杁017 耐え凌ぐ劣勢
ロッカとルウナによる闘技演習の結果は、当の属性科三年の間ですぐに広まった。
もちろん、寮のベッドで手脚の療養に専念しているナタリー=ベラドネスの耳にも入っている。
「このままじゃ、水専攻の総手柄っすよ……」
重い表情で学園内の近況を語ったのは黒髪の女性、ロビナである。
新聞で作られた紙袋の口を握りしめ、彼女は顔を伏せた。
ベッドの上でナッツを齧るナタリーの表情に、あまりにも大きな怒気が込められていたためだ。
長年の付き合いとはいえ、ナタリーの激しい怒りは、変わらず恐ろしいものがあると知っているのである。
「ルウナ……あいつか。アタシが居ない間に、調子に乗ってやがるな」
口の中でピスタチオが砕け散る。
今日のナタリーは、やはり不機嫌であった。
ロッカ=ウィルコークスとの闘技演習で、彼女は巨大な石柱から落とされて敗北し、右腕と右脚の骨を折る重傷を負った。
片足だけならばまだしも、支えるための腕もとなれば、学園の長い階段を登ることは至難の業である。利き腕が使えない以上は板書も困難だ。
それにナタリーとしても、そんなみっともない姿を苦労してまで大衆に晒したくはない。
ここしばらくの間、彼女は寮内で静養を続けており、せめて治りが早まるようにと、少し高めの魔香草で茶を淹れるなどして過ごしていた。
ロビナやレドリアなどが訪れては、毎日退屈しないようにと、市場で選んだ見舞いの品を持ってくる。
自分を負かしたロッカに対する鬱憤の溜まる日々ではあったが、そこそこ良い生活は続いていた。
そう、昨日あたりまでは。
「属性科の中の勢力も、今は水専攻が優位って流れです」
「クソ共が。あんな中途半端な魔道士が初心者に勝ったからって、何の順位が動くっつーんだよ」
「多分、率先して噂で水を引いてるのは水専攻のやつらっすよ。火専攻は実際の脅威である鉄専攻を蹴落とすために、ってことで、あえてそれに乗っかってるんだと」
「ハッ、くだらねえ。自分たちじゃ勝てねえからって、ありもしねえ外堀を埋めようってか」
小さな机の上に、ピスタチオの殻が積み重なっている。
ナタリーはさらにもうひとつ、殻を投じた。
「中身のねえでっちあげた風潮ではあるが……しかし、めんどくせえことになったな」
「はい」
二人の表情は芳しくない。
それは勢いに任せて高圧的に振る舞い続ける彼女らの、他人には見せない珍しい一面であった。
「ゾディアトス導師はいつやってくる?」
「もうすぐです。多分、何日もしないと思います」
「水の天下は……」
「その時までは、続くんじゃないかなって」
ピスタチオの殻が、手の中で音を立てて砕ける。
ナタリーの身体強化によって与えられた圧力が、硬い殻をも押し潰し、破壊してしまったのだ。
「まぁ、アタシだって向こうの立場ならそうしてるな」
「でもナタリーさん、このままじゃ!」
「ゾディアトス導師の目に留まらない、か? ハッ、元々アタシが負けた時点で望み薄だったんだ。気にすることはねーよ」
「そ、そういう意味じゃ」
「ホント、迷惑かけるな」
「そんなことないっす!」
ロビナが勢い良く立ち上がり、弱音を否定した。
つくづく健気な彼女の一斉に、ナタリーは自嘲するように笑う。
が、そんな態度でさえも、ロビナの心はより強く締め付けられるばかりであった。
「ナタリーさんは私達を導き続けてくれたじゃないですか。弱音なんてやめてくださいよ。メインヘイムにいた頃から、訓練所の頃からずっと……」
そこまで喋ると、続きはナタリーの手によって制された。
「恥ずいだろ。やめろよ、昔話は」
「でもまだ諦めるなんて!」
「誰が諦めるっつった。弱音も吐いてねーよ。人の話は最後まで聞け、バカ」
「あだぁっ」
ピスタチオの鋭い破片がロビナの額に衝突した。
「闘技演習場で負けた分の汚名は、同じ闘技演習場でしか突き返せねえ。そりゃアタシもそうだし、ルウナだって同じこった。水天下ってのは、ほんの一時の気休めさ。どうせすぐに、まともな判断が主流になる」
「……これまでで一番勝っている勢力が、正当に評価されるようになるんすか?」
「そうだよ。それもわからねえほど、奴らもバカじゃねーさ」
ナッツを真上に放り投げ、口の中に落とす。
一口目を齧る彼女の一瞬の砕けた表情は、数少ないナタリーの、素のままの姿であった。
「要するに、今まで通り闘技演習場で負かし続けてりゃいいんだよ。こっちが負けたら負けたで、再戦を挑めば良い」
「戦って、勝つ。力をしらしめる」
「そこんところは、今までと変わらねーよ」
もうじき完治する腕を掲げ、ナタリーが拳を握る。
「そう、アタシの標的が一人、増えただけでな」




