テレビが来た! (2)
夕方の六時半といえば、各部が活動を七時までに終わらせるためにラストスパートに入る時間だ。その証拠に、グラウンドではサッカー部や陸上部が熱の篭った練習で追い込みをかけている。ただ一つ……いつもと違うのは、グラウンドの一番広い面積を占拠する野球部の練習が終わってしまっていることだけだった。
「お疲れー」
“りん”が視聴覚室のドアを開けて中に入ると、すでにメンバーは全員席に座り終えていた。五十インチの大型テレビの真ん前に陣取る栞が、二人掛けの机の隣に座れと手招きする。席に腰掛けた“りん”は、改めて他愛のないコマーシャルが流れるテレビを見た。間もなく六時三十分……全国ネットでお馴染みの太陽テレビの看板番組である“ザ・イブニングニュース”が始まる時間だった。
「にしてもなぁ……取材の翌日にはもう放送ってんだから早いよな~」
「そんだけホットな話題ってことだろ」
広瀬の素朴な感想に山崎が答える。鳳鳴高校の野球部に“ザ・イブニングニュース”のスタッフが取材にやってきたのは昨日のこと。見慣れぬ機材がたんまりと持ち込まれ、グラウンド周辺が野次馬たちで埋まったのは、学校初のテレビ撮影という特殊事態ということを考えれば致し方なかったかもしれない。
放送日である今日、“ザ・イブニングニュース”を見るために野球部の練習は早く切り上げられ、各自着替えた後、全員が視聴覚室に集合している。メンバーは、野球部員全員と三年A組の有志たち。いわゆる沙紀や東子や上野の姉御といった女子たちとその他男子たち一同だ。
皆、番組が始まるのを心待ちにする中、軽快な音楽とともに画面が切り替わった。“ザ・イブニングニュース”のオープニングである。
「始まった始まった~!」
上野の姉御や沙紀たちの座っている場所から拍手喝采が飛ぶ。まだ始まったばかりだというのにボルテージは最高潮だった。
「おいおい。ウチのコーナーまで、あと十五分はあるんだぜ。もうちょっと待とうや」
山崎が沙紀たちをたしなめる……が、簡単に騒ぎが収まるはずもなかった。
「え~っ! トップニュースじゃないのっ?」
「んなはずあるか! 全国放送だぞ!」
東子のボケに、山崎が律儀な突っ込みを入れる。“ザ・イブニングニュース”は、この時間帯でも比較的視聴率の高い全国ネットのニュース番組である。それはつまり、“りん”たちのニュースが全国に流れることに他ならない。沙紀たちのテンションが上がるのも無理のない話であった。何を隠そう、隣に座っている栞まで浮かれているのだ。その証拠に
「ああ、私もマイクを向けられてしゃべったんですけど、ちゃんと映るんでしょうか……。あまりカメラ映りが良い方じゃないので……なんかドキドキです……」
などと口走りながら頬を染め、ジッと画面を凝視している。やはりテレビの力は偉大なのだといわざるを得なかった。
政治や経済のニュースを皮切りに、全国ネットならではのグローバルなニュースが次々と画面に現れては消えていく。最初はギャアギャア騒いでいた沙紀たちも、騒ぎ疲れたのか次第に静かになっていった。だが、スポーツコーナーが始まった瞬間、視聴覚室は思い出したように熱さを取り戻した。
『次は、なんと女の子でありながら男子たちとともに甲子園に挑む、勇敢な女子高生のお話です』
アナウンサーの紹介と同時に、画面にはユニフォーム姿の“りん”が映し出される。深めに被った帽子の奥にあるカメラ目線ではない真剣なまなざしと、風に揺れる長いポニーテール。A組女子たちのテンションは一気に上がった。
「キタァー!」
「りんが映ってるーっ!」
「萱坂さん、りりしぃーっ!」
視聴覚室の中が、収拾がつけられない騒ぎに包まれる。だが、テレビの前の大騒ぎとは関係なしに放送は続いた。校舎の映像や、いつの間に撮ったのか放課後のA組の教室の映像などがナレーションとともに次々と映し出され、“りん”のアップとともにインタビューが始まった。
『男の子たちに交じっての練習ってキツくないですか?』
「最初はキツかったですけど、今は特に……」
『県予選を勝つ自信はありますか?』
「自信はないですけど……勝つつもりで頑張ります」
インタビュアーの最後の質問に、“りん”はたどたどしくも……しかしハッキリと答えていったが、そこに茶々を入れたのは山崎だった。
「かーっ! 萱坂ぁ! なんでそこで優勝宣言とかしねぇんだよ! チョーおいしい場面じゃねぇか」
「出来るかっ! 緊張で一杯一杯だったんだよ!」
おいしい場面だったかどうかはともかく、結果的に控えめな受け答えになってしまったのは否めない。だが、“勝つつもり”でいるのは紛れもない事実だ。インタビューが終わった後、カメラはそのままグラウンドの外に向けられた。またしても沙紀たちの歓声が上がる。それも今日一番の狂乱の歓声だった。
「出た出た出たー!」
「アタシたち映ってるーっ♪」
引いたアングルながら、沙紀や東子たちA組のクラスメイトたちが、集団写真を撮る時のように一団となって手を振っている。録画中のビデオを後から確認すれば、一人一人の顔まで判別出来るだろう。画面に映っているのはそれだけではなかった。何よりも目立つのは、最前列にいる上野や高木たちの下半身を覆い隠すように掲げられた大きな横断幕だった。東子が描いたという、上手くはないのに妙に特徴を捉えた“りん”の似顔絵と『勇気りんりん 萱坂りん』という巨大文字が描かれている。幅四メートル、高さ八十センチの大きさで作られたというその横断幕は、沙紀たちの狙い通りにテレビの映像の中で恐ろしいほどの存在感を放っていた。
(うぅ……、わざわざこんなの作りやがって……。しかもなんだよ『勇気りんりん』って……)
当の本人としては、こっ恥ずかしいことこの上ないシロモノだ。撮影日当日、グラウンド周りのフェンスにこの横断幕が掲げられた時、周囲から驚きとも呆れともつかないどよめきが上がっていたのを思い出しながら、“りん”はテレビの画面から目を離して深いため息をついた。
『た、たくさんのお友だちが応援してくれているようですね……。では、ちょっとお話を聞いてみましょう』
“りん”へのインタビューを終えた女性リポーターが、三年A組のノリに戸惑いながらもそう繋いだ。果たして“りん”の友人としてインタビューの模様が流されることになるのは誰か……騒いでいた沙紀たちが突然静まり返って固唾を呑んだ。
彼女はどんな人ですか? ……というリポーターの質問とともに画面が切り替わった。アップの顔が映し出されたのは、沙紀でも東子でもなく……のどかだった。
「え……あ……、その……芯が強くて、どんな苦難も最後には乗り越えられる人……だと思います……」
テレビのマイクを向けられた緊張からか、普段ののどからしくなく、ところどころつっかえながらも何とか最後まで答え切っていた。結局“りん”の友人として登場したのはのどか一人で、その後はリポーターの締めとともにコーナーが終わり、番組は別のニュースに移っていった。沙紀たちは、祭りの後のようなため息を盛大に吐いた。
「あ~あ……、アタシもちゃんとインタビューされたのに~っ!」
「それをいうなら私もよ」
東子と沙紀だけでなく、他のメンバーも同じようにボヤいていた。実際、横断幕の関係者は、その場では全員がインタビューされたにもかかわらず、ほぼ全てがオンエアされることなくお蔵入りになってしまったのだ。沙紀たちが不満をもらしたくなるのもわかる話であったが、その理由はほどなく明らかとなった。
「ちゃんと『顔は美人だけど、結構ガサツです』って答えたのに」
(悪口じゃねーか)
「アタシは『りんと一緒だとついつい食べ過ぎちゃいます』って♪」
(何の話だ……っ!?)
つまり、まともな受け答えをしたのがのどかしかいなかったということである。
「でも、さすが生徒会長やってるだけあるよね~。急にマイク向けられたのにさ……」
「あのリポーターさんも、隠れてる人にまでわざわざインタビューしなくてもいいのにね」
「隠れてた?」
「うん、テレビに映らないように人の影に隠れてたよ」
和宏は、なんで隠れる必要があったんだ? ……と思いながらも、みんなと同じようにテレビに映ろうと必死になるのどかも想像できなかった。結論としては、のどからしい……ということに落ち着いた。
「そういや、のどかは?」
「のんちゃんならもう帰りましたよ。病院に行くって言ってましたから」
今さらながら和宏は、この場にのどかがいないことに気付いた。だが、父・大吾がまだ入院中ということを考えれば、あまり遅くまで学校に居残ることは出来ないはずである。もしこの場にいたら、のどかはどんな反応をしただろう……と和宏は思った。
まだ、沙紀たちは納得がいかないとボヤいている。そればかりか山崎までが
「キャプテンである俺のインタビューまではしょりやがって……っ」
と、口惜しそうに歯噛みをしていた。
当事者である“りん”からは何も言えない……なんとも悲喜こもごもなテレビ騒動であった。
◇◆◇
同日同時刻。本来ならば“りん”とは何の接点もない男が、愛車である漆黒のアルファロメオで首都高速を抜けて中央道を西へ西へと飛ばしていた。鳳鳴高校とは遠く離れた東京……いや、すでに県境を越えて山梨県に入った車は、改造マフラーが吐き出す度を越した騒音とともに車線変更を繰り返しながら次々と他車を追い越していく。制限速度などお構いなしの、一歩間違えば大事故にも繋がりかねない危険運転も、男にとっては平穏なドライブと何も変わりなかった。この車はそういう運転をするためにリミッターを外してあるのだから。
男の外見は、せいぜい二十台前半。だが、高級そうな革張りのシートを始め、黒一色のインテリアで統一された車内には、相当カスタマイズされた跡が感じられた。車自体がフラッグシップモデルであることも加味すれば、二十台前半という若者としては普通とはいえないほどの金がこの車につぎ込まれていることが一目瞭然だった。
(ククク……)
同じ方向に走行しているにもかかわらず、スピードが違い過ぎて次々と後方に流れていく先行車たちを見て、滑稽さを感じた男の口からは、おそらく無意識であろう笑い声がもれた。醜く吊りあがった口角、虚ろに濁った瞳と他人を不愉快にさせる威嚇的な目つき……そして、その目の一センチほど下には、不気味さすら感じる特徴的なアザ。まるで涙の形を象ったような。しかし、それは決して人為的なものではなく生まれつきのものだ。
乾いた唇を潤すように舌なめずりした男は、おもむろにハンドルを切ってスッとサービスエリアに入っていった。駐車場には十分な空きがあったが、男は決められた白枠の駐車スペースなどには止めずに建物の入口付近に勝手に止めて車を降りた。周囲にいた何人かが嫌なものでも見たかのように眉をひそめたが、この遵法意識に欠けた男は意に介さずに建物の中へと足を進めた。
カップタイプの自動販売機の前で足を止め、ブラックコーヒーのボタンを押す。唸るような駆動音とともに注がれるコーヒー。それが注ぎ終わるまでの間、手持ち無沙汰になった男は気だるそうに周りを眺めると、たまたまフードコートに設置されたテレビが視界に入った。その瞬間、先ほどまでの無気力さが影を潜め、虚ろだった男の目が大きく見開いた。程なく自動販売機の取り出し口のランプが点滅し、カップコーヒーが注ぎ終わったことを示したが、男の興味はもうそこにはなかった。
『え……あ……、その……芯が強くて、どんな苦難も最後には乗り越えられる人だと……思います……』
フードコートを利用している客がテレビを見ているにもかかわらず、ズカズカと近づいては筐体を抱え込むように独り占めした男の視線は、すでに画面に釘付けになっていた。周りの客の話し声に阻まれて、テレビの音声は途切れ途切れにしか聞こえない。それでも、男にとっては充分だった。わずかな時間であったが、画面に大写しになった顔を一目見ただけで、それが誰なのかがハッキリとわかったからだ。
リポーターのしゃべる内容から、キーワードを断片的に汲み取っていく。鳳鳴高校、萱坂りん……。次第に男の顔が愉悦に染まる。半開きだった唇に薄気味悪い笑みが広がり、周りの通行人の怪訝な視線にも構うことなく、男は一人……暗く静かに呟いた。
(ようやく見つけたよ……)
五年ぶりだね……のどか――。




