の効果もないらしい。
むしろ、より楽しげに大男が口角を引き上げた。
腕を引っ張られて扉から引き離される。
……奴隷にも、こんな男のものにもなりたくない!
「嫌っ! 離してっ、離しなさい……!!」
ズルズルと引きずられ、抵抗しても意味を為さない。
……誰か、誰でもいいから助けて……!
お父様、お母様、お兄様──……リーヴァイ。
その瞬間、頭を過ったのは愛する人の姿だった。
じわりと涙が込み上げ、視界が滲む。
……リーヴァイ、助けて……!!
そばにいないと分かっているのに、願ってしまった。




