第198話、ベネノと奴隷
行きはベルさんに乗って。だが帰りは、ポータルであっという間だ。王都冒険者ギルドの談話室のひとつにポータルを置いてきたからな。
が、そのポータルを開く前に、一仕事。サキリスのメイドであるクロハは俺たちが戻るのを待っていた。だがもう少し待っているように言って、俺はその場を離れる。
バルバラ冒険者ギルド前に集まっている難民たちを避けて通りながら、ひと気のない通りへと滑り込む。
「ベルさん、どうだい?」
「ああ、人はいない」
誰もいないことを確認すると、俺はシェイプセプターを前に立てた。
すると、どろりと変化し、黒髪の美女、シェイプセプターの精霊が跪いて現れた。
「お呼びにございますか、主様」
「ベネノとかいう犯罪組織の者がこの街にいる。そいつを見つけ出して生かして捕らえろ。肩にサソリの刺青をしている」
サソリはわかるか、と聞けば、杖の精霊は「問題ありません」と目を伏せたまま答えた。よろしい、後は任せた。
すっと杖が影となり、その場から消えた。俺とベルさんはクロハのもとまで戻ると、ポータルを開いて王都ギルドへ戻った。
ヴォード氏の執務室へ行く途中、ラスィアさんに会ったのでそのまま彼女を連れて、執務室へ……行く前に、体調が完全とはいえないクロハを職員に預けて休ませておく。彼女には休んだら、学校の寮で待機するように言っておいた。
そして今度こそ執務室へ。俺が訪れるのが予想より早かったらしく、ヴォード氏は驚いていた。ポータルの話をすれば、「そういえばあったな、そういうの」と言っていた。
俺は、バルバラ冒険者ギルドの状況を説明する。タンパル氏が求めていた支援物資の件を切り出せば、王都から回せる物資を用意すると、ヴォード氏は早速ラスィアさんに手配を命じた。
お金にならないですよ、と一言いっておいたが、彼は「こういう時は、持ちつ持たれつなんだよ」ときっぱり口にした。何という男前。
「ジン、移動にお前のポータルを借りたいがいいか?」
「もちろん、そのつもりです」
そこで俺は、もうひとつの懸案事項を打ち明けた。といっても、個人的なものだ。……誘拐されたサキリスの件である。
「彼女を救出する必要があります。非常に心苦しいのですが、バルバラギルドやその他の支援作業は、冒険者ギルドのほうでお願いしたい」
「仲間の危機とあれば、助けに行くのは当然だ。言い方は悪いが、バルバラでの問題は、お前には関係のない話でもある。むろん協力してくれると嬉しいが、強制はしない」
というかだな――ヴォード氏は言った。
「これだけ早く報告を寄越した上に、ポータルを使わせてもらうんだ。それだけでも十分だよ。おかげでこっちは日にちやコストをかけずに物資を順次送れるのだからな」
「それよりも、ジンさん」
ラスィアさんが口を開いた。
「『ベネノ』はかなり危険な犯罪組織です。その……上級冒険者を、サキリス嬢救助に差し向けるべきではありませんか?」
「そうだな。むしろ、そういうことなら、おれが手を貸そうか?」
ドラゴンスレイヤーであるヴォード氏。その実力は折り紙付きだ。そんな彼が、サキリスの救助に力を貸そうと言ってくれた。バルバラギルドが二の足を踏んだ事柄に、躊躇なく踏み込もうとしている。
だが、俺は首を横に振った。
「お気持ちはありがたいですが、俺とベルさんで事足りますよ。それよりバルバラの人たちの助けになってやってください。ベネノや他の悪党どもに、避難民も恐れを抱いているでしょうから」
「そうか。……それもそうだな」
ヴォード氏は、とても残念そうな顔をした。ほんと、その気持ちだけで充分ですよ、ギルド長。
会談はそこで終了。ラスィアさんに支援物資の準備をさせつつ、俺とベルさん、ヴォード氏は一足先にポータルでアルバンの街に行き、再びギルドのタンパル氏を訪ねた。
「ヴォードさん! こんなところへお越しいただけるとは!?」
タンパル氏の声がフロア中に響き、注目が集まる。駆け寄る彼を懐かしげに見ながら、ヴォード氏は、俺の協力のもと、すぐに支援物資を届ける上に、必要なら王都ギルドに場所を貸すと告げた。ポータルの件は、古代魔法の特殊な装置を使っている、と適当な嘘をついて。
これから、ここと王都を頻繁に行き交うことになるだろうが、詳細はギルド長たちに任せて、俺は早々にバルバラ冒険者ギルドを出た。
その足で、シェイプセプターの精と合流する。彼女はすでに仕事をこなしていた。
肩にサソリの刺青を入れたベネノに所属するだろう人間を捕らえていた。三十代くらいのスキンヘッドの男だ。旅人を思わす格好ではあるが、威圧感がある。
が、その彼も後ろ手に縛られ、地面に転がっていた。よく見ると、腕と足首に黒い塊がついていて、おそらく拘束具の役割を果たしているようだった。まあ、いい……。
「それじゃ、こいつを叩き起こして、お話しようかね。ベルさん、やるかい?」
「お、いいのかい? ふふ、しゃあねえな」
楽しそうに黒猫は黒騎士形態に変わる。さて、このスキンヘッドの男は何分もつだろうか。
・ ・ ・
目が覚めた時、サキリスは薄暗い部屋にいた。
腕、そして足を動かそうとして動かないことに気づく。この感覚は……拘束されている時のそれだ。
――わたくしは、まだ夢を見ているのかしら……?
耳に、ゲスい男の笑い声が聞こえた。
目を見開く。
両腕を頭の上で鎖で拘束されていた。サキリスは、すぐそばに身なりの汚い盗賊風の男がいるのに気づいた。
そして完全に思い出す。吹き飛ばされた故郷、跡形もなくなった城。到着前にすれ違ったテルシナーの街の住人の生き残りから、領主家族は全員城にいたと聞いた。……つまり全員死んだのだ。両親も兄たちも。自分以外全てが。
そして自分は、後ろから突然襲われて……。
油断していた。こんなことになるなら、学校を出る前にジンに声をかけておけば……。
後悔先に立たず。そしてふと気づく。いつの間にか着せられている服が、貧相なボロ服になっていることに。これまでの自分とまったく違うそれに愕然となる。
「へへへ……」
盗賊風の男が、いやらしい目つきをサキリスに向けていた。じろじろと見ていただけでは物足りないのか、その手がふらりとあがって――
――嘘、ですわよね?
サキリスは青ざめる。どくん、と心臓が鳴ったのは、何だったのかはわからない。その時――
「手を出すんじゃないよ!」
鋭い女の声が、室内に響いた。ビクリとした男が硬直して、首をめぐらす。
「あ、姐御!?」
「商品に触れるんじゃないよ。こいつはキャスリング家のご令嬢なんだからね……。傷物にしたら、あんた、ボスに首を刎ねられるよ?」
「……へ、へい」
消え入りそうな声で、男がうなだれた。女――髪をショートカットにしたスレンダーな美女が靴音を響かせてやってくる。レザーアーマーを着込んだ軽戦士といった姿だ。目つきは鋭く、獰猛さが際立つ。
「いいかい、そいつは極上なんだ。お前のような金のない奴が触れるような女じゃないんだ。……出ていきな!」
男は、そそくさと部屋を出て行った。姐御と言われた美女は、まったく、とため息をつく。
助けられたの――サキリスはわずかにホッとしたが、依然として拘束されたままなのは変わらない。それよりも、商品と言ったか? ということは、自分は売られるのか?
またもドクンと心臓が鳴った。本当によくわからないが、胸が苦しくなる。
「さて、お嬢様には奴隷の身に落ちてもらおうかね。そのために、とっておきの隷属魔法使いを連れてきたからさぁ。なんたって、あんたは極上だからねェ……!」
女はにんまりと笑った。人の不幸を愉しむ性根がにじみ出た表情に、サキリスは慄くのだった。




