杁018 躓く大石
新たな術の訓練をする間に、日が暮れた。
灯りのない林の中は、街の中よりも一層暗く感じられる。
「今日は終わりだ」
クラインの一言が、終了を告げる。
私は心のどこかで、その合図を待っていたのかもしれない。
ようやく集中力を放棄して、杖を握る力を緩めた。
「成果なしか」
二つ目の魔術、スティ・ガミル・ステイ・ボウ。
結局、私はこの術を初日に習得することはできなかった。
何度も挑戦はした。精神力の許す限り魔力は使ったし、切れたら切れたでクラインの助言に耳を傾け、理学式を見直すなりもした。
それでも最後まで術として発動が成功することもなく、今日は終わってしまったのだ。
新たな魔術を使うというのは、並大抵の努力では成し得ないということなのだろう。
そうそう上手くいくはずもない。わかっていながらも、私は焦ってしまうのだった。
「成果はある。ラギロールが発動できると判明したからな」
「でもそれだけじゃ」
「もちろん意味は薄い。ラギロールとガミル、この二つをセットで覚えない限りは攻撃方法が確立しないからな。最低限の勝機を作るために、ガミルの習得は欠かせない」
身支度を整えた私に、クラインは二冊の本を差し出した。
例の二つの魔術が記されたものである。
「石柱、石床、蜂起。三つの術を混同せずに、しっかり並行して覚えておくことだな。複数の術を走りで覚えると、いざという時に使えないということもある」
「躓いてる奴だけに集中するのも、駄目ってことか」
今日は簡単に発動できた石床も、少し間を置けば使えなくなるかもしれない。
もう既に頭の中からは消えかかっているくらいだ。苦手分野は潰しておきたいが、その基礎をおざなりにはできない。
やることは沢山ある。自分から多めに二十日と宣言したはいいけど、果たして間に合うだろうか。
「クライン、一つ聞いていい?」
「なんだ」
「今日やった術も全部覚えたとして、私はルウナに勝てるかな」
「覚えたらな」
クラインの態度からは、“まず覚えてからの話だ”という意味合いが滲んでいた。
彼にとっては、闘うための前提条件として無くてはならないものが、今日の魔術なのだろう。
全ては私の努力次第だ。
本を小脇に抱えて、右拳を握りしめる。
全身は、精神的な疲労もあって、下手な肉体労働の後よりも重く感じられた。魔力を使い果たしたこの感覚にも慣れなくちゃいけないな。
「そうだ、最後にひとつ注意がある」
「ん?」
「ゾディアトス導師が学園に来たら、そうずっとは教えてられないかもしれない」
「え、あー」
そうか、もうすぐ光魔術の導師さんがここに来るんだった。
具体的にいつやってくるのかは聞いてないけど、来たら来たで、ゾディアトス導師は私達学徒を相手に講義などもするのだろう。
魔術好きなクラインとしては、この機会を逃すのは有り得ないことだ。
「わかった、その時は仕方ないね」
「ああ」
期限は二十日。しかし、その間にゾディアトス導師が来る。
すると心強いアドバイザーであるクラインの協力が、常に得られないかもしれない。
二十日。本当にうかうかしてられないかも。
「……よし、帰ったら早速、理学式を覚え直す事にするよ」
「そうしておけ」
こうして私は、クラインと別れた。
成長したのだかしてないのだが、どちらとも言えない特訓初日の終了である。
寮に戻った後は、すぐに水暖炉へ熱を灯して軽めの夕食を取った。
ベッドの上で今日覚えた魔術を反復し、努めて頭に刻み込む。
が、特訓の時間で既に力のほとんどを尽くしてしまったのだろう。復習を始めて何十分もしないうちに、私の意識は闇に落ちていった。
寝て、起きて、密かな特訓に励む生活が、再び始まった。
期限の二十日は、私の心の中に定めたものだ。相手に向けて宣言したものではない。
しかし、私は徐々に追い詰められている。
私は既に敗北した身だ。今や私など、ルウナにとっては自身の栄光の礎、そのひとつに過ぎないだろう。
私の敗北は時と共に忘れさられ、その印象を失ってゆく。
ルウナの鼻を明かすためには、なるべく早めに再戦を挑み、勝たなければならない。
だから、ゾディアトス導師が近々やってくるという話を聞いた時は、私も少なからず焦ってしまった。
新たな話題が生まれるたびに、人々の記憶からは私とルウナの関連性が希薄になり、埋もれてしまうのだから。
こんなこと、私の勝手な考え方かもしれないけど。それでも思う。
急がなければならない。
「ロッカぁー」
「んぐ」
本にかじりついている私の後ろから、ボウマがのしかかってきた。
突然の重さに顔が本へと沈み込む。
「遊ぼーじぇ」
「悪い、今忙しいんだ」
「えー」
後ろ髪を引っ張るな。私は髪に関してはちょっとうるさいぞ。
「どいたどいた」
「むがぁ」
後ろ襟を掴んで、適当な方へ放り投げる。これが、絡んでくるボウマのいつもの対処法だった。
そしてお邪魔を払いのけた後は、また本にかじりつくのだ。
隆起の術を、より詳細に暗記するために。
「やあロッカ、また新しい魔術かい?」
「うん、また、私にはちょっと難しくてね……」
もう一度のしかかろうとするボウマを抑えていてくれるのは、ヒューゴだ。
彼が当たり障りない目立たぬ部分で皆の助けになっていることを、私は知っている。
そして彼は、人が悩んでいるところや、わずかに弱っているところを目ざとく見つけるのが上手い。
「ここの記号がわからない」
「え」
「違う?」
「そうだけど、なんでわかったの」
覗きこむヒューゴの瞳はこの国のレンガのような、淡い青。
何か見えざるものを見透かしてしまうような、そんな力が宿っていそうな瞳だった。
「目線かな」
「目線って」
「開けた砂漠で生きていると、人や動物の目線も重要な指針でね。特に魔獣の目は遠くまで見ているから、その目線が頼りになることもある」
「またそういうトンデモな話を……って、砂漠?」
「うん、僕は風の国から来たからね」
「へえ」
風の国か。
風の国といえば、領土のほとんどが砂漠で構成されている広大な国だ。
未だ全貌の掴めない広大な土地と、僅かなオアシス。
手付かずの土地には危険な魔獣と魔族が跋扈し、機人盗賊団の最大拠点ともなっている、ある意味でアンダマン以上の無法地帯とも言える。
ヒューゴの髪は、見慣れない薄褐色。
砂漠の出身と言われても納得できる雰囲気も持ち合わせていた。
それでも、温和な彼が恐ろしい風の国とは、ちょっと思えない。
「といっても、風車街カイトベルの出だよ。最大のオアシスさ」
「ああ、首都の」
「都会育ちでね。それでもミネオマルタよりは、全然田舎なんだけどさ」
彼は微笑んで、広げられた本の図式に骨ばった指を置いた。
「この記号は正半分岐。右に三、左に一を分けて送るんだ」
「右に三、左に一……」
「あくまで感覚だよ。図を見ると、同じ時点で同時に2つだね。はは、こりゃあ難しそうだ」
「うっわ……」
魔力を送る量を感覚で調整するなんて、人間にできるはずもないだろう。
そういう小難しい神がかった技術は、魔族の専門分野じゃないのか。
「がんばれよ、ロッカ」
彼は項垂れる私の肩を軽く叩き、机の上の本に何か小さなものを転がした。
小さなあめ玉だ。
頭を使う私への優しさだろうか。
「アメ!」
「やんねーよ! 人のまで取るな!」
「くれ!」
優しさは良い。
良いんだけど、そのせいでしばらくの間ボウマと遊んでやるはめになってしまった。
うーん、ヒューゴめ。
今日も今日とて、本を読んだ後には実技の時間が待っている。
昼前の明るい階段を早足で降りて、いつもの広場へと向かうのだ。
魔術投擲を一心に頑張っていた頃もそうだったけど、魔術は失敗すると精神への負担が大きい。
それは単に魔力を無駄遣いしているからではなくて、失敗からくる心の乱れが、より大きな精神への負担となってしまうためだ。
だから、難しすぎる理学式と向き合うよりも、実際に魔術を使ってみるほうが、気持ちとしては嫌だった。
一向に魔術を覚えられない日々が長く続かないことを、祈るしかない。
できれば、今日すぐにでも成功してくれれば良いのだが。
「光魔術の二番手になれば、ゾディアトス導師と同じくらいの地位として迎えられるのかしらね」
「ゾディアトスさんは光魔術の確立後、すぐにミトポワナの導師として迎えられたとか。学徒から突然の導師だよ」
「私達も導師になれたりしてね」
「あはは、それはないよ……いや、無いのかな」
廊下では、二人の女子学徒が今話題のゾディアトス導師について話している。
ここ数日の間に、光魔術やゾディアトス導師にまつわる話題が学園に大きく広がっている気がしてならないが、きっと気のせいではないだろう。
かの偉大な導師の来訪は、皆の中にある私とルウナの闘いの記憶を、徐々に奪いつつある。
それはまるで、一人で躍起になっている私が、時代から取り残された滑稽な田舎者であると言わんばかりの早さで。
「……」
話に華を咲かせる二人を横目に、私は階段を降りてゆく。
ルウナが勝った。それはもう、変えられない事実。
当時からしてみれば、紛れも無い当然の結果だ。
私は何故こんな苦労までして、そんな当たり前だったことを覆そうとしているのだろうか。
ルウナが許せないから?
みんなを見返したいから?
私の力を認めさせたいから?
答えはどれも曖昧だ。でも、どれも本当に違いない。
「はあ」
今更何を悩んでいる。やるしかないってのに。




