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Bye-Bye Time (2)

 グラウンドに差す陽光に反射して銀縁のメガネが輝き、その奥にある綺麗な二重の瞳が、口元に浮かんだ微笑みとともに“りん”の顔を真っ直ぐに見つめている。野球部のマネージャーである栞は、普段はグラウンドの中に入ってくることはあまりなく、服装も基本的にジャージであるが、今“りん”の目の前にいる栞は、“りん”と同様に制服のセーラー服に身を包み、マウンド上に佇んでいる。練習後のトンボ掛けが終わった直後のように整えられたグラウンドの土の上で風に揺れるそのスカート姿は、和宏にとっては見慣れない光景であった。


「待ってた……?」


 “りん”は、驚きの混じった表情で栞を見た。だが、その返事は思わぬところから飛んできた。


「おう! お前にちゃんと伝えときたいことがあってな」


 背後から聞こえてきた威勢のいいチャラけた声に、和宏は飛び上がらんばかりに驚いた。いわずと知れた、野球部キャプテンの山崎である。


「おわぁ! ビックリさせんな!」

「なに驚いてんだよ、さっきからいただろが……」


 山崎は、形の整った眉を潜ませながら心外な表情を見せた。ついさっきまでは駅で彩と一緒にいたのに、今はこうして鳳鳴高校のグラウンドに佇み、栞と山崎が脈絡もなく現れる。この唐突さも夢ゆえの不条理だ……と和宏は思った。そう、これは夢なのだ……と、和宏は腑に落ちた面持ちで二度三度と小さく頷いた。


「なんだよ? ヘンなヤツだな……」

「なんでもないよ。それより……なんだよ、伝えときたいことって?」


 聞き返す和宏に、山崎は煮え切らない様子で押し黙った。伝えたいことがある……と言いながら黙りこくってしまった山崎に、“りん”は怪訝な表情で小首を傾げた。この妙な沈黙に口を挟んだのは栞だった。


「ほら、山崎さん! ダメじゃないですか。ちゃんと言ってください!」


 栞に背中を押されるように、山崎はしぶしぶと口を開いた。


「まぁ、あれだ、その……」

「……?」

「お前って……大したヤツだよな」

「はぁ……?」


 “りん”の怪訝な顔が、ますます訝しげなものに変わっていく。山崎は、困り果てたように坊主頭をかいた。


「山崎さんは、りんさんのことをすごく認めてるんですよ。ねっ? 山崎さん?」

「ま、まぁ……そ、そういうことだな……」

「い、意味分かんねぇよ……」


 結局のところ、山崎が何を言わんとしているのかが分からない。だが、目的を同じくして共に戦っていた“戦友”として、なんとなく察するものはあった。それを見透かしたように、山崎は小さく笑った。


「そう言うな。実際、ある意味スゲェんだからよ」

「ある意味?」

「そういうこと!」


 なんでも竹を割ったように単純な正確の山崎にしては、少々珍しい含んだような言い方だった。“りん”は、目をパチクリさせた。


「お前のスゲェところは“ココ”だよ」


 そう言いながら、山崎は親指で自分の胸を指差した。“りん”は、思いっきり眉をひそめて


「胸ぇ……!?」


と、両手で胸を隠し、明らかに警戒する素振りをして一歩引いた。山崎は慌てて


「ちちち、違う違う! そういう意味じゃねぇ!」


と、ブンブンと手を振って否定したが、時すでに遅し。“りん”の視線は、コイツ何を言い出すんだ……という冷たいものに変わっていた。そこに絶妙なフォローを入れたのは栞だった。


「山崎さんが言いたいのは、きっと“精神ハート”のことですよね」


 栞が、自分の胸を指差しながら言い放つ。端正な顔立ちの山崎の表情が、パッと明るくなった。


「そ、そうそう! そうなんだよ、俺が言いたかったのは!」

(紛らわしいっつうの……っ!)


 和宏は、心の中で山崎に突っ込みを入れた。


「最後まで諦めない心ってヤツだよ、お前のスゴイとこは」

「……」

「あの滝南との試合……、お前のそういうところがなかったら絶対に勝てなかったはずなんだよ」


 “りん”の甲子園予選の参加権を賭けた滝南戦。初回から大量失点し、後から思えば途中で勝負を諦めなかったのが不思議なくらいの苦しい試合展開だった。だが、そんな和宏につられ、最後に一丸となったチームは勝利目前まで試合を盛り返したのだ。

 甲子園常連である滝南を敗北の一歩手前まで追い詰めたことは、結果としてチーム全体に大きな自信を与えた。もちろん、山崎自身にとっても、だ。今年は本気で甲子園を目指す……チームとしてそういう境地に至れたのは、間違いなく和宏の“最後まで諦めない心”の影響が大きかった。


「まぁ、投手ピッチャーとしては“並”だけどな……」


 山崎が、余計な一言を付け加える。和宏は、少々ムッとしながら言い返した。


「そんな投手に二回も負けたくせに……」


 初めて顔合わせをした球技大会の時と、バレンタインの日の対決の時……いずれも、山崎は“りん”に打ち取られている。だが、山崎も大人気なくムキになって反論した。


「ま、待て待て! 球技大会の時はどう考えても誤審だっただろうが!」

「そうだっけ?」

「忘れたフリしてんじゃねぇ! バレンタインの時だって、ちょっと手加減しただけで……っ」

「て~か~げ~ん~?」


 まるで、しっぽを掴んだとばかりに“りん”がニヤニヤとしながら、痛恨の表情を浮かべた山崎の顔を覗きこむ。

 今年のバレンタインデーでは、沙紀のチョコレート騒動(俺、りん(特別編)『VS. バレンタイン』参照)があった。先輩に渡したチョコが無下に捨てられていたのを見てショックを受けた沙紀。そんな沙紀を見て、“りん”と東子は、沙紀と“特別な間柄”である山崎に、素直になるための“きっかけ”を与えようとした。その結果、“りん”と山崎の一打席限りの真剣勝負が実現したのだ。

 結果は……山崎の三振に終わった。相方の大村が不在だった和宏は最後、配球に迷った挙句、苦し紛れに近い直球ストレートを放ったが、山崎は、それを空振りしたのである。

 山崎は、高校進学時に名門校からスカウトされたほどのスラッガーであり、決して並の打者ではない。その山崎が、何の変哲もない直球ストレートを空振りした理由……こういうことには疎い和宏であったが、さすがの和宏もこれで確信するに至った。


「そうかそうか、そういうことか……」

「ま、待て、萱坂。違うぞ、誤解だ! あれは実力なんだ!」

「ということは、俺は実力でお前に勝ったんだな?」

「いや、待て! でも俺の負けじゃなくて……その、アレ?」


 山崎は、日焼けした顔を真っ赤にして喚きたてたが、もう途中で何を言っているのか自分でもわからなくなっていた。“りん”は、激しくうろたえる山崎を楽しげに見つめた。


「だ、だから違うって! あんな女は俺の好みじゃねぇし! 大体、結婚したらアイツの名前“やまさきさき”になるんだぞ? おかし過ぎんだろうが!」

「誰も結婚の話はしてないだろ!」


 “りん”の突っ込みで、山崎の顔の赤さが最高潮に達した。どんどんと墓穴を掘っていく山崎を見て、“りん”は腹をよじらせながら笑った。


「りんさん?」

「ん?」

「それくらいにしてあげてください」


 一人だけ冷静だった栞が、静かに“りん”をたしなめた。“りん”は、笑い過ぎて出た涙を拭いながら肩をすくめた。


「ところで……りんさんの方はどうなんですか?」

「どうって……?」


 唐突な話題転換に、“りん”の顔がキョトンしたものに変わる。栞は、深いため息をついた。


「りんさんって……そういう鈍感なところありますよね……」

「そうかなぁ?」


 和宏は、心当たりがないと思いながら首を傾げた。そんな“りん”を見て、栞は諌めるように言った。


他人ひとの気持ちに鈍感っていうのは、時として“誰か”を傷つけることもあるんですよ?」

「栞……?」


 銀縁のメガネの奥にある、いつもは温和な栞の目が笑っていなかった。和宏は、戸惑いながら栞の目を見つめ返した。


「私、りんさんのことが大好きですし、とても尊敬してます。でも、りんさんのそういうところだけは……ちょっと嫌いです」

「……」


 そう言う栞の身体が、すでに透き通り始めていることに和宏は気付いた。そこに、山崎が口を挟んだ。


「俺も園田と同じ意見だな」

「なんだよ、山崎まで……」


 さっきまでの動揺ぶりが嘘のように収まった山崎も、いつになく真面目な表情で栞に同調した。その身体は、栞と同じように透き通り始めていた。


「“アイツ”の気持ちに応えてやれ……とまでは言わねぇけどよ。ただ、せめて……気付いてやってくれよな」

「何だよ……何の話だよ……?」


 和宏は、突然の話題転換についていけなかった。しかし、二人の身体はどんどん透明度を増していく。

 マウンドには、風雲急を告げるように砂ぼこりが舞った。それを合図にするかのように、山崎は“りん”の肩越しにホームベースの方向を指差した。


「つうわけで……後は任せたぜ、大村!」

(……っ!)


 “りん”は、山崎の差した指につられて振り向いた。そこには、鳳鳴高校の制服に身を包んだ大村が佇んでいた。



 ――To Be Continued

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