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マチルダとヤンの内緒話

「愛している! サツキ!」


 ダン様の大きな声が室内から聞こえ、私はそっとお二人の愛の部屋から離れた。

 皆様もうお部屋に入られたようですし、私も今日はもう休むことにいたしましょう。

 自室までの長い道のりを歩きながら今日の結婚式の様子を思い出し、思わず笑顔になる。

 今まで参加した結婚式の中でも一番素晴らしい結婚式でした。

 王族並みの豪華な内容で、サツキ様も驚かれていました。


「……あぁ」


 フゥっと息を吐き、私はサツキ様が突如現れた時のことを思い出す。

 たった数ヶ月前のことなのに、ひどく懐かしく感じるのは何故でしょう?

 そう、あの日は雲一つ無い青空で、旦那様と奥様は庭でお茶を飲んでおられました。





「旦那様、お茶のおかわりは……」

「いや、いらない」

「奥様……」

「もういいわ」

「…………」


 あの頃のお二人は今と同じで優しくはあったのですが、とても暗くて沈んだ表情をされていました。

 原因は――『エメローダ』様。

 お二人の最愛の娘。幼くして儚く散った命……。

 私はエメローダ様のことを直接は知りません。ただ以前この屋敷で働いていた使用人に、お二人がエメローダ様をとても可愛がっていたと聞いたことがあります。

 歳をとるにつれ募る深い後悔と寂しさで、お二人の心はいっぱいになってしまっているようでした。


「もう中に入ろうか」


 旦那様がテーブルに手を付いて立ちあがろうとし、奥様もカップを置く。

 私は空のカップを回収しトレイに載せようとしたその時――。


 溢れる、光……。


 一瞬の出来事でした。そして眩しさに瞑ってしまった目を開けると、そこには黒い髪と瞳の華奢な少女が立っていました。

 いったいこれは何なのか。この少女は誰なのか。

 少女はまるで女神メィイのように丈の短い変わったドレスを着て、手には黒い鞄と白い袋のようなものを持っています。

 呆然とする私の耳に飛び込んできたのは旦那様の声。


「エメローダ……」


 え? エメローダ様? この少女が?

 しかしエメローダ様は亡くなられた筈。

 戸惑う私を余所に、旦那様はフラフラと少女に近付きそして抱きしめる。

 そして奥様も同様に少女を『エメローダ』と呼んで抱きしめた。

 本当にエメローダ様なのか、神の奇跡でも起こったのか。

 少女はそんな二人を交互に見て、口を開く。


「××××」


 何……? 私だけでなく旦那様と奥様も驚いて少女を見ました。

 聞いたことの無い言語。他国語――いえ、それならば博識な旦那様がこれほど驚かれるわけがない。


「××××」


 少女は眉を寄せてもう一度同じ言葉を言い、それからハッとした表情で自分の胸を掌で叩いた。


「×××、×××………サ・×・キ、サ・ツ・×、サ・ツ・キ、サツキ!」


 サツキ……? 何のことなのでしょう。

 少女は『サツキ、サツキ』と繰り返し、旦那様と奥様を指差しました。


「××××」


 旦那様と奥様が顔を見合わせる。

 少女は何かを訴えているようです。


「×××!」


 戸惑う旦那様と奥様。

 次第に少女の顔が歪み始め……。


「うわあぁああーん! ×××! うえあぁああーん!」


 少女は大粒の涙をポロポロと零して泣き叫び始めました。

 旦那様も奥様もこれには大慌てになり、少女を一生懸命宥めながら屋敷の中へと連れて行きました。

 そして二週間後――。


「わたーし、サツキ。これ、おとさま、おかさま、好き」


「まあ! サツキ、ありがとう」

「お父様もサツキが好きだぞ」

 旦那様と奥様がサツキ様を抱きしめます。

 旦那様が必死で意思の疎通をはかった結果、『サツキ』というのは少女の名前であること、『ニホン』という場所から来たことが判明いたしました。

 また、旦那様はサツキ様の現れた状況から判断して即座に養女にする手続きをとられ、このことを他に公言しないようにと私に注意されました。

 そう、あの溢れる光――。

 最初私たちは、てっきりサツキ様自身に特別な『力』があるのだろうと考えたのですが、どうやらそうではないようなのです。では、何なのか。

 本来ならこんな怪しいともとれる存在は、国王陛下に引き渡すべきなのかもしれませんが、旦那様も奥様も『名も姿も違うが、この少女はエメローダに違いない。神が私達に娘を返してくださったのだ』とおっしゃりそうはしませんでした。

 神が……、もし本当にそうでこのことを世間が知ったら、大騒ぎになってしまうかもしれません。

 旦那様がサツキ様を養女にしたのは、サツキ様を『カタヤ』の名で守る為なのでしょう。

「マチ、好き」

「ありがとうございます」

 サツキ様はたった二週間の間に片言で会話できるほどトーラ語を覚えました。

 私の『マチルダ』という名は上手く発音できないようで、『マチ』と呼んでくださいます。

 サツキ様が何者であるかは分かりませんが、こうしてニコニコ笑う姿は可愛らしく、とても危険な存在には見えません。

 それどころか守ってあげたいと思わせる何かがサツキ様にはあります。

 そしてそれは――。


「サツキ様!」


 ノックも無しにドアを開けた夫、ヤリルヅジランザイジを睨む。

「ほら、ケーキですよ」

 ヤリルヅジランザイジはそんな私を見ることなくサツキ様の前にケーキを置いた。

 私達の間には留学中の男の子が一人いるのですが、ヤリルヅジランザイジはサツキ様をすっかり気に入り最近は『やっぱり女の子もほしい』と戯言まで言います。

「ありがーどね、ヤ、ヤ、ヤ……」

「ヤリルヅジランザイジ」

「ヤ、ヤ、ヤディ、ヤリュ、ヤ……」

 まあ、言えなくて当然でしょう。私でさえ言いにくいのですから。

 肩を落とす夫の背中を叩き、何か愛称のようなものが必要かもしれないと考えた時、私は思い出しました。

 そういえば以前隣に住んでいた節操なしのロクデナシ男も、名前が言いにくいと勝手に夫を『ヤン』と呼んでいた。『息子がダンだからお前はヤンが覚えやすくて良い』とかなんとか言って。

 確かに『ヤン』なら呼びやすいでしょうが……。


「ヤン……」


 思わず口にすると、視線が集まりました。

「あら、それは……なんだか懐かしいわね」

 奥様が遠い目で言います。

 あの節操なしとの激闘の日々を思い出されたのでしょう。

「ふむ、ヤンならサツキも呼びやすいか」

「ええ!?」

 嫌そうな顔をする夫を指差し旦那様が言いました。

「ヤン?」

 サツキ様が首を傾げます。

「ヤン」

「ヤン」

「ヤン」

 私たちが言うと、サツキ様が大きく頷いて夫を指差しました。


「ヤン!」





 あぁ、懐かしい。

 サツキ様が現れてから旦那様も奥様もとても明るくなりました。

 特別な『力』はありませんが、サツキ様には周りを明るくする『特別な力』があります。

 自室に着いた私がドアを開けると、夫が椅子に座ってボーっとしていました。

「ヤン」

 夫は渋々ながら『ヤン』というあだ名を受け入れ、私もいつの間にか夫をヤンと呼ぶのが普通になってしまいました。

「マチルダ……」

 ヤンが溜息を吐く。

「手塩にかけて育てた大事な娘を取られた気分だ」

「馬鹿ね」

 項垂れるヤンを後ろから抱きしめる。

「やっぱりあの日追い返しておけばよかった」

 私は思わず噴出しました。

 『あの日』というのはダン様がサツキ様目当てにこの屋敷を訪れた日のことです。

 大切に大切に守っていたつもりでしたのに、いつの間にかサツキ様とダン様は出会い、恋をしていたのです。

 そう、あの日――。





 屋敷の前をウロウロと歩く大きな体。

「……あれ、隣の息子だろう? なにやってるんだ?」

「さあ? この屋敷に用でもあるのかしら?」

 久し振りに見た隣の屋敷の息子――いえ、もう当主でした。

 ワーガル家の当主ダン様。

 節操なしの息子とは思えぬ真面目さで、更に剣の腕も一流の騎士で伯爵様。

 体格も立派で、これでもう少し表情豊かならさぞモテたでしょう。

 そのダン様が落ち着きの無いチャマのように屋敷の前を歩き回っている。

「ちょっと訊いてくるわ」

 私は外に行き、ダン様に声をかけた。

「まあ、ワーガル様、お久し振りです。どうされたのですか? 先程から何度も通り過ぎているようですが」

 するとダン様は大きな図体に似合わぬ小さな声で、視線を逸らして言いました。

「いや、その、ちょっと会いたいのだが」

「旦那様にですか?」

「いや……、サツキに……」

 え!? サツキ様!?

 私は心底驚き、そしてピンときました。

 ダン様はおそらくサツキ様の姿を見かけ、一目惚れしたのだと。

「え……! あ、まあ、まあまあ、そうでございますか。どうぞこちらへ」

 ダン様を客間に案内して私はサツキ様を呼びに行く。その途中、ヤンが私の袖を引っ張った。

「何だって?」

「サツキ様に一目惚れして会いに来たようよ」

「は!?」

 さあ急いでサツキ様を……と思ったら、またヤンが袖を引く。

「追い返そう!」

「あら、でも会わせるくらいいいじゃない。かなりの覚悟で来たみたいだし」

「『覚悟』って何だ!?」

 私はヤンを振り切りサツキ様の元へと行った。

「サツキ様、ワーガル様がおみえになっています」

 サツキ様が首を傾げる。

「まあ、ダンが? サツキに?」

「いつ知り合ったのだい?」

 旦那様と奥様が驚いてサツキ様を見た。

「前、ちょっと会う」

 サツキ様はそれだけ言うと、急いで客間に向かう。

 あら? ダン様の一目惚れだと思っていたのですが、これはどうも違うみたいです。

 既に二人は出会っている。ではもしかして……。

 その予感はすぐに当たっていたと分かりました。

 なんと、サツキ様とダン様が抱き合っているところを目撃してしまったのです!

 あのダン様が頬を赤く染め、サツキ様はそんなダン様の胸に顔をうずめて甘えていました。

 あぁ、恋は唐突に。きっとお互い一目惚れし、密かに会っていたのでしょう。

 私は旦那様と奥様にこのことを報告しました。

 お二人ともすごく驚かれ、奥様はダン様ならと理解を示し、旦那様は信じられないと叫ばれ、ついでに話を聞いていたヤンも信じたくないと呟きました。

 しかしその後、サツキ様がダン様の為にお料理をしたり、減量したり、ケーキを分け合ったりしているのを見て、二人が相思相愛なのは真実であると旦那様もヤンも気づきました。

 あ、そうです。ちょっぴり肥えたのを気にしていたサツキ様のドレスは、こっそり一回り大きな同じドレスに買い換えておきました。

 まあそれはともかく、お二人の愛の深さを私達が知ったのは……、まあ、その、あれです。若さゆえの愛の暴走とでも言いましょうか。

 ソファーで抱き合うお二人を目撃してしまった旦那様は、衝撃のあまりものすごい速さで逃走されてしまいましたが……。

 まさかの既成事実が発覚し、お二人の結婚を認めざるを得ないと涙を流す旦那様。

 そんな旦那様にサツキ様は屋敷の改築と同居を提案し、渋るダン様を説得されました。本当に優しい方です。





 その後、お二人は泣いたり笑ったりしながら着実に愛を深め、今日の結婚式を無事迎えることができました。

「サツキ様が幸せそうならいいでしょ?」

「……そうだな」

 一つ後悔といえば『ヤン』と『ダン』でしょうか?

 似たような名が一つ屋根の下にいるのは少しだけ紛らわしいです。

「さあ、私達も寝ましょう」

 私はヤンの背中を叩く。しかしヤンは動かない。

 どうしたのかと首を傾げる私にヤンは驚くべきことを言いました。


「ずっと黙っていたが……、俺、本当はサツキ様が何者であるか知っているんだ」


「え!?」

 どういうことでしょう?

 私はヤンに訊きました。

「本当に? どうやって知ったの?」

「……旦那様と奥様、ダン様にも内緒だぞ」

 ヤンはゆっくり語りだす。

「昔、近所に住んでいた神官様から聞いたんだ。人間に恋した妖精の話を」

「妖精?」

「昔、人間に恋した妖精が、その美しい羽と『力』を引き換えにして神に人間の姿にしてもらい、その人間と結婚した」

 は?

「……それ、ただの物語じゃないの?」

 ヤンが首を横に振った。

「『まばゆい光と共に現れた少女、その姿は華奢でこの世のものとは思えぬほど愛らしい。神から貰いしドレスを着て妖精世界の言葉を話す』人間になった妖精が現れた時、居合わせた者が残した記述らしい。状況がピッタリだろう?」

「それは……」

 サツキ様に『力』は無い。そしてあの光……。

「旦那様達はサツキ様をエメローダ様だと思っている。だから絶対内緒にしろ」

「…………」

 妖精、サツキ様が……。

「俺達だけの秘密だ」

「…………」

 私はヤンを見つめながら頷きました。

「まあ、何者でも俺達のサツキ様であることにはかわりない」

「……そうね」

「……寝ようか」

 私達はのろのろと着替え、ベッドに入り目を瞑る。

 妖精……、かなりの衝撃です。でも、いえ。

 私は首を振る。大切なのはそこでは無い筈。


 サツキ様が何者でも、毎日笑っていられるように――。


 フッと気持ちが軽くなる。

「ヤン」

「ん?」

「――明日も美味しい料理を作ってね」

 ヤンが目を開け私を見つめる。

「……了―解!」

 いたずらっぽく笑うヤン。

 私達はクスクスと笑いあい、眠った。







「ダン」と「ヤン」の名前が似ている=うっかりミス

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