嚢004 会敵する先住者
「わー、真っ暗だぁ」
「頭に気をつけろよ、ライカン」
『俺に言うか。いや、その通りか……ううむ』
賑やかな後続を率いて、私を先頭に進んでゆく。
何故私が先頭なのか。それは、誰かが何かを決めたからではない。
私が率先して先を歩いているから、それだけの事である。
「んー」
カンテラをガシガシと振って、灯りを強める。
反射筒を窄めて辺りを照らすと、広い洞窟内の表情がくっきりと浮かび上がってきた。
「一本道が続くね」
「小さな獣が通れそうな穴とかは?」
「無い。でこぼこはしてるけど、本当に綺麗な一本道」
洞窟内には水気もないので、小さな爬虫類などもいないようだ。
毒を持っていそうな虫もいないので、ここらでじっくりと、近くの壁面に近づいてみようと思う。
壁際にカンテラを寄せ、明るい中で岩肌と材質を見る。
「ロッカぁ、なにしてんの?」
「ん、確認」
カンテラをジャケットの肩のエポーレットにくくりつけて固定し、右腕からデムピックを取り出す。
軽く壁面を小突くと、岩は固い音と共に少しだけ砕けた。
センチ四方の小石となって落ちた小さな粒を拾い上げ、じっくりと観察する。
それはデムハムドにはほとんど無いような、均一でまっさらとした質感の石だった。
「ここらへんの岩って、綺麗な肌をしてるんだ」
「ただの岩に綺麗も汚いもあるか」
うるせえ黙れ、人の感動をぶち壊すな。
クラインの頭に投石してやろうかと思ったが、場所が場所なのでやめておく。
しかし、この粒を見て分かった事がいくつかある。
「まだ、もっと先に進まないと何もないと思う」
「もっと先にかい」
流木の杖を突きながら慎重に歩くヒューゴが、やわらかな光に強く照らされた顔をこちらへ向けた。
「うん、もうちょっと進んで……このまま下の方にいかないと、層にも変化はなさそうだしね」
今の壁面のほとんどを構成している平坦な質感の岩は、混じり気のないある意味では良質な石なのだが、魔石などの採掘ができるものではない。
光で照らしてみると、洞窟内の下部は違う質感の岩で構成されているようだった。
逆にこちらの低い位置の粗っぽい岩ならば、何かを含んでいるかもしれない。
地面にはちらほらとナツライトらしい黒い影が見えるので、下の方を探すのが吉だろう。
「よし、どんどん進もう。転ばないようにね」
「なんか、ロッカ楽しそ。うしし、あたしもお宝を見つけてやんじぇ」
まぁ正直なところ、段々と楽しくなってきたのは否定しない。
けど警戒は弛めないぞ。プロとして、しっかりと先導してやるつもりだ。
しばらく浅めの下り傾斜を歩いていると、道も横に逸れてきた。
層が青っぽいような、暗めの岩石中心になると共に、表面の粗々しさを強くしている。
混沌とした壁面は、魔石、原石、貴金属。何でも出てきそうな様相を呈している。
人の手が入っていない未開の洞窟であるだけに、本当に何が出てきてもおかしくはない。
「ん」
歩いているうちにカンテラの灯りが、道の先に巨大な目玉を照らしだした。
後ろからは幾人かの驚く声が上がる。
「な、なんだあの目玉は?」
「大丈夫、ただのロックジェリーだから」
「なんだそれー」
私は赤ん坊の頭ほどもありそうな、黄色い巨大な目玉に歩み寄る。
後ろからはボウマの騒がしい声が聞こえてくるが、構わない。
実際この目玉は、見た目ほどは怖くないのだ。
「ほら、一枚の広い岩の本体に、目玉。その外周に、無数の石をつなげたような触手。ここの岩から生まれたクラゲ型の顕現、ロックジェリーだよ」
「ごめんロッカ。全体を見ても、僕からしたらちょっと怖い」
「あたしも」
「そうかな?」
ロックジェリーは宙に浮かぶ、岩のクラゲだ。
体長は一メートルほどで、性格というか、性質は温厚そのもの。
魔力を含む岩場などに発生し、何を食うでもなく、何を飲むでもなく、ただふわふわと浮かび、空中を泳いでいる魔族だ。
こちらが何もしなければ襲ってこないが、何もしなくても向こうからふわふわとぶつかってくることがあるので、完全に注意をしないわけにはいかない。
考えなしに近づいてくる姿には愛嬌もあるが、後頭部にでもゴツンと来られては厄介だ。
なので私のヤマでは、ロックジェリーを見つけたら速やかに殺すことになっている。
たまに中核部に魔石を含んでいることもあるので、躊躇する者はいない。
「こいつを見つけたら、できるだけ砕くようにね」
「あ」
誰かが何かを言う前に、ピックを斜め上から目玉に突き立てた。
黄色い眼球にガラスのようなヒビが両端までビシリと懸け抜け、ロックジェリーが硬直する。
短い間を開けて、ロックジェリーの目玉から黄色い色がすうっと失せた。
身体を構成する岩と沢山の石が、音を立てながら地面に転がる。
「ほら、こうして目玉をやれば一発だから」
「……うん、わかったー」
『容赦ない見事な一撃だったな』
順調に進み方の注意喚起もできている。先を歩く役目としては、私も役に立てているはずだ。
でも、そろそろ目ぼしい石とか出てきてほしいな。
随分と歩いてきた。そろそろ、いつ行き止まりが出てきてもおかしくない頃だ。
ここまで来て、何事も無くぶち当たらなければいいのだが……。
「いくつかの穴が空いているな」
「こっちにも、地面にあるね。ボウマ、足元気をつけて」
「んぁい」
『む、壁の高い場所にもあるぞ。なんだこれは』
私の心配も杞憂だったか、ちょっと歩いたところでは、洞窟内に変化が見られた。
横、上、下。ところ構わず、大きめの穴が空いているのだ。
それらは兎の穴なんかよりもずっと大きなもので、踏み外せば脚が落ちてしまうかもしれない。
上にも同じような穴がある以上は、獣の類ではないだろう。
「錆蜘蛛」
私とクラインの声が重なった。
私達に、“それはなんだ”という三人の視線が集まる。
「オレは聞きかじった知識だ。ウィルコークス君が説明したまえ」
「いや、私もろくな知識じゃないから、二言くらいで済ませそうなんだけど。クラインが説明してよ」
「良いだろう」
私も知っているし、何度かこの目で見てはいるものの、その生態にまで詳しいわけではない。
それに、今回はクラインのご機嫌取りでもあるんだ。主導権はなるべく彼に譲ってやろうと思う。
「錆蜘蛛と冠称がつけられたその魔獣の名は、アスメという。膝の高さほどもある大きな蜘蛛だ」
『ああ、アスメか』
ライカンは知っている風に頷いた。長そうな人生、どこかに覚えがあったのだろう。
「アスメは頑丈な金属質の外殻を持ち、石を主食とする。より良い材質の石が好物で、こいつが住み着いた岩場では高級な石材が食い荒らされることもしばしばだ」
「へえ、最悪な魔獣だね」
「害性が高くてな。ランクはどのギルドでも軒並みのC入りだ」
またCか。
ラビノッチといい、ミネオマルタではCランクの魔獣と縁が深いのかな。
けど害性の高さだけでランクCだ。私も、アスメの厄介さはよく知っている。
アスメは岩を食ってモグラのように移動するので、放っておくと平気で落盤を引き起こす。
大丈夫だと思っていた場所でも、その下でアスメが生息しているだけで支える計算が狂い、思わぬ事故を誘発させることも多い。
そして価値のある魔石ほど好んで食す性質もあるので、この生物は鉱夫殺しの異名も持っている。
食った後は腹の中で別のクズみたいな石に変えてしまうので、取り返しもつかない。
その上、あまりに沢山の魔石を食うと身体を変異させ、巨大なデムテイカーへと変貌することもある。
見つけたら何においても即駆除が求められる、非常に厄介な相手だ。
「頑丈な顎を持っているが、動きも緩慢でそれ以外は特に脅威でもない。だが錆蜘蛛は群れで行動するから、量での圧倒には気をつけろ」
そう、群れで生きる奴ら錆蜘蛛は、一度に何体も現れる。人を積極的に襲うことはないものの、こういった場所では追い込まれ、反撃してくる場合もある。
そんな時はこちらも応戦する必要があるのが、少々厄介な所なのだ。
鶴嘴で頭を砕く。ハンマーで頭を潰す。身体強化で蹴っ飛ばす。
駆除の色々と手段はあるが、生身の人でも倒せなくはない相手というのが、唯一の救いか。
「クライン、僕から質問いいか?」
「ああ」
「僕の魔術は、そのアスメとやらに有効だろうか」
「効く。ヒューゴの術なら容易くアスメの脚を全て消し飛ばせるだろう」
「おお、なら良かった。足手まといにならないみたいで、安心だ」
ヒューゴの魔術ってそんなに強いのか、と感心を声にすることはできなかった。
かつん、かつん、と。
細い金属の鉤脚が、岩を叩く音が聞こえたからだ。
「いるぞ」
潜めたクラインの声に、緊張が走る。
「こんな狭い中で遭遇する魔獣だ。出会っておいて放置はできん」
「わかってる」
遭遇した魔族は、ロックジェリー。次に出会ったのは魔獣のアスメか。
顕現であるロックジェリーは、その場の生態系に全く影響しない。
アスメも臆病な生き物なので、洞窟の主とは言い難い。
けど、アスメは群れる。群れが他の生物を遠ざけている可能性もあるので、この先はアスメの巣穴だけが大量にあるかもしれない。
となれば、ここでの闘いが洞窟での最初で最後の討伐になることだってあり得てしまう。
気を引き締めていこう。
「ジャ」
錆びた金属棒を擦りあわせたような鳴き声の主が、暗闇から現れた。
灰色の錆びた身体が、二つ、三つ。いや、五つ。
歩くたびに岩を突く硬質な音は、洞窟内によく響く。
しかもそれが群れでやってくるのだから、音は一瞬も鳴り止むことはない。
彼らの足音には、固い床に釘袋の中身をぶちまけたようなやかましさがあった。
「おおー、魔獣だ。爆破していい?」
『ボウマ、お前は後ろに下がってろ』
「ええー!」
ライカンありがとう。先に言ってくれて助かった。
こんな場所で適当な発破をされたら、最悪の事態を引き起こすところだったかもしれない。
「ヒューゴ、オレと一緒に左右の掃除だ」
「わかった。じゃあ僕は左を担当しよう」
「オレは右のやつを仕留める」
クラインとヒューゴは息が合っている。二人は短い示し合わせのうちに、蜘蛛がこちらへ来る前に左右へ散った。
狭い洞窟内だ。横一列にやってくる魔獣の群れと闘うのであれば、こうして分担するのが確かに、最良だろう。
「私は!」
蜘蛛がやってくる。
私は左手にデムピックを構え、鋼鉄の右拳を握り、腰を低く落とし、臨戦態勢に入った。
蜘蛛の玉のような八つ目は石灯の灯りを反射させ、てらてらと好戦的に輝いている。
「ウィルコークス君は前進してきたやつを潰せ」
『俺はどうすればいい? 必要ないか?』
「ライカンは遠くへ逃げていった個体の処理を頼む」
『どいつも逃げる間もなく狩られそうなのだが』
「どんまいライカン、あたしと留守番だ」
『むう』
ライカンとボウマを後方に控え、弛まず進軍を続ける蜘蛛との戦いが、ついに始まった。
蜘蛛が左右に分かれたクラインとヒューゴのラインにまで踏み込むと、一方はロッドを、もう一方は指環付きの手を振った。
「“テルス・ティアー”」
「“イグズ・ディア”」
旋風と雷刃。左右から防ぎようのない二つのエネルギーが、蜘蛛を目掛けて押し寄せる。
片方は鋭利な風が細い足を微塵に切り刻み、片方からは目にしてからでは避けられない稲妻が、錆の鎧を突き抜けて内部を焦がす。
風は一体の足を全て分解し、その隣の蜘蛛の足を数本引きちぎった。
雷は脚を接触させていた二体の体内を駆け巡ったらしく、弾けた関節部からは生物が出してはならない煙がぷすぷすと漏れている。
ヒューゴとクラインで三体。残るは二体。これでもう身の危険はほとんど無いと言っていいだろう。
「おっと、逃すかよ」
「ジャッ」
足元の穴に潜ろうとした蜘蛛の腹に素早くつま先を差し込んで、上に蹴り上げる。
身体強化を込めた蹴りだったが、さすがに錆だらけの重い体は洞窟内の天井には打ち上がらなかったらしい。
だが、私の顔の高さまでは浮き上がらせた。相手の動きを封じるならば、この程度でも充分だ。
「おらぁ!」
「グジュ」
身体を捻り一回転させ、渾身の右チョップを蜘蛛の額に叩き落とす。
全力で強化させた鋼鉄の腕は蜘蛛の装甲に勝ったようで、その頭部を手応えなく抉り切った。
有り余る勢いは蜘蛛を地面に叩きつけ、先ほどまで地を歩いていたような姿勢に戻る。
脚も健全なまま残ってはいるが、しかし奴が再び動き出すことはなかった。
「ライカーン、向こうに一匹逃げてったぞー!」
ボウマが声を張り上げ、指をさす。
カンテラの灯りから外れたその先には、ぼんやりとではあるが、鈍く反射する錆蜘蛛の光沢が見えた。
五体中の一匹が、逃亡を試みたのだ。ここで逃してはならない。
『おう、任せろ』
私が手の中に小石でも出そうかと考えた時、既に大きな人狼の影は私の横を飛び抜けて、闇へと身を投じていた。
一度の跳躍で音もなく視界から消え去る様は、一瞬の出来事ではあるが、まさに狼のようであった。
『ふんっ』
闇の中で、喩えるなら金属製の水筒を叩き潰したような破裂音が響いて、洞窟内で強く、何度も反響する。
その音は、私達がひとまずの息をつくのに充分な快音だ。
「辺りに蜘蛛はいないか」
戦闘が終わっても、クラインは周囲への警戒を怠らない。
カンテラの灯りを振りまき、足元の穴や天井の穴を注意深く監視している。
私も肩から下げたカンテラを持ち上げて、壁際の穴をよく睨んだ。
もちろん、硬質な足音がしていないか、聴覚にも神経を払いながらである。
数秒もしないうちに、闇の中からライカンの巨体が現われた。
足をぴったり包み込む履物をしているライカンの足音はほとんどしないので、ちょっとだけびっくりした。
『一発で仕留めたぞ。左側の壁がちと汚いかもしれんが、まぁ我慢してくれ』
「これでもう居ないな」
『向こうの暗いところでは、気配もしなかったな』
「よし、ひとまず安心か」
一応Cランクの魔獣が五体も現われたというのに、まさかほんの少しの苦戦の気配なく終わるとは。
ライカンの飛び出しからの一撃もきっと見事なものだったんだろうけど、しかしヒューゴの魔術が意外と高威力なことにもびっくりした。
風が渦を巻く特異性。まさかその性質が、こんなに物騒な形となって現れるとは。
「うわ」
ヒューゴが仕留めた蜘蛛にカンテラを向けると、蜘蛛の脚は子供の悪戯にでもあったように、全てがもげていた。
風の刃は頭部にも致命的な傷をつけていたのだろう。蜘蛛には少しも動く気配は残っていない。
「ヒューゴの魔術があれば、喧嘩を売られて闘技演習に出ることになっても、苦労しないんじゃない」
私がそう言うと、ヒューゴはおかしそうに笑った。
「ロッカ、僕はそんな喧嘩に巻き込まれないよ」
えっ、と。私は声をあげそうになった。
ボウマとライカンも、面白そうにあははと笑っている。
な、なんだよ皆。なんだよその笑いは。
“ロッカはロッカだな”というライカンの意味深な一言が笑いの尾をしぶとく引きずりつつ、私達の洞窟探索は和やかなままに続けられた。
慎重に、かつ、辺りの壁面を観察しながら歩いているので、道のりは短くとも、時間はかかる。
左右への分岐路を見つけた私達はその右側の道を選んだのだが、それはちょっとした失敗であった。
「行き止まりかぁ」
緩く蛇行した道をしばらく進むと、洞窟の先は、どんどん細くなり、ついには点さえ完全に消失してしまった。
分岐点からそう長くも歩いてはいないのだが、途中に何かめぼしいものをみつけたわけでもなく、ただ行き止まりにかち合ったのだ。
これはちょっと痛い。
何が痛いって、こちら側が行き止まりになっているということは、反対側も同じような距離で道が途絶えている可能性も高いからだ。
できれば途中で、左右の道が合流してくれていればよかったんだけどな。
この分だと、反対側が地下空洞や水脈につながっているという奇跡も無さそうか。
「んぁあー、ここまできてなんもなしかぁ」
『ふむ。こちらは無し、か……悔しいところだな。反対側も確認してみるか』
「どうする? ロッカ」
皆が疲労を薄明かりに浮かべる中で、ヒューゴは私に指示を仰いだ。
つい癖で、テキパキと動いてしまったからだろうか。どうやら、私がこの探検隊のリーダーシップを握っていたらしい。
クラインに譲るつもりだったのだが……まぁ、そのクラインが何も気にしていない風だったので、良しとしておこうか。
彼も、何でも自分の主導で動かしたいとか、そういうタイプってわけでもないだろうし。
「まぁ、左側の道も気になる所だけど……引き返すついでだし、もうお昼になるから、外に出てご飯を食べようか」
私が提案すると、四人は首を傾げた。
「今は昼なのか」
「時計、もってるのかい。ロッカ」
「うん、腹時計」
「……」
こうして、私達の洞窟探索は成果らしい成果もないまま、折り返し地点にきてしまったのだった。
とまぁ、嘆いても無いものは無いで仕方ない。
無いなら無いで、残りの場所に賭けるしかないのだ。
そのためにも昼はたくさん食って、来るかもしれない作業に備えよう。
少しでも掘るとなれば、重労働だ。まして、夕方までしか時間がないのだから、その作業には無茶も出る。
徒労か重労働か。さて、どっちに転ぶだろう。
アスメが現われたということは、ガスケの心配はない。
ならば、手持ちの灼灯が使えるということだ。
灼灯は石灯とは違い、衝撃を与えてやらなくても灯りを持続させるので、置いたりかけたりして使う分には便利だ。
私は戻り際に、分岐点に灼灯のランプとロウソクを地面に置いた。
神経質な所では石灯と煌灯のみで作業を行い、火を扱う明かりは一切持ち込ませないという話だが、地下での窒息から身を守るためのロウソクなどは最低限必要だろう。煌灯を扱うにも、コストが嵩んだのでは意味が無い。
掘るなら基本は、石灯か灼灯だ。火の危険などは、クランブルがその都度注意すれば良い事なのである。……と、私は思っている。
長くなりそうだ。このくらいにしておこう。
早くご飯を胃へ放り込まなくてはならない。
昼食は、洞窟の入り口辺りで摂ることにした。
一歩でも岩場を出れば草の生い茂る大自然なので、それならば虫の集らない手前がいいだろうと、中途半端に採光できるここに決まったのだ。
広めの布を敷き、膝の上に弁当を広げて、皆が思い思いに持ってきた食事を摂り始める。
この光景が、なんだか懐かしい感じだ。
「んぁーっ、む」
「……」
しかし、不思議だ。
私の手元にあるバンゴと、ボウマが頬張っているバンゴはほとんど同じものだ。
それなのに、どうしてこう、彼女の食べるものは美味しそうに映るのだろう。不思議でならない。
「ん、食うか?」
「……うん」
じっと眺めていたら、ボウマにお恵みを貰ってしまった。
一ちぎり分のバンゴを、試しに口の中へ放り込んでみる。
「うん」
ぎゅっと押しつぶした、ちょっと乾いたパン。
うん。これは普通のバンゴだ。私のと何ら変わりない、ただのバンゴだ。
「ありがとう、ボウマ。これはお礼だ」
「わほい」
割にあわないと思いつつも、敗者は勝者に品を捧げなければならぬ。
ボウマの輝く笑顔を讃え、私は大きめの干し肉を贈呈した。
ライカンは大きな干し肉をかじり、クラインは細長い雑穀パンを食べている。
みんな現地での時間と手間をかけないために、何より荷物にならないために、簡素な弁当にしたのだろう。
ただその中で唯一ヒューゴだけが、岩の上にごちゃごちゃしたものを広げていた。
「前に露店でね、灼灯にもコンロにもなるっていうランプを買ってきたんだ。そいつを試す時が来て嬉しいよ」
「おおー」
ヒューゴの前には、鉄製の柵に囲まれたランプが置かれ、その上には金属の水筒が乗せられていた。
小さな炎は水筒の底を炙り、その中身を温めているらしい。
「ヒューゴ、それはなんだ」
「スープだよ。ここで暖められると思ってね」
『ほう! ここで作るのではなく、既に作っていたものということか?』
「ああ。日が昇る前に作ったスープでね。水筒に入れたら、あとは温めるだけで飲めるよ」
「ほへえ」
スープを温めて、出先で飲むのか。面白いな、それ。
冷めたスープを温める事は何度もあるけど、水筒に入れようと思ったことはないな。
味気ない物を食べてる最中なので、ちょっと飲んでみたくなる。
そんな私達の心を読んでいたのか、ヒューゴは鞄の中から人数分のカップを取り出してみせた。
「まぁ、せっかく作って来たんだ。みんなで飲もうじゃないか」
ヒューゴ、お前はいい奴だ。
「おい、ヒューゴ」
私達が歓迎のムードでカップを受け取ろうという時、クラインが厳しい表情でヒューゴを止めた。
まさか、お前。空気を読まずに“そんなものは時間の無駄だ”とでも言うんじゃないだろうな。私達のそんな視線が、クラインに向けられる。
いや、クラインが言い出したら、それを受け入れてやる必要もあるだろうか。
ここまでの洞窟探索で成果が出なかったのだ。彼も内心では焦り、苛立っているのかもしれない。
しかし、心の中で祈る。
クライン、スープくらい飲ませろ。
「……なんだい、クライン」
「肉は入ってないだろうな」
「ああ、そんなことか。大丈夫だよ、全部野菜だけの、美味しいスープだ」
「具沢山か」
「もちろんだとも」
ヒューゴの答えに満足したらしいクラインが、にやりと微笑んだ。
こいつめ。
温かいスープが冷えた身に沁みる。
それはカップ一杯、飲むにはやや少なめの量ではあったものの、この場においてはいつもの何倍以上もの有り難みがあった。
「クラインって、野菜しか食わないのか」
どろどろに溶けかかった野菜のスープを啜りながら、私はクラインに訊ねた。
彼は眼鏡の奥の眼差しだけをこちらに向けると、器から唇を離し、言う。
「オレも食わないが、家族も全員食わない」
彼が肉を食べたがらないのは知っていたが、まさか一家揃ってのものだったとは。
肉のない食卓。私にはちょっと、想像できない。
とても質素な感じだ。
「あの、おっかないねーちゃんも野菜しか食わないのか?」
「……そうだな」
ボウマの問いに苦々しく答えると、クラインは眉間に皺を作った。
「オレとクリームの似ている所といえば、その程度だろうな。他は、何も似ていない。髪の色も、性格も、理学の体質もな」
理学の体質。生まれながらにしての、理学的特異性。
それは、私達にも共通するテーマだ。
「クリームは得意とする属性が、影属性だった。重さ、質力、空間、距離……様々なものを操る、万能な属性術だ」
そう言うと、クラインは未だ小さな炎を灯し続けるヒューゴのランプに手を向けた。
それだけで赤く輝いていた火が、ふっ、と消え去る。
「こんな無詠唱による行使でも、あいつならそのランプごと消してしまえるんだろうな。オレは、昔からの奴の才能と、何よりもその力が羨ましかった」
差し出した指環付きの手が、忌々しげに睨まれる。
「だから、オレは特異性を呪った。得意とする属性を無茶苦茶に変換するこの憎き体質を、幼いころからずっと、何度も呪ってきた」
クラインの右手に生み出されたガラス球が、すぐさま滑り落ちて地に落ちた。
落下とともに甲高い音で砕けたそれは、次の瞬間には姿を消している。
「家族は……魔道士の名家であるユノボイド家の誰もが、オレには闘う魔道士としての才能がないと言う。得意とする属性術が使えない以上、わざわざその道に進まなくても良いと。奴らは、オレにそう言うんだ」
歯を噛み締めた彼の表情は、見たこともないくらいの悔しさと、怒りに満ちていた。
「だがオレは認めない。人が、得意とする属性でしか闘えないなど。オレは絶対にそんなものは認めない。だから、逆に認めさせてやる。オレの“とくい”とする水属性以外の全ての術を使って、最強の魔道士になってみせる。オレが正しいことを、家族に、世界に証明してやるんだ」
クラインの言い放った一言は、壮大。それに尽きるものだった。
日頃から本を読んで、金に執着して。それが何のためのものかと思ったら、発端は家族喧嘩なのだと。
それに世界なんて言葉を巻き込んでいる。ほんと、呆れるほどに壮大な話だ。
けど、私はその話を聞いて胸が熱くなった。
不思議と、何故だかは自分でもわからないのだが。
彼の馬鹿げた規模の家族喧嘩を、羨ましいと思ってしまったのだろうか。
私が無意識のうちに鋼鉄の右手を握りしめていると気付いたのは、ヒューゴの笑い声を聞き、思わず手の力を緩めた時であった。
「はは……クライン、そうか。君は、なるほどな。そういうことだったか」
「オレは本気だ」
「わかってるさ。わかっているし、僕は君を笑うつもりはないよ」
今まさに笑っていたんじゃ?
という私とボウマの視線を気にせず、ヒューゴはクラインのカップに更にスープを注ぎ足す。
「けど、クリームさんに負けちまったな、クライン」
「ああ、負けた。悔しいが完敗だ。だが、あれで終わりじゃない。一年ちょっとでどうにかなる力の差だとは、最初から思っていないからな」
クラインが、まるでやけ酒でもあおるように、野菜スープのカップを傾けた。
「だから、オレは必ず光魔術を修得してみせる」
『おおっ』
「ほー」
ボウマの呑気な拍手が贈られるのを、クラインは手で制す。
その仕草はなんとなく、偉そうな感じだ。
「例え困難な道であろうとも、必ず光魔術を修得し、使いこなしてみせる。光魔術さえあれば、影魔術さえ打ち消せるはずなんだ」
クリームさんの不可思議な攻撃の数々。
見えない強大な“重さ”を発生させる魔術や、半透明の壁を出現させる魔術。屋外演習場での闘いは、私の目には別世界のもののように映っていた。
あの場にいたクラインを私に置き換えて考えてみるだけでも寒気がする。きっと私なんかじゃ、数秒もその場に立っていられないだろう。なにせクラインですら、数分も持たなかったのだから。
しかし、リゲル導師が使ったような光魔術ならば、きっとそれを打ち砕けるのだろう。
「時間がかかるだろうけど、焦らずじっくり……とにかく、努力あるのみ、ってことだね」
「ああ、そうだ」
私の言葉に、クラインは珍しく微笑んだようだった。
昼食を摂り終えた。
温かいスープを飲んで、身も心も温まったようだ。皆の顔色を伺ったわけではないが、きっとみんな、私と同じような表情をしているに違いない。
ご飯を食べて、話し終えて、気分は好調だ。
調子がいい。
調子がいい時には、良いことがある。私は“ツキ”や“ゲン”というものを信じるタチの人間だ。なので良いことがあるという確信は、疑う余地もない。
「ウィルコークス君、次は左側を探索するということでいいんだな」
「うん、そうなる」
野菜スープを飲んでごきげんになったクラインの確認に、間違いないと判を押す。
これからは、洞窟探索後半戦だ。
まだ未探索の分岐左側に進み、奥を目指していく。
右を見る限りではどこも繋がっていないし、鉱床らしい跡も存在しない。お宝があったとしても、大きな当たりというわけにはいかないだろう。
けど、せっかくここまで来たんだ。
最後に何か一つでも、良い思い出を持ち帰らせてほしいものである。
終わり良ければさらに良しといった風に、どうか都合よく事が運びますように。




