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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第三章 弾ける爆風

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箕018 欠けていた真円

「“テルス(風よ)ティアー(吹き荒べ)”」


 ヒューゴが炎の壁に向かって流木の杖を突き出す。

 螺旋状の轟風は辺りの炎から火の粉を巻き込み、一見して火炎の竜巻のような姿である。

 杖から巻き起こる旋風は炎の壁まで及んでいるが、壁自体が突き破れたり、千切れたりする様子はない。

 ただただゴウゴウと、炎は地獄の一部のように立ち上り続けた。


「“ドッカーン(弾けてぶっ飛べ)”!」


 ボウマの掌から生み出される大爆発でも、ほんの一瞬ですら壁に穴を穿つことができなかった。

 本人は予想できなかった結果が不満だったのか、地団太を踏んでいる。


『……いかんな、身体強化の魔力がどんどん剥がされていく感覚だ』


 得意の身体強化にて突破を試みたライカンも、壁に近付くまではなんとか体が動いたが、私と同じくらいの位置で足を止めてしまった。

 本能的に“進んではいけない”と理解できてしまうのだ。

 彼の気持ちはよくわかる。


「畜生……ろくでもない場所に、閉じ込めやがって」


 私は鉄板の上で、少し無茶をした体を冷やしていた。

 怒りに任せてイズヴェルに近づいたはいいものの、あの時点で既に体が警鐘を鳴らしていたのだろう。

 力が抜けて、まるで全身に軽い火傷を負ったかのような気怠さが襲ってきたのだ。

 まだもう少しだけ、動けそうにない。


「駄目だったよ、クライン。僕の術では風穴を開けられなかった」

「あたしもだー、今日は調子が悪いじぇー」

『身体強化では無理みたいだな。別の方法はないだろうか』


 歯噛みしている間に、三人が中央へと戻ってくる。

 誰にも、私たちを取り巻く炎の壁をなんとかする手段を見つけられなかったらしい。

 それについては最初からわかっていたかのように、クラインは頷く。


「設置型の炎の壁に反応系の火魔術を重ね掛けされている。しかもそれに費やした魔力が尋常ではない。反駁もできなければ、物量任せの対消滅も効果的ではない、と来たか」


 クラインは生み出された鉄の床の中央に深く腰を落とし、考えを巡らせているようだった。

 金属が敷き詰められた一帯はひんやりと僅かに冷たく、居心地がいい。

 それでも私の滾った頭を冷ましてくれるかといえば、そういうわけでもなかった。


「イズヴェルは、もう近くにいないのかよ」

「設置型の術だからな。オレ達を閉じ込めて、あとは悠々と郊外にでも向かったんだろう」

「そこで羽根つき兎を空へ返して一人ハッピーエンド、ってわけか」

「誰も幸せになっていないぞ」

「幸せなんだろうさ、あのちみっこいガキの中では」


 私は重い腰を上げて立ち上がった。

 少しだけ休んで、熱に当てられた具合も良くなった。

 足掻こうという気力が自分の中に戻ってくる。気分はもちろん良くないが、動こうという気持ちになれたのは良いことだ。


 とはいえ、それだけの時間が経ってしまったのだ。

 時間にして一分かそこらだろうけど、人一人が公園を出て、郊外へと足を急がせるには十分すぎる時間だ。

 それだけの時間が経ってもまだ、炎の壁が消える気配はない。

 ここで足踏みしている間にもイズヴェルとの距離がどんどん離れてゆく。

 私にはそれが我慢ならなかった。


「新しく買った鏨鑽(サンザン)の杖で……と試してみたいところだけど、火急の事態みたいだしね」


 右の義腕の掌を開き、金属蓋を開く。


「全力でいってみるか」


 中に収められた自慢のデムピックを引き抜いて、炎の壁の前に立つ。

 炎が接近に反応しない、十分な距離。かつ、そこから更に一歩退く。




 ナタリーとの闘技演習で、私が最後に見せた“スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”。

 高さ20メートル近くまで伸びるあの巨大な柱さえ生み出すことができれば、立ちはだかる炎壁を打ち崩せるかもしれない。

 私が生み出す岩は、なかなか消滅しない性質をもっていると言うのだし、とすれば炎に対しても、多少なれ食らいついてくれるはずだ。


 石柱を倒して揉み消せればそれでよし。

 それでも駄目なら、横倒しにした石柱をデムピックで掘削し、人が通れるトンネルでも掘ってやる。

 そのためにはまず、私が巨大な石柱を出さなければならなかった。


「すぅー……けほっ」


 集中のための深呼吸をと思ったが、一息で熱に喉を痛めそうになってしまった。

 儀礼的な事は抜きにしよう。


「……」


 ただ集中する。

 ナタリーとの闘いを思い出せ。

 あの時の切羽詰まった感覚を今この場所で呼び覚ますのだ。


 状況はあの時ほど深刻なわけではない。

 命の危険があるわけでも、学園にいられなくなるような事情がついて回るわけでもない。

 それでも譲れないこの時のために、またあの時のような力を。


「“スティ(鉄よ)ラギロ(隆起し)アブローム(柱となれ)”!」


 私は右手に握ったデムピックを土に突き立て、そう叫んだ。

 地面に妖しげな魔力が光り、術が生成され始める。




「……あれ?」


 しかし出来上がった代物は、私の予想を大きく裏切った。

 作られた石柱は確かに大きい。

 五メートル程度でずっと頭打ちだった時と比べて、随分進歩したサイズだと思う。

 それでも、足りないのだ。


「高さ六メートル、といったところか。まあまあだな」


 私の後ろから、クラインが平坦な声をかけた。

 彼の声ほど、私の心中は穏やかではない。


「な、なんで? ナタリーの時は、もっとでっかいのが……」

「あれは時の運だったと思え。杖を変えただけで術の性能が四倍に膨れ上がるなんて安直なシステムなら、誰だって借金を抱えてでも杖を買うだろうさ」


 私の正面に聳え立つのは高さ六メートルの石柱。

 大きいといえば大きい。長いといえば長い。

 だがこれが今の私のために突破口を開けてくれるものかといえば、きっと違うだろう。

 炎の壁に蹴り倒したところで、すぐさま火に巻かれて消滅してしまう姿が目に浮かぶようである。


「くっそぉ……でかい柱を出せれば、なんとかなると思ったのになぁ……」

「いいや、変わらないな。いずれにせよイズヴェルの炎によって対消滅を引き起こされ、すぐに消されてしまっていたことだろう。君が巨大な石柱を生み出せたとしても、結果は変わらず見え透いていた」


 クラインは至って冷静に、眼鏡を整えながらそう言った。

 人がせっかく頑張っているのに、あまりに冷淡がすぎるんじゃないか。

 彼の態度に、私も久々にカチンときてしまった。


「じゃあなんだよ。アンタは何かできんのかよ」

「何か、ね」

「“名誉司書(ライブラリアン)”とか呼ばれてたな。なら、この状況をなんとかする魔術も知ってんじゃないの?」

「ああ。術は知っている。だがそれは不可能だ」


 私の目が苛立ちに細まった。


「不可能ってなんだよ。もう既に精神でも擦り切れたのかよ」

「“大波濤”、“海魔の門”、“霊柩の瀑布”。床環境に強い水の大魔術ならば、相手の全力とはいえ火魔術を消し去ることなら容易い。方法だけならいくらでもある」

「ならその中のどれでもいいから、なんか使ってくれよ」


 詰め寄る私に、クラインは無言だった。

 それにただ無言なだけでなく、眉間に皺を寄せて、不機嫌ですらあった。


 私はこの時、目の前のクラインを責めたてるのに夢中で、周りが全く見えていなかった。

 ヒューゴのばつの悪そうな顔も、ボウマの固く一文字に結ばれた口元も、ライカンの気まずそうに頭を掻く仕草も。


 しばらく間をあけて、クラインは言った。


「水が……」

「え?」


 私は何のつもりで強気になっているのか、語気を荒めに訊き返した。


「水が出せるなら、オレはこんな苦労などしていない」

「……」


 この瞬間になってようやく、彼の言う所そのままの馬鹿な私は、地雷を踏み抜いた事に気付いたのだった。


 親の敵の苦虫を噛み潰したような表情のクラインが、自分の眼鏡に手を当て、


「“クオリア(水弾)”」


 呪文を紡ぎ、すぐにその手が離される。

 片方のレンズが欠落していた彼の眼鏡は、元通り復元されていた。

 眼鏡越しの鋭い目は私を睨んでいる。


「“水の術がガラスに変わる”。わかったかウィルコークス君。これで説明の必要はないな」

「……あ」


 私は頷くか、謝るか、すぐにどちらかをしなきゃと思ったけど、そうする前にクラインは離れてしまった。

 不機嫌そうに肩を揺らしながら、一人鉄の床の中央へと戻ってしまう。


 やってしまった。

 そう感じた私はもう、再び彼に声をかけることができなかった。




 鉄の特異性。

 “鉄の術が岩に変わる”。


 風の特異性。

 “風の術が渦を巻く”。


 雷の特異性。

 “雷の術が磁力になる”。


 火の特異性。 

 “火の術が爆発に変わる”。


 水の特異性。

 “水の術がガラスに変わる”


 この狭い空間には、異なる五つの特異性を抱えた魔道士達が閉じ込められている。

 自分の体質をどうとも思っていない者。

 ないよりあったほうがいいくらいに思っている者。

 どうせなら活かそうと思っている者。

 恥ずかしいと思っていた者。

 そして、ひたすらに疎んでいる者。

 自分の特異性に対して抱く思いは、人それぞれだ。

 けど、ここにいる人のほとんどは、概ね前向きに受け入れているように感じられる。


 だから皆が皆、劣等感を克服しているものだと思っていた。

 つい最近の、私のように。

 でもそれは違ったのだ。


 クラインは、十数日前の私と同じように、自分の身体が宿す特異理質を“長所”などとは思っていない。

 まして、それに利用価値があるなどとも考えていない。

 いつかクラインが、ぽつりとこぼした言葉を思い出す。


 オレはヒューゴのように特異性を個性だとは思っていない。

 あくまでも特異理質は人間の欠陥だ。


 ……あれは、当然、自分を含めての言葉だったのだ。




「やれやれ、風の国を出てからまた、こんな熱さを味わうことになるとはなぁ」

「あぢー……」


 ヒューゴとボウマが背中を合わせ、項垂れている。

 私達はひと通りの魔術を炎の壁に向けて放ったが、結果は全くもって芳しくなかった。

 どんなアイデアも、対抗策も、灼熱の壁に近づいて、チリチリと肌が焦げ付くような徒労に終わってしまったのだ。


『しかし敵ながらあっぱれと言わざるを得ないな。さすがは属性科三年の神童と名高いイズヴェルだ』

「神童?」


 クラインと共に沈黙を貫いていた私の口は、僅かな怒りの残り火によって簡単に開いてしまった。

 イズヴェル。そう、こいつが全て、何もかも悪いのだから。


『属性科三年には二人の神童がいてな。あのナタリーも、入学の年が一年でも違っていれば持て囃され、文字通り敵無しだっただろうが……』

「ナタリーより強いの?」


 私の中では、属性科で一番強い奴はナタリーという印象がある。

 いつか見た闘技演習でも、他の属性の相手を圧倒していたのだし。


『奴も強いさ。だがそれでも、イズヴェルとミスイには敵わないだろうな』

「……イズヴェル、ミスイ」


 “激昂のイズヴェル”。

 “冷徹のミスイ”。

 どちらも聞いた名である。これを期に、より深く頭に刻み込んでおこう。

 特にイズヴェル。お前だけは絶対に忘れないからな。


「入学三年目にして早くも杖士隊(じょうしたい)の最有力候補と言われているんだ。闘技演習でも何度か試合を見たけど、そこらへんの学生魔道士とは格が違うね」

「……まぁ」


 格の違いは、今まさに三百六十度から存分に見せられているしね。

 強がりようもなかった。


『それだけに、力を誤った方向へは使ってほしくないものだ』


 ライカンは鉄の床に腰を落として、炎を前に重く唸った。

 暗めに光る眼光ランプは、深く何かを思案している証。

 年寄りなりに思うこともあるのだろう。




 しばらく私達は、学園のことについて話していた。

 嫌でも周りの炎が目に入り込むので、内容のほとんどは属性科の話だったり、属性術の話だった。

 特にヒューゴはいつになく饒舌で、火の術の鎮火の仕方、魔力の炎が服に引火した場合の対処法、水暖炉の熱を長引かせる豆知識など。

 熱さと苛立ちを紛らわせるには十分な、退屈しない小間話を沢山きかせてくれた。


 場の空気を感じ取りやすい彼のことだ。

 もしかしたら、私とクラインとの間に沈黙を流さないように、取り計らってくれたのかもしれない。


 ただ、その最中にクラインは一度も口を開かなかった。




「ようやくか、タフな魔術だな」


 クラインがおもむろに立ち上がったのは、ヒューゴの話が脱線に脱線を重ねて、口を噤みかけた時のことであった。

 何事かと俯きかけた頭を上げてみれば、燃え上がる炎の壁に変化が現れ始めていた。


 それはまるで、水の国にあるような巨大な噴水が、だんだんとその勢いを弱めながら水流を弱めていくような、ゆっくりしたものではあった。

 けど確かに、炎の幕は頂点部分から、消滅しつつある。

 イズヴェルの設置した術が、燃料切れを起こしたのだ。


「炎が溶ける。西の街道へ急ぐぞ」


 クラインはいつもと変わらぬ、難しい理学書を読みながら睡魔に苛まれているような顔をこちらに向けていた。

 そんないけ好かない顔に、私はどこか安堵してしまう。


「うん」


 だから素直にそう答えた。

 隣でヒューゴが微笑んだ気がした。ボウマはにんまりと笑っていたので、多分間違いない。




 昼間の屋根ダッシュ。

 森での人力アスレチック。

 迫り来る鉄リングからの防御。

 果ては垂直に反り立つ壁に魔術攻撃。

 私や、ライカンやクラインの今日一日の消耗は尋常ではない。


 もちろん術を乱発してラビノッチを追い込んだボウマや、最後にどういう手法でか絡め取ってみせたヒューゴに疲労がないとは言わない。


「ロッカぁ、いそげいそげー!」

「ま、待って」


 でも実際に私の身体は限界だった。

 魔力を使いすぎたせいか、頭がくらくらする。

 送風のちゃんとなっていない切羽で働かされた時のような薄ぼんやりとした靄が、瞼の裏に広がっているようだ。


 身体強化で走りたい気持ちはある。

 すぐにでもイズヴェルに追いついてやり、あの顔を一発はたいてやりたいと思っている。

 しかし強化すらおぼつかない今の私では、ただ普通に走るのにも一苦労だった。


『身体強化の精度を高めるのは良いがなロッカ、使いすぎは生身そのものを軟弱にするぞ。日頃からしっかり運動することだな』

「わ、わぁってるよ」


 ヤマで働いていた時は良かったけど、水の国に来てからの運動不足が祟ったようだ。

 どうやら私も少し、衰えてしまったらしい。

 父さんは「そっちのほうが女らしくていいだろう」とか言うんだろうけど、ヤマ仕事もできないような身体はさすがに、嫌だ。


「“遵法の釜”の効果時間は三分だった。長い拘束時間だったが、イズヴェルもそれなりの魔力を消耗したはずだ。できるできないに関わらず、身体強化は使えないだろう」


 満身創痍な私に対して、ライカンはまだわかるとしても、クラインがピンピンしているというところには驚きだった。

 私が息を切らしながら走っている間にも、クラインは先頭で解説を加えながら軽やかに腕を振っている。


 今日はずっと、彼と一緒に居たのだ。クラインのやってきたことは全て見てきたつもりである。

 一緒に屋根の上を走ったし、何度も魔術を使う所を見た。

 私が力任せに円鉄(えんてつ)を退けるような場面では器用にも魔術で防御してみせたし、それと平行して身体強化だって使い分けていたはずだ。

 それなのに涼し気な顔をしている。

 彼が私より遥かに魔術の扱いが上手いのは知っているけど、私よりも持久力が高いということには、ちょっとした敗北感を覚えてしまう。

 私だってそんなに、ヤワに育ってきたわけじゃないのに。


「強化を使わずに移動したとすれば、今頃は西の果て、馬車駅を過ぎた先にいるだろうな。ラビノッチを放つとすれば、おそらくはそこだ」


 西の果て。馬車駅。つまり町の外だ。 

 そこへ行ったことも見たこともない私は、頭の中で想像図を浮かべるだけに留めた。


「なぁクライン、間に合うのかよぉー」

「間に合うだろう」


 ボウマの問いに、クラインは事も無げに答える。

 間に合う? 随分と自信満々に言ってのけるものだ。


「間に合うっていうよりも、ラビノッチはなんとかなるってことだろ? クライン」

「え?」

「まぁ、そうなるな」


 ヒューゴはどうも、事の行く末がわかっているらしかった。

 ライカンは黙々と走っているので、事情に詳しくないのか、またヒューゴやクラインと同じように分かっているのかは、狼の頭からは判別できない。

 置いてきぼりにされた気分を味わうのは嫌だ。


「なっ……けほっ、はぁっ」

「大丈夫かい? ロッカ」


 とはいえ、今は走るのに精一杯。

 現在全力で稼働している私の肺からは、二人への質問を紡ぎ出すだけの余裕はない。


 だから、成り行きをそのまま見守ろうと思う。


 足止めをされて出遅れた私達が、イズヴェルに間に合うのか。

 二日間の苦労は風に巻かれて消え去ってしまうのか。


 全ての答えが西にある。


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