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はじめての笑顔

 メイがティーセットに手をかざすと、全てが淡い光になって消えていきましたが、その方向が気になりました。

「……あなたの手に光が吸いこまれていったように見えたけれど、見間違いかしら」

「いえ、合っています。

 不要になった物は、エネルギーに戻すことができるのです」

「それは便利ね」

「はい」

 ですが、再利用する必要があるということは、メイのエネルギー事情はあまり余裕がないということでしょうか。

「女神様からいただくエネルギーは、足りているの?」

 女神様とメイとの間のことにわたくしが口出しをするのは不遜かもしれませんが、わたくしが安心して食べられる食事はメイが用意するものだけなのですから、自分のためにもきちんと確認しておかなくてはなりません。


「昨日や今日のように、ここでご主人様の身の回りの世話をするだけであれば、充分足りております」

「では、わたくしが外に出て派手に活動して、そのサポートをあなたに頼んだら、足りなくなるのかしら」

 わたくしの質問に、メイが初めて静かな眼差しに憂いと疲れを浮かべました。

「使用するスキルによって必要なエネルギー量が違いますので、場合によっては不足すると思われます。

 女神様からのエネルギーは、一日一回定刻に定量が送られてきます。

 余った分は体内に貯蓄しておけますが、不足しそうになっても増量はお願いできません。

 毎日の分と余剰分で、なんとかしていくしかありません。

 どうしても足りない場合は、分体同士でやり取りして賄うこともあります」

「…………そう」

 苦労がうかがえる眼差しに、うなずくことしかできませんでした。

 本体を頼れないのかと思いましたが、あの女神様の従者なら、おそらく日常的に苦労していて、分体に回す余裕はないのでしょう。

 本体と繋がっているとは聞きましたが、分体同士でも交流があるようです。


「他の分体の方々も、わたくしのような転生者のサポートをしているのかしら」

「はい。

 リンネ様が転生させた人間はご主人様を含め六十七人、そのうち四十三人が生存しており、全員に分体が付いています」

「既に亡くなった方もいるのね」

「はい。

 寿命を全うした方もいらっしゃいますが、俺TUEEEに酔って無茶をして亡くなる方が一定数いらっしゃいます」

「そう……」

 せっかく転生させてもらったのですから、無双するよりも保身を優先すべきでしょうが、ラノベ知識によれば俺TUEEE系の方々はそもそも無茶をするのが当然のようです。

 そんな方々のお世話をするには、大量のエネルギーが必要なのでしょう。

「わたくしは、できる限り穏やかに静かに暮らしたいと思っているわ」

「そうしていただけると助かります」

 淡々としたようでいて切実さを感じる声に、内心苦笑します。

 今のままなら大丈夫なようですが、快適な生活のためにはもう少し安定性がほしいところです。

 記憶をたどってみましたが、わたくしが受けた教育は、あくまでも現代日本で人間に対してのものでしたので、異世界で女神様の従者のエネルギー事情を改善する良い方法が思い浮かびません。

 ファンタジー世界定番の魔石やダンジョン産の名品などがあれば、それらからエネルギーを吸収できるかもしれませんが、さきほどの食事の例えで考えると効果は薄そうです。

 他に何かできることはないでしょうか。


 考えこみながら立ちあがろうとすると、素早く近づいたメイが椅子を引きました。

 わたくしの記憶データを受け取っているから、わたくしの行動を先読みできるのかもしれませんが、サービスを受けた側の記憶を元に提供する側の行動が即座にできるのは、やはり人知を超えた存在だからなのでしょう。

「ありがとう、付いてきて」

「はい」

 メイを伴って廊下に出て、右に向かいます。

 この建物は、ドアを入ると二畳ほどの小さな玄関があり、内ドアがあります。

 内ドアを入ると奥までまっすぐ廊下が通っていて、庭が見える左側には順に使用人控室、応接室、学習室兼音楽室、リビング、寝室、お手洗いやお風呂などの水回り設備、そして倉庫があります。

 使用人用控室のドアの前に立つと、すっと横に立ったメイがドアを開けます。

 十畳ほどの小さな部屋は、わたくしの記憶通りいくつかに仕切られていて、キッチン、休憩室、仮眠室になっていました。

 軽く室内を見回してから、斜め後ろに戻ったメイをふりむきます。

「休憩がいらないとしても、くつろげる場所はあった方がいいでしょう。

 この控室は、あなたの自由にしていいわ。

 待機中は、他の部屋にいる必要がなければここにいて」

 わたくしがメイにエネルギーを与えることはできないので、少しでも快適な環境を整える方向で考えましょう。

「ありがとうございます」

 会釈したメイにうなずいて、廊下の反対側に視線を向けます。


 廊下の右側は全て衣類部屋で、着物・パーティードレスで各二部屋、正式な外出着・大学通学用の気軽な外出着・部屋着と下着類で各一部屋ずつあります。

 多いように感じますが、上流階級の一員として見くびられないようにふるまうにはこれでも少ない方で、お母様の衣類はわたくしの三倍はありました。

 室内は最適な温度と湿度に保たれ、一品ずつ名称を付けてリスト化し、写真によるデジタルデータベースが作られていて、衣類部屋専属のメイドが管理していました。

 わたくしはお母様のように常に新しい衣装でパーティーに出席するほどではありませんでしたが、同じ服で同じ人に会うことがなるべくないようにするためには、管理する者が必須だったのです。

「……ネグリジェやガウンも、あなたが【物質創造】スキルで創ってくれたのかしら」

「いえ、部屋着の衣類部屋から持ってまいりました。

 女神様は、ご主人様のお住まいを完全にコピーしてここに移築なさいましたので、衣類部屋の中身も以前と同じものが全てございます」

「…………そう」

 寝室やリビングの家具が全く同じなのですから、衣類部屋の中身も同じで当然なのですが、あれだけの量のものが本当に全てコピーされたのでしょうか。


 目の前の着物の部屋のドアに近づくと、またメイがさっとドアを開けました。

 右手側は着物用桐箪笥がずらりと並んでいて、左手側には帯や襦袢や草履などの小物を種類ごとに分類した箪笥があります。

 一番手前の桐箪笥の引き出しを軽く引いてみると、きちんとたたまれた着物が入っていました。

 以前見た時と全く同じ雰囲気ですから、本当に全てコピーされているようです。

 ありがたいことですが、部屋着や下着類はともかく、着物やパーティードレスは、中世ドイツ風の異世界で使い道があるでしょうか。

「この世界には着物はないのよね。

 着たら悪目立ちしてしまうかしら」

「そうなると思われます」

 着物の部屋を出て、ドレスの部屋に向かいます。

 メイが開けたドアから中を見回すと、ハンガーに吊るされたドレスが記憶通りに整然と並んでいました。

「こういうドレスなら、使えるかしら」

「布地の品質と縫製技術とデザインがこの世界のものと差がありすぎますので、この世界の人間に見せるのは推奨できません。

 ドレスが必要な場合は、ふさわしいものを私が御用意いたします」

「……そうね、その時はお願い」

「はい」

 確かに、国や立場や状況によってふさわしい装いは違いますから、使い回しをするよりもメイに用意してもらった方がいいでしょう。

 ですが、それではメイの負担が増えるばかりです。

 内心ため息をついた時、ふとひらめきました。


「不要な物は、エネルギーに戻せると言っていたわね」

「はい」

「一番端の部屋着と下着類の部屋以外の物は、いらないわ。

 他の部屋の物を全てエネルギーに戻して貯蓄できたら、楽にならないかしら」

「それは」

 何か言いかけたメイは言葉をとぎらせ、軽く目を見開いてまじまじとわたくしを見つめました。

 しばらく経ってもそのままで、居心地が悪くなります。

「……無理強いはしないわ。

 できたら便利ではないかと思っただけだから」

 言い訳のように言うと、メイは我に返ったようにゆっくり瞬きをしました。

「失礼いたしました、できるかできないかでしたら、できます。

 ですが……よろしいのですか?」

 珍しく曖昧な問いかけに、軽く首をかしげます。

「もったいないという意味かしら?

 人間国宝と呼ばれる方や有名デザイナーの作品もあるし、貴重な素材が使われている物もあるけれど、着る機会がなく、譲れる相手もいないなら、あなたに有効利用してもらったほうがいいと思ったの。

 あなたに余裕ができたら、わたくしも楽になるもの」

 社交の一環としてこれらを着てきましたが、わたくしはきらびやかな柄も宝石の飾りも好きではなく、無地のシンプルなデザインの部屋着を着ている時が一番おちつけるので、なくてもかまいません。


「女神様から毎日いただくエネルギーが二リットルのペットボトル一本分だとしたら、この六部屋分のエネルギーは琵琶湖まるごと分ぐらいの差があります。

 小規模であればご主人様だけの世界を創ることも可能なほどのエネルギー量ですが、本当によろしいのですか?」

 硬い声での問いかけに内心驚きましたが、再度の確認も当然な内容でした。

 ですが、わたくしは既に自分だけの世界としてこの棟をいただいていますし、俺TUEEE系の方々のような無茶をする気はありませんから、そんなに大量のエネルギーは必要ありません。

「かまわないわ。

 ……余るなら、本体や他の分体の方々に分けてさしあげればいいわ」

 なんとなく付け加えた言葉に、メイが再び目を見開きました。

「…………分けても、よろしいのですか?」

 さきほど以上にこわばった声での問いかけに、小さくうなずきます。

「ええ。

 得たエネルギーをどう扱うかは、あなたに任せるわ」

「…………ありがとうございます」

 深々と頭を下げたメイは、じっとわたくしを見つめ、ふわりと微笑みました。


「本体と分体を代表して、お礼を述べさせていただきます。

 今までずっとギリギリの残量をやりくしりあって生き抜いてまいりましたが、今後は残量計算をせずとも余裕を持って生きていけます。

 本当に、ありがとうございます」

 初めて見たメイの笑顔は本当に嬉しそうで、無表情の時とは別人のようなかわいらしさでした。

 姿勢を正したメイは、美しい礼をしてわたくしをまっすぐに見つめました。

「女神様のご命令だけではなく、私自身の意志で誠心誠意お仕えいたします。

 私の姉達、本体と四十二人の分体も、この世界にないスキルや素材や知識など、必要なものがあればなんでも用意するから声をかけてほしいと申しております。

 私達はご主人様に、いえ、マリアンネ様に、永遠の忠誠を誓います。

 どうぞ私達を存分にお使いください」

 そこまで感謝されるほどに今までの労働環境が過酷だったようですが、今後は改善できるようですし、わたくしの懸念も解決しそうです。

「わかったわ、よろしくね」

「はい、こちらこそよろしくお願いいたします」

琵琶湖の水量は約27兆5000億リットルだそうです(ネットでざっくり調べ)

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