第58話、デュシス村の獣
あいつがいる……。
村の中に、あの黒くて大きな獣がうろついているのがわかる。
村人たちはそれぞれの家に引きこもっていた。外に出ると、あの獣に襲われる。あいつがいないのを見計らって水を汲みに行った者は、ひとりとして帰ってこなかった。
最初は村の近辺に出たら危ない、で済んでいた。だがやがて、夜に村の中を徘徊するようになり、いつからか昼間にも姿を現すようになった。村人や訪れた旅人が、一日一人ずつ殺されていくようになり、さすがに狩人や冒険者が獣の討伐を行ったが、彼らもまた全滅した。
村人は一歩も家から出ることができなくなった。家にいる間は大丈夫、そう思われていた。
だが昨日の夜、バリバリと木材の割れる音がして、悲鳴が聞こえた。あいつは、とうとう家の中に入り込むようになったのだと思った。
見た者はいない。外に出ることは死を意味するから。だがら彼らは祈った。地下室がある家では地下にこもって、ただ祈った。
しかし村人たちの心は絶望に沈む。もはや、村に安全な場所などどこにもないのではないか?
今日は? 明日は?
ひたひたと死の足音が聞こえる。そしてあいつのうなり声も。
・ ・ ・
夜が明ける。周囲を深い森に囲まれたデュシス村。木造の民家が十数軒立っている小さな村である。
曇り空。人の姿はない。森に入って狩りをしたり、木を切りに行ったり、あるいは水を汲みに出る者もいない。
さながらゴーストタウンだ。王都からグリフォンに乗ってやってきた俺とヴィスタだったが……。
「嫌な予感しかしない」
実は深夜のうちに到着したのだが、俺は狼型としか聞いてない魔獣が実際、どんなものか魔法でフクロウを作り出し、その暗視能力と飛行を使って偵察活動を行った。
狼型の魔獣は確かにいた。全身黒い体毛に覆われた犬だか狼だかに似た顔つきで、その身体は虎のように大きい。確かに狼に比べたらデカい。
それが、複数。……そう、魔獣は一頭だけではなかったのだ!
こいつらはいったい何だ? ベルさんを連れてきていれば、何かわかったかもしれないが、あいにくとここにはいない。
「ただデカいだけの狼、ではないだろうなぁ、やっぱり」
俺が呟く。
「冒険者が何人も返り討ちに遭っているってことは、何かそれなりの能力か身体能力を持っているってことだが」
いったい何だ、あの獣の能力は。虎並みか、それ以上のパワーか。あるいは足の速さだろうか。魔法的な能力を持っているのは見た目からは推測しようがないが……。
「とりあえず、そこそこ頭はよさそうだ」
「ついでに索敵範囲も広い」
傍らにいるヴィスタが魔法弓ギル・ク改を手にしながらも、その美しい横顔を険しくさせる。
「奴らは、こちらの気配に気づいているぞ」
「ああ、俺たちが村に入ってくるのを待ってるんだ」
弓の名手たるヴィスタとて、標的が見えなければ撃てない。フクロウの偵察にて姿を見せた獣たちも、こちらが村に近づいたら、さっと闇に紛れて周囲の森や村内に隠れた。
「奴らを炙りだすか、潜伏場所に行ってひとつずつ潰していくか……」
「炙る……村の建物を燃やす気か?」
「よく燃えるだろうなぁ……って、今のが冗談だったら笑えないぞ、ヴィスタ」
村人は家にこもっている、という話だから、確認もせずに家を燃やしたり破壊したりはノーだ。
「まあ、向こうは狼と違って人間を積極的に襲うらしいからな。囮を出せば食いつくだろう」
「で、誰を囮にするつもりだ? ジン」
「……普通に考えたら、俺だろうなぁ」
ヴィスタはマジックアーチャー。その長所は魔法弓を使った投射攻撃。近接戦は避けることを考えれば、遠近どちらも対処できる俺が前衛、ならぬ囮役をするべきだろう。……後衛職の魔法使いが囮ってのも何だか間違っている気がしないでもないがね。
「中央の広場へ行く。……ヴィスタは手近な民家の屋根の上に。行けるか?」
「魔法で上げてくれると助かる」
浮遊――俺は指を振って、ヴィスタを家屋の屋根へと浮かせる。屋根の上は、魔獣も飛び上がれず、逆にアーチャーにとっては絶好の射撃位置となる。
「さて、どんな手で魔獣が出てくるかわからないからな……」
囮役のこっちには四方八方から群がってくる可能性を考えて、防御魔法をかけておこう。体当たり、牙、爪などに備えて、光の障壁あたりでいいだろう。火の壁も考えたが、体当たりされた時、燃やしきれずに突っ込まれると防ぎようがないのでやめた。
ちなみに光の障壁は、別に光が壁になるわけではなく、光の屈折によって見えない壁が形成されるのであって、光自体が防御効果を持っているわけではない。普通に壁を出しておけばいいかって? それでは周囲が見えなくなるでしょうが。
そして村の中央広場へと俺は歩みを進める。このまま真っ直ぐ北上すると、以前荷物を届けた大地主の邸宅へ行くのだが……はたして無事だろうか。昨日の偵察では明かりもなく、人の気配がなかったか。
「……おっと」
前方に、例の黒い狼のような魔獣を視認。向こうもこちらを睨んで――
ドンと、激しい衝突音が右側至近から響いた。思いがけない音に、俺は手にした杖を構えれば、右手に例の獣がもう一頭。いつの間にかすぐ近くにいるではないか! 衝突音は展開した見えない障壁に魔獣がぶち当たった音か。
とか言っている間に、さらに二回。先ほど視認したやつと、別のもう一頭が同じく突進してきたのだ。
やべぇ、こいつら、視認できないほど速く突進してくる!?
俺は障壁に守られつつ、一度距離をとるべく後退する。黒い魔獣らたちも不意に飛び退いた。つい一秒ほど前に狼らがいた場所に、雷の矢が突き刺さる。
ヴィスタだ。……というか、狼ども、彼女の矢をかわしやがったぞ。
「ライトニング!」
俺は矢をかわした魔獣の一頭に雷弾を追い討ちとして放つ。だが獣は、軽やかなステップでそれを避け、一気に十メートル以上離れた。あまりに速すぎて、一度ステップを踏むとそれだけの距離を飛べるのだろう。
ガンっ、とまた別の魔獣が俺の死角から飛び掛ってきた。障壁なかったら、マジやられたぞ。
「火柱!」
向かってくる敵めがけて、地面から爆発と同時に火柱を噴き上がらせる。だが。
「これも避けるか!」
魔獣たちは二手に分かれて火柱から逃れる。
だがこの時、ヴィスタも危機に陥っていた。
広い射界から狙撃に徹するエルフの弓使いだが、魔法弾を魔獣どもはことごとく回避した。
それどころか――
「跳んだ!?」
一頭の魔獣が別の民家の壁を蹴ると、ヴィスタがいる建物の屋根まで飛び上がってきたのだ。すぐに魔法弓を構え、撃った時には黒き魔獣は懐に飛び込んでいて。
やられる!?
迫る爪。だが寸前で見えない壁が、ヴィスタと魔獣の間に割って入るように現れ、弾き飛ばした。見ればギル・ク改の魔法文字が光っており、持ち主であるヴィスタを防御魔法で守ったのだ。
――ジンに改良してもらっていなければ、今のでやられていた……!
「ヴィスタ、来い!」
俺は叫んでいた。今のままでは奴らのペース過ぎて、こちらの打つ手がない。一旦、仕切りなおす必要がある。
屋根から飛び降りた彼女のもとへ駆け寄る俺。そして距離は離れているが、黒い獣の姿が正面、横、後ろに――
「ストーンウォール!」
地面の土砂を瞬時に石化、それらがせり上がり壁となって、ドーム状に俺たちの周囲を覆った。直後、体当たりされたと思しき衝突音がした。……もしかしたら一頭ぐらい頭からいって衝突死していないだろうか。
「とりあえず、シェルターはできた」
俺とヴィスタを囲む岩のドーム。わずかな隙間が空いているので、光が差し込み、空気も入る。ただ狭いので、そのうちやや暑苦しくなってくるだろうが。
少なくとも、あの黒い魔獣はせいぜい手を突っ込むくらいしかできないだろう。突っ込んできてもこちらには届かないし、その手を切り落としてやるけどな。
俺はDCロッドを出すと、スライム床を座布団代わりにして座り込んだ。
さて、ここからどう仕切りなおすか。




