杁008 はぐれる子鹿
マコ導師は一足先に第二棟裏にある昇降口へ赴き、利用のための準備を整える。
力仕事はライカンさえいれば事足りるとは思うのだが、檻を運ぶのには万全を期すため、八人が回る。
檻の竜の一時的な飼育のために必要な食料や資材などが意外に多く、こちらの運搬は六人が当てられた。
残りは第二棟の九階へ行き、一階のマコ導師と一緒に昇降口の操作を行い、運び出しもする。
私とソーニャはそちらの担当で、九階までの長い階段を登ることとなったのである。
「あー、もう、階段やーだー」
「もうすぐだって、頑張ろうよソーニャ」
「つーかーれーたー」
買い物の時には一切の疲れを見せなかったソーニャも、学園の階段では必要な労力も増すらしい。
気だるそうにえっちらおっちらと脚を持ち上げながら、ゆっくりと歩いている。
同じ場所を担当する何人かは既に先へ行ってしまい、私はソーニャの牛歩に合わせる形となっていた。
「おんぶ!」
「いや、そこは頑張れ、ソーニャ」
と言いつつも上からソーニャの手だけは引いてやり、残り数階分は彼女のために力を尽くした。
でもこんな事をするくらいなら、ソーニャもちょっと頑張って自力で登った方が早い気がする。
こういうところでは横着なんだよなぁ。
ソーニャの手を引き持ち上げながら、人気のない九階へと、ようやく私達がたどり着いた頃である。
九階には、待ち人がいた。
「ウィルコークスさん」
「お?」
九階に上がってすぐ、青々とした葉が茂る石造りの花壇の脇には、紺髪を背中で一つにまとめた女が慎ましく立っていた。
いつぞやに会って昼食を共にした、ルウナである。
「おはようございます。お仕事、かな。そちらの方はお疲れみたいね」
「うん、なんか、研究材料の魔族が届いたって話で、その荷運びをしに昇降口に……」
「え? ロッカ、この人と知り合いなの?」
ソーニャは私とルウナが親しげに話す様子を見て、疑問を抱いたようだった。
ボウマ繋がりで話す機会があったことを簡潔に説明すると、彼女はすぐになるほどといった顔で頷いてくれた。
以前にボウマが飴を貰うエピソードを聞いていたからだろう。話は早く済んだ。
「ルウナはこの時間、大丈夫なの?」
「ええ。今日の私は午前中ずっと休講なので」
「はぁ、そうなんだ」
「先ほど、特異科の方々が歩いていたのを見たわ。こんなところをぞろぞろ歩いていたものだから、珍しくてついつい眺めてしまってね」
「あ……ごめんルウナ。その人達、どっちに行ったかわかる?」
「彼らとはぐれたの? 昇降口はあちらだけど……ああ、いいわ、ついてきて。案内するから」
「うん、ありがとう。助かるよ」
午前中は休講。特異科とは毎日の受講形態が違うためか、いまいち彼ら属性科のシステムがよくわからない。
まあ、休みと言ってるから休みなんだろう。そう思うことにした。
属性科の学徒が大勢いるはずの九階は不気味なほど静かで、廊下を歩いていても話し声が聞こえてこない。
講義中というせいもあるのだろうが、ここが九階で、普段はほとんどの学徒が使用しないことも原因のひとつなのだろう。
広い学園の棟内だ。
正面階段から裏側に歩くだけでも、結構な時間がかかる。
ソーニャは階段での疲労を思い出して引きずっているのか、先をゆくルウナから徐々に離されている。
私はどんどん後ろの方へ消えてゆくソーニャを助けてやりたかったんだけど、ルウナに道案内を頼んだ以上、彼女から離れるわけにもいかなかった。
不気味なほど静かな構内。離れてゆくソーニャ。
目的地には近づいているのに、どうしてか、私の心はどんどん不安になってゆく。
普段は歩かない場所、ここへ来てからじっくりと味わうことの無かった静寂。それぞれに意味はなくとも、未知や不慣れというものは、それだけでささやかな恐怖である。
しかしその間、ルウナは口を回し続けて、なるべく沈黙を作らないように努めていた。
すぐ脇にある花壇の植物についての話。
壁面にあるレリーフの作者の話。
どれも素養の良さを感じさせる話ばかりである。いずれの話にも、私は深くまでついていけなかったが、彼女がなんとか間をもたせようと努力しているのは理解できた。
彼女は、私の漠然とした寂しさを感じていた事に気付いていたのだろうか。
「そういえばウィルコークスさん」
「ん?」
「一人の魔道士として、ちょっとしたお願いがあるのだけど……聞いてくれるかしら」
「お願い? ものによるけど、何?」
魔道士としてのお願い。
友人や知り合いとして頼まれるならともかく、魔道士として何かを頼まれる理由は、私の頭には見当たらない。
「ええ、実は……」
ルウナは、まとめられた後ろ髪を左右に揺らしながら、言う。
「ウィルコークスさんに、私の闘技演習の相手をしてもらいたくて」
彼女の言葉を聞き取って、考えてしまう。
私は疲れてもいない歩調を、一歩分だけ遅らせてしまった。
「ウィルコークスさん、私はね。貴女の特異性……そう、いわば、岩魔術に興味があるの」
「興味って言われても」
「岩魔術がどのようなものか、私も体験してみたい」
振り向いたルウナの眼差しは真剣だった。
真剣で、真っ直ぐ私を貫いて、そのままどこまでも見据えていきそうな眼光を放っている。
「後学のために、ね?」
「えー……でも、闘技演習って、なんかなぁ……」
ルウナの目には、研ぎ澄まされた闘志だけが宿っている。
ナタリーの時のような悪意は無いように見えた。
それだけに、逆に答えを出し辛かった。
また、再び闘技演習に臨む。
今度は殴りたい奴がいるわけではない。魔術と魔術による、魔道士の試合だ。
「あ! ウィルコークスさん、もちろんだけど、上級保護じゃないから安心して」
「え?」
「ほら、保護の等級よ。貴女が前にやったような危険なものではないから、大丈夫。普通は中級でやるんだけど、不安なら初級でも良いわ」
「あ、そうか、前にやった時は上級保護だったんだよな」
思い出されるのは、ナタリーとの決闘での痛み。
今にして思えば、よく私はあの重傷に耐え続けたと思う。
あの時のような苦痛が無いと思えば、闘技演習に対して抱く抵抗も、いくらか和らいだ。
「お願いできないかな。やっぱり、私みたいな……属性科とは、関わりたくない?」
悩む間に、ルウナが落ち込んでしまった。
いけない、もっと早めに返事をしなくちゃいけなかったのに。
ルウナは気兼ねなく私に話しかけてくれる、数少ない他のクラスの人だ。
会うなり頭を下げられたし、食事にも誘ってくれた。
恩がある。彼女の頼みを断るなど、最初から有り得ないというのに、私は。
「良いよ、ルウナ。私で良ければ、受けて立つ」
「本当に!」
私が答えると、ルウナは存外に喜んだ。
「ありがとう、ウィルコークスさん! ……って、今はそんなに話してる暇はないか。今、手伝いの最中だったのよね」
「うん、さすがに詳しいことは、また別の時に……」
「いえ、簡単な約束だからね、時間は取らせない。明日にでも演習ができれば良いと思ってるんだけど」
「明日!?」
それはまた急な話だ。ナタリーの時は十日もあったのに。
「時間は、お昼ごろなんてどうかしら。ウィルコークスさんはお昼、空いてるでしょう?」
「うん、まぁ、空いてるんだけど……」
「わかった。それじゃあ明日のお昼、中級保護の闘技演習ってことで、良いわね」
「まぁ、いいけど……」
首を縦に振った途端、ものすごい勢いがついてしまった。
喜びに満ちた顔で次々に決め事を取り付けるので、なかなかきっぱりとは断れない。
断る理由もないんだけど。
……断る理由が無いなら、どうして私は何を躊躇しているのだろう。
そもそも、断る必要がないのだ。私は首を縦に振った。それが全てじゃないか。
ルウナは、ナタリーと戦った時のような私と戦いたいと言っている。
良いじゃないか。私もそうしてやればいいのだ。
あの時のように本気で闘う。それそのものが人助けになるのであれば、一にも二にも是非はない。
それに私は、魔道士を目指すと決めた身だ。
まだ理学の理の字もうまく書けない劣等生なのだから、何事にも当たって砕けてみる事は、必要だろう。
逆にこれは、ルウナが私を新たな場所に導いてくれているとも考えられる。
まともな水属性を扱える特異科生は、クラインのような事情もあってかなり少ないはずだ。
水属性を操る魔道士と闘う、貴重な機会じゃあないか。
「闘技演習、楽しみだよ」
私は努めて素直にそう言った。
これは私の本心からの言葉で間違いない。
ルウナは再び「ありがとう」と笑い、私の手を握ってくれた。
「あー、脚いたーい」
やがて、死人のようなソーニャのうめき声と、靴の底をひきずる気だるそうな音が聞こえてきた。
ソーニャめ、やっと追いついてきたか。
もしかして、本当におんぶでもしてやったほうが良かったのかな。
「お連れの人も来たみたいね。それじゃあ、明日、楽しみにしてるから。今日はこれで、失礼するわ」
「うん、じゃあね、ルウナ」
「ええ、ウィルコークスさん」
ルウナは私に別れを告げて、足早に去って行った。
ソーニャが廊下の角から姿を見せたのは、ルウナが去っていったすぐ後である。




