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打ち砕くロッカ   作者: ジェームズ・リッチマン
第二章 貫く鉄錐

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擦004 弾け飛ぶタイル

 書店で購入した本は高価だった。読書自体をしない私にとって、この買物にはほんの少しの勇気が必要だった。

 けど、読んでみればそれなりの収穫があったように思う。

 慣れない読書も、興味ある分野だったためかスラスラと読める。

 クライン曰く焚書すべしという格安の指南本を読んでいたおかげで、内容に入り込みやすいのだ。なんだかんだであの本も役に立っているということか。もう読まないけど。

 ある程度まで読み進めた頃には、既に夕暮れ。

 外は、つかの間の雨に降られたらしい。学園の芝生の庭は湿り気を帯びていた。


「よし」


 雨上がりの直後であるためか、学園の屋外演習場はがらんとしている。

 通り雨の多いこの国では、外へ出るにもちょっとした疎ましさがあるのだろう。

 新たに誰かがやってくる様子はないが、演習場には一人だけ先客が居たらしい。


「へえ、やっぱここに来るんだぁ」

「……」


 本の内容を思い返しながら、ふらふらと下を向いて歩いていた事が災いした。

 演習場の中央に堂々と待つ奴の正面まで、のこのこと真っ直ぐやってきてしまったのだ。


 完全な不意打ちである。心の準備も、魔術の準備もない。

 ただ、恐れはない。

 恐怖を覆い尽くし、それを圧倒的に上回る量の怒りが、あの日から心の影に鬱積し続けていたから。

 こいつを目に入れた瞬間、溜まった怒りの山が掘り返された気分だった。

 感情を抑えるために私は必死だ。


「ナタリー……」

「けひゃ、アタシを覚えていてくれたんだ。ありがとうねえ、ロッカちゃん?」


 目の前にナタリーがいた。

 ひらひらした飾りつきの、黒いコルセットドレス。

 両目をわずかに縁取る影。

 絹のように白い髪、は良いとして。

 私の美意識はこんな都会じゃ宛てにはならないだろうけど、ナタリーが悪趣味だとはひと目で分かる。

 にたつく笑みも相まって、まるで狡猾な魔族のような、恐ろしげで、妖しげな姿だ。


 まさかこんな場所で、こんな時間に出会うことになってしまうとは。

 何故こんな所にナタリーがいるんだ。

 口ぶりから察するに奴は、私がここに来ることを知っていたようではあるけど。


「私に何か用?」

「いやぁ、ね? 最近ロッカちゃんがお理学を頑張ってるらしいから……その、お手伝い? っつーの?」


 ナタリーはにへらと粘っこい笑みを浮かべながら、鉄製のメイスをだらしなく、しかし確実に私へと向けて構えた。

 人に杖を向ける。それは刃物を向ける以上に明確な、敵対の意思表示だ。


 私は現状で使い物にならない腰の杖を本能的に選択肢から除外し、反射的に右の拳を握った。

 強化の魔力を身体に漲らせる。

 魔力が湧くと共に、ついでに冷や汗まで出始めた。


 ナタリーは敵意を剥き出しにメイスを構えている。

 奴の気迫は物語っていた。ここでやる気なのだと。


「なんの真似だよ。手を出せば、次は退学になるんじゃないの」

「ロッカちゃんは真面目ですねぇー、でも大丈夫!」


 何が大丈夫なのかわからない。

 この女も、私と同罪として追加学徒指令を出されたはずだ。導師からそれなりに厳重な注意も受けたはず。

 なのにどうして、そんな獣のような目ができる。

 こうも躊躇いなく、戦闘禁止の場所でやり合うような真似ができるんだ。


「アタシはさぁ。ずっと鉄魔術を練習してるってウワサされてるロッカちゃんにねぇ……見本を見せてやりたいだけなんですよぉ!」

「!」


 嫌な予感で汗が引いた。

 身体強化した右足で強くタイルを踏み締める。


「“スティ・レット(いでよ鉄槍)”!」


 粉砕されたタイルの破片が、私の佇んでいた位置に吹きつけられた。

 まるで地面で小規模な発破が起きたような衝撃だ。

 そのまま立っていたら、破片にやられて怪我でもしていたかもしれない。


「へえ、今の避けんだ。やるじゃない」

「てめぇ……!」


 ナタリーの正面の床には、細長い鉄の円錐が斜めに深々と突き刺さっていた。

 槍をタイルに思い切りぶち当てて、砕いた破片を私に飛ばしたのだろう。

 魔術を直接当てていないからって、そんなの有りなのかよ。


「キヒヒヒ、そんな怖い顔しないでよぅロッカ。せっかくアタシが鉄魔術のお手本を見せてやってるんだからよォ……」


 一歩、二歩と後退する私に対して、ナタリーは二歩、三歩とより多く距離を詰めてくる。

 私に為す術はない。そりゃあ、この拳で殴ることは、出来るといえば出来る。ただ、その選択は間違いなく私を速やかに退学へと誘うだろう。

 手出しを出来ない私の様子を眺めながら、紅を塗った唇は心底楽しそうに歪んでいた。


「安心してよ、術が当たるなんてことはないからさぁ……“スティ・レット(いでよ鉄槍)”!」

「ぐっ……!」


 またも足元に鉄針が突き刺さった。

 破片は容赦なく私の方へ炸裂し、いくつかが脚を掠める。

 身体強化をしていなかったら傷でも負っていたかもしれない。

 強化していても痛みがあるくらいなので、限界ギリギリといったところか。

 今のよりも更に大きな破片が飛んでくれば、無傷では済まされなさそうだ。


「どうしたのロッカ、あんたの魔術も見せてくれよ……あ、でもジキルが言ってたっけなぁ……まだ魔術投擲が出来ないんだってねぇ?」


 私の現状がそこまで筒抜けだったとは。

 まさかこの場所が、そんなに人に見られていたなんて。

 つまり、こいつは私が何もできないのを解っていて……。


「魔術投擲ができなきゃ、こんな真似もできねぇよなぁ!?」


 再びメイスが高く振り上げられる。

 投擲杖術の縦振り。

 振り下ろすそのままの勢いが、魔術に反映される。

 たとえそれがド素人の動きであっても、地面の石を貫くその一撃は、達人が振り下ろすツルハシよりも遥かに強烈だろう。

 メイスを乱雑に振るだけの速さがそのまま、巨大なツルハシを操る勢いになるようなものだ。

 当然、飛散するタイルの破片は、それなりの切れ味と速度で襲いかかる。


「“スティ・レット(いでよ鉄槍)”!」


 再び防ぎようのない間接攻撃が、地面に向けて放たれる。


「“スティ・ラギロール(鉄よ地を覆え)”」


 小さな発光と共に、鋼鉄の槍が顕れ大地を突く。

 轟音と共に槍は深く地面へと。


「……クソが!」


 沈む……ことはなかった。


「え?」


 もっと言えば、ナタリーが放った槍は一センチも地面を傷つけることなく折れ曲がり、壊れた術はすぐに消滅した。

 何故か。それは簡単に説明できる。

 経緯はちっともわからないが、今起こった出来事は、非常に明快だ。


 ここ一帯の地面が、全て鋼鉄の床に覆われていたのだ。

 槍は地面そのものに弾かれ、折れたのである。


「馬鹿同士の喧嘩かと思えば、馬鹿が浅知恵で魔術の指導とはな。遠目に見ていても虫唾が走ったぞ」


 私の後ろから聞き慣れた声がする。

 ナタリーはその声の主を、先程よりもよりギラギラとした目で睨んでいた。


「クライン……!」


 私の後ろで、クラインはぼんやりとした顔で立っていた。

 クラインの足元から私の方にまで、鋼の床は続いている。あいつがこの硬い地面を生み出したのだ。


 ナタリーは敵意どころか殺意に近いギラギラとしたものを放ってクラインを睨んでいるが、彼は相変わらず不機嫌そうな目つきのまま、害意に屈していない。


「知性のない目でオレを睨むな、馬鹿が感染る」

「ァア!?」


 その上に挑発までして見せる。多分、無意識なんだろうけど。だからこそタチが悪かった。


「邪魔してんじゃねえぞクソ野郎!」

「ここは屋外演習場だ。戦闘が禁止されている個人の演習に邪魔も何も無い」

「うっせえ黙れ! “スティ・レット(いでよ鉄槍)”!」

「“スティ・ラギロール(鉄よ地を覆え)”」


 ナタリーはもう一度鉄を打ち込もうとするが、その一撃もクラインの生み出す鋼の床に阻まれて消滅した。

 鉄の地面はさらに領土を増して、私の周囲数メートルが黒く硬く染まっている。


「特異科が一丁前に小賢しい術を……!」


 硬い地面には刃は通らない。分厚い鉄を貫く前に、細い鉄が折れ曲がってしまうのだ。

 黒い大地の中央にいる限りは、もうどこに鉄針を打ち込もうとも、私までタイル片が飛ぶことはないだろう。


「“パイク・ナタリー”。周りくどい手など使わず、直接魔術をぶつけて戦ったらどうだ?」

「ぁあ!?」

「え」


 クラインは私の存在などそっちのけで、淡々と提案を続ける。


「期日を決定し、闘技演習場で正々堂々戦えと言っている」

「へえ……闘技演習場でねぇ」


 闘技演習場。この学園で唯一の、一対一の魔術戦が認可されている場所だ。

 そこでなら、ナタリーと私は思う存分気の向くままにどつきあう事もできるだろう。

 ……私がそれに応じればの話だけど。


「でもそこで守られているロッカちゃんは、誘ってもビビって来なさそうだしねぇ?」

「あ?」

「事実じゃねーか。魔術投擲もできねー特異科の落ちこぼれに、そんな度胸もないでしょ?」


 確かに、今の時点で私とナタリーが戦っても、勝てる見込みはほとんどない。

 魔術投擲はできず、闘技演習場では身体強化すらも禁止され、身体を保護できない。

 足元にこの鉄製の床が出来ていなければ、為す術もなくゆっくりとタイル片の餌食になっていただろう。


「どうせこの田舎女は本気で魔術をやりに来たわけじゃねぇんだ。な? そうだろ、ロッカちゃん?」

「良いじゃん、闘技演習場」

「はぁ?」


 そう、今はまだ。けど、これからはわからない。

 私はもともと逃げるつもりなんて無い。だから今までずっと、成果はあまり出ていないけど、魔術の練習をしてきたんだ。


「私は逃げないよ」

「へえ! このアタシとやろうっての!? 特異科の非才が!」


 今更に歴然としている力の差を見せつけられたところで、私は屈したりはしない。

 最初に喧嘩を売られたあの日から、こいつの長い鼻をへし折ってやるつもりでいるのだから。


「あと十日もあれば、ナタリー。あんたを場外までトばしてやるよ」

「……」


 私は相手が烈火のごとく怒り狂いそうな挑発をしてみせたが、訪れたのはぽかんとしたナタリーの顔と、妙な沈黙だった。


「うぷっ」


 そして突然、ナタリーは吹き出した。


「ぶわっはっは! えひゃ、ひゃっはっはっはっ!」


 そして、狂ったは狂ったが、ナタリーは狂い笑いを始めてしまった。

 予想していた反応と大きく差があり、私はどう反応していいものかと身動きが取れない。

 腹を抑えてしばらく本気で笑い続けていたナタリーが落ち着くと、「ふー」と長い息をついた後に、私を睨んだ。


「十日。そうか、あんたは十日でアタシを倒すだけの力を付けるって言いたいわけか、こ、こいつは、ウフッ」

「十日も待てないっての?」

「い、いや、別に。くくくっ……良いねぇロッカちゃん、そういうの……アタシ、まじそういうの好き」


 今すぐに闘技演習場へ行こうなどと提案されなくて、私は内心でほっとしている。

 その安堵があまりに大きすぎたために、私はナタリーの様子の可笑しさにも、私の背後で難しい顔をしているクラインにも気付けなかった。


「よし、じゃあ十日後だ! アタシは優しいからねえ、十日も待ってあげる! 十日後の昼に、第二棟の闘技演習場に来い! 上級保護の闘技演習に臨んでもらうぜ! ロッカ!」

「ああ、良いよ。首を洗って待ってな」


 腰が引けているつもりはなかったけど、私の言葉のどこかが面白かったのか、ナタリーは最後に小さく吹き出して去って行った。

 もっと強引に仕掛けてくると思っていたのに、約束を取り付けると随分と大人しいものだ。

 ともかく、これで十日の猶予はできた。その間に魔術投擲を覚えれば、まあ後は、なんとかなるだろう。


「ウィルコークス君」

「あ」


 ナタリーが広場から去るのを見届けると、クラインが冷めた目で私を見ていた。

 今回ばかりはクラインに助けられた。もし彼が来ていなければ、私はナタリーにちまちまとなぶられたまま、終いには背を向けて敗走していたかもしれない。


「その、さっきは助けてくれてありがとうな。助かった」

「君は本当に馬鹿だな」

「は?」


 私の素直な感謝の気持は受け取られなかった。

 クラインは、事はそれどころではないというような、険しい顔だった。


「十日でナタリーを超えるつもりで言ったのか」

「あ、ああ。十日もあれば、まあ大丈夫……」

「そんなわけがあるか。十日で……ああ、そんなことを本気で口走っていたとは。状況で混乱していただけならまだしも。これだから無知は駄目なんだ」


 ものすごく失礼な言葉を立て続けに浴びせられ、ご立腹な私であったが、私自身がこの十日という言葉を後悔するのに、さほど時間はかからなかった。


 そう。私は魔術を甘く見ていたのだ。

 侮っていた。認識が不十分だったのだ。

 まさか十日という猶予期間が、これほど頼りないものだとは……。


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