第90話、お師匠、お出かけしましょ
滅茶苦茶叱られた。
ユナ先生が。
高等魔法科担当の教官である彼女が、あろうことか生徒に授業をさせていたという話は、あっという間に学校教官陣の耳に入った。結果、学校側にユナ先生はド叱られることになった。
まあ、自分で蒔いた種であり、俺は知らん。
ユナ先生がお叱りを受けている頃、俺たちはハイクラス食堂での昼食。アーリィーは俺がおこなった魔法授業に大変感激し、ランチ中も俺に授業内容を質問したりと、何だか個人授業か家庭教師やってる気分にさせられた。ベルさんは……居眠りしていた。
下校、そして青獅子寮に戻る。
魔法工房に俺、ベルさん、アーリィーがいた。午後のおやつに紅茶とパンケーキ……を食べているのはアーリィー。俺とベルさんは机の上に広げた書類とにらめっこ。俺は、エアブーツ希望者追加リストをまとめ、ベルさんは、また別のリストを眺めている。
「……で、結局のところ、嬢ちゃんが女だって知ってる人間の中に、ビトレーのおっさんやメイドがいるが、どうして嬢ちゃんが王子として育てられたかまでは知らないってんで間違いないな?」
ベルさんが問えば、アーリィーは紅茶のカップをソーサーに置いた。
「うん。ビトレーやネルケには聞いたんだけど、わからないって言ってた」
「まあ、王様からすりゃ、いくら面倒見させる執事やメイドにも、詳しい経緯は説明せんわな。性別のこと伝えただけでも、かなり信用されてなきゃできねえ話だし」
「そうだね……」
うーん、とうなるアーリィー。その真面目ぶって考える仕草が可愛らしい、と俺は思ったが、リストへと視線を向ける。
「なあ、ジンよ。やっぱり真相知ってるのは王様と、たぶん大臣くらいじゃねえかな」
「……姉や妹たちはどうだ?」
俺は羽根筆を走らせながら聞いてみた。アーリィーには姉が三人、妹が一人いるらしい。……見事に女ばかりだ。もしこの中に、ひとりでも男がいれば、アーリィーが王子をやる必要はなかったと思うのだがね。
「お母様が言っていたけど、姉さんたちや妹は知らないらしいよ。一番上の姉さんは、もう他所の家に嫁いでいたし。残る二人の姉さんと妹は、ボクを男として見てたから」
「……せめて、そのお袋さんが生きていたらなぁ」
はぁ、とベルさんがため息をついた。アーリィーが女であることを知る人間のリストの中に、彼女の母親の名前はない。何故なら、一番下の娘――アーリィーの妹を産んだ頃に亡くなったからだ。
「どうして嬢ちゃんが王子として育てられたか、絶対真相知っている人間だっただろうに」
ベルさんは机の上を移動し、アーリィーのそばでお座りした。するとアーリィーは慣れたように、ベルさんの頭をナデナデした。
「なあ、嬢ちゃん、他に身内でいないのか? 真相知ってそうな人間」
「うーん、どうだろう」
アーリィーは思案する。ナデナデ――
「お爺様は……もしかして知っていたかも」
「王様の親父か。ちなみに聞くけど、爺さんは存命?」
アーリィーは首を横に振った。だめじゃん。俺も小さく首を振る。ベルさんもため息をついた。
「もうこうなりゃ、直接王様に聞くしかなくね?」
「王城に乗り込むのか?」
やだよ、そんなこと。ただでさえ、アーリィーの性別問題は、この国のトップシークレット。よそから来た魔法使いがそのことを知ってるなんてバレたら、マジで首を切られてしまうかもしれない。しかも真相を聞きだそうなんて、これ消されるパターンだと思うね。
「どうしてボクを王子として育てたかは気になるけど」
アーリィーが表情を曇らせる。
「ジンやベルさんに危ない橋は渡ってほしくないな。君たちの身が危険に晒されるくらいなら、秘密なんてどうでもいいよ」
……放っておいて危ないのは、君のほうなんだけどね、アーリィー。
彼女には黙っているが、父親である現国王陛下は、実の子であるアーリィーの命を狙っている。それを明かしたら、どれだけ彼女が傷つくかわからないので言えないけど。
「まあ、馬鹿正直に正体見せることもないだろ」
ベルさんは、アーリィーの手から離れる。
「何か、別のモノに化けるってのはどうだ? オイラ得意だぞ」
「何に化けるんだ? 化け猫くん」
「そうだなぁ。……なあ、嬢ちゃん、王様が目をかけている人間とか誰かいる? こう、こいつの言うことなら、まあ聞いてやるみたいな奴とか」
あら、割と本気だったようだ。俺はてっきり冗談の類かと思ったのだが。
アーリィーは考える。腕を組んで唸りながら頭を働かせている王子様をよそに、俺は希望者リストを書く手を動かした。……さしあたり、俺がやらないといつまで経ってもこの作業終わらないからね。
・ ・ ・
早いもので、週末はやってくる。平日五日に休日二日、一週間七日のサイクルは、もといた世界と変わらず、本日は学校もお休み。
今週は、ずっとエアブーツ関連の事柄に関わっていた気がする。エアブーツの希望者リストを持って、魔法道具屋のウマンさんに提出すれば、しばらくは関わらないで済むか――などと思っていたら。
「しーしょーお。お出かけしましょ」
ユナ・ヴェンダート魔法科教官が、青獅子寮の俺のもとを訪ねてきた。
「実は、お師匠に折り入って相談がありまして」
「相談?」
ここ数日で、俺とユナ教官の間で、敬語を使う立場が逆転している。
「来週、最初の魔法科授業で、魔石を使う授業を予定しています」
「ふむ」
「学校から渡されたお金で、魔石を調達することになっていました」
うん、何か、嫌な予感がしてきたぞ。
「本来、調達は昨日までに行う予定でした」
「……だが現実には、魔石が用意されていない」
「はい、まさに」
コクリと、ユナは頷いた。それは明後日使う教材がなくて困るということだろう。
「どうしてそうなった?」
例の反乱軍騒動以来、供給が不足している品があるのは知っているが、魔石は冒険者がモンスター狩って流しているから、手に入らないということも早々ないはずだが……。
「注文を忘れていたんです」
「は……?」
「授業に使う魔石の発注を忘れていたんです」
もともと表情に乏しいユナだが、真顔で言われてもな。
つまるところ、彼女が教材の発注を忘れただけという、完全に自分自身が招いた失態である。落ち度だ。ミスである。
いまから発注しても……間に合わないだろうな。間に合うなら、そもそもこんな所に来るまでもなく、済んでいただろうから。
「まあ、明後日の授業は教材なしで、授業をやるんだな。それじゃあ――」
「お師匠、待ってください」
素早く、俺の服を掴んで放さないユナ。俺はため息をついた。
「素直に学校に報告しろよ。授業内容が変更になることくらい、よくあるだろう?」
俺を突然、教官に仕立て上げたことを忘れていないぞ。
「学校に報告したら、滅茶苦茶怒られます」
……だろうね。だってユナの落ち度だもん。こればっかりはしょうがない。
「最近、怒られてばかりなので、さすがにこれ以上の失態はマズいのです」
心持ちか眉を下げて、ユナは困っているとばかりに俺にすがった。
もともと魔術に秀でているものの、教官としての評価は高くないユナである。学校側でも、彼女の勤務態度や言動には、たびたび注意を行っていたという。
「何とか魔石を調達したいのですが……何か心当たりはないでしょうか、お師匠」
「……」
当然、閉口する俺である。
なお、この時、俺はユナが例の杖を手に入れたから学校を辞めると言って叱られたことを知らなかったのだが、もし知っていれば、ちょうどクビになるいい理由ができたんじゃね、と言っていただろう。
かくて、俺は休日を潰して、ちょっとお出かけすることになった……。




