はじめての説明回
目を覚ますと、十三時を過ぎていました。
昨夜も早く眠ったはずなのに、こんなに眠れるとは思いませんでした。
感動しながらベッドを降り、ガウンを着てお手洗いに向かいます。
部屋に戻って、ふと思いついてドレッサーに近寄り、鏡のカバーを取ってのぞきこみました。
「……あら」
鏡に映ったわたくしは、明るい栗色の髪と同じ色の瞳でしたが、顔立ちにはなんとなく前世の雰囲気が残っていました。
女神様にいただいたラノベ知識によれば、日本人の外見のままだと転生先で悪目立ちするそうですが、全く違う顔だと違和感があるでしょうから、助かります。
この世界の方にはまだ会っていないので、本当に目立たずにすむかはわかりませんが、ヨーロッパ系にもアジア系にも見える絶妙な調整具合なので、大丈夫でしょう。
「…………」
考えながらリビングに続くドアを開けると、部屋の隅に立っていたメイが恭しくお辞儀をしました。
「おはようございます、ご主人様」
「……おはよう。
ずっとそこで待っていたの?」
ここでひかえているとは言っていましたが、本当にずっと立って待機していたのでしょうか。
「はい」
「用があったらベルで呼ぶから、今後は控室で待っていてね」
使用人の住居は別の棟でしたが、わたくしの棟にも使用人用控室があります。
ベルは電波式なので、受信端末を持っていれば、どこにいてもかまわないのです。
「かしこまりました。
ですが私は、女神様の従者の分体でございます。
人間に見えるかもしれませんが、人間ではございません。
食事も休憩も睡眠も必要ございませんので、お気遣いは無用です」
淡々と言うメイは、相変わらずの無表情ですが、それ以外では人間にしか見えません。
それでも、本人がそう言うのですから、そう扱うべきなのでしょう。
「…………そう。
だったら、あなたの楽なようにしてちょうだい」
「ありがとうございます」
一礼したメイは、改めてわたくしに向き直ります。
「お食事をなさいますか」
「そうね、お願い」
「メニューはいかがなさいますか。
朝食は普段と同じものを御用意しましたが、昼食は日によって違うものを選んでおられましたから、ご指示いただければ御用意いたします」
奇妙な言葉に、しばらく考えこみました。
「……例えば『大学の食堂のAランチ』と指定したら、わたくしの記憶の中からそれを読み取って再現できる、ということかしら」
「はい」
朝に聞いたことから推測してみると、合っていたようです。
「では、それでお願い。
……さっきの紙のように一瞬で作れるなら、ここで出してかまわないわ」
朝食の際にメイが毎回廊下に出て白湯や朝食を用意してきたのは、どうやって用意しているのかわたくしに告げてなかったからでしょう。
「ありがとうございます。
では御用意いたします」
窓際のテーブルに向かったメイが軽く片手をかざすと、次の瞬間にはテーブルの上にトレイが出現していました。
並べられた食器類も、そこに盛られた料理も、食堂のメニューそのままです。
「お飲み物はいかがなさいますか」
「白湯でいいわ。
食後に紅茶をお願い」
「かしこまりました」
再びメイが手をかざすと、ポットとカップが現れました。
カップに白湯をそそぎ、トレイの横に置きます。
「御用意が整いました」
「ありがとう」
ゆっくりと食事を終え、紅茶を飲みながら、さきほど考えていたことをもう一度考え直し、疑問点と問題点をまとめていきます。
「メイ、またいくつか質問してもいいかしら」
「はい、なんでしょうかご主人様」
「ここは、異世界なのよね。
名前はなんというのかしら」
「ノインツィヒと申します」
「……ドイツ語だと『九十』という意味よね」
わたくしが前世で受けた教育の中には複数の言語も含まれていましたから、日常会話程度ならドイツ語も理解できます。
「はい」
「……わたくしの他にも、以前から転生者がいるのかしら」
ラノベ知識によると、異世界で地球の言語と類似したものが使われている場合、過去に転生者がいた可能性が高いようです。
「いえ、元になる世界がドイツ風だからです」
「……もう少し詳しく説明して」
メイは常に明快な答えをくれますが、明快すぎて詳細がわかりません。
「この世界の元になる世界を創られたのは、並行世界の女神レル様です。
司るものの性質上、複数の世界が必要なので、従者の分体を百体作成し、それぞれにレル様が創られた世界を模倣した世界を創らせました。
レル様が中世ドイツ風ファンタジーな世界として元の世界を創られたので、模倣した世界も中世ドイツ風になりました。
ここは九十番目の分体が創造した世界なので、ノインツィヒと呼ばれています」
「……なるほど」
並行世界というものについても、ラノベ知識にありました。
確かに、別の世界がなければ並行世界とは呼べないでしょうから、複数創る必要があるのはわかりますが、元の世界がドイツ風なのはなぜでしょう。
「レル様は、ドイツの神様なの?」
「いえ、『ドイツ語の雰囲気がかっこいいから』だそうです」
「…………そう」
リンネ様のお知り合いだそうですし、レル様も独特の感性をお持ちのようです。
「……中世ドイツ風ということは、そこで暮らす人々もドイツ風なのかしら」
「はい。
見た目はゲルマン系白人で、実用重視の堅実な性格の人間が多いようです」
「わたくしの姿は、女神様が調整してくださったとはいえ、ゲルマン系というほどではなさそうだけれど、目立たないですむのかしら」
「問題ないと思われます」
「あなたは黒髪で日本人に近い顔立ちだけれど、大丈夫なの?」
「私は元になっている女神様の従者から外見を変更できないのですが、外見を偽るスキルを使えば問題ございません」
「そんなスキルもあるのね」
「私の本体は【メイドは万能である】という概念に従って作成されましたので、本体が使えるスキル及びこの世界に存在するスキルが全て使えます」
「……ラノベのメイドは、どうして万能なのかしらね」
わたくしの家にいたメイドは有能でしたが、万能ではありませんでした。
ですがラノベ知識によると、メイドは万能でないといけないようです。
不思議ですがそういう概念のようなので、理由を考えても無駄そうですし、わたくし自身も助かっているのですから、追及しないでおきましょう。
「では、わたくしが町に行きたい時は、あなたも付いてきてくれるかしら」
「はい、お供いたします」
「ありがとう」
大きな疑問と問題の一つが解決できて、内心安堵しました。
わたくしは今まで一人で外出したことがありません。
常に家族か、保護者代わりの使用人と共に、運転手と護衛付きの車で移動していました。
ファンタジー風の異世界ですから車以外の移動手段が必要でしょうが、一人で外出は無理でしょうから、メイが付いてきてくれるなら安心です。
「ところで、ここはとても静かだけれど、人里から離れた場所なのかしら」
「はい。
『安全な拠点』という観点から、この世界を管理する下級神がいらっしゃる神界の隅を借りております」
「……神界?」
「はい」
「…………神様にご挨拶に行った方がいいのかしら」
「いえ、『挨拶はなしでかまわない』と伝言をいただいております」
「……わかったわ」
メイがそう言うなら、いいのでしょう。
「ちなみに、外出なさりたい場合は、私が【転移】スキルでご希望の場所にお連れいたしますので、お申し付けください。
一度訪れた場所なら、ご主人様がその場所を思い浮かべながら玄関のドアを開けることで転移できます」
「…………そう。便利なのね」
「はい」
転移とは、前世で考えるととても有効かつ驚異的な能力ですが、ファンタジー界隈では一般的なようですし、驚くほどのことでもないようです。
自分を納得させて、次の疑問を口にします。
「あなたは食事も休憩も睡眠もいらないと言っていたけれど、本当に何もいらないの?
活動する為にはなんらかの動力が必要ではないのかしら」
「私は本体と繋がっていて、本体を通じて女神様からエネルギーをいただいております」
「あなたが使うスキルも、女神様からのエネルギーでまかなっているの?」
「はい」
ということは、女神様からのエネルギーが途切れたらメイは死ぬ、かどうかはわかりませんが、動けなくなるのでしょう。
そして、メイが【物質創造】スキルを使えなくなると、わたくしの食事を出せなくなるので、わたくしも死んでしまいます。
「この世界の食事は、あなたには無意味なのかしら」
「摂取したものをエネルギーに変換することは可能ですが、効率が悪いと思われます。
ご主人様のお食事一回分を用意するエネルギーを調達するには、この世界の食材ですと、百食分ほどが必要になります」
「……それは、効率が悪いわね」
「はい。
この世界を創造した下級神は、中級神であるレル様の配下ですが、実質は私と同じ従者の分体ですので、扱えるエネルギーはかなり少なく、創りだされたものに込められたエネルギーも少なくなります。
例えばパン一つにしても、上級神になられたリンネ様と下級神では、得られるエネルギーが百倍は差があります。
ですから、この世界で飲食をするよりも、本体からのエネルギーを使う方が効率が良いのです」
「……そうなの」
神様の従者のエネルギー事情はなかなか難しいようです。
「……わたくしが、この世界で食事をするのは問題ないのかしら」
「健康面や味付けでは問題ありませんが、栄養面や衛生面ではお勧めできません」
「……わかったわ」
確かに、味付けが口に合ったとしても、衛生面に心配があるようなものは食べたくありません。
ファンタジー風の世界というものは、色々と問題があるようです。




