何がしたいのかしら?
王太子との婚約発表から三月。
わたくしは王城と公爵邸とを行き来しながら、忙しい日々を過ごしていた。
王族としての立ち居振る舞い、政務や王家の歴史についての勉強、社交、そして両陛下や王太子との付き合い。
両陛下はわたくしを快く迎えてくれる。
だが、王太子との週に一度程度のお茶会は冷え切ったものだった。
わたくしも王太子も必要最低限のことしか話さず、ニコリともせず、お茶を飲み終えるとお互いにあっさりとお茶会を終える。
そのことで両陛下は気を揉んでいるようではあったが、王太子のほうがわたくしを嫌っていると思っていて、わたくしにはいつも良くしてくださっている。
それについては少し罪悪感はあるが、だからと言って、本当に王太子と結婚するつもりはない。
週の半分は王城に通い、残りの半分は社交に出かけたり、家で学んだことの復習をしつつクローデット様に教えたり、のんびりと過ごす時間はなかった。
体力的には少々つらいけれど仕方がない。
ようやく出来た休日にアンジュを招けば心配された。
「ヴィヴィアン、ちょっと痩せた……? 大丈夫? 王太子妃教育、やっぱり大変じゃあ……」
確かに、少し痩せたかもしれない。
しかしそれは運動量が増え、お茶の時間が減ったからだ。
「心配してくれてありがとう、アンジュ」
「クローデット様にもこっそり教えているんでしょ? 王城にも通って、社交もして、休む時間はちゃんとある……?」
「睡眠時間は削っていないから大丈夫よ」
王族としての立ち居振る舞いは公爵家の教育とさほど変わらず、それはすぐに終わったし、王家の歴史も面白いし、政務について学ぶのも意外と興味深い。
クローデットに教えることと王太子とのお茶会は、むしろ良い休憩時間である。
……それにクローデット様って優秀なのよね。
さすがヒロインと思ってしまった。
わたくしが教えたことをすぐに覚え、実践し、何度も復習して学んでいるようで、このまま教育を進めていけば公爵令嬢と言われても納得してしまいそうなほど美しい所作や知識を身につけられるだろう。
そうなれば王太子の相手として欠点は爵位のみになる。
……爵位なんてどうとでもなるもの。
もし計画が上手くいき、クローデットが王太子の婚約者となれば、ランドロー公爵家の養女にしても良いという話も出ている。
これは『聖女』を手中に収めるという目的もある。
まだ聖印は現れていないが、クローデットが聖女となった後にいつ敵対関係になるか分からない。
それならいっそ、引き込んで監視したほうがいい。
聖女となり、クローデットが教会との関わりを持てば、教会の動きもこちらに聞こえるようになる。
王太子にも恩が売れるので欠点は少ない。
「アンジュとクローデット様も、最近、お茶会に参加するようになったでしょう? どう? 楽しくやれているかしら?」
「うん、私もクローデット様も社交は頑張ってるよ。特にクローデット様は色々な方と話しているみたい」
「そう、いいことだわ。いずれ王太子妃になるのなら、少しでも多くの貴族と顔を繋いでおくのは重要なことだもの。アンジュも頑張っていて偉いわ」
人見知りなアンジュが社交に力を入れるのは大変だろう。
それでも、穏やかで優しいアンジュはきっと誰とでも仲良くなれるから、成人してもすぐに社交界で力を持つこととなるはずだ。
やがて王太子にクローデット様が選ばれた時、公爵家のアンジュとわたくしがそばについて守る可能性もある。
さすがに四大公爵家のうちの二家を敵に回す愚か者はいない。
よしよしとアンジュの頭を撫でれば、嬉しそうにアンジュが笑う。
いつまでも子供扱いは良くないのだろうが、当の本人が「頭を撫でてほしいな……」と言うのだ。
アンジュは婚約者のギルバートとの仲も良好なようで、たまに婚約者について話す様子は楽しそうだった。
……あとは馬車の事故がなければ……。
原作の前に事故が起こるのは知っているけれど、それがいつ起こるかは分からない。
原作通りになってほしくないし、親友を失いたくもない。
「そういえば、クローデット様の妹──……プリシラ様のお話を最近は聞かなくなったけれど、どうなったのかしら?」
わたくしが注意をしたあのお茶会以降、クローデットの義妹だというプリシラについての話は聞いていない。
クローデットも妹に関して思うところがあるらしく、自ら進んで話したい雰囲気もなかった。
「ヴィヴィアンが注意したお茶会があったでしょ? あの後、プリシラ様とバスチエ伯爵夫人は周りの夫人達から距離を置かれてしまって、あまり社交が出来ていないみたい。それでバスチエ伯爵が叱責したって話もあったけど、本当かは分からないの」
……まあ、それもそうよね。
礼儀作法も出来ていない令嬢と娘可愛さに規則を無視する夫人なんて、他の貴族の夫人達からしたら近づきたくないだろう。
社交界から爪弾きにされても不思議はない。
「ただ、プリシラ様はそれ以降はバスチエ伯爵夫人やクローデット様にくっついて勝手にお茶会へ参加することはなくなったみたい」
「そう。……成人になるまでにきちんと貴族の礼儀作法を学んで、淑女になってくださると良いのだけれど」
「無理だと思う」
アンジュにしては珍しくハッキリとした物言いだった。
驚いて見れば、アンジュが怒ったように眉根を寄せ、持っているティーカップを見下ろしていた。
何か、躊躇っているような様子でもあった。
「アンジュ、どうしたの? 何かあったの?」
そう声をかければ、アンジュが顔を上げた。
「……その、私が聞いた噂話だけど、ヴィヴィアンにあんまり聞かせたくなくて……」
「『奴隷狂い』のこと?」
「それもあるけど、それだけじゃなくて……」
アンジュはわたくしの噂話をわたくしに聞かせたくないと言う。
でも、わたくしのことならば知っておくべきだろう。
「気遣ってくれてありがとう。出来れば知りたいわ。いきなり誰かに言われるより、噂を知っておけば、何を言われても揺らがずにいられるでしょう? そもそも、わたくしは噂話程度で傷付くほど柔ではありませんわ」
「ね?」と促せば、アンジュは噂話について教えてくれた。
ランドロー公爵令嬢は奴隷狂いである、という噂は元よりあったが、リーヴァイの里帰りという話は勘違いされたらしい。
あの奴隷に飽きて捨てて新しい奴隷を購入しただとか、他人に見せたくなくて屋敷に閉じ込めているだとか。
奴隷とふしだらな行為をしておきながら、王太子と婚約するのは王家を侮辱しているのではという話もあったそうだ。
そこに加えて王太子とわたくしの不仲さが、余計にその噂に信憑性を持たせてしまっているようだ。
……まあ、当たらずとも遠からずってところね。
リーヴァイとは主人と使用人以上の関係はないものの、わたくしは彼を愛しているし、王太子と結婚する気もない。
王族を軽視していると言われても否定は出来ない。
「王太子殿下と結婚後に、ヴィヴィアンが侍従の彼を愛人としてそばに置くんじゃないかって噂もあって……」
アンジュにはわたくし達の計画を説明してある。
だから、王太子とわたくしの利害関係も知っているし、わたくし達が結婚しないことも理解していて、わたくしの心がリーヴァイにあることも分かっている。
「いいのよ。実際、わたくしは王太子と婚約しておきながら、別の男性に思いを寄せているもの。もし殿下と結婚することになってしまっても、わたくしも殿下も、きっとお互いに側妃や愛人を持って仮面夫婦になるでしょうし」
「それは……ヴィヴィアンはつらくないの?」
「愛する人がそばにいてくれるなら、それだけで十分よ」
わたくしと王太子の間にあえて子を作らず、クローデットを側妃に迎えて二人の間に子が出来れば、その子が次代の王となる。
元より王太子との間にそういった感情は一切ないので、たとえ結婚することになったとしても、わたくしも王太子も割り切ることは出来ないだろう。
お互い、既に唯一と思える相手を見つけてしまった。
貴族としては義務も果たさない役立たずと後ろ指を差されるかもしれないが、それでも構わない。
王妃として不適合だと言われれば喜んでその座を譲る。
「いつも思うけど、ヴィウィアンは凄いなあ……」
アンジュが感嘆の溜め息らしきものを吐く。
「それに、そんな噂を囁いている者はすぐに社交界で爪弾きにされるわ。陛下のお決めになった婚約者を、ランドロー公爵家の令嬢を悪し様に言っていればどうなるか」
「そ、そうだね、国王陛下の機嫌を損ねるし、ランドロー公爵家も敵に回すなんて、潰してくださいって言っているようなものだよね」
「どうせ、わたくしが手を下さなくても自滅するわ」
わざわざ、わたくしが動く必要もない。
アンジュが「あ、でも……」と困ったような顔をする。
「その噂を囁いている人の中にプリシラ様も交じっているみたいなの」
はあ、と思わず溜め息が漏れてしまう。
「まだお茶会には参加していないのよね?」
「うん、同年代の伯爵家やそれ以下のご令嬢達と手紙のやり取りをしていて、噂を広めて回っているんだって。でも、他のご令嬢が話に乗ると『悪口は良くないわ!』ってヴィヴィアンを庇うんだとか……」
「何がしたいのかしら?」
わたくしの悪い噂を広めつつ、庇う意味が分からない。
噂を広めて貶めようとするのであれば、前回のお茶会の仕返しになるのだけれど、プリシラに庇われる理由がない。
……クローデット様に何か言われたのかしら?
けれども、そうだとしたらクローデットは友人の悪評を広めようとする妹を強く注意するだろう。
「バスチエ伯爵夫妻はそれを知っているの?」
「夫人はどうか知らないけど、伯爵は知らないんじゃないかな……。知っていたらすぐにやめさせると思うよ」
「それもそうね」
伯爵家が公爵家、それも国で最も王家に近い家を敵に回したがるはずがない。
クローデットとわたくしの交友関係を歓迎しているくらいだから、どちらかといえば公爵家と縁を繋ぎたがっているのだろう。そのうち貴族派になるかもしれない。
「まあ、プリシラ様については要注意というところかしら」
「気になるの?」
「ええ、プリシラ様が陛下の機嫌を損ねてバスチエ伯爵家に悪感情を持たれると、クローデット様が被害を受けるわ」
「確かにそうだね」
わたくしと王太子の婚約に異議ありと思われ、バスチエ伯爵家が厭われてしまうと、その後にクローデットが紹介された時に受け入れられないかもしれない。
あの伯爵家ではクローデットは別枠的な存在だが、外から見れば、同じバスチエ伯爵家の者である。
「みんなに噂を広めないように働きかけてはいるけど、お喋り好きな人はいるから……」
「お喋り雀がなかなか鳴き止まないようなら、わたくしに教えてちょうだい。こちらから圧をかけるわ」
「それもまた噂にするかもしれないよ……?」
「構わないわ。格上の家を馬鹿にするとどうなるか、身をもって知ることになるだけよ。周囲も呆れて静観するでしょう」
少なくとも、止めに入れるほどの家は同格の公爵家くらいのものだが、アンジュもジュリアナ様も止めはしないだろう。
他の公爵家も一方は夫人を早くに亡くしているので社交にあまり興味がない生真面目な家で、もう一方もそういった他家の醜聞に我関せずなやや閉鎖的な家なので問題はない。
同じ公爵家でも、わたくしはどちらも交流がほぼない。
「プリシラ様がわたくしの噂を広げているのを、誰か他の者を経由して止めることは可能かしら?」
「うん、何人か止めてくれそうな人の当てはあるよ」
「ではお願い出来る?」
「分かった……! 絶対にやめさせるね……!」
わたくしでは権力で押さえつける形になってしまうけれど、アンジュは優しくて性格も良いからか、周りの令嬢達もアンジュの言葉は素直に受け取ってくれる。
きっと噂は長引かないだろう。
「ありがとう。でも、アンジュの立場が悪くならないように気を付けてね。わたくしの親友はあなただけよ。アンジュには傷付いてほしくないわ」
アンジュが嬉しそうに笑う。
「大丈夫、ヴィヴィアンのために頑張るね……!」
わたくしの友人は何人かいるけれど、心からこうしてわたくしを思ってくれる者はどれほどいるだろう。
だからこそ親友が大切で、大好きで。
アンジュの頭を撫でてあげながら、わたくしも微笑んだ。




