はじめての死
「お―――――――――――――――――――――――っほっほっほっほっ!
やったわ! ついに上級神よ‼ 上! 級! 神!
私の時代が始まるのよ!
お―――――――――――――――――――――――っほっほっほっほっ!」
高らかな笑い声に目を開けると、目の前に若い女性がいました。
長い黒髪は強い風を受けたようにうねり、整った顔立ちに誇らしげな笑みを浮かべています。
日本の神話に出てくるような、白いゆったりした衣装をまとった体は女性らしい曲線を描いていますが、豊かな胸をそらし、片手を細い腰に、もう一方の手を口元に当てた不思議な姿勢で高笑いを続けているせいか、美しいというよりも珍妙な印象です。
あまり関わりあいになりたくありませんが、わたくしの視線に気づいたのか、女性は高笑いをやめるとわたくしを見ました。
「あら、魂の安定が終わったのね。
おめでとう!」
「……ありがとうございます」
友好的な雰囲気に、まずは微笑んで無難な言葉を返します。
状況が一向に理解できず、さりげなく周囲に視線を向けてみましたが、全体的に白い靄のようなものに覆われていて、屋外ではなさそうなものの屋内でもなさそうです。
「記憶はまだつながってないのかしら?
自分が誰かは思いだせる?」
奇妙な問いかけに内心とまどいながらも、笑顔のままうなずきかけて、愕然としました。
わたくしの、名前は。
「あらまだ無理なの?
あなたのお名前は、三条 真理恵よ」
「ぁ……」
その言葉に触発されるように、脳裏にざあっと映像が流れ、記憶がよみがえってきました。
そうでした、わたくしは三条 真理恵、二十歳になったばかりです。
平安時代から続く公家の血筋で、歴史書に載るほどの活躍はせず、されど没落することもなく、時には大名や商人の血も取りこんで、今の時代まで名家として存続してきました。
商才があった曾祖父が事業を興して成功し、祖父も父も堅実に継いできた為、今では上流階級の一員となりました。
わたくしは三条家の長女として生まれ、息子は家を永らえさせるための道具、娘は家を盛り立てるための道具という、ある意味男女平等な扱いのもと、幼い頃から厳しい教育を受けてきました。
お茶、お花、舞踊などの令嬢として当然の習いごとだけでなく、嫁いだ家を支えるために経営や人心掌握などについてまで、教育は多岐に渡りました。
家を継ぐ予定の五歳年上の兄も、幼等部から通っている名門校の学友達も同様でしたから、それが当然なのだと思って従ってきました。
ですが、名家出身の学友の中にも、自由な生き方をしてらっしゃる方が多少は存在したため、他の生き方もあることを知りました。
そのような方に憧れながらも、家を捨て自活する勇気は、わたくしにはありませんでした。
諦めてしまえば、決められた通りに生きることは、穏やかなものです。
むしろ何を為すべきか悩み、そのために苦労する必要がないぶん、楽な生き方かもしれません。
そう納得して、淡々と生きてきたのです。
「思い出せた?」
「……はい。
わたくしは、三条 真理恵でございます」
わたくしをじっと見つめた女性は、なぜか面白がるような表情になりました。
「あなたって、今流行りの言葉遣いだけのお嬢様じゃなくて、ガチのお嬢様だったのね。
本物は、お嬢様言葉を使う必要ないのね。
ガチなぶんの苦労はあっても、振り幅の少ない人生を送る、はずだったのにねえ」
慰めるような口調で言われて、再び疑問が浮かびました。
この女性は誰で、ここはどこで、わたくしはなぜここにいるのでしょう。
「あら、まだ記憶つながってないの?
ここで目覚める前、どこで何をしていたか、思い出せる?」
「……ここに来る前、でございますか」
自分の体を見下ろして、外出着を着ていることに気づきます。
淡いピンク色のワンピースは、わたくしの好みではありませんが、婚約者は女性らしい色合いを暗に求めてくるので、婚約者と会う際は赤系統の服を選んでいました。
……そうでした、わたくしは婚約者と食事をするために、夕方車で迎えに来た彼とともに、レストランを訪れたところだったのです。
車を降りて、婚約者にエスコートされながら歩いて、ドアマンの会釈を受けて開けられたドアを通ろうとして。
☆☆☆☆☆☆☆
「計一郎さん!」
背後からかけられた女性の声に、隣にいた婚約者がふりむきました。
とたんに驚いたように目を見開きます。
「君は……どうして、ここに」
「それは私のセリフよ!
どうして私と一緒に来たレストランに、他の女を連れてきてるの!?」
ゆっくりとふりむくと、植込みの陰から出てきた若い女性が計一郎さんをにらみつけていました。
さきほどの言葉と女性の憎らしげな視線に察しがつきましたが、あえて気づかないふりで軽く首をかしげます。
「お知り合いですか?」
普段と同じようにゆったりとした口調と微笑みを心がけて問うと、計一郎さんはぎくりと肩を揺らしましたが、すぐに愛想笑いを浮かべました。
「ああうん、同じ大学のコだよ」
「そうですか」
それだけの関係ではないことは明白ですが、微笑んだまま軽くうなずきます。
するとその女性は、涙を浮かべながら叫びました。
「ひどい、どうしてそんなこと言うの!?
婚約は親が勝手に決めたことでなんとも思ってない、愛してるのは私だけだって、結婚しても君と会いたいって、言ったじゃない!
なのにどうして、突然電話もメッセージもつながらなくなったの!?」
「ち、違う、嘘だ、そんなこと、勝手なことを言うな!」
「どうして、ひどい……!」
あわてる計一郎さんと泣きだした女性を見比べて、内心ため息をつきました。
彼の女性問題のトラブルは、これが初めてではありません。
先月にも同様のことがあり、それがわたくしの両親も出席していたパーティーでの出来事だったため、さりげなく釘を刺されて焦っていました。
ですからこの女性とも別れようとしたのでしょうが、説明も謝罪もなく一方的に関係を断ち切ろうとするなんて、愚かとしか言いようがありません。
「君と僕は無関係だ、二度と僕に近寄るな!」
計一郎さんの理不尽な命令に、女性は傷ついたように顔をゆがめましたが、ふいににっこりと笑いました。
嬉しそうなのに、背筋が冷えるような、無邪気な狂気をたたえた笑みでした。
「わかったわ、じゃあ、リセットしてやり直しましょ」
「何……?」
「今生きてるこの世の中じゃ、私達は結ばれない運命なら。
死んで、新しい世界で、やり直せばいいのよ」
「ひ……っ」
女性がバッグから取り出したナイフを見て、計一郎さんが悲鳴のような息をもらしました。
「さあ、一緒に死んで、生まれ変わりましょう!」
女性は腰の位置でナイフを両手で握りしめ、こちらに走り寄ってきます。
「うわああっ、来るなあっ!」
叫び声をあげた計一郎さんは、わたくしを女性のほうに突き飛ばしながら店内に逃げこみます。
押されて前に出たわたくしは、突進してきた女性とぶつかりました。
「あ」
腹部に衝撃があって、じわりとにじむものを感じながら、息がかかる距離で見つめあった女性の目が驚きに見開かれるのを、冷静に見ていました。
なぜか、さっき女性が言った言葉を思い出します。
『死んで、新しい世界で、やり直せばいいのよ』
……もし、生まれ変われるのなら。
裕福でなくてもかまわないから、穏やかで静かな暮らしがしたい……。
そこまで考えたところで、意識がとぎれました。
☆☆☆☆☆☆☆
「思い出した?」
「……はい。
わたくしは、あのまま死んだのですね」
わたくしは今ここにいますが、それでも、あの時死んだのだと確信がありました。
「そうよ、死因は出血多量によるショック死ね。
浮気相手に刺されそうになって、婚約者をタテにするなんて、情けない男ねえ」
呆れ果てたように言われて、曖昧に微笑みます。
「そうですね。
ですが、もう彼の面倒を見なくていいのなら、死んでよかったです」
思わず洩れた本音に、女性は嬉しそうに笑いました。
「ほんと、良かったわね!
でも、あなたにはもっと良いことがあるのよ。
なんと、特別サービス付きで転生させてあげるわ!
なにしろ私は上・級・神だから!
お―――――――――――――――――――――――っほっほっほっほっ!」
再びの不可思議なポーズ付きの高笑いにとまどいながらも、ようやくその言葉の意味に理解が及びました。
「あなたは、神様なのですか?」
「そうよ、私は転生を司る女神リンネ。
しかも単なる神じゃないの、上・級・神!」
語気荒く言われて、内心焦りながらも深く頭を下げて言い直しました。
「失礼いたしました、上級神様でしたか。
神様にお目通りがかなったのは初めてのことでしたので、区別がつかず申し訳ございません」
「いいのよ、生きてる人間が神様に直接会える機会はめったにないし、まして上級神は数が少ないんだから、わからなくてもしかたないわね」
とたんに機嫌が良くなった女神様に、内心安堵しました。
「ついでに教えてあげると、神様って、信者の数によって上中下の三種類に分かれるの。
信者の基準は、昔は【一日三回以上、かつ合計百日以上、その神に祈りを捧げた者】だったんだけど、ここ百年くらい信心深い人間が減っちゃって神様が弱体化しちゃったもんだから、一日一回以上に変更になって、そのかわり信者数の規定も変わったの。
下級神が百人以上、中級神が一万人以上、上級神が百万人以上ね。
私は最近のラノベブームと先行き真っ暗な社会のおかげで、信者数が順調に増えてたんだけど、今日ついに百万人を突破して、上級神になったのよ!」
ふいに近づいてきた女神様が、わたくしの両手をしっかりと握り、満面の笑みを浮かべました。
「そして、その記念すべき百万人目の信者が、あなたなの!」
わたくしがここに呼ばれた理由が、ようやく理解できました。
ですが、先程うかがった基準とは矛盾しています。
「……光栄でございます。
ですがわたくしは、女神様に祈ったおぼえがございませんので、信者ではないはずですが……」
遠慮がちに問いかけると、女神様はにっこりと微笑まれました。
「さっき言った信者の基準はね、一般的なものなの。
特例として、【残りの人生すべてを懸けて祈った者】も、信者とみなされるのよ。
あなたは、死ぬ直前に転生したいって考えたでしょ?
だから特例の基準を満たして、百万人目の信者になったのよ」
確かに、あの時『もし生まれ変われるなら』と考えましたが、あの程度が祈りとみなされるとは、判定が緩すぎではないでしょうか。
「ほんと、ギリギリだったのよ。
あなたがそう考えるのが後三秒遅かったら、あなたを殺した女が百万人目になるところだったの。
自分をフった男を殺して一緒に転生したいなんて、あんなめんどくさい女が信者になるのイヤだったから、百万人目があなたで良かったわ!」
女神様が上機嫌な理由は、上級神になれたからだけではなく、そんなところにもあったようです。
「だから、お礼の意味も込めて、望み通りあなたを転生させてあげるわね!」
「え」
「今なら、上級神への昇進ボーナスで神力があり余ってるし!
さっき知り合いの中級神のコに問い合わせしたら、そのコが手下に創らせてる世界の一つになら転生オッケーって、許可もらったの!
もちろんちゃんとファンタジー系のところだから!」
「……あの」
わたくしの両手を握ったままの女神様は、にこやかに、けれど口を挟む隙を与えない勢いでまくしたてます。
「あなたの希望は、『穏やかで静かな暮らし』だったわね。
じゃあ美形すぎるとよけいな苦労が増えそうだから、現地の住民から浮かない程度で、今の顔の雰囲気を残して、っと。
成長パートは見ててもつまらないから、今の年齢まで肉体を成長させて。
名前は、あそこドイツ語系だったわね、じゃあ今の名前から連想してマリアンネ、愛称マリーで。
後は、オプションとして、戦闘も日常生活のサポートもできる万能メイド、今の家をコピペした安全な拠点、チートなステータス、防御系最高の基本スキル、それを補助する特殊スキル、現地語の読み書きついでに計算と一般常識、あなたお嬢様すぎてラノベ系の知識がないからそれも追加して。
ついでに、最近の異世界転生のテンプレ特典、鑑定とアイテムボックスとネットショッピングと、オマケに私の祝福も付けちゃう!
中級神ならこれの半分がせいぜいだけど、なんたって私は上!級!神! だから!!
ぜーーんぶ、できちゃうのよ!!
お―――――――――――――――――――――――っほっほっほっほっ!」
女神様がおっしゃったことは、ほとんど意味がわかりませんでしたが、とんでもない内容だということだけは理解できました。
そもそも、わたくしはあの時なんとなく『転生できるなら』と思っただけで、本当に転生したいと願っていたわけではないのです。
「あの、わたくしは」
「じゃ、時々様子を見にいくから!
転生ライフを楽しんでね!」
わたくしの言葉を無視して、女神様は握っていた手を離して、わたくしの肩をとんっと押します。
体が揺れて一歩下がり、顔を上げた時には、別の場所にいました。
「……え?」
女神様の姿も白い靄も、いつの間にか消えています。
「ここは……」
周囲を見回すと、わたくしの部屋でした。
家具の配置も、窓から見える景色も、家を出る前と寸分の違いもありません。
ですが、部屋の隅に見慣れないメイドがいました。
服装は、わたくしの部屋付きメイドと同じ長袖で膝丈の黒いワンピースですが、顔には見覚えがありません。
見た目は十代後半のようで、黒い髪を後ろで一つに結び、整った顔立ちをしていますが、感情がうかがえないので人形のような無機質さです。
わたくしと目が合うと、メイドは丁寧にお辞儀をしました。
「初めてお目にかかります、私は女神リンネ様の従者でございます。
あなた様にお仕えするよう、女神様から命じられました。
よろしくお願いいたします」
機械音声のような淡々とした口調で言うと、メイドはもう一度丁寧に頭を下げます。
「…………そう。
あなたを、なんと呼べばいいのでしょう」
女神様の従者なら、わたくしより身分は上でしょうから、失礼にならない程度の言葉遣いを考えながら問いかけると、メイドは気にしたふうもなく答えます。
「女神様は【イチゴウ】とお呼びでしたが、私はイチゴウの分体の一つですので、ご主人様のお好きなようにお呼びください。
それと、私に敬語は不要でございます。
部屋付きのメイドと同様にお考えください」
イチゴウとは、一号という意味でしょうか。
深く聞いてはいけない気がして、思考を巡らせます。
社交辞令ではないようなので、メイドと同じように扱うべきなのでしょう。
「では、メイと呼ぶわね」
メイドだからメイは、単純すぎるかもしれませんが、今は良い名前を考えられる余裕がありません。
「かしこまりました」
会釈したメイから視線を流して室内を見回し、再びメイを見ます。
「メイ、ここはわたくしの部屋に見えるけれど、違うのかしら」
「女神様が、ご主人様がお住まいになっていた建物をそのままコピーして、拠点としてここにお創りになられたので、同じですが違うものです」
女神様がおっしゃっておられた中に『拠点』という言葉が出てきた気がしますが、詳しいことはおぼえていません。
どんな時にも冷静に対処するよう育てられ、そのようにふるまってきましたが、今夜はあまりにも不可解なことがありすぎて、頭がついていけてないようです。
「……メイは、女神様からわたくしのことをどう聞いているの?」
「女神様が上級神に昇進するのに貢献した百万人目の信者で、特別待遇で異世界転生させたと、うかがっております」
「では、わたくしがここで何をすればいいのかも、聞いているのかしら」
「いいえ。
私が受けた命令は、ご主人様のサポートをすることだけでございます」
「…………そう」
もはや、何を聞けばいいのかもわからなくなってきました。
特にやらなければいけないことがないのなら、今したいことは。
「……寝るわ。準備をお願い」
「かしこまりました」
軽く頭を下げたメイは、いったん部屋を出ていき、すぐに戻ってきた時には手にネグリジェを持っていました。
「ここで着替えられますか」
「……いえ、ベッドにするわ」
「かしこまりました」
隣の寝室に移動し、ベッドの脇でメイに手伝われてネグリジェに着替えました。
その時にようやく気づきましたが、着ているものが家を出た時のピンクのワンピースではなく、女神様と同じような白い衣装に変わっていました。
身長や体型は変わっていないようですが、肌が少し白くなったように見えます。
もう少し詳細を確認すべきなのでしょうが、今は何も考えたくありません。
ベッドに入って横たわると、メイが布団を掛けて整えます。
「明日は何時に起きられますか」
「七時に。
朝食は三十分後で」
「かしこまりました。
私はあちらの部屋にひかえておりますので、御用がありましたらお呼びください。
おやすみなさいませ」
「おやすみ」
部屋付きのメイドと同様の手順と会話の流れに、違和感と安堵を同時に感じながら、目を閉じて意識を手放しました。
あなたが好きな【高笑いする女性キャラ】は誰ですか?
私はス〇イヤーズのナ〇ガさんです




