籠010 通る計画
一週間と啖呵を切った事により、いよいよ後には退けなくなった。
新たな魔術に関しては、根を詰めて今日までもやってきた。
起きては講義を受けて、魔術の実践に精を出して、寝る前には魔導書にかじりつく日々。ここまで、怠けてはいないはずだ。
それでも、成果は目に見えて浮かんでこない。
ルウナの余裕の微笑みは、そこを見透かしたものかも……って、それは考え過ぎか。
考え過ぎだよな?
しかし、残された期間は六日だ。
その間に魔術を仕上げなければならない。
私が苦況に立たされている事自体は被害妄想でもなく、紛れも無い事実であった。
「ミネオマルタ地下貯水槽はどうだ」
クラインは私の隣で、二冊の魔導書を見比べながら言った。
「なにそこ」
「地下水道の深くに存在する巨大な貯水槽だ。雨が少ない時期であれば、広大な空間が広がるばかりの、人気の無い場所だ」
「おおー、いいなそこ」
私は頬杖をつきながら、やる気なく答える。
地下水道の巨大空間か。そりゃあ人も少ないだろうな。何があるわけでもなし。
けど、魔術の特訓をする分には都合の良い所だとは思う。
「問題は、水が溜まっていない間は凶暴な魔獣が無数に徘徊しているらしい事だな」
「……そこはやめとくよ」
ルウナと戦う前にそれ以上の死闘を繰り広げてどうするんだ。
魔獣は人とは違うのだ。相手が一匹であっても、不用意に手を出したくはない。
「ブルーゲッチェルの大広間という場所がある。そこには立ち入る人もいない」
クラインは続けて言う。
「へえ、名前からして広そうじゃん。魔獣も出てこなさそうだし」
「ああ。滑らかな石造りの大広間だ。そこでコップ一杯の水を振りまけば、雫は軽やかに走るだろう。昔は貴族たちのダンスホールとしても使われた事がある」
「ん? ダンスホール?」
「問題らしい問題は、ミネオマルタの城内にあるということだな」
「大問題だよ」
そりゃ王が不在の城になんか人もいないわな。
でも管理だけはしっかりされているから、忍びこむのは不可能だ。
言った本人もその辺はわかっているのだろう。気のないしゃべり方であった。
しかし、ろくな候補が挙がらないな。
名誉司書と呼ばれるクラインですら、広くて人のいない場所には心当たりがないらしい。
さすがは大都会ミネオマルタ。私の故郷のように、そうそう余計なスペースを余らせてはいないということか。
そうなると、これはまた、枯噴水公園のお世話になるしかなさそうだな。
遠くてもこの際仕方ない。
移動に時間がかかっても、選択肢がひとつであればやむを得まい。
「今日はある程度時間が取れる。君の魔術を見てやろう」
「いいの? クライン」
手伝ってくれるんだ。嬉しいけど、それは意外だった。
最近のクラインは光魔術に没頭しているから、約束とはいえ私に割く時間なんてこれっぽっちもないように思えるんだけど。
「光属性術の講義が一向に本題へと入らなくてな。もうしばらくは、馬鹿共の足並みが揃うのを待つことになりそうなんだ」
どうやら彼に言わせれば、現状の講義でも既知の範囲内であったらしい。
過剰に予習しないところから察するに、よほど自分の持つ知識に自信があるのだろう。
“最初の講義であの部分を飛ばしていたし、導師には向いていないのかもしれんな”とか駄目出しまでしている。
……まあ、何はともあれ、手伝ってくれるのはすごく嬉しいよ。うん。
はあ。しかしせめて、どうして蜂起が発動しないのか、原因がハッキリしていればいいんだけどな。
未だ、新たなる術の閃きには、遅々として出会えない。
「やあ」
なんてことを考えながら第五棟の階段を降りていると、旧知の仲に挨拶を交わすような気軽さで、ゾディアトス導師が片手を挙げていた。
胡散臭い糸目の笑顔は今日も爽やかだった。
「……」
私は軽く頭を下げて、脇を通り抜ける。
「いや、君だよ君、君に挨拶したんだ」
通り抜ける前に、導師によって阻まれてしまった。
今の挨拶、私へのものだったのか。
確かに後ろにはクラインしかいないから、何だろうとは思ったが。
「は、はあ。えっと、はじめまして……?」
「はじめまして。ロッカ=ウィルコークス君だね」
「え、はい……まぁ」
おかしいな、どうして彼女に名前を覚えられているんだろう。
一度講義は受けたけど、私が受けたのは最初のその一回だけだ。
特別導師に好かれることも、嫌われるようなこともした覚えはないんだけどな。
私が狼狽える横で、クラインは怪訝そうな表情を浮かべていた。
そんな顔をされたって、私にも今何が起こっているのかはわからない。
「お、それに君は……クライン=ユノボイド君だね」
「はい。それが何か」
本人に悪気はないんだろうけど、その鋭い切り返しには、私の肩が竦みかけた。
クラインの名前まで知っているとは。いや、こいつは有名人らしいから意外でもないのかな。講義も何回か出ているし。
「いやね、実は前にうちのスズメ……ああ、ウィンバート君がね、ロッカ君の世話になったっていうからさ。そのお礼とでもいうのかな」
確かにちょっと前に一度だけ、荷物運びを手伝ったことはある。
けどそんなことでわざわざ……。
おいそこのクライン、今ボソッと“また殴ったのか”とか言ったな。
そういう意味の“世話”じゃねえよ。
「お礼、といっても……こっちもゾディアトスさんに」
「リゲルでいいって」
「……リゲルさんに、危ないところを助けてもらったし」
「はは、あれくらい気にすることはないさ。ほとんどは偶然のおかげで、私はその一割といったところだよ」
今、私はかの高名なリゲル導師と一緒に、話しながら歩いている。
後ろにはクライン。私が話の中心にいるはずなのに、一人だけ別世界に置き去りにされている気分だ。
「ロッカ君とクライン君は特異科だったね」
「はい」
クラインは返事を返さなかった。
「あの岩がそうだったわけだ」
「ええ、まあ、はい……けど、あれきり魔術が成功してなくて」
「ほう?」
「今から、遠くの広場へその練習に行くんです」
「ほうほう」
遠回しな、“用事があるので解放してください”というアピールである。
リゲル導師のような人との会話は、魔道士を目指す人によっては憧れるようなものかもしれないけど、私にとってはまだまだ、遥か雲の上の存在だ。並でない息苦しさを感じてしまう。
正直言うと、さっさとこの人から解放されたかったのだ。
リゲル導師は私達と足を揃えて階段を下りながら、何か崇高な事でも思索するように顎に指を当てている。
きっと彼女の頭の中では、世界の真理に何歩か近づいているに違いない。
「そうだ。丁度私は暇でね。よければ、その君の練習とやらに、私も付き合わせてくれないかな」
「はあ……えっ」
「ほう」
私はただただ驚き、クラインは意外そうな声を漏らした。
リゲル導師は笑っている。
大変だ。
世界の真理が、私に味方してくれることになってしまった。




