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90 王子の決意

【エピローグ】




 その日、クリンゲイト城の客室をノックしたノアは、中から出てきた顔色の悪い師匠にこう言った。


「姫さまからのご命令で、カールハインツさまにお茶でも淹れてくるようにと」

「…………そうか、頼んだ」


 疲弊し切った様子のカールハインツは、恐らくこの二日ほど寝ていない。普段は城の女性たちから、『涼しげな目元が怜悧で美しい』と度々見惚れられているが、今日は色濃い隈が出来ていた。


 その理由は当然、二日前にルイスとの一件が決着して以来、クリンゲイト王家の大変な騒動が巻き起こっているからだ。

 カールハインツ用の部屋に入り、お茶の準備をしながらも、ノアは師匠に様子を尋ねた。


「目覚めた女性たちはどうなりましたか?」

「今朝方ようやく全員の診断が終わった。魔力の滞りが見られ、微々たる不調は見受けられるものの、健康面に大きな不安はない。最も眠りの長かった姫で八年分、知らぬ間に時間が経過していたことへの順応などの問題はあるだろうが……」

「……剣や魔術だけでなく、医療の心得もあるとか、どうなってるんですか」


 いささか悔しい気持ちでそう言うと、カールハインツがふっと笑う。


 カールハインツは本来なら、この国には無関係の人間だ。

 しかしルイスを倒した直後、結界の修復を終えたあとに、クラウディアからのこんな説明と指示があったのである。


『あのねカールハインツ。ルイスの正体は五百年生きていた魔法使いで、この国の本当の王子では無かったの』

『……お待ち下さい、姫殿下』

『ルイスと呪いは消えたけれど、その影響で姫君たちが一斉に目覚めたわ。その上に、「ルイスが王子だ」と認識していた人々の洗脳も解けたはず』

『お待ち下さい。結界の中での細かな経緯を』

『大混乱だと思うから、ちょっと手伝ってあげてちょうだい。今後の動きとしては、ルイスを倒したのは二人組の大人の男女、その人物の目撃者はこの国の正当なる王子スチュアートだということにする予定よ。それじゃあ早速、行ってらっしゃい!』

『姫殿下!!』


 そんな風に転移で送り出されていたカールハインツに対し、ノアは少々同情する。


(……ルイスの目的が『アーデルハイト』で、その生まれ変わりである姫さまを狙ったことを、カールハインツさまに話せないとはいえ……)


 すべてを打ち明けられているノアと違い、カールハインツへの秘密はいくつか存在していた。

 有事の際、知らない人間は巻き込まずに済むというクラウディアの判断だ。クラウディアの前世がアーデルハイトであることを、この師は知らない。


 とはいえクラウディアやノアに秘密があることを、カールハインツは当然察している。

 にもかかわらず、頭が痛そうに額を押さえながらも、最後には必ずクラウディアの望んだ役割を果たすのだった。


 ノアは内心、カールハインツのそういった姿勢を尊敬しているのだが、そのことは絶対に口にするつもりはない。

 カールハインツは椅子の背凭れに身を預け、大きく息を吐き出しながら言った。


「動揺がひどかったのは、クリンゲイト国王陛下だ」

「……」

「八年間、自慢の息子に思っていた王子が『存在しなかった』ことが分かり、その一方で実子を蔑ろにしてきたことを突然自覚させられたのだからな。……憔悴して、抜け殻同然のようにも見えたが……」


 クラウディアの魔法による情報収集で、ノアも少しは知っている。

 途方に暮れる国王の元に現れたのは、なんと王子スチュアートだったのだそうだ。


 八年間ずっと部屋にこもっていて、父との会話を避けていたスチュアートは、国王に向けて言ったらしい。


『ぼ……ぼんやりしている場合じゃないでしょう、父上……!! め、目覚めたばかりで大変な叔母上たちを助けられるのは、家族である俺たちだけ、です。それに、ルイスが入り込んでいたことで混乱する貴族諸侯をどうにかしないと、洗脳されてた王家っていう汚名を返上できる機会は今だけだし……!!』

『しかし……。私は、息子であるお前の言葉も信じてやれず……』

『お、俺は!!』


 父親とは目を合わせずに、スチュアートはぎゅっと自らの袖を握り締めて続けた。


『閉じこもっていた間もずっと、父上と母上の愛情が俺にあることを分かってました。王太子任命を解いて下さったのは、外に出たがらない俺がそのままでいられるように。「知らない弟がいる」だなんて、父上たちからしてみれば訳の分からないことを口走って怯える俺に、ひどいことを言ったり無理強いをすることもなくて』

『スチュアート……』

『俺が絵を描くための道具を、黙って定期的に差し入れて下さった。……そういう意味では信じられていたって、ちゃんと分かってる』


 そのときのスチュアートが手にしていたのは、一枚の手紙だったそうだ。

 城内の誰も差出人は知らないが、クラウディアとノアだけは分かっている。それは、スチュアートが自室で目を覚ましたときに読むよう置いていった、クラウディアの手紙なのだった。


『俺にも、俺の話を「信じる」と聞いてくれた聖女が居たんです。……その人から、父を支えてよき王太子となるように、と』

『……!』


 クリンゲイト国王はなんとか立ち上がり、まずは目覚めた姫たちへの助けを最優先に、この二日間を動いているらしい。


 ルイスによって破壊されたスチュアートの庭は、クラウディアが出来る限り魔法で修復した。

 けれども先ほど様子を窺ったところ、この二日間でスチュアートがあの庭に足を踏み入れたような形跡はない。


 恐らくはスチュアートも忙しく、父の手伝いに奔走しているのだろう。


「接してみて分かったが、スチュアート殿下は優秀であらせられる。クリンゲイト国王陛下にとって、非常に心強い存在だろう」

「……」


 茶を淹れ終えたノアは、カールハインツの前にカップを差し出した。


「どうぞ。眠気覚ましの茶葉です」

「……驚いた。気が効くな」

「別に。姫さまがお気に入りの味で、たまたま常備していただけなので」


 カールハインツはこの後アビノアイア国に戻り、クラウディアの父王に報告の謁見をすると聞いている。まだ休めそうにないはずなので、念の為尋ねてみた。


「姫さまにお願いして、治癒魔法でも掛けていただきますか?」

「いや、姫さまの魔力を消費いただくほどではない。それより、お前に剣術の稽古をつけてやれなくてすまないな」

「カールハインツさまが居なければ居ないで、俺は何ひとつ問題なく自主訓練をしているので」


 気遣う必要はないことを示すため、敢えて可愛げのない言いようをしておく。カールハインツは小さく笑い、それにしてもと息をついた。


「姫殿下は、どこまで計算していらっしゃったのだか。クリンゲイト国との見合いが破談になったものの、俺がここで姫殿下のご命令の元クリンゲイト国のために動くことで、同盟関係はアビノアイア国が優位になる。この後は正式に我が陛下より、姫殿下に賜ったものと同様の命令が下るだろうな」

「……」

「もっとも。年齢差があるとはいえ、このままスチュアート殿下と姫殿下の見合い話に発展する可能性もあるのだが……」

「――カールハインツさま」


 残りのお茶が入ったティーポットを置いたノアは、カールハインツを静かに見据えて言った。


「……お茶が冷めます」

「いただこう。クリンゲイト国との政略結婚は不要に思えると、私からも陛下に進言しておいてやる」

「っ、だから。俺は姫さまのご意向に従うだけで、とやかく言うつもりは……」


 何を言っても無駄な気配がしたので、ノアはこれ以上カールハインツに抗議するのはやめることにした。


(くそ……)


 それよりも、そろそろクラウディアが目を覚ますころだ。

 ノアはカールハインツの部屋を後にして、主君の元へと戻るのだった。




***


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