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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第五章 荒ぶる風雨

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籠006 旋回する睡魔

 ゾディアトス導師の口は、回り続ける。


「魔力破壊と理式干渉という二つの性質上、魔術破壊という一点においては闇魔術を凌駕する。

 対同位である闇魔術と光魔術が衝突した際に、僅かながら光魔術が勝利するのには、そういった理由があるのだ。

 もちろん五大属性に対してはその何倍もの殲滅力を持っている」


 ここで、ウィンバート助手が黒板の上のフックに大きな掛け図を取り付けて、一気にその幕を降ろした。

 巨大な布に描かれていたものは、詳細で丁寧に記された理学式である。

 しかし、それは私が今までに見てきたどんな理学式よりも細かく、不可解なものであった。


 十幾つにも及ぶ、理学式の環陣。

 まるで、年輪の上に記したような図形だ。


 図が公開されると、講義室がどよめいた。

 分かる人には、もっと凄いことがわかるのだろう。


「さあ、これが光魔術の“初等術”の理学式だ! 環陣は一から十三環陣まであるけど、途中に空白は多いから暗記量は割と少ないよ。諸君、安心してくれたまえ」


 私の視力でも、あと数メートルも離れたら悪趣味なタペストリーにしか見えなくなるくらい複雑なのだが。何が安心なのかはわからない。


「ただ、既存のもので代用できなかった記号が、この式の確立によって新たに六つも生まれてしまってね。

 式を覚えるにあたって、それらの記号の作用と使用感を覚えてもらわなくてはならないから注意するように」


 ただこの図を覚えるだけでも駄目なのか。

 目を凝らしてみれば、図のあちこちに注釈のような文字がびっしりと書き込まれている。

 こういった文字が、全体の理学式をより余計に複雑に見せているようである。

 と、思ったけど駄目だ、やっぱ普通に複雑だこれ。

 環陣が五つくらいまでの魔術を覚えるのに私は苦労してるというのに、初等術だけで十三環陣か。


 魔力の扱いは、理学式の動脈たる環陣の内側から外側へ行くほどに体感から遠ざかっていくので、魔力の操作は困難になる。

 しかも、環陣が増えてくるとそれに伴って記号が多くなるので、やることも倍加する。

 環陣が増えることによる難度の跳ね上がり方は、単純な比例では済まないだろう。


 見回せる範囲の学徒だけでも、既に気力が抜け出ているような曲がった背中がちらほらと見えた。

 入り口を通る前に転んだ私では、彼らの挫折がどれほどのものかはわからない。


「あの」


 そんな中で、一人の勇気ある学徒がおずおずと手を挙げた。


「質問かい? そうだね、今のうちに投げかけておくといい。何を聞きたいのかな?」

「この理学式が、初等術なのですか?」

「そうだよ、この理学式一つが、光の初等術“レイン”の基本となる」


 あ、また何人かの背中が折れ曲がった。


「中等術などに派生させようとなると、環陣が十五くらいにはなるね。中等術は私もいくつか作ってみたが、高位の魔術ともなると、式の生成にはかなり苦労しそうだよ」


 第十五環陣。なんだそりゃ。

 ここまで話が現実離れしてくると、お伽話に近い他人事のように聞こえてくるな。


 質問を投げかけた学徒は小さく“ありがとうございます”と返し、他の脱落者と同じように、力なく背を曲げた。

 彼もまた駄目だったか。なんだか、講義が意味不明すぎて学徒の姿を見るばかりになってしまったな。


「詳しく理学式の解説をするとだね、まず最初に八つに等分岐させるわけだね。その後帰還線を避けるように第二環陣までの安全な道を確保しつつ、次にこっちの四つを留顕させる。だけど第三環陣で閃顕を踏みつつ、衝開して、また八つ。第四は帰還線を避けて、第五で対棄散。しかし外側へいかないうちに衝開するから数の上では変わらず保たれ、ああ、ここで十一環陣から帰還する線が伸びて干渉するから、新たな記号である跳換が使われる。第六は線を避けるので精一杯だった。スペースが取れる第七環陣ではそれぞれ二つずつの留顕をふみ、三叉して……」


 ゾディアトス導師が長い詠唱に入ると、脱落者は目に見えて増え始めた。

 後ろからでも、額を抑えて苦しんでいる姿がよくわかる。説明途中に闇魔術でも使ったのだろう。なるほどこれは強力だ。


 説明がわかりやすいか、わかりにくいかはわからない。きっとわかりやすくはあるのだとは思う。

 ただ、教えているものがものなだけに、単純に理解が追いつかないのだ。


「……」


 ナタリーも手元のノートに書き込むのをやめて、難しそうな顔でゾディアトス導師の言葉を聞くばかりになっていた。

 彼女のノートは途中まで、針を直角に曲げたような刺々しい筆跡で緻密に記されており、合間合間で注釈も挟まれている。必死に食らいついてはいたらしい。

 粗っぽいだけの奴だと思ってたけど、やっぱりというか、当然というか、頭も良いんだな。


「……」


 対するこちらはと、わかりやすい比較対象であろうソーニャの方に目をやると、しかしそこには目を開き、ゾディアトス導師に目を向けるソーニャの姿があった。

 極々当たり前の授業態度だけど、私はこれでもかというくらい驚いた。

 ソーニャが講義中に起きてる。有り得ない。


「……」


 小声にでも、“光魔術に興味があるの?”とは聞けなかった。

 ソーニャの凛とした目つきがあまりに真剣で、触れ難いものだったからだ。


 考える事のない、喋ることのない、ただ緊張感だけで満たされた息苦しい講義は、私にとってはさほどありがたくもなく、いやに長く感じられた。




 鳴り響く鐘の音は、大講義室に集まる多数の学徒にとっての救いだったに違いない。


「おっと、もうこんな時間か」


 立ち枯れならぬ座り枯れた学徒達に向けて容赦なく呪文を放ち続けていたゾディアトス導師が、ここでようやく動きを止める。

 やっと終わった。解放される時がきたんだ。

 最初にされたシリアスすぎる話のせいもあって、強い眠気はあったのにそんな素振りを見せることもできなかったので、鐘の音は私にとって、まさに福音と言えた。


「理学式の解説だけで終わってしまったな。本当は、もっと属性の理解についても解説しなければならなかったんだが、まぁ、次からは興味のある人だけが来れば良いだろう」


 導師は長杖と小さな魔導書だけを小脇に抱え、帰り支度を整え始めた。

 フックに掛けられた理学式の資料や、机の上のなにがしかなどは、全て働き者の助手であるウィンバートさんが片付けることになるのだろう。

 それら全てをまた運び出さなければならないことを察知したのか、ウィンバート助手の表情はわかりやすく、げんなりと曇った。


「初回のさわりばかりだが、これで光魔術の習得がどのようなものか、君たちは理解できたことだろうと思う。自分がその一生で成したい事と、その労力や危険性をじっくり秤にかけた上で、二回目の講義を受講するといい。来るなら、私は歓迎するよ。もちろん、私に暇があれば個人的に指導したっていい」


 若いゾディアトス導師の個人指導。

 男子にとっては魅力的な話だろうけど、それに今日の講義がついてくるとなると、まぁ別なんだろうな。


 ゾディアトスは“それじゃ”と手を振って、助手を置き去りに講義室を出て行った。

 ウィンバート助手、可哀想に。




「んー……」


 大講義室内にぽつぽつと話し声が生まれる中、前の席のヒューゴが目についた。

 彼は、今後の光魔術の講義に出席するかどうかで悩んでいるのだろうか。

 悩めるところにいるって時点で、私からしてみれば既に凄いと思う。


「チッ、駄目だな。こんなもんは覚えてられねえわ」


 隣のナタリーは、今日の講義で打ちのめされたのか、きっぱりと諦めているようだった。

 学んだものを突き放すような言い方だけど、それまでにある程度の努力が介在していたことを、隣人の私は知っている。


「……なんだよテメェ」

「別に、なんでもない」


 こうして近くで見てみると、結構チビだな、こいつは。

 闘技演習場では恐ろしかったけど、今はちっとも怖くない。

 突っかかってくる姿も、不思議とどこか子供っぽく見えた。


「どうせアタシは鉄魔術以外は使わねえって決めてるんだ。光なんざ、覚えたところで意味ねーんだよ」


 書きかけのノートと筆記具をまとめながら、ナタリーが席を立つ。

 他の学徒らも、続々と大講義室を後にしているようだった。


「なんで鉄魔術だけなんだよ」

「祖国には誇りってもんがあンだろが、言わせんなカス」


 私の問いかけにぶっきらぼうに答え、ナタリーも人の流れの中に混じって、退出してゆく。

 祖国。ナタリーの軽薄な口からそんなお固い単語が飛び出てきたことが驚きだ。

 鉄の国出身だから、鉄魔術しか使わないという意味だろうか。


 講義後の茹だった頭では、そんなことを考える気力も残っていない。

 二限目のマコ導師の授業は、悪いけど半分ほど休憩時間にさせてもらおうと思う。




「手伝おうか」

「え? あ、ありがとうございます。そうですね、これだけ持ってくれると、すごく助かります」

「うん」


 帰り際に助手さんの荷物を持ってやり、悶々とする今日の一大イベントは解りやすい力仕事で締めくくられた。


 結局、私は光魔術とは無縁であることが判明したが、そんなのは最初からわかっていたのでどうでもいいことである。

 頭の中から蜂起(ガミル)の式が抜け出ていないかどうかが心配だ。


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