第23話、依頼達成
探していると見つからない。マーフィーの法則だったかはうろ覚えだったが、グレイウルフに遭遇できたのは、倒したクラブベアを解体し、クアブラッド(薬草)を目的数回収した後だった。
ようやく召喚狼に反応して、姿を見せたグレイウルフは、威嚇の声を上げて召喚狼との距離を詰めてきた。
俺とベルさんは、少し離れたところで、息を潜めて見守る。ここで近づこうとすれば、こちらよりも遙かに聴覚、嗅覚に優れるグレイウルフを警戒させてしまう。
向こうもこちらに威圧をかけ、挑んでくるならいいが、逃げに入られてしまうと、元の木阿弥である。……このあたりが、狼狩りに難儀するところなのだ。
だから人間は飛び道具と、狼の足に匹敵する狩り専門の猟犬などを使って狼を狩って来たのである。他には罠は毒餌もあるが、それはこういう目の前で遭遇した時に使う手ではない。
クラブベアのように、かまいたちで遠方から斬るか。……いや、かまいたちが周囲の木の枝や葉を散らしてしまったら、そこから察知して回避するかもしれない。
そうなると――俺は、そっと両手を前に伸ばす。その手の先に、グレイウルフの姿を捉えると、大気中の魔力へと感覚を伸ばす。
距離が詰められないなら、相手を引き寄せろ、ってね。
伸ばした『見えない手』で、そっとグレイウルフを包み込み……捕らえた! その瞬間俺は前に伸ばした両手を引いた。
魔力に包まれたグレイウルフの身体がふわりと地面から浮かぶと、餌に食いついた魚を竿で釣り上げるように、俺のもとへ一気に引き寄せた。
グレイウルフが、犬のような鳴き声をあげたのも刹那。俺の眼前にまで引っ張られた狼は、地面に思い切り叩きつけられた。黒豹姿になったベルさんが、哀れなグレイウルフの喉元を一撃で噛み切った。グレイウルフ、一丁上がり。
「やれやれ、結構、手間取ったな」
さっそく灰色狼の解体作業にかかる俺。ベルさんは「見つけるまでがな」と言いながら、その様子を眺める。狼の毛皮って売れるんだよな、やっぱり。
「これからどうする、ジン?」
一応、ギルドで受けた依頼は果たした。
「んー、そろそろ昼前か? 『大空洞』行こうかと思ったけど、昼飯ついでに一度、依頼清算しておくか」
一度に多数の依頼は受けられません、だし。いまは薬草、狼のほかに、クマ退治と角兎の角収集も条件を達成している状態だ。
その前に、仕掛けた落とし穴の様子を見に行くか。
元来た道を引き返す俺たち。狼用の罠が二つ。その一つに、グレイウルフが一頭落ちていた。餌である兎肉に引っかかったのだ。狼は声を荒らげながら、落とし穴の中をぐるぐると回っていた。……狼二頭目、ごちになりますっ。
そしてもうひとつ仕掛けた落とし穴は――餌だけなくなっていて、落とし穴に引っかかった様子はない。……たぶん、肉食性の鳥、鷲とか鷹とかが空から掻っ攫ったのだと思う。
次からは、鳥対策にスライム床を餌の周りにも張っておくか。などと考えていると、いっそ召喚スライムを置いたほうが早いかも、という案を思いつく。
飛行形態のベルさんに乗って、俺は王都へと帰還するのだった。
・ ・ ・
「はい、依頼達成を確認しました」
冒険者ギルドの窓口で、受付嬢のマロンさんが、依頼達成証明書を確認しながら笑顔を向けてきた。
「グレイウルフを二頭も狩ったんですね。初討伐でこれは凄いです」
「そうかい? 狩人とか、狼と向き合ってる冒険者なら仕留める人もいるでしょ?」
俺は、報酬を受け取りながら答えた。グレイウルフ討伐一頭で1000ゲルド=1金貨。二頭で2金貨。そして薬草採集依頼の達成で銅貨50枚。……銅貨が1円なら、銀貨が100円扱いなので、10円に当たる硬貨が欲しくなる。
「確かにグレイウルフ依頼を一回で果たした冒険者さんはいますが、初回で二頭を一度に狩ってきた人は、私の記憶にはないですね」
素朴な美女であるマロンさんが笑顔でそんなことを言うと、俺も少しこそばゆいものを感じる。
グレイウルフ自体は強くないが、追いつくという意味で討伐が困難。それゆえ強さの割に報酬額が高いのだが、締めて報酬2050ゲルドの獲得である。平均労働者の日給が300ゲルドであることを考えれば、充分すぎる額である。
「あー、それでマロンさん。依頼二件をこれで果たしたわけだが、次の依頼も受けたいんだが……いいかな?」
「二件終えたばかりなのに、もう次の依頼ですか?」
マロンさんが目を見開く。俺はカウンターに肘をついてもたれながら、「まだ昼前だし」と言えば、褐色肌の少女職員は頷いた。
「そうですね。まだ日が高いですから。でもでも、頑張りすぎはよくないですからね。冒険者に成り立ての方は、討伐依頼を五回――」
「遂行する前に死ぬか引退する者が多いって話ね。ラスィアさんに聞いたよ。心配してくれてありがとう」
営業スマイル、というより本心からの笑みが出た。心配してもらえるのは、嬉しいものだ。
「それで、朝きた時、確かホーンラビットの角のやつと、クラブベア討伐の依頼があったと思うんだけど、まだ残ってるかな?」
「クラブベア!? ……確認しますね」
マロンさんが確認に席を離れる。待つ間、俺はカウンターに座るベルさんと他愛無いお喋り。
「お待たせしました。まだ依頼残ってました。受けられますけど……その、受けられるんですか? クラブベアの討伐依頼」
「ああ、頼む」
俺が頷いたら、マロンさんが物凄く心配そうな顔になった。マジ心配されちゃってるみたい。
「大丈夫。クラブベアなら昔相手したことあるから」
嘘です。でもすでに一頭仕留めた後だから、何も心配いらないよマロンさん。
「殴り合うならいざ知らず、俺は魔法使いだから対処できる」
「そう、ですよね。ジン様は魔法使いですし。でも油断はしないでくださいね」
「気をつけるよ、ありがとう」
依頼手続きを終え、マロンさんに礼を言った俺は窓口を離れ、そのままギルドの出入り口へ足を向ける。ベルさんが口を開いた。
「……もう達成しているから、受けたその場で終了手続きすると思ったんだが」
「どうせ昼飯食いに出るんだし、少し時間を置いたほうがいいかなって思ってさ」
単純に、もうクマ倒したよ、っていうタイミングを逸したというか。マロンさんが表情豊かなもので、ついね、つい。
・ ・ ・
トゥルペ・メランは、黒猫を連れたFランク冒険者の魔法使い少年がギルドを出ていくさまを、ぼんやりと眺めていた。
そろそろ食事時ということで、窓口が暇になっていた。隣のカウンターのマロンは真面目に書類整理していた。
「ねえ、マロン。先、食事行ってきなよ。ここあたしが見ておくからさ」
「んー? もう時間かー。わかりましたー、先にお昼行ってきまーす」
冒険者相手だと普通の口調だが、仲間内だと、妙に間延びした口調になるマロンである。結構、田舎者。
マロンが席をはずし、トゥルペは窓口に肘をついて、ぼんやりと時間が流れるのを見やる。冒険者ギルドの一階フロアは閑散としたもので、時間はずれの冒険者がやってくる様子もなく、また掲示板の前には誰もいない。
いや、いた。ただしうちの職員だ。
三十代にも四十代にも見える、背の高い細い男性。眼鏡をかけた淡々とした顔立ちの彼は、ソンブルという名前だ。
解体部門のチーフをしているが、血のついたエプロン姿でウロウロしていると、ちょっと怖い。血の匂いは職業病だから仕方がないとはいえ、あの表情が動かないところは、トゥルペは苦手だった。
そのソンブルが、掲示板を離れると窓口――いまはトゥルペしかいないため、真っ直ぐこちらへとやってきた。……怖い!
「メラン君。あのワイバーンの討伐依頼は新しく貼り出されたやつかね?」
「はい……?」
新しく? どういう意味だろう、とトゥルペは首をかしげる。
「今朝、貼り出された依頼ですけど。……新しいといえば新しいですけど」
Bランク依頼で、たしか重要案件扱いだったやつだ。ただ、運悪く王都の上級冒険者が出払っているために、指名依頼にすべきかとギルド長と副ギルド長のラスィアが言っていた。なお、その二人は上級冒険者なので、都合がつかなければ自ら赴くか、とも話していた。
「今朝の? ではまた別のワイバーンが出たわけではないのだな?」
「……ええ」
この人は何が言いたいのだろうか? まったくわからないトゥルペである。
「そういうことなら、いま掲示板に貼ってあるワイバーン討伐の依頼書、剥がしておいたほうがいいぞ」
「はい……? あ、指名依頼になったんですか?」
もしそれなら確かに剥がしておかなくてはならない。Bランク依頼なので、Cランク冒険者が受ける可能性もあるのだが、指名依頼となれば、いつまでも掲示板に貼るわけにいかない。
「いや、そのワイバーン、たぶんもう討伐された」
ソンブルは、例によって表情ひとつ動かさずに言うのである。討伐された?――トゥルペは眉を吊り上げた。
「どういうことです?」
「今朝、ワイバーンの解体素材を持ち込んだ冒険者がいた。まだ新しいやつだった」
「え……それじゃあ」
トゥルペは席を立つが、ふと気づく。
「でもおかしくないですか? 討伐したのに、掲示板の依頼書見なかったんですか、その冒険者」
2万ゲルドの報奨金が出る依頼だったはずだ。それを見逃したとあれば、その冒険者はその2万をみすみす捨てたことになる。
「さて、それは私にもわからんな。だから掲示板見たときは首をかしげたが……。まあ、そんなことはどうでもいい。とりあえず、剥がしておきなさい。いないワイバーン求めて時間を無駄にする冒険者を作らないためにも」
「わかりました」
トゥルペはカウンターを離れ、掲示板のもとへと歩く。ソンブルもついてきたので、聞いてみる。
「ちなみに、そのワイバーンを討伐した冒険者ってどんな人だったんです?」
「初めて見る顔だったな。灰色ローブの少年だ。名前はそう……ジン・トキトモとあるな」
「は――?」
剥がしたばかりの依頼書がトゥルペの手から落ちた。その名前は……あのFランク?
「ええっーーー!!!」
トゥルペは素っ頓狂な声を上げた。
誤字修正。




