続ー9サツキ編 絶妙のチゲ
あれ? おかしいな。
朝、起きた私は、隣に誰も寝ていないことを確認して首を傾げた。
帰っていないの?
昨夜は遅くまでダンの帰りを待っていたんだけど、あまりの眠気に負けて寝てしまった。でも寝てる間に絶対帰ってくると思ってたのになぁ。
うーん、三日経ったのに帰って来ないなんておかしいなぁ。まさか長期出張?そう言えば荷物の量も凄かったし……。
「マチ! マチ!」
私は叫びながらベッドから降りて、そのまま廊下に出た。
「マチ! マチってば!」
く! この屋敷って本当に広すぎる。使用人が捉まらなくてご主人様が探し回るって駄目じゃないの?
「マチー!」
階段の踊り場に立ち止まり大声で呼ぶと、バタバタという音が近付いてきた。あ、やっと気付いてくれたんだ。
「申し訳ございません、サツキ様。お着替えですね」
階段下まで走ってきてにこやかに言うマチルダに、私は首を振った。
「ダンはいつ帰るの?」
するとマチルダは頬に手を当てて困ったように首を傾げた。
「さぁ……。もう少し先ではないですか?」
まだ先……。やっぱり長期出張?
ああ、恋人同士になったばかりなのに。さすがにショック。空気読んでよ、上司!
「はぁ……」
思わず溜息を吐くと、マチルダが階段を上がってきて私の背中に手を添えた。
「大丈夫です。きっと早く帰ってきます」
「早くっていつ?」
「えーと、すぐです」
ん? すぐ? てことはそれ程長期って訳でもないのかな? あと二日ぐらいとか?
「さあ、サツキ様、お着替えをしましょう」
「うん」
部屋に戻って着替えて、お父様とお母様と朝食を食べて、天気がいいから外でお茶して……。うーん、暇。
シュークリームの失敗でお菓子作る気にはなれないし、勉強する気も起こらない。宝石やドレスのセレブ買いも今はいいや。
あーこんな時テレビがあればなー。百歩譲ってラジオとかでもいいんだけど。向こうの音楽も久し振りに聞きたいな。
トーラにトリップしてきた時に一緒にトリップした携帯電話に、お気に入りのアーティストの曲は入っているんだけど、もう充電が残り僅かなんだよね。この世界って電気ないのかなぁ。
「うーん……」
もし私が賢かったら充電器くらい作れたかな? 授業さぼって遊んでいたあの頃を今更ながら悔やむよ。
そんな事を考えていたら、ヤンがケーキを持ってやってきた。あ、失敗シュークリームの器にケーキが載ってる。
「サツキ様、どうぞ」
「ありがとう」
目の前のケーキを口に入れる。うん、美味しい。
「サツキ様、昼食は何にしましょうか?」
昼食?
「別に何でもいいけど」
私がやる気なく答えたら、ヤンは真面目な顔で首を振った。
「サツキ様、ダン様が居ないからこそ食べたいものはありませんか?」
居ないからこそ? なにそれ。
えーとつまり、ダンが居ると食べられないものってことだよね。そんなものあるかなー。てゆうか何で突然そんなこと言い出すんだろ。
うーん、と唸りながら目の前のケーキを見つめ、私はふとひらめいた。
「チゲ鍋……」
甘いもの好きのダンは、あまり辛い料理が好きじゃない……かもしれない。確かめたことはないけど。
ダンが帰ってくる前に、辛い料理を食べるのもいいかも。
「チゲナベ?」
ヤンが首を傾げる。あ、そうか。『鍋料理』って文化はトーラにはないのかな。
「大きな鍋に、辛いスープと野菜とお肉と魚を入れて煮て、出来たらみんなで鍋を囲んで食べるんだよ」
「鍋ごと料理を出すのですか?」
「うん。鍋料理を上手に作る料理人は『鍋奉行』と言って、みんなから尊敬されるんだよ」
あれ? そうだっけ? 多少間違った情報が入ったかも。
「ナベブギョウですか。響きがいいですね。お昼に作ってみましょう」
そう言って、ヤンは厨房へと戻っていった。
再び一人になった私が、それからもボーっとしたり、ひたすら庭の木を見つめてみたりしながら過ごしていると、今度はマチルダがやってきた。
「サツキ様、昼食が出来ました」
え? もうお昼になったの? 我ながら時間の無駄遣いしてるなぁ。
マチルダと共に食堂へ行くと、既にお父様とお母様が座って待っていて、食卓にはドンと大きな鍋が置かれていた。ヤン、これ何人前?
近付いて鍋の中を覗いてみると、真っ赤なスープがグツグツと煮えたぎっていた。うわ。確かに『辛い』とは言ったけど、これは罰ゲーム級の辛さじゃないの?
「どうぞ」
ヤンが小鉢によそって渡してくれる。う……食べて大丈夫、これ。と躊躇していると――。
「まあ! 美味しい」
「美味しいな」
え!? あ! お父様とお母様がガツガツ食べてる!
お年寄りが勢いよく食べてるくらいだから、もしかして見た目ほど辛くないのかな? よし、じゃあ私も食べよう。
思いきってパクッと一口。
「…………辛っ!」
騙された! 見た目通りの辛さじゃない! どうしてお父様とお母様は平気な顔して食べてるの!?
う、舌がヒリヒリ! 水、水、み……ん? あれ?
「…………」
もうそれほど辛くない。それどころか口の中にうま味が広がっている。
何このスープ! 何このチゲ鍋!
「美味しい!」
いや、本当に美味しいよ。どうやったらこんなチゲ鍋作れるの?
美味しい美味しいと連呼しながら食べていると、ヤンが照れたように笑った。
「これで俺も『ナベブギョウ』になれましたか?」
「うん。今日からヤンは鍋奉行だよ!」
あ、この蟹っぽい生物美味しい。こっちの肉も……。
気がつけば鍋は空っぽ。スープまで飲み干しちゃったよ。
うーん、なんだかちょっぴり元気が出た気がする。午後からは勉強でもしようかな。今からでも頑張れば、携帯電話の充電器が作れるほど賢くなれる気がするし。
よし、ダンが帰ってくるまで後たぶん二日、頑張ろう!
私は拳を握って頷いた。




