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ありがとうございます、お兄様。

 





「お帰り、ヴィヴィアン。良ければお茶でもどうかな?」




 王城から戻るとお兄様に出迎えられた。


 夕食まではまだ時間があり、この後は何も予定もない。




「ええ、構いませんわ」


「それじゃあ、僕の部屋においで」




 差し出されたお兄様の手を取り、エスコートをしてもらう。どうやら、とても機嫌が良いみたい。


 お兄様の部屋に招かれるのは珍しい。


 これまで何度かお兄様の部屋を訪れたことはあったけれど、いつもは扉の前までで、中まで入ったことはない。


 到着し、お兄様が扉を開けてくれる。


 部屋はわたくしの華やかなものとは異なり、落ち着いた雰囲気で、しかし調度品などはどれも高価そうなものばかりである。


 テーブルには既にお茶の用意がされていた。


 しかも、テーブルの上に並んだお菓子はわたくしの好きなものばかりだった。




「どうぞ、お姫様」




 お兄様が引いてくれた椅子に腰掛ける。


 お兄様はわたくしの向かいにある席に座り、軽く手を振ると、後ろで控えていた使用人が紅茶をティーカップに注ぎ、二人分を用意した。


 ……あら、この香りは……。




「今日は特別なことでもありましたの?」




 わたくしの好きな紅茶だった。


 だが、これは他国でしか育てられない特別なもので、手に入れるのも大変なので、とても高価な茶葉だ。


 お兄様はテーブルに頬杖をついて微笑む。




「いいや、何もないよ」


「でも、この紅茶は誕生日にしか出ないものですわ」


「高価だからね。だけど、ヴィヴィアンは最近頑張っているだろう? 少しくらいはご褒美があってもいいと思って」




 ……まあ、わたくしとしては嬉しいですけれど。


 一口紅茶を飲めば、果物のように甘く芳醇な香りが広がった。酸味と少しの渋味が丁度良い。


 普段は砂糖を使うけれど、これだけはそのまま飲むのが好きで、何度飲んでもこの香りにうっとりしてしまう。




「美味しいかい?」


「ええ、とっても」




 貴族ですら滅多に飲めない特別な茶葉である。


 じっくりと余韻を味わっているとお兄様も紅茶を飲んだ。


 お兄様は紅茶に興味がないようで、何を飲んでも表情を変えないし、食べ物についてももしかしたら似たような感じなのかもしれない。


 それから、お兄様はティーカップをテーブルへ戻すと、取り皿にいくつかのお菓子を取り分け、わたくしの前へ置いた。




「実は、その茶葉を定期的に購入出来る伝手が得られたんだ。原産国の商人と顔を繋げられてね、我が家へ優先的に販売する約束も取り付けられたよ」


「まあ、それは凄いですわ!」




 希少価値のある茶葉を定期的に購入し、持っているというのは、それだけで社交界での強みになる。


 下手をしたら一度もこの茶葉を飲んだことがない貴族だっているというのに、定期的に購入出来る伝手と財力があるともなれば、羨望の眼差しを向けられるだろう。




「殿下との次のお茶会で持って行くといいよ」




 恐らく、殿下より両陛下のほうが喜ぶだろう。


 王族でも定期的に購入するのは難しかったのだ。


 贈り物として渡せば喜ばれるだろうし、わたくしと王太子の不仲で少々機嫌が悪くなっているだろう両陛下のご機嫌取りにもなる。




「ありがとうございます、お兄様」


「どういたしまして」




 お兄様が取り分けてくれたお菓子を食べる。


 ……うん、どれも美味しいわ。


 お菓子を食べていれば、お兄様がわたくしを見て、手を伸ばして来た。その手がそっとわたしの頬に触れる。




「最近、噂話の好きな鳥が多いようだね」


「そのようですわね。でも仕方ありませんわ、鳥ですもの。頭と口がそのまま繋がっているのでしょう」


「ふふ、そうかもしれないね」




 わたくしの返事がおかしかったのかお兄様が笑う。




「だけど、可愛い妹について悪評を広められるのは兄として見逃せない。鳥達には少し罰を与えないとね」




 しかし、お兄様は微笑んでいるけれど、目が笑っていなかった。怒っているようだ。それが嬉しかった。


 以前はわたくしに関心がなかったお兄様。


 今は家族として、兄妹として、関わりを持ってくれる。




「お好きにどうぞ。わたくしは興味ありませんので」


「……つらくないかい?」


「いいえ、全く。面と向かってわたくしに言えない時点で『負け犬の遠吠え』ですもの」


「面白いたとえだ」




 頬からお兄様の手が離れていく。




「ところで、君の計画のほうは順調かな?」


「滞りなく進んでいますわ。クローデット様とは顔を合わせる度に『魅了』をかけて、わたくしに心酔するように仕向けております」




 初めて我が家に招いてから、何度もクローデット様とは顔を合わせているが、その度にわたくしは彼女に『魅了』をかけていた。


 居心地の悪い伯爵家から助けてくれた存在。


 何でも話せるお友達で、恋も応援してくれる人。


 それだけではいざという時に不安があった。


 だからクローデットに『魅了』をかけることにした。


 聖女に『魅了』は効かないかもしれないと思ったが、予想に反し、クローデットに『魅了』はよく効いているようだ。


 そのおかげもあってか、わたくしが教えたことはすぐに覚えてくれるので、王太子の婚約者になったとしても困ることはないだろう。




「聖女も所詮は人間ということか」


「もしかしたら、聖印が現れた時に解けてしまうかもしれませんが……」


「『魅了』は解けたとしても完全に好意が消えるわけではないんだよ。魔法で好意をすり込むうちに、それが本当になってしまうこともある。もし解けたとしても、バスチエ伯爵令嬢との友人関係は消えないさ」




 それに少しだけホッとした。


 魅了が解けて、クローデットの中にあるわたくしへの好意が消えてしまった時にどうなるかという心配はあった。




「何より、ヴィヴィアンがバスチエ伯爵令嬢に与えた言葉や気遣いは消えはしない。『魅了』というのはね、相手の中にある好意を増幅させるだけで、好意を持っていない相手には効きにくいものなんだ」


「それだと『魅了』をかけられる相手は限定的なのかしら?」


「いや、そうでもない。好意と言っても色々あるからね。恋愛の好意以外にも『良い人』とか『美しい』とか、そういう単純な『興味』や『好ましさ』も増幅出来る。僕達吸血鬼の容姿が美しいのは『魅了』をかけやすくするためでもある」


「お母様やお兄様は『魅了』を使わなくても、十分、相手に好意を抱かせる容姿ですものね」




 お母様が本気を出せば社交界の中心になれるだろう。


 それをしないのは王妃様と対立しないためか。




「お兄様はどなたかと結婚なさらないのですか?」




 もし王家に姫がいたら、お兄様と婚約しただろう。


 残念ながら王太子しかいないので、妹のわたくしが婚約することとなってしまったが。


 わたくしの問いにお兄様が嫌そうな顔をする。




「大きな利益があるなら考えるけれど、そもそも僕は人間に興味がないし、人間と結婚して子を残す気もない」


「魔人のわたくしにも興味がなかったくらいですものね」


「それについては悪かったよ……」




 困り顔をするお兄様にわたくしは笑ってしまった。




「今は、きちんとわたくしを妹として扱ってくださっていると分かっておりますわ」




 この世界について記憶を取り戻す前のお兄様は、いつも微笑みかけてくれるけれど冷たい眼差しだった。


 わたくしもそれを感じていたからこそ、お兄様に愛されたくて、関心を引きたくて、まとわりついていた。


 そこまで考えてふと疑問が湧く。




「お兄様はお父様のことをどう思っていらっしゃるの?」


「母上の下僕」




 お兄様が迷いなく即答するのでギョッとした。


 けれども、確かにその通りである。


 お父様は『魅了』でお母様の虜になっている。




「母上の凄いところは、本人の自我をしっかりと残しながらも自分への好意を完璧に刷り込んでいる点だ。あれほど強い『魅了』をかけると自我が消えてしまうこともあるんだけどね」


「でも、お兄様も出来るのでしょう?」


「もちろん、母上が出来ることは大体僕も出来るよ」




 お兄様がニコリと微笑む。




「わたくしに『魅了』をかけて静かにさせることも出来たのではなくって?」


「いや、ヴィヴィアンは母上のお気に入りだったから──………」




 と言いかけてお兄様が言葉を止めた。


 そして、唐突にあははと笑い出す。




「お兄様? どうかなさいましたの?」




 何か面白いことでもあったのだろうかと小首を傾げれば、お兄様がおかしそうに笑いながら教えてくれた。




「僕は母上の分身みたいなものだ。母上が気に入るものは、僕も気に入っても不思議はないと思ってね」


「ではお父様のことも気に入っていらっしゃるの?」


「人間だけど、学ぶべきところはあると思っているよ」




 気に入るのとは違うらしい。


 ……まあ、お父様はお兄様にも甘いのよね。


 お父様はああ見えて家族を大事にする人だし、溺愛しているお母様に似たお兄様とわたくしのことも、大切に思って愛してくれる。


 お兄様はそういう部分を利用している気がするけれど、お父様は聡いから気付いているかもしれない。




「ずっと訊いてみたかったことがあって、魔族にとって魔王様ってやっぱり特別な存在なのですよね?」




 ふ、とお兄様が微笑む。




「今日のヴィヴィアンは沢山質問をしてくれるね」


「ごめんなさい、うるさいかしら?」


「そんなことはないよ。昔、小さかった頃の君は何でも疑問が湧くとすぐに周りに訊ねる子だったから、少し懐かしくて……」




 その頃を思い出しているのか、お兄様が柔らかく目を細める。




「……そうだね、魔族にとって魔王様は特別な存在だ」




 そう言ったお兄様が考えるような仕草をした。


 それが考え事をしている時のお父様とそっくりだったので、お兄様が思っているよりもお父様はお兄様に影響を与えているのだと気付いた。


 共に過ごしているから無意識に癖が移ったのかもしれない。




「何と言えばいいか……。魔王様は全ての魔族の主君というか、親というか、人間が言うところの神に近いかな。自分達の上に座しているのが当たり前で、崇拝して、尊敬していて、魔王様の言葉は絶対だ」


「魔人は魔王様を崇拝していないのはどうしてかしら? 魔族の血が入っているなら、魔人も魔王様を崇拝するものだと思うのだけれど」


「それは魔族に比べて人間の危機察知能力が低いからだと思うよ。魔族は相手を見ればどの程度の強さか本能的に感じ取れるけれど、人間は判断出来ず、混血になることでそういった感覚が弱まってしまうんじゃないかな。僕達魔族の根底にある崇拝とは『魔王様の絶対的な強さ』への畏怖からくるものだからね」


「わたくしはその感覚が分からないから、リーヴァイと接していても何も感じないのね」




 お母様もお兄様も、人目がない時はリーヴァイに対して傅いているし、使用人達の目がある際は使用人として扱ってるものの、他の者に対するより丁寧に接している。


 恐らく、それ自体が無意識なのだろう。


 ……なるほどね。


 リーヴァイが「使用人というのも面白い」と言った理由が分かった。


 彼は『命令し、傅かれる側』であって『命令を受けて傅く側』を経験することがなかった。


 奴隷として過ごして来た間のことはともかく、記憶を取り戻してからは初めてのことばかりだったのだ。




「わたくし、他の魔族に暗殺されかねないのでは……?」




 自分達が崇拝する魔王様を奴隷にしている上に、使用人にして身の回りの世話をさせて好き勝手に連れ歩く。


 魔族からしたら、とんでもない冒涜行為だろう。


 わたくしの言葉にお兄様が笑った。




「魔王様が受け入れているから、それはないよ」


「そうですわね。リーヴァイが本気を出せばわたくしなんて簡単に殺せるし、操ることも出来るし、彼に取ってこの状況はお遊びに過ぎないのでしょう。ただ、面白いから付き合ってくれているだけだわ」




 お兄様が少し驚いた顔をする。




「それだけではないと思うけど……ヴィヴィアン、君は『魔王様を愛している』と言うのに『愛されたい』とは言わないのはどうしてだい?」


「あら、お兄様だってリーヴァイのためなら何だってするでしょう? そこに見返りを求めているの?」


「だが、君は魔王様を崇拝してはいない」


「魔族とは崇拝の種類が違いますわ。畏怖ではなく、愛ですもの。毎日顔を合わせて、話をして、あいさせていただけるだけで幸せですわ」




 何故かお兄様が微妙な顔で一瞬黙った。




「……その感覚はよく分からないな」


「わたくしが魔族の感覚を理解出来ないのと同じですわね」


「なるほど」




 納得した様子でお兄様が頷く。




「魔王様がヴィヴィアンを『興味深い』と言う理由は分かったよ」




 興味を持ってくれているのであれば嬉しい。


 思い出した前世の記憶の中で『愛の反対は無関心』という言葉があったから、関心があるというのはそれだけで幸せなことなのだろう。


 ……リーヴァイになら利用されて捨てられてもいいわ。


 でもこの気持ちは純粋な愛や献身などではない。


 わたくしの勝手な自己満足である。




「僕としても、君は見ていて飽きないしね」


「では、いつまでも面白い妹でいられるように努力します」




 お兄様はやっぱりおかしそうに笑っていた。

 

 ……ああ、推しリーヴァイに会いたいわ。


 出来る限り意識しないようにしていたのに、話題に出してしまうと寂しくなってくる。


 お父様やお母様、お兄様、使用人達もいて、アンジュやクローデットもいるのに、隣に彼がいないと物足りない。


 ……わたくしはわがままね。


 そんな気持ちを隠してわたくしも微笑んだ。








 

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― 新着の感想 ―
[良い点] リーヴァイのことを思い出して寂しそうにしているヴィヴィアンが、とても可愛いと思うと同時に、リーヴァイが早く戻るといいなと思います。 [一言] やはり魔族と魔人では感覚が違うんですね。 そし…
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