第107話、急変する状況
ルイーネ砦地下を出て、演習場のキャンプに戻る俺たち。予定より早い戻りだと、キャンプ地に待機していた教官は言った。
ラソン教官は貴族組に同行しているので、今は留守だ。少し早いが休憩でも――
「ジン!」
と、黒猫姿のベルさんが近くの茂みから飛び出した。
「おいおい、どうしたんだ?」
「いや、さすがに竜の姿でここに降りるわけにもいかなかったからな。と、それよりヤバイぞ、大変だ!」
「なんだ?」
「モンスターの大群だ!」
ベルさんは小さな身体を目一杯大きく見せた。
「ゴブリン、オークその他総動員で南から北上中だ! 凄かったぜ、まるで黒い海が平原を覆いつくすみたいに広がっていってよ」
「ベルさん、それ本当!?」
アーリィーが顔を強張らせた。マルカスやサキリスも何事かと集まってくる。
「本当も本当。どこかのダンジョンからのスタンピードにしたって相当だ。ありゃ、通り道にあった集落は全滅してるぞ」
「そんな……」
「北上していると言ったな?」
俺が言えば、意味を察したかベルさんは唸った。
「あぁ、このまま行くと王都にぶつかるな」
「すぐに王都に知らせないと!」
アーリィーが言えば、話を聞いていたユナが「教官に報告します」と一礼してキャンプ担当の教官のもとへ足早に進んだ。
近衛のオリビア隊長も、周りの魔法騎士生たちも事態が呑み込めていないのかざわついている。まあ、そのモンスターの大集団を見たのは、今のところベルさんだけだからだろうか。
「ここも危ないかな、ベルさん?」
「かもな。森の獣たちが大人しすぎる。王都に戻れば間違いなく、連中とやりあう羽目になるだろうが、この森を連中が通らないという保証はねえからな」
もし通ったら――サキリスがゴクリと唾を呑む。ベルさんは淡々と答えた。
「ここにいる連中も、無事じゃあ済まねえだろうな」
「ここにいるのと、王都に避難するのとどっちが安全だと思う?」
マルカスが問うた。
「んなもん、オイラが知るかよ。……まあ、戦うっていうんなら外壁がある分、王都のほうが断然やりやすいだろうが」
「お師匠」
ユナが戻ってきた。血相を変えて。
「大変です。森に入った貴族組のうち一斑が、森の獣の集団に遭遇し包囲されてしまったと伝令が……!」
「は?」
何とも間の抜けた返事になる俺。貴族組が森の獣にって……大人しくなって潜んでいたんじゃないのか?
ベルさんが口を開いた。
「大方モンスターの大軍が迫っているのを感じて、逃げ出そうとした連中と鉢合わせしたんだろうよ。お互いパニクって、収拾つかん状況になってるんじゃね?」
俺は頭をかいた。ユナが俺をじっと見つめている。……なに、その期待するような目。教官はそっちだから生徒たちを導きなさいって。
じぃー、とアーリィーが俺を見ている。あの、えっと、何で君までそんな目なの?
「オリビア隊長」
俺が注視をかわすべく話を振ると、赤髪の近衛隊長は言った。
「速やかにここを離れるべきだと愚考しますが。……特に、アーリィー殿下は」
「馬鹿な、他の生徒たちが森で動けなくなっているのに?」
アーリィーは反論した。
「皆で脱出できるようになるまで、ボクだけ逃げるわけにはいかない!」
ただ正義感や責任感で言っているのではなかった。
貴族の子らを見捨てて王族が逃げるというのは、将来的にその貴族の家からの信用に関わる。王族の命が優先ではあっても、それに甘えてばかりいられないのもまた王族だった。政ってのは難しいね。
「じゃあ、やることは決まったな」
俺は周囲を見回した。
「貴族生連中を回収して、さっさと全員で森を出て、王都を目指す。救出隊を編成。それ以外の面々はキャンプを引き払い、撤退の準備……これでどうよ?」
「それでいきましょう」
「はい」
ユナ、オリビアが頷いた。俺は手にオークスタッフ……そういえば先日の神殿探索で一本折って、手持ちが一本しかないことに気づいた。魔法車改造とサフィロの魔力回復のことばっかりやってたからな、まあオークスタッフは残り一本しかないが、他があるしいいか。
「時間が惜しいから、俺が行ってくる。……他はアーリィーとベルさん、ユナ、君も来てくれ」
ベルさんとユナが同意し、アーリィーは一瞬自分が呼ばれたのが信じられない顔になったが、すぐに「うん」と力強く頷き返した。慌てたのはオリビアである。
「殿下も、ですか!?」
「アーリィーはエアブーツを持っている。それに俺がいれば、転移――ちょっとした魔法で安全圏に飛ばせる。本当にヤバいときにはアーリィーを逃がせる」
「ですが! いや、さすがに危険が迫っている状況で近衛がつかないのは――」
「オリビア、君はエアブーツの速度についていけないでしょうが」
俺が指摘すると、何か言いたげだったサキリスとマルカスも開きかけた口を閉じた。……ひょっとして君たちも救出隊に志願しようとしていた? エアブーツないから諦めたといったところかな。
「お師匠。わたしは魔法で加速すれば、ついていけます」
「ん?」
「お師匠は、わたしの足にベルさんを使おうとしたのでしょう? オリビア殿にそちらを譲れれば、彼女も随伴できると思います」
「オイラを『足』呼ばわりか……」
ベルさんが口をへの字に曲げた。すまんね、ベルさん、俺はあんたの背中にユナを乗せていこうと思ってた。そのユナがベルさんに頼らずともついていけるというのなら。
「わかった。オリビア、アーリィーの警護として君の同行を認めよう。それでいいかな?」
「……それしかないようですね。配慮、感謝します」
オリビアが頭を下げた。俺は応えると、サキリスとマルカスを見た。
「貴族生たちを連れて戻る。それまでにここの皆で、撤退の準備を進めてくれ。合流したらすぐにここから離れられるように」
「わかった」
マルカスが頷く。俺は、サキリスを指差した。
「出ないとは思うが、魔獣とか迷い込んできたら、二人を軸に何とかしてくれ。頼りにしてるぞ!」
貴族生組の危機を報せてきた伝令役の生徒におおよその位置を聞き出し、俺とアーリィー、ベルさん、ユナ、オリビアの五人は演習場を離れた。
・ ・ ・
「撤収準備ーっ!」
マルカスは大声で、残る生徒たちと聞いていたキャンプ担当教官に言った。
「魔獣の大群が迫っている! 森に出ている生徒たちが戻ったらすぐにここを離れられるように、撤収の準備だ! ……ほら、早くしろ、早く!」
棒立ちの生徒たちに促し、マルカスはため息をついた。隣に立っていたサキリスはポツリと「頼りにしている……」と呟いた。
「ん? ああ、ジンにああ言われたらやるしかないよな」
まったく、とマルカスは髪をかいた。
「あいつ、なんか普通に仕切ってたな……」
教官たちが指示するでもなく。
アーリィー王子殿下を呼び捨てにしている、という話はちらほらと聞いていた。実際目の当たりにもした。生徒たちの中には不敬ではないかと憤る者がいたが、当の殿下はさも当たり前のように振る舞っていて、彼を重用している。それだけ信頼されているのだろう。
かと思えば、ユナ教官はジンを「お師匠」などと呼んでいる。そして先ほどの近衛隊長も、ジンには敬語だ。
この森に、いや王都に危機が迫っているという。そんな状況でも慌てるどころか、素早く決断し、行動に移した。手慣れている……。これが現役の冒険者とでも言うのか。
まったく、頼もしいったらありゃしない。
王子殿下でもなく、教官でもなく、一生徒のはずなのに。




