169.21世紀おじさん少女のブリタニア旅行<3>
馬上から挨拶をしてきたグリーンウッド閣下に、俺は言葉を返す。
「ずいぶんとごきげんな格好だな。リアルでは久しぶり」
「うむ、久しぶりじゃな。この馬はのう、パレードの際、試しに乗ってみたら、来訪客からなぜか評判がよくての……どれ、今降りるのじゃ」
閣下が手の平で軽く馬の背を叩くと、馬はその場で伏せた。すると、閣下はあぶみから片足を離し、ひょいっと馬上から地面に降りた。
ずいぶんと手慣れた動作だ。閣下はVR内と同じ小さな少女の姿で、馬に合わせてか乗馬服を着こんでいるが、それがどこかさまになっている。
「さすが元貴族。乗馬はお手のものか」
俺がそう言うと、閣下は笑って言葉を返してくる。
「いいや、乗馬は先々月に始めたばかりじゃ」
「あれ、そうなのか。……ああ、そういえば、『Stella』で最初見たときは、鞍に騎乗さえできていなかったな」
初めて『Stella』で騎乗ペットの馬を買ったときの閣下は、馬にまたがれなくて一人でぴょんぴょんとしていた。
「うむ、『Stella』で乗馬スキルを使ってみたら、なかなか面白くてのう。せっかくなので、乗馬ゲームでスキルを使わぬ乗馬を覚えたのじゃ」
「それで今はすっかり、リアルで馬を乗り回せるようになったわけか。でも、パーク内で馬を歩かせるのって、危なくないのか?」
接触事故とかありそうだ。馬は速度もパワーもあるから危険性はそれなりに高いはず。
「問題ない。こやつは、馬ロボットじゃからな。人がいる道ではAIが周囲と連携して移動するので、自動運転の軽車両と扱いは同じじゃ。名前はカヴァスという」
『馬ロボットとかあるのか……』『ペットロボットにしちゃでけえな』『安全な乗馬をするためのロボットって感じなのかな』『限定的な製品すぎる……』『そもそも乗馬をできる場所とか聞いたことない。惑星テラならあるのか?』
「うむうむ、ウェンブリー・グリーンパークには、乗馬を体験できるエリアがあるのじゃ。落馬の心配が少ない大人しい馬ロボットをそろえておるので、視聴者の皆も興味があるなら訪れてほしい」
「乗馬クラブ的なところがあるのか。これから行ってみるのもいいな」
「おおっと、待つのじゃ。これから行く場所はもうこちらで決めておる。なにせ、時間指定のイベントがあるのでな」
「む、予定が埋まっているのか。ヒスイさん、知ってた?」
「はい。三日間の予定は、すでにグリーンウッド卿と一緒に詰めてあります。予定表はいりますか?」
「んー、ヒスイさんが把握しているなら、いいや」
そこまで話すと、閣下は馬をしゃがませ、再び騎乗した。
「では、時間も押しているので、さっそく最初の施設に向かうのじゃ。馬にちなんだ場所じゃ」
乗馬クラブではない、馬にちなんだ場所か。どこだろう。
「向かう先は、ウェンブリー競馬場! 現代に蘇ったサラブレッド達によるレースが待っておるぞ!」
そう言って閣下は馬をゆっくりと旋回させ、その後ろに着ぐるみマスコットが並ぶ。
そして俺達は、着ぐるみマスコットを引き連れて、パレード状態で目的地へ向かうのであった。
◆◇◆◇◆
競馬場に到着した俺達三人は、そこで待っていたグリーンウッド家の家令であるトーマスさんに案内され、VIP席へと通された。
わざわざVIP席を用意するとは豪勢なことだが、配信を行なっているので、一般人のひしめく観客席に紛れずに済むのは正直言って助かった。
VIP席にはアンドロイドのフットマンがいて、飲み物や軽食を用意してくれるようであった。
「昼食は食べたかの?」
「ああ、向こうのテレポーターで夕食を取ってきたから大丈夫だ」
「では、軽くつまめるものでも頼むとしようか。そこの者、フィッシュ・アンド・チップスとコーヒーを頼むのじゃ」
「出た、フィッシュ・アンド・チップス……」
「む、ヨシムネよ。そなたの中でフィッシュ・アンド・チップスがどういう地位にあるか理解できぬでもないが、今のブリタニア国区はグルメな地域で通っておるのじゃぞ」
『ブリタニアといえば食の聖地』『惑星テラの全ての美食が集まるって言われているね』『産業革命で死滅した食文化は、再生して花開いたのだ』『あー、産業革命の頃は大変だったと聞くね』
そういえばそうだったか。
そして、VIP席に運ばれてきたフィッシュ・アンド・チップスを俺は眺めた。
英字新聞の上に雑に載せられているということはなく……、綺麗な皿の上に料理が飾り付けられていた。VIP席に相応しい装いだ。
俺はそれをヒスイさんと二人でのんびりとつまみながら、閣下の説明を聞くことにした。……美味いなこれ。
「冬に差しかかるこの時期は、もう平地競走の重賞レースは行なっておらぬ。11月で平地競走の全ての日程は終わりで、来月からは障害競走がメインとなる。アーコロジーの中は常春の環境で季節感などあってないようなものなのじゃが、まあ、伝統じゃな」
閣下がそう言うと、目の前に画面が開き、レースの日程が表示された。
それを軽く眺めてみると、11月は平地競走と障害競走で半々となっており、12月からは障害競走で日程が埋まっている。障害競走とは、コース上に飛び越えるための障害が用意されたレースのことだ。
「で、競馬ってことはギャンブルもやっているのか?」
「うむ、競馬場への入場時に、電子チップが配られておるのじゃが、気づいておったか?」
「ああ、これね」
俺はウェンブリー・グリーンパークの来訪者用管理画面を目の前に表示させ、所持アイテムという欄を見る。
そこに、チップという項目があるのが確認できた。
「このチップを賭けで増やすことができるのじゃ。ただし、チップは一日一回の競馬場入場時にしか入手できず、クレジットでの追加購入は不可能じゃ」
「競馬で賭けか……イギリス競馬と言えば、政府公認のブックメーカーのイメージだが……」
「クレジットを賭博に使うことは、行政府により禁止されておる。知らぬかの?」
「賭け事には興味なかったから知らなかったな」
「この競馬場を建てたときも、行政区とはいろいろ揉めたのじゃ……。まあ、電子チップは増やしても、ちょっとしたグッズとの交換しか受け付けておらぬからの。賭けに本気でのめり込む者はおるまい」
「昔のパチンコ店みたいに、別の店で現金と交換してくれる特殊な景品を貰える、違法な抜け道とかは……」
「そんなことをしたら、マザーの手により即日お取り潰しじゃろうなぁ」
そんな会話をしている間に、競馬場へ馬と騎手が入場してきた。
「せっかくだから、チップを賭けてみたらどうかの?」
「でも、どの馬がどんな馬か知らないしなぁ……そもそも競馬ってあまり興味なかったんだよね。競走馬を育てる競馬ゲームなら、昔やりこんだけど」
あと、日本の歴代競走馬を女の子に擬人化したソーシャルゲームが開発中と言われていたが、いつリリースされるかも不明なままこの時代にやってきてしまった。
オフラインゲームと違って、21世紀のソシャゲの類は、この時代だとプレイする手段が存在しないんだよな。
「馬のプロフィールや紹介動画が、来訪者用のAR画面から見られるのじゃ」
「ええと、競馬場ページを開いて、13時のレース、これでいいのかな? うーむ、出場は8頭か。プロフィールが見られるといっても、この中から選ぶのは……」
「ふむ。では、トーマスよ。オススメの馬はおるか?」
閣下が席の後ろで待機していた家令のトーマスさんに、そう尋ねる。
「では、3番のローズブリティッシュと8番のシルバーイーグルはいかがでしょうか」
そう教えられたので、俺はまず3番の紹介動画を見る。すると、映し出されたのは、一頭の仔馬が生まれるときから始まる成長譚であった。
のびのびと母馬のもとで育ち、よく食べ、よく遊び、すくすくと育つ。かけっこが大好きで、大きくなってからもレースの練習に苦もなくついてきた。
やがて、レースに出るようになるが、結果はいまいちついてこない。上位入賞はするものの、一着になったのは一度しかなく、今日この日を迎えた。
「お、おお……可愛い子じゃないか。馬ロボットを使ったなんちゃって競馬じゃなくて、本物のサラブレッド達による本物の競馬なんだな。よし、俺はローズブリティッシュを応援するぞ」
「見事に動画の製作者に乗せられておるのう……」
「ついでだから8番の動画も見ておこう」
その動画は、母との死別、レースの栄光、そして挫折が短い時間で詰められていた。
3番の動画が馬の成長記録だとしたら、8番の動画は馬の人生ドラマであった。いや、馬だから人生ではないのだが。
『シルバーイーグルに賭けようぜ!』『3番の方が可愛くない?』『8番の動画の方が出来いいと思うけどなぁ』『これそういう賭けなの?』『まあチップ増やしてもたいして得しないなら、人気投票のつもりでいいだろうさ』
「3-8で賭けるぞ! 3番と8番が1位と2位で予想だ。どっちが1位でも、続けてゴールすれば勝ちだ!」
「連勝複式じゃな。では、私は5-8でいくかの」
「私は3番の単勝に賭けることにします」
俺の宣言に、閣下とヒスイさんも続いた。ここで、急に関係ない5番が出てきた。5番はウィンビートルか。どんな馬だろう。紹介動画を確認してみると……。
「……5番も捨てがたいな」
「ほれ、さっさとチップを賭けぬか。そろそろ始まるのじゃ」
俺が5番の紹介動画を見て頭を悩ませていると、閣下が開始を知らせてきた。
俺は、あわてて3-5と3-8と5-8にそれぞれチップを賭ける。
VIP席のモニターには、旗を持ったスターターが、ゲートの横に用意された台に立っている様子が映し出されている。
さらにしばらくして、競走馬がゲートに入っていく。どうやら、ゲートはエナジーバリアで作られているようだ。そして、馬が全てゲートに入り、出走の準備が整った。いよいよ始まるみたいだな。
と、そこでふと気づく。
「ファンファーレはないのか?」
「ふむ、ファンファーレとな?」
「ああ、競馬といえば、出走前に吹奏楽団がファンファーレを鳴らすイメージがあったんだが、ないのか?」
「聞いたことないのじゃ」
競馬は競馬ゲームくらいでしか知らないが、出走前のファンファーレがないのは寂しいなぁ。
と、そこで、ベルが鳴り響いてゲートが開き、一斉に競走馬達がスタートした。
「競馬のファンファーレは、日本独自の文化のようですね」
VIP席に用意されたレースの様子を映す拡大モニターを見つめながら、ヒスイさんが言う。
「ラジオ放送で聴取者に競技の開始を知らせるため、ファンファーレを鳴らしたのが始まりだそうです」
「なるほどなー。独自文化だったのか」
あれだけ立派に鳴らしているものだから、世界中で当然のように行なわれている行為だと思っていた。
「21世紀のゲームに詳しいヨシムネ様向けの小ネタとして一つ。日本の東京の競馬場で使われていたファンファーレは、『ドラゴンクエスト』シリーズの作曲者が作った曲だそうです」
「ええっ、あのお方、そんな仕事もしていたんだ……」
歌謡曲を手がけていたことは知っていたが、ちょっとびっくりだ。
「ニホンの競馬も見てみたいものだのう。どこのアーコロジーに行けばやっておるかの?」
顔をモニターに向けながら、閣下が言う。画面の中では八頭の馬たちが芝の上を全力で駆け抜けている。
「ニホン国区に競馬場は残っていませんね。むしろ、このウェンブリーに競馬場が存在していることが奇跡的な状況です」
同じくモニターを見つめながらヒスイさんが答えた。
「そうなのか? 太陽系統一戦争後の惑星テラからの宇宙移民で、牧場から人がいなくなって廃れたのかね?」
俺がそう言うと、ヒスイさんが「いいえ」と答える。
「それ以前の惑星環境の悪化で、世界各地の牧場が潰れて競馬文化が消滅したのですよ」
「あー、そんなことを閣下が以前言っていたような」
「うむ。そんな中、わずかな動物達を太陽系統一戦争以前からなんとか保護していたのが、我がグリーンウッド公爵家だったわけじゃな」
そして、閣下とヒスイさんがモニターから目を離し、VIP席から見えるコースを見た。
ここから眼下に見えるのは、競走馬達が目指す場所であるゴールだ。
「テラフォーミング技術を惑星テラ、当時の地球に活用して、ウェンブリーに自然保護区を作っていたのじゃよ。今のウェンブリー・グリーンパークの前身じゃな」
「それだけ環境が整っていて、閣下は最近まで馬に乗ったことがなかったんだな」
俺がそう言うと、閣下が笑って答える。
「公爵時代の私も、さすがに貴重な保護動物にまたがろうとは考えたこともなかったのじゃ……と、来た! 5番来たのじゃ!」
むむむ、5番が差しこんできたぞ。でも、先頭を行く3番ローズブリティッシュも、逃げ切ろうと全力だ。
そして……。
「3-7! まさかの7番が追い上げたかー」
一着は3番ローズブリティッシュ。二着は注目していなかった7番。三着は5番ウィンビートル。賭けは、3番の単勝を選んだヒスイさんが当たった。
「私の目に狂いはありませんでしたね」
ヒスイさんが、勝ち誇ったように言う。
「なんなの、高度有機AIは競馬予想も完璧なの?」
「そんなわけなかろう。相手は、意思疎通も不完全にしかできぬ生き物じゃぞ」
「はい、可愛らしい仔馬時代を紹介動画でじっくりと見せてくださいましたので、人気投票気分で賭けました」
まあヒスイさんならそうしてもおかしくないか。
彼女は猫好きだが、可愛い動物なら猫以外もありなようだ。
「では、次のレースは40分後じゃな。見ていくかの?」
「チップはまだ残っているし、次こそ当ててみせるぞ」
「ヨシムネ様、典型的なギャンブル狂いの思考ですよ」
「ち、ちが、そんなつもりじゃ……」
『ギャンブル親父ヨシちゃん』『人類がギャンブルを禁止された理由も、これでよく解るというものよ』『価値のほとんどないチップで、これだもの』『森の賢者はギャンブルを覚えた!』
結局、その日は三つのレースを見ていくことになった。
競馬って、一日に何個もレースが開催されているんだな。今の時代は牧場の数も限られているだろうに、ずいぶんと盛り上がっている。
そのことを閣下に聞いてみると、こんな答えが返ってきた。
「この競馬場は、ウェンブリー・アーコロジーに住む住民も多く通っておるのじゃ。パークの年間パスを買って、連日通い詰めるほどのファンもおるようじゃな」
うーん、さすが競馬発祥の地イギリス。
熱心なファンに支えられて、伝統が今に続いているのだなぁ。




