95 従僕の望む場所
クラウディアの力を得たノアは、叔父と対峙して打ち勝った。
その際のクラウディアは、ノアに対して『王位を取り戻したい?』と尋ねている。その際のノアは、こう答えた。
『あの男にも子供がいる。俺のひとつ下の従兄弟で、優秀だって噂は聞いたから、国はそいつが継ぐだろ』
『あら。憎い相手の子供なのに、見逃していいの?』
『俺は、復讐相手を混同したりしない』
この学院に、ノアの従兄弟が通っている。
ノアは、クラウディアがノアを連れて来た理由のひとつに、その従兄弟の存在があるのではないかと考えたようだ。
クラウディアは微笑みを浮かべ、ノアに尋ねる。
「……会ってみたい?」
「面識は無く、遠くから一度姿を見た程度で、名すら覚えていないので」
涼しい顔で言い切ったあと、ノアは少しだけ視線を横に逸らす。
「ただ」
あくまで平坦な声音のまま、ぽつりとした声がこう紡いだ。
「どのような人間か、ほんの僅かに興味はあります」
(ノアにとっては、故国を託す相手だものね)
本当なら、その国の王はノアになるはずだった。
ノア本人がそれを選ばず、クラウディアの従僕になることを誓ったとはいえ、気掛かりでないはずはない。情に厚く面倒見の良いノアには、あの国だって大切なはずだ。
「……誤解のないように申し上げておきますが、姫殿下」
「なあに?」
「あの国に対して俺が持っているのは、姫殿下が恐らく想像していらっしゃるようなものではありません。……これはただの、罪悪感です」
「ざいあくかん……」
クラウディアが考えていることを、ノアは予想してみせたらしい。しかし、罪悪感とは一体何だろうか。
「俺は、本来ならば負うべきだった責任を捨てました」
黒曜石の色をしたノアの瞳は、不思議がるクラウディアを射抜くように見据えた。
「――その上で、何よりも望んでいる場所にいますから」
「!」
クラウディアの傍に跪きながら、当然のように口にしてみせる。
「姫殿下の犬でありたいという、俺自身が願った生き方をしている負い目です。あの国が気に掛かる理由はそれだけで、姫殿下がお考えでいらっしゃるようなものではありません」
「……ノア」
クラウディアはくちびるに微笑みを浮かべ、ノアの頭をよしよしと撫でた。
「安心なさい、可愛いノア。お前を学院に連れて来たのは、生き別れの従兄弟と無理やり再会させようとした訳ではないわ」
「……『可愛い』はどうか、おやめ下さい」
「もちろんお前が望むのなら、従兄弟に会わせてあげたいと思うけれど。でも、それ以上に」
クラウディアは黒曜石の色をした瞳を見詰め、にこりと笑う。
「ノアが私に必要だから、一緒に来てもらったの。そしてどうか、この学院で同年代の子供たちと一緒に学んで、もっともっと素敵に成長して欲しいわ」
「……!」
ノアは僅かにくちびるを結んだあと、深く頭を下げて言った。
「聞き分けのない姿をお見せして、申し訳ございませんでした」
「ふふ。寮の門限までは一緒にいましょうね、いい子のノア」
クラウディアはぴょんと椅子から降りると、立ち上がったノアに告げる。
「さあ、この後は魔力鑑定の時間だわ」
「魔力の多さや魔法の才によって、魔法学の授業のクラスが分けられるとのことでしたが」
先ほど教員から聞いた説明の通りだ。クラウディアは頷いたあと、応接室に飾られている歴代学院長の肖像画を見回した。
「一般学問を習う通常授業は、年齢別の学年ごとに設けられたクラス別。魔法に関する魔法学授業は、その年齢は関係なく、魔法の強さによって分けられるクラス別。このやり方は、五百年前と同じだわ」
そんな話をしていると、離席していた学院長が戻ってきて、ノックの後に扉を開けた。
「先生!」
「クラウディア姫殿下、申し訳ございません。緊急の対応がなかなか終わらず、魔力鑑定室へのご案内をもう少々お待ちいただくことに……」
「私、ノアとふたりで鑑定室に行けます。ノアは地図を見るのが得意ですので! 行きましょ、ノア」
クラウディアは無邪気なふりで言ったあと、ノアの手を引いた。学院長の前で一礼したあと、校舎の外に出る廊下を歩きながら話す。
「この学院には、王族や貴族の子供たちが数多く通っているわ。これも、五百年前と同じ。……違うのは、平民の子供が数少ないことや、『才能ある選ばれた子供』しか通っていないことね」
そう告げると、ノアは納得がいったらしい。
「先ほどの学院長の説明に、違和感を覚えていました。何しろ『アーデルハイトさま』は五百年前、どのような人間の申し出も断らず、すべてを弟子として受け入れていらっしゃったはずですから」
「ふふ、そんなに多くの申し入れがあった訳ではなかったのよ? それに、去っていく弟子も多かったわ。すこーしだけ厳しく教えすぎたみたい。そんなに大変ではないはずなのだけれど」
「………………姫殿下の仰る通りかと」
何処となく棒読みで返事をしたノアは、クラウディアに問い掛ける。
「このあとの魔力鑑定では、最弱のクラスに合わせて魔力を出すおつもりですか?」
「そうねえ。幼いふりや弱いふりをしておいた方が、間違いなく動きやすいことだし……」
そんな話をしながら校舎を出た、ちょうどそのときのことだ。
「!」
校舎の右手から伸びる回廊を、六人ほどの上級生の集団が横切った。
リボンやネクタイが青色なのは、最上級学年である八年生である。十七歳から十八歳であるはずの顔触れは、ほとんどが男子生徒だった。
彼らに守られるようにして微笑むただひとりだけが、美しい面差しを持つ女子生徒だ。




