政略の意味をご存じないのね。
今日はついにデビュタントの日だ。
そして同時に王太子との婚約発表の日でもある。
わたくしの十六歳のデビュタントでもあり、真っ白なドレスに身を包み、お父様、お母様、そしてお兄様と馬車で王城へ向かう。
……婚約と言っても仮初めだもの。
何かを感じることもない。
「本当に王太子殿下と婚約して後悔しないか? しかも、婚約破棄ともなれば、もはや貴族の令嬢として良い縁談は望めなくなる」
「承知しておりますわ、お父様。わたくしはわたくしの道を歩むために、殿下と取り引きをいたしましたもの。殿下との約束を破るわけにはまいりませんわ」
それでも言い募ろうとするお父様に、お母様が微笑む。
「この子ならきっと大丈夫ですわ。親として、子の幸せを願って見守ってあげましょう?」
「……分かった。好きにしなさい」
お父様が困ったように微笑み、頷いた。
「ありがとうございます、お父様、お母様」
横にいるお兄様が「良かったね」と微笑んだ。
そうして馬車が王城へ到着し、案内を受けて夜会の会場である舞踏の間に通された。
既に大半の貴族は揃っており、公爵家のわたくし達は立場的にもほぼ最後に入場するのが常である。
入場のエスコートはお兄様がしてくれた。
お父様とお母様が入場するとすぐさま挨拶をしに人々が集まり、わたくしとお兄様は少し離れたところに下がってそれを眺める。
……お兄様に声をかけたがっている人も多いけれど。
特にご令嬢達はうっとりした眼差しでお兄様を遠巻きに見つめている。
しかし、お兄様はあまり女性付き合いがないため、声をかけられるご令嬢がいないのだろう。
目が合うとお兄様がニコリと微笑んだ。
「ヴィヴィアンは夜会は初めてだよね。大丈夫? 緊張していないかい? もし具合が悪くなったら僕に言うんだよ」
「大丈夫です、お兄様。緊張もしておりませんわ」
そうしていると王族の方々が入場する時間となった。
両陛下と王太子が舞踏の間へ入り、王族の席に着く。
「皆、よく集まってくれた。今宵は十六歳を迎えたご令嬢達の華々しいデビュタントに相応しく、良い夜であり──……」
国王陛下が挨拶を述べている間、王太子と目が合う。
しかし、すぐに視線が逸らされた。
陛下の挨拶が済むと、まずは今回デビュタントに参加する令嬢や令息達が舞踏の間の中心に進み出る。
わたくしもそれに交じり、全員で王族の席へ向かって礼を執った。
それから、それぞれの令嬢や令息のデビュタントの相手役が進み出て来る。わたくしの相手はお兄様である。
互いに礼を取って手を取り合い、曲が始まった。
お兄様とは何度も踊ったことがあるので慣れていた。
「今日のヴィヴィアンはとても可愛いね」
踊りながらお兄様に褒められて、わたくしは微笑んだ。
「あら、普段のわたくしは可愛くございませんの?」
「いいや、可愛いよ。でも今の君は普段よりもずっと可愛い。純白のドレスがとても似合っている。他の令嬢達が霞んでしまいそうだ」
「ふふ、ありがとうございます」
お兄様との関係は以前よりも良くなった。
わたくしに興味がなかった頃は「似合っているよ」とは言うけれど、こんなふうに「可愛い」とは言ってくれなかった。
もし言ってくれたとしても取り繕う時か、わたくしが不機嫌になった時に宥めるためくらいだ。
そうして一曲踊り終えると、もう一度王族の席に礼を執る。
陛下が頷き、そして貴族達を眺めた。
「実は、皆に一つ報告がある。我が息子エドワードは婚約することとなった。相手はランドロー公爵家のヴィヴィアン嬢だ」
王太子が王族の席から下りて来たので、わたくしも進み出て、迎えに来てくれた王太子の手を取った。
ただし、王太子は無表情のままである。
わたくしも微笑んではいるけれど、口元だけだ。
騒めきが広がる中、階段を上がり、皆を見る。
「今宵は王太子の婚約発表も兼ねている。この二人の良き未来を皆も祝い、心ゆくまで楽しんでいってもらいたい」
わたくし達が礼を執ると拍手が広がった。
だが、令嬢達の中には不満そうな様子の者もいるようだ。
それも当たり前だろう。
デビュタントで王太子の目に留まるかもしれないという夢が、まさか最初から叶わないものだったとは誰も思わないもの。
娘を次期王妃にして、王族との繋がりや地位を得たいと考えていた貴族達にとっても面白くはないだろう。
階段を下りて、舞踏の間の中心に王太子と進み出る。
そして、曲が流れ、わたくし達は踊ることとなった。
……ダンスは上手なようね。
しかし、こちらと目線を合わせようとはしない。
……それでいいのよ。
王太子と婚約者は不仲なのではないか。
そういう疑惑を持たせるために、あえてお互いに冷たい態度を取ることにしているのだ。
ダンスを二曲踊り、礼を執って、わたくしはお兄様に返される。
まだ王族への挨拶が残っているため、一旦、王太子とは分かれる必要があった。
周囲から感じる視線を無視しつつ、お兄様と共にお父様とお母様のところへ戻れば、お母様に抱き寄せられた。
「とても素敵なダンスだったわ。さすが私達の娘ね」
少し休憩し、それから王族の席に向かう。
四大公爵家の中でも、我がランドロー公爵家は最も地位が高く、最初に王族へ挨拶に行くのは常にわたくし達となる。
お兄様にエスコートをしてもらいながら行き、両陛下の前で膝をついて最上級の礼を執る。
お父様が陛下にご挨拶の口上を述べ、陛下が満足そうに頷く。
陛下はお父様だけでなく、お兄様にも声をかけていて、次期公爵となるお兄様にも目をかけているのが分かった。
「ヴィヴィアン嬢、息子をよろしく頼んだぞ」
よほど機嫌が良いのか、陛下はわたくしにも声をかけた。
わたくしはそれに深く頭を下げることで返事をした。
……あなた方の思い通りにはなれませんけれど。
王太子とその想い人との仲くらいは取り持ってあげるわ。
挨拶を済ませて階下に戻れば、人々に取り囲まれる。
大半はお父様とお母様の知り合いの貴族で、わたくしとは関わりのない方々で、娘や息子の紹介というふうに話しかけてくるけれど、本当のところはわたくしと王太子の婚約について聞きたいのだろう。
人によっては、王太子の婚約者と自分達の子が親しくなったらと考えている者もいるかもしれない。
「皆様、初めまして、ランドロー公爵家の長女ヴィヴィアン・ランドローと申します。まだデビュタントしたばかりですが、これからよろしくお願いいたします。皆様には色々と社交界について教えていただけたら幸いですわ」
これでも公爵家の令嬢である。
出来る限り美しい所作で礼を執れば、貴族達は見惚れ、ニコリと微笑めば令息達が少し頬を染めた。
……さすが悪役令嬢、わたくし、見た目は美しいのよね。
お母様似だからというのもあるだろうけれど。
お母様は社交界でも美しさで有名なので、お母様似のお兄様もわたくしも、人々から見れば美しい容姿に感じるはずだ。
お父様とお母様が貴族達と話している間、わたくしとお兄様も令嬢や令息達に囲まれて話をする。
「王太子殿下とのご婚約、おめでとうございます」
「ランドロー公爵令嬢が王太子殿下と並ぶ姿はまるで絵画のようで、溜め息が漏れてしまうほどでしたわ」
「令嬢のような方と婚約出来る王太子殿下が羨ましいです」
半分以上は王太子の婚約者となったわたくし、もしくは次期公爵のお兄様と繋がりを得たいという者達だった。
残りは話を聞きつつも、参加はせずに様子を伺ったり、不満そうにわたくしを遠巻きに眺めていたりといった様子である。
けれども、令嬢達はお兄様が微笑むとポーッと見惚れていたので、王太子に思いを寄せているわけではないのかもしれない。
「……ランドロー公爵令嬢ってあの『奴隷狂い』でしょ?」
と、どこかの令嬢の声が随分と大きく響いた。
空気がシンと静まり、冷え切った。
横にいたお兄様が微笑んだ。冷たい笑みだった。
「今、妹を愚弄したのは誰かな?」
全員が互いに顔を見合わせ、黙ってしまい、場の空気が悪化していくのを感じて慌ててお兄様の腕を軽く叩いた。
「どなたかは存じませんが、ご心配をありがとうございます。わたくしも殿下のおそばに立つ者として、恥じないよう努力いたしますわ」
「ヴィヴィアン、いいのかい?」
「構いませんわ。その程度で傷つくほど子供ではありませんもの」
それに、面と向かって言えないような人間の言葉など、わたくしには全く響かない。
わたくしが普通にしていれば、お兄様も柔らかく微笑む。
空気が和らぎ、周囲の子息令嬢達がホッとしたのが伝わってきた。
「でも、先ほどの方はきっと政略の意味をご存知ないのね。わたくしは陛下のご下命で殿下と婚約いたしましたのに、それに異を唱えるなんてわたくしには出来ませんわ」
国王の決めたことに反対するなんて何様なのかしら。
それを考えなく口に出してしまう令嬢とは、お近づきになりたくなる者はいないだろう。
わたくしは言った者が誰かは知らないけれど、きっと、これから苦労するでしょうね。
周りで聞いていた者はいるはずだ。
そういった者達から噂が広がることもある。
お兄様も気付いた様子で微笑んでいた。
その後は何事もなく子息令嬢達と話していると、挨拶が終わったようで、王太子がやって来た。
「ランドロー公爵令嬢」
お兄様と共に礼を執る。
「殿下」
「良い、楽にしてくれ」
姿勢を戻せば、無表情の殿下がそこにいた。
わたくしも口元だけ微笑んでいるけれど、お兄様にエスコートをしてもらっているままで、明らかに微妙な雰囲気が漂っている。
あくまでわたくし達の婚約は政略であると分かるだろう。
「良ければ、もう一度踊っても?」
「ええ、喜んで」
差し出された王太子の手を取り、お兄様から離れる。
恐らく、陛下から『婚約者として仲を深めるように』とか何とか言われたのだろう。
不服ですと言わんばかりの様子だったが、わたくしは構わず促されて王太子ともう一度踊ることにした。
「……すまない」
踊っていると王太子が謝罪をしてきた。
お互いに決めたことなのに、態度の悪さについて、やはり色々と思うところはあるらしい。
原作ではエドワードはヴィヴィアンを嫌っていたが、今の王太子はわたくしに対してそういった感情はないようだ。
代わりに罪悪感を覚えているふうに見えた。
「謝罪は不要ですわ。話し合って決めたことですもの」
「だが、私のせいで君はこれからつらい目に遭う」
「まあ、お気遣いありがとうございます。ですが、その辺の貴族が何を言おうともお喋りな鳥達の囀りに過ぎませんわ」
「……君は強いな……」
どこか羨ましげに言われ、小首を傾げる。
「殿下だってこの国の王太子ではございませんか」
わたくしよりも地位が上だ。両陛下の次に権力もある。
制限も多いだろうけれど、その言葉を無視出来る者はいない。
「それに本気で思い人と結ばれたいのであれば、公爵令嬢を利用するくらいの覚悟は決めてくださいませ。両陛下から反対された時、彼女を守ることが出来るのは殿下だけなのですから」
わたくしの言葉に王太子がハッとした顔をする。
それから、困ったように僅かに眉を下げた。
「そうか。……そうだな」
「ええ、そうですわ」
わたくしと王太子は国王の決定に従うふりをするだけ。
最悪、叛意ありと判断されて立場を失うかもしれない。
「それでも、彼女がよろしいのでしょう?」
わたくしの問いに殿下が覚悟を決めた様子で頷く。
「ああ、私は彼女がいい」
「そのお言葉と心を忘れないでくださいませ」
ダンスを終え、わたくしと王太子が戻ると、お兄様のそばにはお父様とお母様もいた。
王太子は改めてお父様達と挨拶をし、しばし話をした。
それから王太子は、お兄様にわたくしを返すと王族の席へ戻って行く。
名残惜しげな様子どころか、さっさと離れたいといった王太子に周囲がわたくしと王太子の関係についてヒソヒソと囁き合っている。
お父様とお兄様が男性同士で話をしに行ったので、わたくしはお母様について行き、社交に力を入れることにした。
一応、王太子の婚約者としての責務は果たさなければ。
社交界で有力なお母様なので、同じく社交界で力のある方々とも縁が深く、色々な方々と話せて意外にも楽しい時間を過ごすことが出来た。
その中にはガネル公爵家のジュリアナ様もいて、ジュリアナ様もわたくしを可愛がってくれているので、少なくとも夫人達から受け入れられないということはなかった。
初めての夜会はあっさりと終わり、帰路につく。
……明日から忙しくなるわね。
これからは王太子の婚約者として、王太子妃教育を受けるために王城に通い、社交を行い、盤石な地位を確立せねばならない。
……寂しい、なんて思っている暇はなさそう。
リーヴァイがいなくなってから寂しかったけれど、王太子妃教育と社交、王太子とクローデットの仲介人、そしてクローデットに王太子妃教育をこっそり教えていく必要もある。
この一年が最も忙しい年となるだろう。
「お父様、お母様、お兄様、わたくし頑張りますわ」
全てはわたくしの計画のために。
原作通りになりたくないと最初は思ったけれど、原作通りに婚約破棄されてみせますわ。




