原作と違いますわね?
十六歳の誕生日まであと三ヶ月。
今日はアンジュを我が家に招いて、一緒にお茶をすることになっている。
定期的にアンジュとは会ったり手紙をやり取りしたりしていたが、バスチエ伯爵家の情報が纏まって得られたそうで、その話をするためでもあった。
さすがに公爵家の者を使うと伯爵家に勘付かれてしまうかもしれないが、同じ年頃の令嬢同士の話題程度ならば問題はないだろう。
アンジュを出迎えると嬉しそうに抱き着かれた。
「出迎えてくれてありがとう、ヴィヴィアン……!」
「あら、感謝なんてしなくていいのよ。親友なんだから」
アンジュはいつもこうして喜んでくれるから、わたくしも色々と親友のためにしてあげたくなる。
屋敷の中へ招き入れ、自室まで案内する。
リーヴァイがいても何も言わないところがアンジュの良いところだ。
どこのお茶会に行ってもリーヴァイは目立つが、何度連れて行っても向けられる視線が少し面白くない。
興味、好奇心、嘲笑、そして侮蔑。
どれほど美しくても所詮は奴隷だという視線ばかりだ。
しかし、アンジュはリーヴァイにそのような視線を向けず、わたくしの侍従として接してくれる。
部屋に到着すると既にお茶の準備は整っており、あとは紅茶を淹れるだけといった状態だった。
「さあ、座ってアンジュ」
アンジュがそうしたがるので、わたくし達の席はあえて並べてある。丸テーブルの半分を二人で使うという、ちょっと狭いけれど、普段と違うことが楽しくもあった。
侍女が紅茶を用意する。
「あの、さっそくだけど、バスチエ伯爵家について聞いたことを話してもいい……?」
「ええ、もちろんよ」
それから、アンジュはバスチエ伯爵家の噂について教えてくれた。
バスチエ伯爵家は今、かなり家内が険悪な雰囲気らしい。
なんでも伯爵夫人が半年ほど前に亡くなり、それから一月もしないうちに愛人だった男爵令嬢と再婚したという。
しかも前伯爵夫人との間に生まれた娘と一歳しか違わない、伯爵と男爵令嬢の子供がいて、その娘も共に屋敷に招き入れたらしい。
つまり、現在伯爵家には前妻の子と後妻、一歳違いの後妻との子が共に暮らしている。
「噂だと、伯爵も現伯爵夫人も、前妻との間の子であるクローデット様を虐げはしていないけれど、やっぱりもう一人の娘のほうを可愛がっているみたい」
前妻とは政略結婚だった分、余計に現伯爵夫人との間の子が可愛く感じるのだろう。
貴族が夫や妻を亡くした後に再婚するのは珍しくはないが、せめて、最低でも一年ほどは喪に服すべきである。
その常識を無視するほど愛していたと言えば聞こえはいいかもしれないが、前妻と娘クローデットへの配慮は欠片も感じられない。
……全くもって最低の父親ね。
「クローデット様はどんな方なの? 大丈夫かしら?」
「二、三回話したことはあるけど、優しい方だったよ。でも、伯爵が再婚してからは少し元気がない様子で、噂によるとクローデット様がどこに行くにも義妹がついて来るんだって。そのせいでクローデット様は疲れてしまっているみたい……」
「まあ、そうなのね……」
……それにしてもおかしいわね。
原作ではクローデットは一人娘のはずだった。
伯爵夫人が亡くなり、それでも父親に愛されながら、教会に通って母親が天国で心穏やかに過ごせるように、妻を失った父親の心が癒されるようにと祈りを捧げていた。
母親を失った悲しみを乗り越えたくて慈善活動を始めたクローデットだったが、そのうち子供達との触れ合いで悲しみが癒され、そして、十六歳の誕生日に聖印が現れる。
「クローデット様につきまとっている義妹の名前は?」
「プリシラ様というそうよ。……お母様を亡くして悲しい時に、いきなり他人が家に入ってきて、その人達が自分よりお父様に愛されたらとてもつらいわ……」
アンジュが悲しげな顔をする。
その背中をそっと撫でてやった。
「そうね、伯爵は配慮に欠けているわ」
けれども、どうして原作とは違うのだろうか。
……もし違うとしても聖女はクローデットになるはず。
そうすれば、彼女の苦境も変わるだろう。
「良ければ、今度クローデット様が出席するお茶会を調べてもらえるかしら?」
「それなら今度、教会に行く予定があるから、ヴィヴィアンも一緒に行く? 私が行く教会によくクローデット様も来ているから……クローデット様が気になるの?」
「バスチエ伯爵家は中立な家だから、貴族派に取り込めたらとは思っていたけれど、クローデット様の話を聞いていたら彼女を助けてあげたいと思ってしまったわ」
主人公だから本当は距離を置いたほうがいいのだろう。
しかし、母親を失い、信じていた父親が自分と一歳違いの娘と見知らぬ女性を突然連れて来たら、誰だってショックを受けて当然だ。
とは言え、わたくしに出来ることなんて、クローデットと親しくなることくらいしかない。
いくら中立の家であっても家格が上の家との繋がりは重要で、公爵家ともなれば、繋がりを持てばより顔を広めることが出来る。
「ヴィヴィアンは優しいね」
「そう言うアンジュこそ、クローデット様のことが気になってるんでしょう?」
「うん……だって、あまりにも酷いよ……」
それにわたくしも頷いた。
「そうね、クローデット様は何も悪くありませんもの」
* * * * *
そうして三日後、アンジュと共に教会を訪れた。
もちろん侍従としてリーヴァイも連れている。
……クローデットとリーヴァイの出会う時期がズレることになるけれど……。
リーヴァイはわたくしの記憶を見て、クローデットのことは分かっており、彼曰く「興味がない」とのことだった。
クローデットに助けられていないからかもしれない。
いつも行く大きな教会ではなく、やや小さな教会は人気も少ない。だからこそアンジュはここに来ているのだろう。
「この時間にクローデット様はいつもいるの。でも、もしかしたらプリシラ様もいるかも……」
「教会にまでついて来るの?」
「時々だけど……」
そうだとしたらクローデットは原作より、教会に頻繁に通っているだろう。たまに義妹がついて来るとは言え、家にいるよりかは一人でいる時間が出来る分、心休まると思う。
扉を開けて教会に入る。
祈りの間には一人の少女がいた。
コツ、とアンジュが足を踏み入れる音が響く。
そうして、少女が振り返った。
落ち着いたやや暗めの茶髪は癖がなく真っ直ぐで、大きな瞳は深い青色をしており、背後のステンドグラスから差し込む光を浴びた姿は清らかさすら感じられる。
……さすが主人公ね。
わたくしもアンジュも美しい容姿だと言われるけれど、クローデットは美しいというより、可愛らしいという言葉がとても似合う。
方向性は違えど、クローデットは整った顔をしていた。
振り返ったクローデットはジッとこちらを見る。
アンジュと共に歩き出せば、響く足音にハッとした様子でクローデットが視線を下げた。
何度かアンジュと話したことがあるそうなので、公爵令嬢に失礼がないようにと思ったのだろう。
近づき、まずは顔見知りのアンジュが声をかけた。
「ご機嫌よう、クローデット様」
「ご機嫌よう、アンジュ様……えっと……」
わたくしとは年齢も違い、まだアンジュもクローデットも公のお茶会などに出たことはない。
だからわたくしを知らなくとも不思議はなかった。
「こちらはヴィヴィアン様で、私の親友です。ヴィヴィアン、こちらはクローデット様で、何度かお話をしたことがあるの」
アンジュの紹介にわたくしは出来る限り優しく微笑んだ。
「初めまして、ランドロー公爵家の長女、ヴィヴィアン・ランドローと申します。どうぞ、ヴィヴィアンと呼んでくださいな」
「こ、こちらこそランドロー公爵家の方に失礼をいたしました……! バスチエ伯爵家の長女、クローデット・バスチエと申します」
「いいえ、クローデット様はまだ公のお茶会に参加したことがないのですから当然ですわ」
慌てて頭を下げようとするクローデットを手で制する。
「お気になさらないでください。それと、遅くなりましたが、お母様のこと、お悔やみ申し上げます」
「っ……」
クローデットの青色の綺麗な瞳が揺らめき、あっという間に潤むとポロポロと涙がこぼれ落ちた。
すぐにハンカチを取り出してクローデットの涙を拭うと、クローデットが俯いた。
「ご、ごめんなさい、いきなり、泣いてしまって……っ」
なんとか泣くのを我慢しようとして、でも止められなくて、声を押し殺す姿はあまりにも痛々しかった。
「謝ることなどありませんのよ。家族を失えば悲しいのは当然ですもの。その気持ちはとても尊いものですわ」
本当は勝手に相手の体に触れるのは良くないことだが、そっとクローデットの手を握る。
その手の上にアンジュも手を重ねた。
「昔、何かの本で読んだのですが、亡くなった方を思って泣くと、天国にいるその人の周りに花が降るそうです。そうして亡くなった方は生きている人々が自分を思ってくれていると知ることが出来て、心穏やかに過ごせるのだとか」
「花が、降る……」
「ええ。ですから、我慢しなくていいのですわ。クローデット様が沢山泣いて、お母様に愛情の花を沢山降らせてさしあげればよろしいのではなくって?」
クローデットが顔を上げ、そして小さく呟いた。
「……逆に、お母様を心配させてしまいそうです」
また俯きかけたので、ギュッと手を握る。
「家族なのですから、心配をかけても良いではありませんか。わたくし達もいずれは死ぬのならば、沢山心配をかけて、沢山思い出を作って、向こうに行ってから文句も思い出話も沢山すればいいのです」
もう一度クローデットが顔を上げる。
「人間は忘れる生き物です。だからこそ、今、悲しいと思う気持ちのままに泣けばよろしいのですわ。我慢していたら、いつか心が壊れてしまいますもの」
「そうです……! つらい時は『つらい』と言っていいと思います……!!」
瞬いた青い瞳から、また涙がこぼれ落ちる。
けれども、クローデットは微笑んでいた。
「アンジュ様、ヴィヴィアン様、ありがとうございます……」
やっとクローデットがわたくしの手とハンカチを握る。
振り向けば、リーヴァイが気を利かせて人が来ないか出入り口に立って確認してくれていた。
それに泣いている姿を異性に見られるのは恥ずかしいだろう。
……リーヴァイってあれで不思議と気が利くのよね。
顔を戻し、クローデットに声をかける。
「ねえ、クローデット様。わたくし達とお友達になりませんか?」
「え? わたしが、お二人と……?」
「そうよ。わたくし、美しい者が好きですの。クローデット様はとても可愛らしいから、わたくし、気に入りましたわ」
戸惑うクローデットにアンジュが耳打ちする。
「ヴィヴィアン様や私とお友達になれば、お茶会とか、お泊まりとかを言い訳に家から離れられますわ。公爵家の申し出ならば伯爵も断れませんし、私達との繋がりがクローデット様にも、その、利益があると思います」
クローデットが戸惑った顔でわたくしとアンジュを見る。
主人公には近づかないつもりだったけど、内情を聞いて、見て見ぬふりをするのは無理だと思った。
「余計なお世話かもしれませんけれど、わたくし達、伯爵の配慮のなさには怒っておりますのよ」
「ふふ、ヴィヴィアンは優しいの」
「そう言うのはアンジュか家族くらいのものよ。まあ、わたくし自身、きつい性格なのは否定しませんが」
アンジュの言葉に頷けば、ふっとクローデットが小さく笑う。
その笑顔が眩しいほど可愛くて、『ああ、やっぱり主人公は別格なのね』と思った。
「わたしも、ヴィヴィアン様は優しいと思います」
それから、そっと手を握り返された。
「その、お二人とも、わたしとお友達になっていただけますか?」
「ええ、もちろん。提案したのはわたくしのほうですもの」
「私も、クローデット様と仲良くしたいです」
三人で顔を見合わせ、微笑み合う。
……こんな可愛い子を放っておくなんて出来ませんわ。
視線を感じて振り向けば、リーヴァイが少し呆れた顔をしていたけれど、その口元は微笑んでいた。
「さっそく、帰ったらお手紙を書きますわね」
魔王であるリーヴァイの未来だけではなく、クローデットの未来も変えてあげられたらいいなんて、わがままだ。
それでも、目の前にいる女の子を助けたいと思う。
……クローデットには申し訳ないけれど。
わたくしも全部が善意ではない。
クローデットと仲良くなっておけば、もし彼女が聖女となったとしても、友達の侍従を殺す選択は出来なくなるかもしれない。
それは結果としてクローデットを苦しめるかもしれない。
だから、わたくしは本当は優しくなどなくて。
「はい、楽しみにしています」
嬉しそうに微笑むクローデットにチクリと心が痛んだ。
その後、クローデットが落ち着くまで三人で過ごし、少しの間、お祈りをしてからアンジュと共に帰った。
帰ってすぐにクローデットとアンジュへ『我が家にお茶をしに来ないか』という手紙を書いて送る。
「本当にあの娘と友人になるつもりか?」
リーヴァイの問いにわたくしは頷いた。
「ええ、苦しい時に助けてくれた大事なお友達の侍従なら、殺せないかもしれないでしょう?」
「ふっ、なかなかに性格が悪いな」
「あら、知らなかったの? わたくし、とっても性格が悪いのよ。そうでなければ、わがまま放題に生きるなんて出来ないもの」
よほど嬉しかったのか、翌朝には二人から返事が届いた。
わたくしは主人公と仲良くなる決心をした。




