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94 従僕の主張

 ノアが怪訝そうに呟いたのは、その光景を想像することが出来なかったからだろう。

 そんなノアに説明するように、カールハインツが詳しく説く。


『姫殿下のお言葉の通りだ。ラーシュノイル魔法学院は特殊な結界によって守られていて、海の中に存在している。窓の外にあるのは空気でなく海水であり、そこには魚の群れが泳ぐんだ』

『どうしてまた、わざわざそのような場所に学院を』

『創立者の意向だと言われている。五百年前に生きた魔女、アーデルハイトのな』

『……』


 ノアが視線だけでこちらを見たので、クラウディアはにこっと微笑みを返した。


『アーデルハイトはもしかしたらその時、綺麗なお魚を見たい気分だったのかもしれないわね。ねえノア?』

『……そうかもしれませんね……』


 物言いたげなまなざしだが、それはさらりと受け流しておく。


『私もお魚が見たかったから、父さまにおねだりしちゃった。「クラウディア、学校に行ってみたい!」って。父さまはちょっと意地悪だったわね』

『陛下は学院がお嫌いでしたから。御子さまがお生まれになってもラーシュノイルには遣らないと仰っていたので、それででしょう』

(ふふ。学院を造らせた人間としては、どんな理由で嫌いなのかが気になるけれど)


 そんなことを思いつつ、クラウディアは波打ち際から浜に戻る。ノアがすぐさま椅子を出して、クラウディアをそこに座らせた。


 砂にまみれた小さな足を、ノアの魔法が綺麗に浄化してくれる。

 ふわふわのタオルに爪先を拭かれ、白いサンダルを履かせてもらうクラウディアに、カールハインツは尋ねた。


『ラーシュノイル学院に入学し、呪いの調査をなさるおつもりで?』

『もちろん違うわ。短期入学の制度を利用して、学校生活の素敵なところだけを楽しみに行くのよ?』


 くすっと微笑んだクラウディアの発言を、当然カールハインツは信じていないだろう。けれど、それで構わない。


(呪いを壊して回るのは世界のためではなく、私がやりたくてやっていること。……英雄めいた扱いを受ける気など無いのだから、呪いの調査をしていることも隠さなくちゃね)


 呪いの原因があると思われる場所に近付く理由も、あくまで『末王女の我が儘』という体裁を取る方が好都合なのだ。


(船を海へと攫う歌。その呪いを口ずさむ『歌姫』さまを探しに、海の底にある学院へ)


 靴を履かされたクラウディアは、足元に跪くノアを見下ろした。


『単純な護衛としてノアに同行してもらうよりも、従者を兼ねた生徒として一緒に入学してもらった方が簡単そうなの。そうなると授業に出なくてはいけないし、いまのノアに同年代のお勉強は退屈かもしれないけれど、平気かしら?』

『姫殿下のお傍にいるために必要な時間です。それに、改めて学ぶことにも価値があるはずですので』

『いい子』


 ノアの頭をよしよしと撫でつつ、クラウディアは宣言した。


『それでは入学準備を始めましょう。船を沈めるほどの美しい歌を、是非とも一度聞いてみたいわ』


 そんな目論見を胸にしながら、こうして学院にやってきたのである。




***




「――俺の生徒登録を抹消していただけますか。姫殿下」

「まあ、なんて我が儘なノアなのかしら!」


 短期入学の説明を聞き終えて、応接室にふたりきりになった途端、ノアは開口一番でそう言った。


 おおよそ想像通りの発言だが、わざと驚いたふりをして目を丸くする。

 ふかふかの椅子に座ったクラウディアは、後ろに控えるノアを見上げた。


「最初にお話したでしょう? ノアはあくまで生徒の身分のまま、私の従者として入学するのがいいの。何しろ子供は護衛や従者であっても、学院に居る以上は授業を受けてもらうのが校則だもの」

「でしたら大人の姿を取ります。子供ではない存在で居ればいい」

「ずっと大人の姿をしていては魔力切れを起こすわ。ノアはきちんと授業に出られる、とってもいい子な従僕のはずよ。退屈な時間でも我慢できるし、それを学びにするのでしょう?」

「状況が変わりました。先ほど説明された校則によれば、男子『生徒』は何があっても、女子寮に出入りが出来ないと」


 応接室の床に跪いたノアは、至って真摯にこう言った。


「姫殿下に忠誠を示すことが、俺にとっての最優先事項です。……夜にお傍を離れてしまえば、御身を守ることすら敵いません」

(……この子ったら)


 真っ直ぐなそのまなざしに、クラウディアは小さく笑う。


(私が滅多なものには負けない存在であることを、誰よりも知っているのはノアなのに)


 それでもノアは誠実に、クラウディアのことを守ろうと努めているのだ。

 けれどもそれが分かるからこそ、クラウディアはおねだりを聞かないことにした。


「ノア。この学院を作ったのはだぁれ?」

「……魔女、アーデルハイトさまです」

「では、校則を作ったのが誰かも分かるわね」

「!」


 そう尋ねると、ノアはぐっと言葉に詰まる。


「私に忠誠を示すなら、『私』の決めたことも守らなくちゃ。子供は学院ではお勉強をする、これが原則よ」

「…………」


 俯いたノアが、観念した声音で返事をした。


「……姫殿下の、お命じになるままに」

「ふふ」

「ひとつだけ、お聞かせ願いたく」


 クラウディアが首をかしげて促すと、ノアは真摯な声音で言う。


「『レミルシア国の王太子』がこの学院に入学したという情報を、姫殿下はご存知でしたか?」

「……」


 ノアにその話をしたことはない。恐らくは呪いについての情報を集める中で、ノアの耳にも入っていたのだろう。

 クラウディアは緩やかに目を細め、その問い掛けを肯定した。


「もちろん気に掛けていたわ。だって、レミルシア国といえばノアの故国」


 クラウディアは記憶を取り戻した六歳のとき、その国を訪れたことがある。

 ノアの叔父である国王は、幼かったノアを奴隷にし、虐げていたのだ。


「――その国の王太子ならば、ノアの従兄弟にあたるのだもの」

「…………」


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