第78話、牙を剥く獣たち
ベルさんが魔力を飛ばして索敵を強化した結果、勘のいい獣たちは逆に離れていった。
人間を恐れないボスケ大森林の獣たちも、それ以上にヤバい存在に対しては近づくのを避ける。あれだ、触らぬ神に祟りなしってやつ。
だが時々、頭のおかしな魔獣が、魔力索敵を物ともせず接近してきた。ベルさんがその都度、接近する敵の正体を報告すれば、俺たちは素早く迎撃態勢をとり、待ち構えた。
トチ狂った魔獣が現れた時には、まさに「飛んで火に入る夏の虫」である。
フォレストリザード――体長三メートル強の大トカゲは、アーリィーのエアバレット、近衛魔術師のアイスブラストで先制されて体勢を崩せば、左右から急接近した近衛騎士たちに刺され、斬られてのたうつ。トドメにオリビアが、大トカゲの首を一撃で叩き落として終了。
単独の魔獣などは、発見が遅れなければどうということはない。近衛たちの動きもよい。……よいのだが、ちょっと不安。オリビアもそうだが、騎士たちは、この森の中で鎧を初めとしたフル装備である。そのうちバテそうで怖い。
と、個人的に先の展開を予想しつつ、俺たちはさらに森の奥へ。これまでの経験上、グリフォンは、比較的森を進まないとあまり遭遇しない。
途中、ホブゴブリンに率いられたゴブリンのご一行様に襲われたが、近衛騎士たちがアーリィーを守りながら盾となる彼らの定番戦術で引き寄せつつ――ゴブリンは単独相手から切り崩す傾向があるので、この場合はアーリィーを守る行動で正解――、俺とベルさんで連中の側面を突いて一掃した。
しばらく進むと、森の中の開けた場所に出た。木があまりなく、広場のようなスペースだ。周囲は森に囲まれているが、のんびり空を見上げてピクニックなどもできそうだった。
「……ちょっと休憩しよう」
近衛騎士たちの顔が心なしか険しくなっていた。重い鎧をまとって森の中を歩くとか、よく考えたらやっぱ無謀だよなぁ。体力バカっぽいオリビアは、まだまだ平然としているが……。まだグリフォンと出会っていないし、帰りもあるから、正直言えばまだ元気でないと困るが。
「はい、靴を脱いで、足をマッサージしてねー」
今のうちにやっておかないと後がしんどいからね。
「あと、キツいと思ったら、できるだけ早めに申告するように。俺が荷物軽くしてやるから」
何だか引率の先生みたい。外見は二十歳手前だけど、実年齢の三十で言えば、俺のほかはベルさんと近衛騎士が一人年上なだけで、それ以外は全員年下だからね。
騎士たちが交代で、俺に言われたとおりブーツを脱いで足をマッサージする中、俺はアーリィーに声をかける。
「足は大丈夫?」
「うん、今のところは」
アーリィーは笑顔で返した。靴を脱いで、その白いおみ足をちらり。
「でも、運動不足を感じてる。ちょっと疲れたかも」
「軽い治癒魔法をかけよう」
俺は、体力回復にも効果のあるヒールをかける。アーリィーはその場で伸びをした。
「んー! たまにはいいものだよね、こういう所に出かけるのも」
「魔獣がいる危ない森ではあるんだけどね」
「まあ、そうなんだけど。緑が多くて、開放的じゃない?」
まあね、と俺は同意する。少なくとも、ここでは近衛を除けばアーリィーに言い寄って、家柄だの身分だのを意識させるようなことは言われない。
「のんびりできる場所だったら、よかったんだけどな」
「そうだね。大トカゲもいたし、ゴブリンもいた。ボクたちはグリフォンを狩りにきた」
元々アーリィーにエアブーツを作ってやるって約束から始まったことで、本当は俺とベルさんだけで来ればよかったんだけど……とか言ったら拗ねちゃうかな。
「やっぱり強いの? グリフォンって」
「普通の戦士や魔法使いには厳しいかな。……ベルさん、グリフォンのランクって幾つだっけ?」
「平均でCランクな」
ちょこんと近くでお座りしている黒猫が答えた。俺は頷く。
「大きい個体だと、成人した馬だって一掴みで空を飛ぶからな。足の爪は鋭いし、空から一撃離脱でかかられると、近接武器を扱う者にとっては厳しい」
「……そんな化け物と戦うの?」
「今からでも帰る?」
むぅ、と唇を歪めるアーリィー。俺は悪戯っ子のように微笑する。
「まあ、油断はしてくれなければいいさ。俺が『普通の』魔法使いじゃないのは知ってるだろう?」
「そうだね」
アーリィーも共犯したものが浮かべる笑みで返す。俺は革のカバンを漁る。
「本当はもう少し西の……あの森の先にある切り立った山みたいなのがあるだろう? あのあたりによくグリフォンがいるみたいなんだが……ちょっと、誘い出してみるか」
「誘い出す?」
「グリフォンってのは光るモノに目がないんだ。そういうのを見ると寄ってくる習性がある……」
この開けた場所に、グリフォンを誘い出して仕留めるのも悪くない。近衛や慣れない者たちなら、むしろ森の中で、グリフォンの攻撃ゾーンを狭めて戦う手もあるが――
「ジン」
ベルさんの声。振り向くと、黒猫は一点をじっと見つめていた。
「グリフォンより厄介なのが、こっちへ来るぞ……」
視線を辿る。大きな翼を持った大きな飛翔体が飛んでくるのが見えた。竜……いや。
「ワイバーンか」
「ワイバーン!?」
オリビアが弾かれたように言えば、近衛たちに緊張が走った。
「こっちへ来るぞ!?」
「グリフォンだって危険なのに、それよりさらに強い奴が来るなんて……!」
「このままじゃマズい!」
近衛たちは、予想外の事態に完全に浮き足立っていた。オリビアがアーリィーのもとへ来る。
「殿下! ここは危険です! 森に退避しましょう」
あの巨体なら、森に入ってしまえばワイバーンにとっては手が出しづらくなるはずだ。オリビアはそう判断した。
「まあ、待て」
俺は、動揺する周囲をよそに言った。
「逃げてもワイバーンはしつこい。それに手がないわけじゃない。ここは任せて」
「ジン殿!」
「ジン!」
二人の心配の声を背に、俺は前へと出る。翼を羽ばたかせて飛ぶワイバーンの姿がみるみる大きくなっていく。明らかにこちらに気づき、かつ襲い掛かってくる構えだ。
ざっとみて、翼を含めて十メートル以上か。あの軋むような咆哮を上げて、突っ込んでくる。
「さて、空を飛ぶ生き物であるワイバーンは、翼が二枚あるわけだが……」
俺はじっと、やってくる飛竜を眺める。
「空中を自在に飛ぶには翼が必要で、その翼に必要以上の負荷が掛かれば、その機動は大きく制限される」
ウェイトアップ――奴の重量が急激に重くなったら? 地面から離れている飛行中に許容範囲以上の重量が加わったら。
「いや、もっと簡単だ。二枚の翼が必要なわけだから、その片方が例えば石のように重くなったら……?」
ワイバーンの右の翼に、急激な重さがかかった。翼への力加減が変化し、飛竜は戸惑い、空中でバランスを崩した。まるで右側から引きずり込まれるように体勢を崩すワイバーンはもつれるように地面めがけて墜落した。
ズシンと震動と衝撃。土が跳ね、右の翼から落ちたワイバーンはその翼を折ってしまう。哀れ、狂ったようにその場でもがいている。
もはや飛ぶことも叶わず、立つこともままならない。しかしその耳障りな咆哮は、やがて別の獣を呼ぶことになるだろう。……面倒になる前に介錯してやる。
魔力を右手に集中。頭の中で、魔法の形を想像。ばちっ、と右手で稲妻が爆ぜた。最小範囲に紫電の一撃を。
「サンダーボルト……!」
右手をワイバーンの頭部に向けて、まとった魔力を雷の一撃として放つ。まばゆい閃光が走ったのは一瞬。分厚い皮膚と肉を突き抜け、頭を穿かれたワイバーンは絶命した。




