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93 歌声を探しに

【1章】




 アーデルハイトは五百年前、その海の底に『学校』を造ることにした。


 その海は水が透き通り、豊かな生態系が築き上げられていて、自然の魔力に満ちた場所だ。


 強力な結界を保ちやすく、海水の侵入を防ぐことは勿論のこと、外から転移してくる外敵も拒むことが出来る。


「学びたいと願う子供たちを各国から集め、王侯貴族も平民の子供も等しく守れる環境として、『海の中』は最適だったの」


 黒いローブを纏ったクラウディアは、金糸の刺繍が施された裾をふわふわと靡かせながら、回廊の後ろを歩くノアに説明した。

 クラウディアの学年である一年生は、男女どちらもリボンタイを結ぶことになっている。ローブのシャツは白いシャツもしくはブラウスであり、スカートかズボンかも選ぶことが出来た。


 スカートは深みのある赤色で、靴下は白い。黒いローファーはノアによって磨かれていて、ぴかぴかに輝いている。


 五百年前からのデザインを、そのままきちんと受け継いだ制服だ。流行に左右されない意匠を選んだから、月日が経っても可愛らしい。


「魔法で海水は入ってこないし、空気も循環しているわ。許可された魔術師しか転移できない仕組みの結界は、校舎とそれを繋ぐ回廊、そして校庭と中庭を覆っているのよ」

「……まるで、頑丈な硝子に包まれているかのようですね」


 ノアが見上げた頭上には、丸いドーム状に張られた結界の天井が見える。


 結界の向こうは晴れ晴れとした青色だが、青空ではなく海水なのだ。

 海の中に差し込んだ陽光のほかに、魔法で光量を補助しており、昼間は地上と変わらない程度に明るい。


 学院を囲む結界の周りには、数多くの魚たちが泳いでいる。

 ノアは表情こそ変わっていないものの、静かな好奇心を隠しきれておらず、彼の想像以上に色鮮やからしい海中の景色を観察していた。


「ふふ」


 ノアが纏っている制服も、クラウディアと同じローブ姿だ。細身のスラックスとバランスが良く、きちんとした正装に見えるけれど、十三歳の少年らしさも残している。


「ノアの制服姿、とーっても似合っていて可愛いわ」

「……」


 そう誉めると、ノアは分かりやすく不本意そうな顔をする。恐らくは、この分かりやすい少年らしさが不服なのだろう。


「『可愛い』は何卒お許し下さい、姫殿下」

「最近のノアったら、大人っぽいかっちりとしたお洋服しか選ばないのだもの。もちろん大人びた服装も似合っているけれど、いまの年齢だから似合う服装も楽しまなくちゃ!」

「…………」


 大人びた格好をしたからといって、早く大人になれる訳ではない。ノア自身がそれをよく分かっているからこそ、ばつが悪そうな顔をするのだ。


「俺のことは結構です。それよりも」


 ノアは回廊の床に膝をつき、クラウディアの前に跪く。


「『歌』のことを探りましょう。先ほど姫殿下の仰った旋律は、俺にも確かに聞こえていました」

「……そうね」


 微笑んだあと、クラウディアはノアの手を引いた。


「けれども先に、入学説明を聞きに行かなくちゃ。私も生徒として通うのは初めてだから、楽しみだわ」


 そう言いながらも思い浮かべるのは、この学院を訪れる前に交わした会話についてだ。




***




『――その歌は、船を攫ってしまうのですって』


 ひと月前の、夏の始まりのこと。

大きな帽子をかぶり、ふわふわのワンピースを身に纏ったクラウディアは、波打ち際をお散歩しながら口にした。


『満月の夜、穏やかな波間に消えた船。快晴のある朝、錨の鎖を引き千切って消えた客船。海底を魔法で調べても船の影は無く、生き残った人は残り僅か』


 クラウディアのすぐ後ろに従うのは、この国の筆頭魔術師であるカールハインツだ。

 七月の陽気にあっても汗すらかいていないカールハインツは、ひとつに結った銀色の髪を海風に靡かせながら、クラウディアに尋ねる。


『このところ、南西大陸の各国が頭を悩ませているという件ですね。同盟国であるこの国にも、解決のために応援要請が来ています』

『南西大陸は貿易上、とっても大事なお友達だものね。父さまもさすがに手を貸すことにしたのでしょう?』

『……姫殿下はこの件を、呪いに纏わる事象だとお考えで?』


 クラウディアは足を止め、さらさらの白い砂に手を伸ばす。砂浜から拾い上げたのは、珊瑚色をした美しい貝殻だ。


『こわぁいお話を聞いたから、ノアと一緒に調べてみたの。ね?』

『はい、姫さ……姫殿下』


 カールハインツの後ろを歩くノアは、『姫さま』と言い掛けた言葉を正したあと、澄ました顔で同意した。


『生き残った全員ではないですが、数名に話を聞けています。……彼らは姫殿下がお尋ねになると、一様にこう証言しました』


 黒曜石の色をしたノアの瞳が、静かに海の方を見遣る。

 透き通った青色を見詰める目は眩しそうで、ノアは眉根を寄せながら口にした。


『異変を感じたその際に、「歌」が聞こえたのだと』

『……歌……』


 クラウディアは白い靴を脱ぎ、ちゃぷりと海に足を浸す。海水で洗った貝殻を陽に透かしたあと、カールハインツを振り返った。


『各国の船が消えた場所を地図に記すと、消失はある海域を中心にした円の中で起きていると分かるわ。カールハインツもそのくらい、とっくに試しているのでしょう?』

『……仰る通りです、姫殿下』

『その海に何があるのかだって、すでに思い浮かべているはずよ。だってカールハインツも、それから父さまだって、そこに通ったことがあるのだもの』


 クラウディアがそう言うと、ノアが少し驚いてカールハインツを見る。


 カールハインツは肯定を沈黙で示したので、クラウディアは笑ってノアに告げた。


『ラーシュノイル魔法学院。……その学院は、海の底に建てられているの』

『海の底に、学校が?』





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