第151話、ヨウ・ハルカ
王都の西地区にある酒場に、俺とベルさんはいた。
こじんまりした印象の店内。木目の床は往来で黒くなっている。カウンターは立ち飲みの客用。テーブルは六つで席につくならそちらだ。
時間帯は、お昼を少し過ぎたあたり。昼間から酒を飲んでいる連中――といっても真水代わりに酒で水分補給としている者たちは、酔っ払うほど深酒はしない。なにせまだお昼休みで、まだまだこれから働くのだから。
俺もエールを飲み、人の姿に化けているベルさんも同様だ。待ち合わせ中なので、テーブル席に俺たちはいる。
最近漆黒の騎士さまが王都で話題になりつつあるので、鎧などはつけていない。人型のベルさんは、がっちり逞しい体躯をしていて、強者のオーラをむんむんとさせているので、下手に絡まれることはない。
周囲の客が仕事に戻り始め、酒場内が少し静かになる頃、待ち人がやってきた。
黒髪の少年、いや少女――どちらともとれる人物。いかにも旅人が好みそうな茶色い地味な外套をまとう、小柄なその姿。
前から見るとショートカット、だが後ろ髪をやや伸ばしていて、それを小さく紐で縛っている。やや垂れ気味の目元、少女のような愛らしい表情と相まって、女の子に見える。
「こんにちは、ジンさん、それにベルさん。お久しぶりです」
俺たちに気づいたその人物は、こちらへとやってくる。
鳥凪遥。
日本人。年齢は16、いや17かな。俺と同じく、この世界に召喚された人間……んー、人間、かなぁ。
ちなみに名前は、ヨウだ。ハルカと名乗っている時があるので紛らわしいが。
俺が、ジン・アミウールを名乗り、英雄をやっていた頃に知り合った人物のひとりだ。なお、異世界から来た人間は他にも何人か出会っていたりするが、それはまた別の話だ。
俺のもとへやってくるヨウ君だが――途中、ガタイのいい男にその肩をつかまれた。
「おっとお嬢ちゃん、ここはガキの来るところじゃないぜぇ」
ぐへっ、とその角ばった顔は紅潮している。昼間から深酒をする奴はいないと思っていたが、強かに酔っ払っている例外もいたようだった。
「ああ、すみません。その手を放していただけませんか?」
ヨウ君が、にっこり微笑みながら、その男を見上げる。
「僕、男の子なんですけど」
「はぁ!?」
ガタイのいいおっさんが声を荒らげた。
「おまえ、俺が酔っ払っていると思って、そんな適当な嘘を――」
いや、兄さん酔っ払ってますやん。俺は思ったが、ベルさん共々、止めに入らない。止める必要もない。
「放せと、言っているんですが?」
ヨウ君の目が光る。次の瞬間、ガタイのいいおっさんの背後にさらに黒い影のような巨漢が現れる。手にした斧が、おっさんの喉もとで止まる。
「同じことを三度も言わせるんですか? 次はありませんよ……?」
「……!」
おっさんは、ヨウ君の肩から手を放した。すると背後の影も消える。ヨウ君はにっこりと笑みを浮かべて頷くと、俺たちのもとへ来た。
「もう、ジンさん、ベルさん。見ていたなら助けてくださいよー」
「え、助ける必要あったか、ベルさん?」
「ないな。なあ、影使い」
ベルさんはエールのお代わりを注文した。お前も飲むか?と問われたヨウ君は、首を横に振った。
「僕は未成年なので」
「この国の法に、飲酒の年齢制限はないぞ」
「ああ、飲まなきゃ死んじゃうもんな」
「お二人とも、酔ってます?」
俺たちは肩をすくめた。そんなに酔っていないと思うが、そう言うセリフを吐く奴は大抵酔っ払っているからな。
「それで、仕事の話をしたいんだが……いいかな、ヨウ君」
「どうぞ、ジンさん」
ヨウ君は頷いた。
この酒場に俺たちがいた理由、そしてこのヨウという名の異世界人を呼び出したわけを説明する。
「フォリー・マントゥル……」
「そう、そのイカれた魔術師のことを調べてもらいたい。奴の足跡をたどり、もし生きているなら、その所在を突き止めてほしい」
「死んでたら、墓の場所も教えてくれると助かる」
ベルさんは言った。ヨウ君は目を丸くした。
「お墓参りでもするんですか?」
「そりゃお前、死体を掘り出すからだよ」
「まさか、フィンさんに頼むとか――」
「いや、別にあの死霊使いは関係ない」
異世界人の知り合いにネクロマンサーがいるが、復活させるつもりはない。
「正直、手がかりがほとんどなくてな。ヨウ君には悪いが」
「簡単に解決する問題なら、わざわざ僕を呼び出したりはしないでしょ、ジンさん」
ヨウ君は微笑んだ。男の子ではあるが、女の子のようだ。……一瞬、アーリィーのことを思い出した。……いざとなったら、こいつをアーリィーの代理に仕立て上げることもできるか。
鳥凪ヨウ。この人物は変幻自在に影を操る能力を持つ。それは己の姿さえ変えることもできる。男であり、女である。なんでも昔は、コウモリなんて言われていたらしい。性別がどっちかわからないからとか何とか。
なお、日本にいた頃は、異形の力を操るニンジャだったそうだ。……異世界くんだりに来なくても不思議な力を操るわけのわからない一族とかいたんだねぇ。初めて聞いた時は苦笑いだったよ、本当。
「それじゃ、よろしく、ヨウ君。時々、報告を寄越してくれると助かる」
「わかりました。では、さっそく――」
ヨウ君は席を立つと、音もなく酒場を去っていく。俺とベルさんは顔を見合わせると、残ったエールを呷った後、席を立った。
・ ・ ・
平穏なる日常は最高だ。
魔法騎士学校でやっている学生という身分は、少々面倒ではあるが、アーリィーと学校生活を送るのは、そう悪いものでもない。
例の地下都市での遠征以来、アーリィーは午後の自主剣術練習に積極的に取り組むようになった。
「ボクは王子だから、戦場に出ることも増えるかもしれない。いまはまだ未熟だけど、自分の身は自分で守れるようにしたいんだ」
前向きになっている、と解釈すべきなんだろうな。将来のことを考えながらも、どうしたらいいかわからず、日々を持て余していた。俺と出会う前は、割と引きこもりだったらしいから、これは前進と言えるだろう。まあ、彼女の場合、性別のことがあったから、引きこもっているのはある意味正解なのではあるのだが。
そんな午後の自主練には、他の騎士生徒――主にサキリスとマルカスが、連日参加する。マルカスは自分の技量向上に熱心で、よく相手をしてやるのだが、問題は……サキリスである。
昼間は真面目なんだ。相変わらず高飛車というか周囲に高圧的なんだが、それも最近ではずいぶんとソフトだ。が、夜も近くなると、別の意味でのお誘いが来ることもしばしば。
別に性的なことはしていない。アイツは、露出癖があってドMなだけでな。
ただ最近、アーリィーがいる前でじゃれつかれると、少し視線が気になりつつあった。
実質、俺とアーリィーは恋人も同然だが、公の立場から恋人とは言えず、愛人的な密かな付き合いだ。当然ながら、俺が他に恋人を作ろうが問題はないと、アーリィー自身も認めている。
なんだけど――
「サキリスと付き合ってるの?」
アーリィーに唐突に言われた時、俺はとっさに返す言葉が浮かばなかった。




