箕003 再開する講義
「おはよう」
「おはようロッカ。身体は……大丈夫そうね、良かった」
「よう、ロッカぁ」
講義室は既に特異科学徒でいっぱいだったが、ヒューゴだけはまだ来ていないらしかった。
いつもヒューゴが座る机の上にはボウマが乗っかっており、鉛筆でなにやら落書きをしている最中だったようだ。
そんなイタズラにもすぐに興味を失って、小さな弾丸がこちらへ走り寄って来る。
「ロッカぁー!」
「おうっ?」
病み上がりの私の後ろに回り込み、そのまま背中へと覆いかぶさってきた。
突然のしかかられても、ボウマは大して重くはないので、身体強化もせずにそのまま講義室へ進んでゆく。
『おお、ロッカ。体の方は大丈夫なのか』
ライカンはクラインの席で話しているようだった。
巨体なだけに、立っているといつも以上に目立つ人だ。
「身体は、まあね。今日からまた、ちゃんと理学生っぽくやっていくよ」
ナタリーとの騒動にはカタがついた。
喧嘩を売って、相手が買って、それで勝ったのだ。誰も文句は言うまい。
謝る謝らないの話でもないので、私がナタリーをぶっ飛ばした、ただそれだけで充分なのである。
あとは向こうが再び突っかかってこないかが心配ではあるけど……まさか、そこまで情けない真似もするまい。
晴れて私は堂々と、この学園で学徒をできるというわけだ。
『うむ。学び、遊ぶこと、それもまた学徒の努めだ。功を焦らず、じっくりやっていけ』
「ライカンが言うと、なんだか重みが増すね」
『ハッハッハ! 伊達に何年も生きていないからな!』
そういえばライカンって何歳くらいなんだろうか。
全機人だから姿は変わらないんだろうけど、声は老いていくから……聞いた限りでは……。
「功を焦るなというのは、怠け者が道連れを作る際の常套句だ」
と考えている間に、クラインの横槍は入れられた。
私のまつげを叩くように、視界を紙で遮って。
「なにこの紙」
「見たまえ」
「ちょっと、ロッカも連れて行くつもり? 病み上がりなのわかってる?」
「大金のためならやらない理由はない」
「大金?」
その単語だけで、目の前の紙への煩わしさは全て興味へと変換された。
離してよく見てみれば、それは中央に写実的な動物の描かれたチラシである。
学園や街の掲示板に張り出すようなタイプの描き方のもので、例えるならこれは、脱走した駆鳥の捜索願いにそっくりだった。
「ペット?」
「だとしたら、今回放した奴は罪人扱いになるだろう。翼兎ラビノッチ。立派な魔獣だよ」
「あー」
そういえば以前に、警官の人が総出で追いかけているのを見たことがある。
脚に翼の生えた兎なんだっけ。そう聞くと、鳥を捕まえるよりも簡単な気がするんだけどな。
しかし、未だに捕まっていなかったことに驚きである。
「どういうわけかミネオマルタに入り込み、ここ数日間で多数の生鮮食品が食害にあっている。何より移動の際に生じる風が凄まじく、露店の天幕が飛ばされるなどして怪我を負う旅人も多いそうだ」
ウサギの脱走事件は、私の知らぬ間に随分と大事になっているようだった。
そんなことにかまけている暇もなく特訓をしていたので、疎くなるのは当然ではあるんだけどね。
「ついに警察は音を上げて、この一件を民間に委託することとなった」
『それまでも有志の討伐隊が探しまわっていたらしいが、複数の討伐ギルドが勝手に探しても効率が悪いようでな』
「ひとまず信頼の置ける機関にのみ、一斉に討伐願いを出したわけだ」
『この学園も信頼できる機関というわけだな』
「え……やりすぎじゃない?」
街ぐるみで一匹の兎を追うとは、それにしたって随分穏やかな話ではない。
罠を多くしかけるなりすれば、簡単に解決しそうなもののように感じるけど。
「相手は危険な魔獣だ。知識もあるし、動きは複雑だ。兎とはいえ、絢華団の討伐難度はCに設定されている。それが水国の首都で野放しになっていると考えれば、一刻も捨て置けない異常事態なんだよ」
「へー、それって凄いの?」
『Cといえば、リトルバハモスと同列と見なされるだろうな』
「うわ」
リトルバハモスといえば、竜の成体前。翼はないが、危険な魔獣である。
名前にリトルがあるとはいえ、その体長は3メートル。
四足歩行で素早く獲物に飛びついて、強靭な顎で何でも捕食する。
出会ったら私でもとりあえず死を覚悟するほどの、危険な生物だ。
「報奨金は三千YEN、生死は問わず持ってこいとのことだ」
「三千!」
赤陳のタクトが四本も買えてしまう額だ。
書店で買った指導書を含めてもお釣りが来る。
ちょっと贅沢な食事を毎日楽しめる。
「兎、捕まえよう!」
「ちょっとロッカ!?」
『うむ、共にこの魔獣を捕らえようという話をしていたのだ。ロッカも手伝ってくれるのであれば、これ以上嬉しいことはないぞ』
明朝聞かされたマコ導師の話もすっかり忘れ、私は午後から始まる兎狩りへの意欲を燃やすのであった。
どうやって捕まえるのかを話しているうちにヒューゴがやってきて、そのすぐ後にマコ導師がやってきて、いつも通りの講義が始まった。
気持ちは現金な方へと移ろいているが、久々にじっくり向かい合う理学の授業だって、私にとっては見逃せない。
私は魔道士を目指すと決めたのだ。
岩をカヤってナタリーを突き落としたし、大衆にそれだけのものを示してみせたのだから、それなりの行動で己を立ててゆかねばなるまい。
ナタリーに勝ったことでより一層、後には退けなくなった、とも言える。
まぁ、理学の勉強もまだ難しくないので、そんなに後ろ向きになって考えなくてもいいんだけどね。
マコ導師に言われた通り、ゆるくやっていこう。
「本日は杖や論理式から距離を置いて、基礎的な魔力の振る舞いなどについて話していきたいと思いますね」
導師は壁一面を占有する黒板に石灰棒を走らせた。
まず横一線。
その上に立つ人。
左上には、可愛らしくデフォルメされた太陽に顔が描かれている。
それらは子供の落書きのような、理学の講義とは思えない図柄だった。
「さて、魔力を扱い魔術を行使する魔道士ですが、魔道士のほとんどは、魔力についての理解が深いとは言えません」
マコ導師は地面に立つ人間の胸の辺りに、黄色い石灰棒で小さな丸を描いた。
心臓、っていう話の流れではなさそうだった。
「魂。我々のような生命が持っている、核のようなものです」
「マコちゃん、魂って胸にあんの?」
「いえ、具体的な位置などは……ただ、基本的には体の内側にあるらしい、という話はありますね」
基本的には。内側にあるらしい。
人間の核になるものだというのに、随分と曖昧な見解だった。
「ボウマさんの言うように、心臓にあるだとか、または脳にあるだとか言われていた時代もありましたが……それでは、脳や心臓のない植物に魂が無いことになってしまいます。全ての生物に魂は存在するので、その考え方は間違いです」
そもそも植物にも魂があるという話を聞いたのが初めてだ。
てっきり、小魚や虫くらいのものから持ち始めるものだと思っていた。
「とにかく、魂はちゃんと我々の中にあるので、安心してください」
そりゃあもちろんその通りだ。勝手に外側に出られても困る。
……ああ、外側に出たら、それは死んだってことなのか。
「さて……我々の魂を中心に、外側に向かって見えざるものが流れ出ています」
『それが魔力、ですね! マコ先生!』
「その通りです」
マコ導師は人間を包み込めるくらいの大きな線を、また黄色で描いた。
あれが魔力だ。
「魔力は見えません。触れることもできません。人が魔力を扱い、魔術を成してから、はや数千年が経ったと言われていますが……」
白く細い指が、人を包む黄色いヴェールをなぞる。
黄色い石灰線は薄くぼけて、その境界線を曖昧なものにした。
「未だ、魔力という未知のエネルギーをその目で見たという人間は、この世界に存在していません。こんなにも身近に、あるはずのモノなのですが」
マコ導師の言葉を聞きながら、机の上で右拳を握ってみる。
魔力を込めて、身体強化。
それだけで今の右腕は錆びついたような金属ではなく、鋼以上の硬度を持った堅強なものへと変化した。
これもまた魔力の成せる技である。
「魂から溢れ出る魔力は、その魂の意志に従って動き、ふるまいます。原始的な魔力の保護である身体強化や、楯衝紋を理学式とした複雑な魔術の発動まで。つまり魂あっての魔力、という事なわけですね」
今の私は、身体強化……気術。
そして魔術、この両方を扱うことができる。
魔力が成せる二大理術を操れるようになって、思うことがある。
魔力って、便利だ。
「魔力を使って発現させた魔術は、術者の魂の管理下を離れても、一定の間はその姿を保ちます。火や雷属性の術は消滅するのも早いですが、鉄属性のようにその姿を比較的長時間保つものもあります」
今度は人のすぐ隣の地面に、大きな炎が描かれた。
黄色い石灰棒による、黄色い炎である。
「さて、ここで問題です。今この人は自らが生み出した炎のすぐ傍に立っていますが……この人は熱さを感じているでしょうか?」
む。
私にはわからない、素朴ながらも難しい問題だった。
『火の近くにいるんだから、当然熱いのでは』
ぽつりと呟いたライカンの言葉に頷く。
火は熱い。うん、その通りだ。
「そんなに熱くないんでね?」
とはボウマによる根拠の無い反論である。
うん、私も心のどこかで熱くなさそうな気がしている。
しかしどっちの主張も、魔術ならまぁあり得るのではないかという漠然とした印象があるので、私の中で可能性は半々だ。
自分で出した炎なら熱くないかもしれない。
いや、炎は炎なんだから熱いかもしれない。
真偽の程はどっちか。
「正解は、熱い、です」
やっぱり炎は熱かった。
「しかしボウマさんの言う通り、術者自身も結構な熱を感じはするのですが、実際の炎よりも熱は弱く感じられます」
『ほう』
「何故か。それは、炎を形取る魔力と、持ち主が放つ魔力が同じであるから、と言われています」
人を囲む黄色い線と、炎を成す黄色い線。
これは同じ人物の魔力である。
「雷ならばその痺れは弱く、風ならばそよ風を受けるように感じ、水ならば浴びても濡れにくい、といったところでしょうか」
「それって、自分で使った魔術なら、自分への被害も少ない、ってことなんでしょうか」
「端的に言えばそうですね。完璧な物質生成である鉄属性については、その限りではありませんけど」
なるほど。
まぁ、自分で生み出した巨大な岩になら押し潰されない……なんて、どう考えても有り得ないことだもんね。
けど魔術の水で濡れにくいっていうのは、洗い物に便利かもしれない。
後に私は、下水道などに魔術で生み出した水を流すのは良くないという事を知るのだが、それはまたどうでもいい話だ。
「術者は自らが生み出した魔術にある程度の耐性があります。これは、魔道士が扱う杖にも言えることですし、まとっている衣服などにも同じ効果が出てきます」
「へえー、身体強化しているみたいな感じなんですか」
「そうですね。あくまで、自分の魔術限定ではあるんですけど」
私が身体強化を使っている時には、ジャケットも頑丈になっている。
生地の上から刃物を押し当てても全く傷つかないほどである。
ブーツもかなり頑強になっているので、スパイキやクギを踏んだくらいでは刺さりもしない。
それを魔道士に当てはめたような話なのだろう。
火の属性術を扱う魔道士は、常に自分の魔術に対しては身体強化を行っているような状態。
そりゃあ一蹴りで屋根の上まで登るなんてことはできないかもしれないけど、魔術を使いながらそういった限定的な耐久性を得られるのは、便利なことだと思う。
こういうところは鉄魔術には活かせそうにない。
「ですが、一時的にでも魔力を消耗しきってしまえば、自身の魔術への耐性は失われてしまいます」
マコ導師は描かれた魔力の線を黒板消しで撫ぜ、消した。
「魔力を消耗しきる、という状態は非常に過酷な、気を失うほど魔術を行使をしなければならないものなのですが……特訓や演習などで無理をすれば、起こらないことでもありません」
ドキリとした。
もしも魔道士が、自分の限界を知るために、より大きな炎を生み出そうと魔術を連続で使っていて……そのうちに魔力が切れてしまったら。
その時は大丈夫だった炎の熱が、魔道士にそのままの温度で襲いかかるという、恐ろしい事態に発展する。
これはあくまで私の想像ではあるが、全くないケースというわけでもなさそうだ。
「皆さんには特異性があり、それぞれの魔術に耐性があります。ですが、それは健常な精神と魔力があっての事だということを、忘れないでください。決して気を失うまで魔力を行使したりだとか、そんな危険な真似、してはいけませんよ」
最後にそう忠告して、マコ導師は本日の講義を締めくくった。
ボウマもライカンも「ふむふむ」と頷いていた。私も頷いた。
前の席のソーニャは突っ伏して眠っていた。まあ、ソーニャにはあまり関係の無い話だろう。




