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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第四章 輝ける姿

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杁005 餌付ける嵐

 新しい属性術の習得というものは、難しい。

 なかなか上手くいかないものである。


 しかし考えてみれば当然だ。

 簡単ならば、誰だってひとつやふたつくらい、覚えたくなるものだろう。

 少なくとも、私の周りで“便利そうだから覚えたよ”なんて軽い気持ちで属性術を修めてしまうような化け物じみた輩は存在しない。

 何がどう難しいのかも、未経験な私が上手く説明できるはずもないんだけど、それはつまり魔術の習得が困難な事の裏返しと言えるのだろう。


 水魔術、覚えてみたいんだけどな。やっぱり難しいか。

 それにベルキンス導師の話を聞くとどうも、私には体質的に水魔術に恵まれていないようなので、伸び代も無いらしい。残念だ。

 咄嗟の火消しや洗い物に便利だと思ったんだけど……。


 特異科は魔術に首を突っ込んじゃいけないのかな。

 それはさすがに、考え過ぎか。

 特異科という字面から漂うマイナスイメージを、未だ私は払拭できていない。




 履きなれてないブーツが段々と脚に馴染んできたのを感じながら、廊下を歩いている。

 理式科の研究室は第三棟で、特異科の講義室は第五棟。

 数字の上では二つ隣という印象だが、ところがどっこい、すぐ隣同士だ。 

 五つあるうちの中央棟が第一棟なので、そこから右左に振れるようにして二、三と連なっているのだ。

 これはあらかじめ知っていないと、勘違いで損をする事もありそうだ。

 いつか連絡橋を探して迷ってしまった、私のように。


 久々に歩く馴染みの薄い廊下は、それなりに賑やかである。

 第一から第三の中央三棟は人気の高い学科が密集しているし、丁度今が昼時ということもあるのだろう。

 確か第三棟は、独性科と理式科が主な学科だったかな。

 広いロビーのベンチなどでは、膝の上に小さな弁当を広げて食べる学徒の姿も見られた。

 ああいう姿を見ると、学園で食べるご飯というのもちょっとうらやましい。

 食堂、一度行ってみようかな。ああ、でも高いんだよなぁ。

 けど美味しいなら是非一度、ソーニャと一緒に行ってみたいけど……もちろん、手軽な弁当だけでも私は構わない。


 けど講義も昼前には終わってしまうし、わざわざ持ってきてもなぁ。

 なんて真剣に悩みながら目を細めて歩いていると、廊下ですれ違う学徒達は次々に飛び退くようにして道を譲ってくれた。

 もしかして、食べ物の事を考えていたのが顔に出ていたのだろうか。

 だとすると、ちょっと恥ずかしい。


 自分に小さく舌打ちを残して、そそくさと廊下を去るとしよう。

 私はやっぱりまだ、一人だと疎外感が強い。

 他の学科にも友達はいないし……うーん。




「はい、どうぞ」

「わーい」


 第三棟の廊下の途中で、見慣れた姿を発見した。

 疎外感に気分が落ち込んでいた今の私には、うってつけの子がそこにいる。

 ボウマだ。


「んむんむ……」

「どう、美味しい?」

「んむ!」


 ボウマは口の中で大きな飴を転がして、頬をぷくりとふくらませている。

 相変わらず目元は髪で隠れて見えないけど、きっと幸せそうにしてるんだろう。緩んだ口元だけでそうだとわかる。


 ボウマは相変わらずな感じで安心するけど、彼女に飴をやったであろう女性は、見慣れた人物ではなかった。

 けど、私はあの女性のことを知っている。


 長い藍色の髪を背中で束ねた、だらしないものではない、きちっとした伝統的な魔道士のローブ姿。

 大人っぽいけど色気はない格好。真面目そうな凛とした顔つき。

 いつぞやの闘技演習でナタリーに敗北していた魔道士、属性科のルウナである。


「あ、ロッカぁー」

「え?」


 ボウマが私を呼びかけると同時に、ルウナの方もこちらに振り向いた。

 その表情は何故か驚きに染まっている。こっちも同じ気分だ。どうしよう。


「ロッカ、もう導師のお手伝いは終わったの?」

「うん、なんか楯衝紋取って、それを詳しく調べたり。あとはちょっと話しただけ」

「とんしょーもん? なにそれ、なんか難しそうなことやってんだねぇ」


 飴を口の中で転がしながら、ボウマはけらけらと笑った。


 おかしいな、ボウマって一応私の先輩のはずなのに。

 入学して間もない私に知識量で負けるのって、さすがにどうかと思うんだけど。


「ロッカ=ウィルコークス、ね」


 私がボウマと二人の世界に入り込む前に、果敢にもルウナが入ってきた。

 緊張した表情からは、私への警戒がわかりやすく見て取れる。


 ルウナといえば、闘技演習で敗北した時も見たけれど、一度だけ控室では会っているし、僅かながら言葉も交わしていた。

 しかし、あれは決して良い邂逅とは言えないものだろう。

 決闘の前で私の気が立っていたとはいえ、失礼な態度を取ってしまった。

 全ての問題が解決したはずの今更になって、そのツケが目の前に迫っている。


「控室では一度会ってるわよね」

「え、はい」


 相手も緊張しているのはわかる。けど立ち向かうように堂々と訊いてきた。

 気持ちの上で既に負けている私は、受け答えもしどろもどろである。


 ルウナの生真面目そうな一文字に引いた口。

 柱材に墨入れでもするかのような、真剣な目線。

 礼儀と勉強、その二つの言葉が真っ先に浮かんでくるような、私の苦手なタイプだ。


「ありがとう」

「え?」


 そんな彼女が、真剣な眼差しはそのままに、私の手を取って、強く握った。


「ここ最近はずっと、闘技演習場ではナタリーが幅をきかせていたの。貴女も知っていると思うけど、暴力に物を言わせた、高圧的な態度でね」


 知っているもなにも、そこが気に食わないから決闘騒ぎにまで発展したのだ。

 私だって完全な当事者である。百も承知。


「私の友達もその被害者だった。以前に、ナタリーにひどいやられ方をして……魔道士を目指す心が、折れてしまって……」


 当時の出来事を思い出したのだろう。ルウナの表情が悲痛そうに強張る。

 しかしすぐに破顔して、私の手を更に強く握った。

 右手ならいいけど、左手だとちょっと痛い。


「貴女は、誰にもできなかったナタリーへの仇討ちを果たしてくれた。私の名前はルウナ=サナドル。貴女に、心からの感謝を申し上げます」

「あ、はぁ」


 ルウナは真摯な態度で礼を言った。

 けど別にルウナや属性科のためにやったわけではないので、こうして感謝される筋合いはないんだけど。

 とりあえず曖昧な態度だけ返しておく。


「それに、つい最近では配下の鉄属性専攻の連中までこらしめたとか……」

「は? なにそれ」

「え?」


 配下の鉄属性……と言われてもピンと来ない。

 いや、待てよ。それってラビノッチ騒動の時に襲いかかってきた、あの三人組の事だろうか。

 だとすると、それは私がやったわけじゃない。


 私はあの時何もしていない。手を下したのは全てクラインだった。

 電撃を撃ち飛ばし、三人の意識を削いで綺麗に速やかに片付けてしまったのだ。私が出る幕など一切無かった。

 喧しい連中がこてんぱんに返り討ちに遭うのは、まぁそこそこ清々しい。

 けどあの時の闘いを思い出すと、どうしてだか、何とも言えない虚しい気分になる。


「おかしいわね……貴女じゃないの? 鉄属性専攻のヘルエンテ君が肋骨を折って静養中なんだけど」

「ヘルエンテ? 誰だろ、骨が折れたっていうのも心当たりはないし……多分、人違いだと思う」


 あの三人組を仕留めたのはクラインの雷なので、骨を折るような要素はなかったはずだ。

 ヘルエンテという名前も聞いたことがない。

 これはこれで、本当に人違いなのだろう。

 どこか別の場所で、誰かさんに天罰が下ったのだ。


「そうだったの……でも、とにかく様々な事があってね、今では属性科三年は平和になったわ。その大きなひとつは、間違いなく貴女の功績よ、ロッカ=ウィルコークスさん」

「いや、私は別に、あいつが気に食わなかったからってだけで……」

「それでも貴女は、私達と同じ憤りでナタリーを倒してみせた。学科こそ違えど、貴女は紛れもなく私達の同志よ」


 ルウナの目力が強い。あと左手を離してくれない。

 善意やら敬意で迫ってきているので、強化で振りほどくわけにもいかないのが困ったところだ。

 私が目の前の彼女をどうしようかと困惑する様子を、ボウマは飴を味わいながら面白そうに眺めている。

 畜生、後で前髪をめくってピンで留めてやろうか。


「そうだ! ウィルコークスさん、この後一緒にお昼でもどうかしら」

「え?」

「闘技演習での事も詳しくお聞きしたいわ。ボウマと一緒に来てくれると嬉しいんだけど」

「あたしもいいの? ルウナのおごり?」

「ええ、奢りでいいわ。ウィルコークスさんもいるのだしね」

「やたー! タダ飯だ!」


 ボウマがぴょんと跳ねて大喜びしている。

 私が返事をする前に、どうやらルウナとの昼食に付き合うつもりのようだ。

 彼女の無邪気な笑顔を見ては、私はもう渋る態度すら取れない。

 よく知らない人と一緒に話しながらご飯を食べるなんて、あまり慣れてないけど……。


 まあ、仕方ないか。お昼の金も浮くし、食堂でのご飯も体験できる。

 属性科の真面目そうな人っていうのにちょっと抵抗はあるけど、悪いことじゃない。

 ついていくことにしよう。


「わかった、行くよ。丁度お腹も空いてたしね」

「ありがとう、ウィルコークスさん」

「別にいいよ。えっと……こちらこそ、誘ってくれてありがとう」

「お礼なんて良いのよ。さあ、それじゃあ良い席を取られない内に、早めに向かいましょうか」


 こうして私は、属性科の人と一緒に御飯を食べることになった。

 思えば、席について誰かと一緒に昼食を食べるなんて、ここに来てからしたことがなかったかもしれない。

 そういった意味でも、今回は貴重な体験になりそうである。

 私は内心で渋っていたものの、考えるほどに食堂への期待も大きくなってゆく。楽しみだ。


 私は飛び跳ねるボウマと並び、ゆっくり歩くルウナの背を追った。




 学園の食堂は、とにかく広い。

 第一から第三棟までの一階にはそれぞれ食堂があり、どこも一面見渡す限りの椅子畑である。

 その中でも、今私がいる第一棟の食堂は、別格の広さを誇っていた。

 第一棟自体が他よりも大きいので、当然と言えば当然なのだが。


 そして一定の間隔で柱が立っているので、闘技演習場ほどの開放感はないものの、食堂にそれは必要なのかと問いたくなるほど、天井が高い。

 よく振った赤ビールの瓶の蓋が勢い良く弾け飛んでも、ギリギリ上まで届かないくらいには、高い。


 広い。高い。すごい、でかい。


「ウィルコークスさん、窓際が空いてるから、行きましょう。日差しで明るいのよ」

「あ、うん」

「おーおー、人いっぱいだなぁ」

「窓際が空いていれば、まだまだ空いている方よ。もう数分もすれば、満席に近くなるわ」

「ひぇー」


 ただでさえ人でごった返している風に見えるのに、これでまだまだか。恐ろしいな。


 見渡せば、ここが第一棟であるためか、机には学徒の他にも導師さんらしき姿も散見できた。

 軽いスティックパンにスープだけの昼食を取る老いた導師は、周りを囲む真面目な学徒達の質問に丁寧に答えている。

 中年の女性導師達は食堂の片隅で徒党を組んで、他の男性導師や学徒を寄せ付けていない。


「……おい、あれ」

「ああ、例の“クランブル”だ」


 机の合間を進む途中、聞き逃せない耳慣れた単語を傍受した。

 が、彼ら自体は私に聞こえないつもりで話している。談柄が横縞であれ無地であれ、そんなところにまで突っかかるほど、私の心は狭くない。

 ……はず。

 ただ、わざと聞こえるように言ってたらぶっ飛ばす。




「ロッカ、あれ見てよ、あれっ」

「うん、今気付いた」


 女子学徒達が集まる華やかな一角があった。

 その周辺には男子学徒や導師も近づき辛いようで、うら若き乙女たちのちょっとした貸し切り席のようになっている。

 可愛らしい笑い声に包まれた、見ているだけで心が和む空間。

 私とボウマは、その中心で美味しそうにサラダを頬張るマコ導師を見つけてしまったのだ。


「マコちゃん、あんなとこにいるのにすっごい自然だなぁー」

「自然すぎて……」


 ぽわぽわと幸せそうな顔で昼食を取るマコ導師は、そっとしておくことにしよう。

 あの一角はもう、女の私であっても別次元の世界だ。

 大勢の女子学徒に人気のマコ導師。謎は深い。


 窓際の席はテーブルが小分けに配置されており、ひとつで六人まで座ることができる。

 が、時々柱の配置などによる影響か、四人席となっている場所もある。

 無駄に広い場所を占有することもないだろうと、私達はその小さなテーブルに座った。

 ルウナと向かい合うように、私とボウマが隣同士になる。

 受付で貰った綺麗な水色のチケットを机の脇に固めて、あとは料理を待つだけだ。


 壁際に並ぶ大きな窓からは真昼の日差しが入り込み、暖かい。

 窓の下に置かれた観葉植物も瑞々しく輝いていて、綺麗だ。

 こうしてみると、どこか高いレストランにでも入ってしまった気分になる。

 実際油断ならない値段なので、味もレストランくらいだといいな。

 高いレストランに入ったことはないけど。

 食堂がどの程度の味かを測るには、このルウナとの昼食、なかなか良い機会に巡り会えたな。


「さて、料理もまだ時間がかかるわね」


 ルウナは白い手を擦り合わせて、乾いた音を鳴らした。


「ねえウィルコークスさん、早速で申し訳ないのだけど、聞かせてくれるかしら? ナタリーとの闘技演習での話」


 彼女はとても興味深そうに、目を輝かせている。

 そんな目で真っ直ぐ見られると、ちょっと怖い。


「ナタリーとの闘技演習って言われてもな……私もあの日にやった事が全てだから、話せることなんてないよ」

「ロッカもわからないこと多いんだってー」

「そんなことないわ、属性科でもあの闘いで、気になってることがいくつかあってね」

「気になってること?」

「ええ……あら」


 料理を持ったおばちゃんが、こちらに……くるかと思いきや、通りすぎて別のテーブルへ向かっていった。

 食事にありつくには、まだ少々時間がかかるようである。


「……ユノボイド。“名誉司書(ライブラリアン)クライン”に戦い方を教わったでしょう」

「え」

「あ、やっぱりそうなのね」


 私から漏れた一声が、ルウナへの答えになってしまったようだ。


「なんでクラインだって?」

「わかるわよ。クラインといえば、この学園の有名人だもの。特異科の名誉司書と言えば、知らない魔道士はいないくらいにはね」

「そんなに言われてるんだ……」

「クライン、来てからまだ一年なんだよねぇ。早いもんだなぁー」

「ええ、そうね……そうか、まだ一年か」


 ルウナもボウマも、どこか遠くを見るように顔を上向きに傾げた。

 まだ一年。どこかうんざりしたような二人の様子を見比べて、ああ、大して違いはないなと考えている間に、料理は運ばれてきた。




 コビンのチキンソテー、大ハーブ包み焼き。

 塩と胡椒で味付けしたコビンの肉を、昔の戦略地図のような大きなデモン・ハーブの葉を三、四枚使って包み込み、良い香りのする油でソテーにしたもの。

 巨大なデモンハーブの、人によって好みが大きく別れる香りが、しかし私の食欲を刺激する。

 コビンの固い肉も処理がなされているのか、それなりにやわらかそうだ。ナイフも比較的するりと入ってゆく。

 付け合せのザク切り野菜と一緒に肉を刺して、一口に頬張る。

 当然のように、美味しい。ああ、やっぱり焼きたての肉は良いなぁ。


 人の財布から出される料理なので、さすがに私も遠慮して、比較的安く、無難でシンプルな料理を頼んだつもりだけど、それでも細々とした部分から、食堂の料理の質の高さを伺わせてくれる。

 美味しいという噂は、誇張でもなんでもなかったわけだ。なるほど、値段にも納得がいく。


 ボウマも正体不明の肉を、大口で美味しそうに頬張っている。

 食べっぷりの良さは清々しいけど、頬についたソースは拭ってあげた。


「貴女の闘い方を見て、会場にいた人の一部は思ったでしょうね。“クラインに似ているな”って」

「似ている?」


 薄く透き通った小さな刺し身を上品に口元に運び、ルウナは言う。


「……術の使い方。動き方がね。どこか、似ているのよね。相手の動きを変に知り尽くしている、っていう所とか」

「クラインからは前もってどう闘うか、色々とアドバイスも貰ったから」

「やっぱり口添えしてたか。あいつにしては珍しい」

「あいつって。クラインってやっぱり、嫌われてるんだ」

「まあね。性格もちょっと難があるでしょう。けど、いえ、だけど逆恨みされてるって所が大きいのかしら」

「逆恨み」


 皿に溜まった肉の旨味と香草のエキスを野菜で拭い、口の中へ頬張る。

 うん、美味しい。


「貴女、クラインの闘技演習での成績、知ってる?」

「成績? そんなのあるんだ……知らないけど」

「あいつは四十四戦して、四十四勝なの。未だ負けなし。属性科相手だろうと独性科相手だろうと、ほとんど危なげなく勝ってきたのよ」

「ぶっ」


 いけない、野菜吹きそうになった。

 何やってるんだあいつ。

 観戦が好きなのは知ってたけど、そんなに闘技演習に出てたのかよ。


「無敗の特異科生、クライン=ユノボイド。あいつが習得した魔術は数えきれないわ。何十、何百……見る度に違う魔術を使っているんじゃないかとすら思えてくるくらいにね。あらゆる魔術で、限られた状況から当然のように挽回する。魔術を覚える本の虫、付いた二つ名が“名誉司書(ライブラリアン)”というわけ」

「名誉司書、ねぇ……」


 確かに、あいつは常に本を読んでたり、持ち歩いているからな。

 そこらへんの司書よりもずっと、本に精通しているかもしれない。

 “名誉司書”。そんな有りもしない称号も、どこか納得がいく。


「あいつが入学してきた時は、大変だったわね……」


 ため息を二つ分だけ挟む間を開けて、彼女はクラインが学園にやってきた当時の出来事について語り始めた。

 それはまるで、愚痴でもこぼすかのように。




 事の始まりは、今からおよそ一年前。

 一人の青年が特異科生として学園に踏み込んだ瞬間から、なんとも騒々しい物語は始まったのだという。


 特異科学徒に決められた入学時期はない。

 然るべき体質さえあれば、身一つだけで入ろうと思った時に入ることができる。

 彼が入学した時候も季節外れな、何の日和とも言い難い微温い曇天であった。

 記憶に留まらぬ平凡な季節、規模の小さな特異科に飛び込んできた一人の学徒。

 属性科や独性科であればともかくとして、特異科は注目される学科ではない。

 普通ならば、彼が話題になることなど有り得なかった。


 しかし学園は騒然となった。

 特異科に入ってきたらしい者がいて、その男が“ユノボイド”の姓を持っていたためである。


 水国の魔道士ならば知っていなければならないと言われるその姓、ユノボイド。

 ユノボイドとは、かつてミネオマルタが王国として栄えていた時代に存在していた、“高貴なる魔道士”の家柄のひとつである。

 五大国と隠五国の改正と平定、“支配の日”を境に、貴族という形式はこの世から姿を消してしまったが、未だに名家としての影響は根強く残っている。


 特異科に入学したクライン=ユノボイドは、そのユノボイド家の跡取り息子なのだという。

 彼は魔術というひとつの技術において、例外なく素晴らしい才能を発揮するといわれる“元貴族”の血を引く、魔道士なのだ。


 しかし彼の魔力には、特異性という名の呪いが刻まれている。

 名家出身であるにも関わらず、魔術をまともに扱えない落ちこぼれの男が、特異科に入ってきた。

 嘲笑めいた噂は学園内に瞬く間に広がった。

 実力主義である属性科や独性科の学徒にとって、貴族の名を持ち特異科のぼろ布を被ったクラインは、さぞ叩き甲斐のある存在だったに違いない。

 誰もが、クラインの哀れな学園生活を確信していたことだろう。


 ところがたった数日間で、誰もが“何かがおかしい”という事に気付き始めた。




 クライン=ユノボイドは、とにかく勤勉であるらしい。

 まずは、そんな噂が広まった。


 大抵は講義室でぼんやり過ごして、昼前には学園を出て遊び呆けているはずの特異科生。

 特異科の人間とは、待ち伏せでもしない限りにはなかなか廊下で鉢合わせすることも起こらないのだが、学園構内でのクラインの目撃情報は、かなり多かった。

 特異科が存在する第五棟は当然として、第一、第二、第三、第四、あらゆる棟で彼が活動する様子が確認できたのだという。


 それにどうやら、本を運んでいたり、荷物を運んでいたり、常に何かしらの仕事に精を出しているらしい。

 彼が図書室で黙々と書を捲っている事は特に多かったが、廊下で導師と会話する姿も珍しくはない頻度で見られたし、十階の闘技演習場に出てみれば、当然のように席にも座っている。


 おかしい。あの男は動き過ぎではないか。学園の用務員なのか。学園に複数人存在しているのではないか。

 一部では怪談じみた憶測まで飛び交ったが、概ねの印象として、クラインは極々模範的な学徒であることが判明し、それは定着した。


 特異科にも真面目な奴はいるのか。感心感心。ならば目くじらを立てることもないだろう。

 ……と、話はそこに終着することはなかった。


 学園には勤勉な彼の姿を、“真面目ぶりやがって”と貶すような輩も、数多くいたのである。

 ユノボイドという名家は魔道士にとって羨望の的であると同時に、妬みの対象でもあったのだ。


 ミネオマルタの名門校とはいえ、人は人。

 学徒数の多い学園では、クラインを標的とするやり過ぎた行いも、いつかは起こる必然だったのだろう。




 ある日の学園の廊下にて、Bクラスに転落してやさぐれた属性科の上級生たち数名が、大人げもなくクラインの行く手を阻んだ。

 狭い廊下に立ちふさがる上級生。悪意に満ちた笑み。

 これから起こる出来事を想像し、近くに居合わせた学徒たちは戦慄したことだろう。


 クラインは行く手を阻まれ、そこで立ち往生、

 ……することなく、無言のまま身体強化をかけた身体で上級生を跳ね除けた。

 そこで躊躇が無いあたりがさすがだ、クライン。


 当然、上級生たちは激怒した。

 ところがクラインはいつも通り、まともに応対する気などはさらさら見られない。

 むしろ相手に人権が無いかのような物言いで、複数の上級生相手に容赦無い罵声と毒付きを叩き返してくる。

 もちろん、喧嘩への展開を二段階ほど飛ばして、トラブルは加速度的に発展した。


 口論の合間合間で、いくつもの怒りを誘うやりとりがあったことには間違いないのだが、ともかく最終的に妥当すぎる着地点として、上級生からは“決闘しろ”という言葉が出たのだという。

 きっと絡む前からその流れに持っていくつもりではあったのだろうが、自分たちがここまで不快な思いをするとは思ってもみなかっただろう。


 そして彼らにとっては、クラインが即決で「良いだろう」と答えたのもまた、誤算だったに違いない。




 次の日、クライン=ユノボイドが出場予約した中級闘技演習の四連戦は、彼の全勝で終わった。




「特異科のクラインが属性科を相手に圧勝した。みんな、驚いていたわね」


 皿に残ったブドウの実をかじり、ルウナは疲れた笑みを浮かべた。


「私、まだクラインの闘技演習を見たことないんだけど、どんな感じだったの?」

「私も見た。圧勝、というべきか、圧倒と言うべきか……鮮やかというべきか。褒めようならいくらでもあるけど、見ていた人の心情を表すなら、“あっけない”かしらね」

「あっけない?」


 勝つのにあっけない。

 とは、一体どういうことだろう。


「早過ぎる。普通なら闘技演習っていうのは、二三回以上の攻防があって、早ければその内に、遅ければ数分間にまで長引くことだってあるのに。クラインの闘い方は、圧倒的だった」


 ルウナがブドウのいくつかをボウマの皿に分けてやると、暇そうにしていたボウマはすぐさまそれに飛びついた。

 皮付きのまましゃりしゃりとブドウの実を食べる姿を眺めながら、ルウナは抑え切れないため息を吐き出した。


「私も戦ったことがあるの。クラインの二十戦目辺りだったかな。実力を発揮する前にやられて、悔しかったな」

「ルウナも、戦ったんだ」

「瞬殺もいいところだったけどね。私は搦手に“キュー(放水)”を唱えただけで、その直後にはクラインの術で追い込まれて、二発目には負けてたわ」


 ルウナをたった二発。

 手を抜いていたとはいえ、ナタリーでも結構な時間がかかったのに。


「私も含めてだけど、圧倒的すぎて見ごたえがないわね。誰も実力を発揮しきる前に敗北するから。だから、負けを認められない人も多かった。ナタリーもあいつに負けたけど、未だ再戦を申し込み続けてるし」

「えっ!?」

「え、なに、その反応。もしかしてウィルコークスさん、知らなかったの?」

「……初めて聞いたよ」

「あら」


 あの野郎、ナタリーを倒したことがあるのか!

 なるほどようやくわかったぞ。だからナタリーは、あんなにクラインを目の敵にしてたんだな。


 観覧席に上がってまで特異科につきまとっていたのは、クラインとの再戦を果たすため。

 開始早々にクラインに負けてしまった不名誉を払拭するためなのだろう。


 ナタリーの暴言尽くしの挑発に全く耳を貸さなかったクラインの姿を思い出す。

 そうか、あれは勝者の余裕だったというわけだ。

 そしてナタリーは特異科を見下していたどころか、特異科に負けたことで見下されるのが嫌で、しつこく突っかかっていたのだろう。

 あのままクラインに無視され続けていれば、旗色が悪かったのはナタリーの方に違いない。


 ……私も、損なタイミングで手ぇ出しちゃったなぁ。


「クラインの方から申し込む事はないんだけどね。向こうからは、数えきれないほど来ているの。そのうちクラインも手応えのある相手がいなくなったからか、ほとんど無視するようになった」

「それで、逆恨み」

「ええ。まあ、逆恨みだからね、突っ掛かる方が悪いのよ」


 初手数発の魔術で決してしまう闘技演習。

 その妙が、私の闘い方にも現れているのだという。


 ……クラインに似ている。

 なんか、すごく言われたくないぞ、それ。


「でも、そのクラインから戦い方を教えてもらえるっていうのが、こうして聞くまで信じられなかったのよね」

「そう?」

「だってそうじゃない。あんな偏屈な男と、一時的にでもどうやって師弟関係を結べるのか、想像もできないわよ」

「アハハハ」


 まぁ、想像するだけでもおぞましい代償があったんだよ、とは言わないでおくけどな。

 乾ききった笑いだけ返しておこう。


「……そうだ、じゃあルウナだったら、っていうか、ボウマもだけど」

「んあ?」

「何? ウィルコークスさん」

「うん」


 小さなコップに入った水で、口の中の油を喉へ洗い流す。


「……クラインって、なんで強くなろうとしてるのかな。倒したい奴がいるとか、言ってたんだけど」

「さあ?」

「なんでだろな?」

「ありゃ」


 思い切って口に出した疑問は、クラインの闘いのようにあっさりと打ち返されてしまった。

 クラインについてよく知っている二人なら、それらしい答えが来ると思ったのに。


「誰かを倒すために強くなる、っていうのは聞いたことがあるわ」

「あたしも」

「うん」

「でもそれだけ。それが誰かは知らないわね。疑問はあっても、本人はまともに取り合ってくれないのよ。クラインだから何があっても可笑しくない、ってことで、誰も気にしなくなったし。なんていうか……変人だもの。追究する気も起こらないわ」

「あたしも、“クラインだから”って思うようにしてるじぇ」

「な、なるほど……」


 こうして私のように彼への疑問を抱えるのは、最初だけなのだろうか。

 時が経てば、彼の異質さにも慣れてしまうのだろうか。


 ……慣れるのか?

 そうは思えないんだけどなぁ。


 話の大半をクラインで彩った昼食は、ルウナの午後からの講義もあるので、適当な時間で終了した。

 彼女は“またね”と言ってくれた。


 個人的な話はあまり交わさなかったけど、いい人だったように思う。

 この好意は、ご飯に釣られたものではないはずだ。多分。



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