わたくし、何も失いたくはないですわ。
お茶会から二週間後。
わたくしは今、ガネル公爵家に遊びに来ていた。
「ヴィヴィアン、今日は来てくれてありがとう……!」
案内された応接室で、ジュリアナ様とアンジュに出迎えられた。
赤い髪に鮮やかな紫の瞳、外見は母親のジュリアナ様そっくりなのだけれど、気が弱い。
それがガネル公爵家の一人娘、アンジュ・ガネルだった。
アンジュにギュッと手を握られる。
その手をわたくしも握り返した。
「こちらこそ招いてくれてありがとう。ジュリアナ様もアンジュも元気そうで良かったですわ」
「お母様とはこの間会ったでしょ?」
ちょっと不満そうにアンジュが唇を尖らせる。
それにジュリアナ様が微笑んだ。
「この子ったら、私がヴィヴィアン様にお会いしたのが羨ましかったようで、今日までずっと『お母様ばかりずるい』と言われて困っておりましたの」
「お、お母様……!!」
「アンジュ、今日はヴィヴィアン様と楽しい時間を過ごしなさい」
慌てているアンジュの頭を撫でて「それでは、お友達同士ごゆっくり」とジュリアナ様が応接室を出て行く。
アンジュに勧められてソファーに腰掛けた。
「もう、お母様ったら……」
ガネル公爵家の使用人が紅茶を用意してくれる。
それを一口飲む。相変わらず良い茶葉だ。
「あなたのことが可愛くて仕方がないのよ。いいじゃない。愛されている証だわ」
「それはそうだけど……」
と、そこでようやくアンジュがわたくしの斜め後ろに視線を向ける。
チラチラと何度か視線が行き来した後に訊いてきた。
「ところで、その後ろの侍従さんが、お母様の言っていたヴィヴィアンのお気に入り……?」
ジュリアナ様から既にお茶会での話は聞いているらしい。
「ええ、そうよ。リーヴァイというの。他の方々にはこの子の名前は教えないけれど、アンジュはわたくしの親友だから特別よ」
リーヴァイが丁寧に礼を執る。
特別、親友、という言葉にアンジュが嬉しそうな顔をする。
「は、初めまして、アンジュ・ガネルと申します……!」
リーヴァイはそれに静かに頷き、胸に手を当てる。
「ごめんなさいね。まだ侍従になったばかりで粗相をするといけないから、人とは話さないように命令してあるの」
「ヴィヴィアンの侍従に酷いことはしないよ?」
「アンジュはそうだけれど、他の方々に何か失礼をしてしまって、この子が傷付くのは嫌なのよ」
「凄くお気に入りなんだね」
アンジュがわたくしとリーヴァイを交互に見る。
「……うん、二人とも並ぶと凄く綺麗……」
アンジュは芸術品などの美しいものが好きなので、リーヴァイの整った容姿は彼女にとっては目の保養なのだろう。
……わたくしもそうだものね。
でも、アンジュは恋愛方面にはとても疎い。
わたくしより一歳下の十四歳だが、そろそろ婚約者が出来てもおかしくはない年齢である。
「ありがとう。リーヴァイをアンジュに紹介出来て嬉しいわ。お茶会には連れて行ったけれど、紹介はしていないから、あなたが初めてね」
「本当? ヴィヴィアンの大切な子を紹介してくれて嬉しい……!」
「だって親友ですもの」
アンジュと二人で微笑み合っていると、アンジュが「あ」と声を漏らした。
「あのね、わたしもそのうち、ヴィヴィアンに紹介したい人がいるの。その、お父様が決めた相手で、わたしの十四歳の誕生日に婚約することが決まったんだけど……」
「まあ、どの家の方?」
「マクスウェル侯爵家の次男の、ギルバート様なの……」
……なんですって?
思わず硬直しかけた表情をなんとか笑みに変える。
ギルバート・マクスウェル侯爵令息は攻略対象の一人だ。
オレンジの瞳に金髪、整った甘い顔立ちをした王太子の近衛騎士。通常攻略対象の中では一番歳上だ。
アンジュとクローデットが同じ歳で、クローデットとギルバートは原作で丁度十歳差だったので、アンジュとも同じだけ離れている。
十四歳と二十三歳。貴族では珍しくもない歳の差である。
政略結婚なら、このようなものなのだろうけれど、それ以上にアンジュがギルバートの婚約者という点に驚いた。
……ギルバートに婚約者はいなかったはず……。
どうして、と思い返してハッと息を呑む。
ギルバートは原作が始まる前に婚約者を馬車の事故で亡くしている。確か、整備不良で車輪が外れたのが原因だったはずだ。
そして、荒れていた時にクローデットと出会う。
……待って、アンジュが事故で死ぬってことっ?
ギルバートは婚約者を失ったことで自暴自棄になり、女性関係が派手になってしまうのだ。
「……そう、マクスウェル侯爵家の方々も見目が良いから、きっと令息とアンジュが並んだら素敵ね」
「まだ一度しかお会いしていないけど、優しくて紳士的だったの……それに、お顔も声も美しくて……! しかも王太子殿下の近衛騎士なんだって……凄い方だよね……!」
アンジュは一目でギルバートを気に入ったのだろう。
その表情は恋をしているというより、大好きな美術品について語っている時のものであったが、何度も会っていくうちに心が通じ合って行くのかもしれない。
……でも、その前に言わなくてはいけないことがあるわ。
「ねえ、アンジュ、これはわたくしの勝手な心配なのだけれど、もしどこかに出かける際には必ず、絶対に、馬車の点検をしてもらってから乗ってほしいの」
わたくしの突然の言葉にアンジュが目を瞬かせた。
「え? 馬車の点検……?」
「そうよ。この間、馬車の点検が不十分で走っている最中に事故が起きて亡くなった人が出た、という話が領地であったの。これからアンジュは婚約者と会うために出かけることも増えるでしょう? わたくし、心配で……」
少々言い訳苦しくなってしまったが、アンジュの身を心配しているのは本当だ。
わたくしも親友を失いたくないし、婚約者が死ななければギルバートもクローデットに惹かれず、もし魔族との戦いが起きてもクローデットのために参加はしないだろう。
ギルバートは原作では女性関係が派手な女たらしだが、剣術においては国随一と言われていた。
事実、魔族との戦いでは先陣を切って戦い、多くの武勲を立てることとなる。
アンジュとギルバートの仲が深まれば、きっと……。
そして、未来でもわたくしはアンジュと笑い合いたい。
「うん、分かった。ヴィヴィアンが心配なら、そうするね。乗る度に点検するようお願いしてみる」
素直なアンジュはそう言って頷いてくれた。
真面目で頭の良い子だから、わたくしの言った通りにしてくれるだろう。
わたくしに出来るのはこのくらいしかないが、せめて、少しでも馬車について気にかけてくれたら最悪の事態は防げるかもしれない。
「そうしてちょうだい。点検は必ず、御者一人ではなく、執事かあなたの侍女に立ち会うようにしてもらって、記録も残すようにしたほうがいいわ。ジュリアナ様やガネル公爵様が乗る馬車も点検するべきよ」
「うん、お父様とお母様にも伝えておくね」
わたくしが心配しているのに、アンジュはニコニコ顔だ。
「ヴィヴィアンが心配してくれて嬉しい……!」
冗談を言っているわけではないのだが、アンジュはわたくしが心配しすぎていると思っているようだ。
……それでも親友を失うより、ずっといいわ。
「それと、もし良ければバスチエ伯爵家のご令嬢について噂でもいいから、話を聞き集めてほしいの」
「バスチエ伯爵家って言えば、私と同じ歳のご令嬢がいるよね……?」
「ええ、そうよ。ちょっと知りたいことがあって……」
「いいよ、調べておくね……!」
アンジュはこの派手な外見だが、性格が穏やかなので、同年代のご令嬢達との仲が実はとても良い。
基本的に口は堅いし、爵位が公爵家なので繋がりを欲しがる家も多く、話をよく聞いてくれる子なので皆があれこれと話したがる。
おかげでアンジュを通じてわたくしも情報を得ている。
早めにクローデットの情報は知っておきたい。
十六歳の誕生日に彼女は聖印が現れ、聖女となるはずだが、この世界は原作のゲーム通りになるわけではない。
原作では妹に無関心だったお兄様がわたくしに関心を持ち、バーンズ伯爵夫人が所有しているはずだったリーヴァイをわたくしが購入することも出来た。
……ゲームに限りなく近いけれど、現実の世界なのよ。
クローデットが魔王を殺す未来もきっと変えられる……いや、わたくしが変えてみせる。
そのためにリーヴァイを購入したのだから。
「ねえ、ヴィヴィアンはどうしてその子を買ったの?」
わたくしの斜め後ろに視線を向けつつ訊いてくるアンジュの疑問に、わたくしは微笑みを浮かべた。
* * * * *
私の疑問にヴィヴィアンが美しく微笑む。
自信に満ちた、気品のある、上に立つ者の笑みだ。
「わたくしのものにしたかったからよ」
ランドロー公爵家とガネル公爵家は昔から仲が良く、私とヴィヴィアンも幼馴染であり、そして親友でもある。
お友達は沢山いるけれど、私の親友はヴィヴィアンだけ。
周りはヴィヴィアンを傲慢だとか、わがままだとか言うけれど、ヴィヴィアンは正直な人だから誤解されているのだと思う。
同じ公爵令嬢でも、私はヴィヴィアンのようには振る舞えないが、それを羨んだり妬んだりしたことはない。
むしろ、そんな自由なヴィヴィアンが大好きだ。
明るくて、自分にも他人にも正直で、いつも前を向いていて、自信に満ちあふれた美しい人。
昔からヴィヴィアンは私の手を引いてくれる。
一度だって突き放されたり、面倒くさがられたりしたことはなくて、ヴィヴィアンは身内にはとても優しくて甘い。
そしてヴィヴィアンも私だけを親友と呼んでくれる。
泣き虫で、気が小さくて、表情も暗かった昔の私にヴィヴィアンは嫌な顔一つせずに一緒に遊んでくれたし、私が自信を持てるように色々と頑張ってくれた。
ヴィヴィアンのおかげで私は人と話せるようになった。
だから、私はヴィヴィアンのためならなんでもする。
「それに、見てごらんなさい。まるで名匠が作った剣の刃のように美しい白銀の髪、黄金を溶かしたような瞳、美術品のように整った顔、異国情緒のある褐色の肌。どれを取っても美しいの」
ヴィヴィアンがカップとソーサーをテーブルに置き、右手を軽く上げれば、甘えるように白銀の髪の侍従がそこに頬ずりをする。
よしよしと撫でられる様子が少し羨ましい。
……ヴィヴィアンのよしよしは凄く気持ちいいから。
昔、よく泣いていた頃にヴィヴィアンが頭を撫でてくれたが、あの白くて細い、たおやかな手に優しく撫でられるとうっとりしてしまう。
侍従もそうらしく、気持ち良さそうに目を細めていた。
「それに仕事も出来るし、こう見えて強いから、護衛の代わりでもあるのよ」
「そうなんだ、凄い子なんだね」
「ええ、金貨百五十枚の価値はありますわ」
それには少し驚いたけれど、美術品なども高価なものになるとそれくらいすることもあるので納得する。
自分のお気に入りの侍従がどれほど素晴らしいのか語るヴィヴィアンは、いつもより少し幼くて可愛い。
家族や友人、身内のことを話す時の顔だった。
……そっか、この子はもうヴィヴィアンの身内なんだ。
そう思うと侍従に感じていた嫉妬心が和らいだ。
私はヴィヴィアンの周りの人達にいつも嫉妬してしまう。
大好きな親友とずっと一緒にいられるなんて羨ましい。
だけど、同時に大好きなヴィヴィアンを同じく大事に思ってくれる人がいることが嬉しくもある。
目の前の侍従は愛しそうにヴィヴィアンを見つめている。
でも、ヴィヴィアンはちっとも気付いていないようで、侍従と言いつつもペットのように撫でて可愛がっていた。
侍従のほうもそれを受け入れているみたいだけど。
……ねえ、ヴィヴィアン、気付いてる?
「わたくし、この子は絶対に手放しませんわ」
そう言いながら侍従を見つめるあなたの視線が、愛しくて仕方がないって告げていることを。
そして、侍従も同様に返していることを。
「ヴィヴィアン」
名前を呼ぶと親友が「あら、なぁに?」と小首を傾げる。
「ずっと一緒にいられるといいね」
私の言葉にヴィヴィアンが不思議そうな顔する。
「わたくしとアンジュは親友ですもの。結婚しても、何があっても、ずっと一緒の仲良しですわ」
ヴィヴィアンは私の言葉を違う意味で捉えた。
そういう意味ではなかったけれど、ヴィヴィアンの返事は私にとって、とても嬉しいものだった。
「うん、ずっと仲良くしてね……!」
私の大事な、大好きな親友。
いつまでもあなたには笑顔でいてほしい。
* * * * *




