表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
91/229

88 魔女の弱さ



 嫌悪感に満ちた表情のノアが、ルイスを忌々しそうに睨み付けた。


「……見たことか。純粋に姫さまのために動いていた人間が、姫さまを拘束することに特化した魔法を考案するはずもない」


 ノアとは同意見だったので、クラウディアは仕方のない気持ちで微笑む。


 五百年ずっと作り込んでいた魔法だと話していた。

 ルイスはきっと、長い年月で少しずつずれてしまったのではないのだ。


(私が置いて行った。……その瞬間からきっと、歪めてしまった)


 そのことを自分自身に突き付けながら、それでもクラウディアは口を開く。


「五百年という月日が経つと、多くのものが変わってゆくの」

「嘘だ……嘘だ、アーデルハイトさま」

「私だって、アーデルハイトだった頃から不変な訳ではないわ。この体にはいまの両親から継いだ魔力が流れ、『クラウディア』として成長する。ノアの魔力も混じっている」


 眷属契約を結んだクラウディアとノアは、ふたりでひとつの魔力貯蔵庫を使えるようなものだ。この二年、互いに貸し借りをしたことだってあり、その度に相手の魔力が混ざって溶け込んだ。


 それはきっと、ルイスの知る五百年前のアーデルハイトとは異なっている。

 恐らくは、違う人間のものだと呼べてしまうほどに。


「……変質してしまっていてもいい」


 ルイスはぽつりと呟く。


「それでもいい。生きて、永遠に僕の傍に居てくださるのであれば、それで……」

「やめろ。これ以上姫さまに……」

「あなたが、あなたである限り!!」

「!」


 新たな鎖が地面から湧き上がり、クラウディアは少し目を丸くした。


 その鎖には、茨になった黒い靄が絡み付いている。

 まるで意志を持った生き物のように揺らぐその靄の正体は、紛れもない。


「――呪いが姿を見せたわね」


 ルイスの首元に嵌められたチョーカーも、鈍い光を湛えていた。


「アーデルハイトさまがアーデルハイトさまである限り、その本質は変わらない」


 立ち尽くしたルイスが、ぶつぶつと呟く。


「魔力が変わってしまっていても、それに合わせてこの場で結界を修復すればいい……」

「やめろと言っている。お前のそれは結界魔法ではなく、姫さまの厭う呪いだ!」

「……ノア君は、本当に僕を止めていいの? だって、アーデルハイトさまの本質が変わっていない以上」


 ルビーの赤からラピスラズリの青に移り変わるその瞳が、濁った光を宿してノアを見る。


「君もいずれ、置いて行かれる」

「姫さま!」


 呪いを纏ったその鎖が、再びクラウディア目掛けて振り下ろされた。


(確かにこれは、厄介だわ)



 彼の持つ強い願いは、『アーデルハイトを死なせないために支配すること』だ。



 あの鎖に囚われれば、先ほどのような解除は出来ない。

 鎖に魔力を吸われた影響もあって、魔力の流れが乱れてしまっている。


(いま魔法を使っては、あらゆる加減が難しいわ。……であれば)


 クラウディアは目の前に結界を張り、鎖の攻撃を一度防いだ。

 結界はすぐさま亀裂が入り、数秒のちに砕けてしまう。けれどもその一瞬さえあれば、目的のものは用意できた。


「!」


 ノアが目をみはったのは、魔法でクラウディアが見慣れないものを手にしていたからだろう。


 それは細身の剣だった。

 刃も柄もすべて透明で、氷か硝子を削り出して作ったかのような、華奢な片手剣だ。


「剣術には、あまり自信が無いけれど」


 魔法の柔軟な制御が不得手なら、魔力を剣にして戦えばいい。

 そうノアに教えたのはクラウディアで、かつての弟子たちを指導したこともある。とはいえ自分で剣を手に戦ったことは、ほとんど無かった。


「……さあ、おいでなさい」


 蛇のように蠢く鎖は、クラウディアの上からこちらを狙っている。

 不快な黒い靄を纏うそれは、わざとクラウディアが作った隙を察知して、再び一斉に襲い掛かって来た。


「どうか僕の傍に、クラウディア……!!」


 クラウディアはふっと息を吐く。

 剣に魔力を込め、身を引いて、左から右へと思い切り薙ぎ払った。


「っ、姫さま!!」


 時間が停止してしまったかのように、鎖の動きがぴたりと止まる。


 直後に動いたのも鎖ではない。

 その鎖よりも後ろにある、庭に面していた城の壁が、ず……っと音を立てて斜めにずれた。


「な……」


 振り返ったルイスが、呆気に取られたような声を上げる。


 クラウディアの放った斬撃が、魔法によって波及したのだ。斜めに切り裂かれた城の壁が崩れ、がらがらと落ちる。


「やっぱり、力加減が難しいわね」

「……姫さま……」


 ノアが呆れた顔をした。

 切り裂かれた鎖がぼとぼと落ちて、雪の上でもがき苦しむように暴れた。それは頭を落とされた蛇のようで、ひどく醜い。


 再びどしゃりと膝をついたルイスは、荒い呼吸を繰り返しながら手を伸ばした。


「まだです。……まだ僕は、あなたを許せな……」


 起き上がれずに、雪に沈む。

 クラウディアは手にした剣の先を下げると、さくさくと白い雪を踏み締めて、ルイスの前に立った。


 ルイスは少しでも楽に息をするためか、それともクラウディアを見上げるためなのか、どうにか仰向けに身を返す。

 細くて白いその喉元は、やはり肌の表面がひび割れて、朽ち果てる寸前の陶器人形のようだ。


 首に輝く銀色のチョーカーは、ルイスの体へ根を張るように絡み付いている。


(無理矢理に引き剥がすことすら、きっともう叶わない)


 クラウディアは、目を細めてそれを見下ろした。


(呪いの魔法道具を壊すためには、シーウェルの命ごと破壊しなくては……)


 ルイスははっと息を吐き、震える声で呟く。


「どうして僕たちを、置いて行ったのですか」

「……シーウェル」


 迷子になった幼子のように、泣き声の混ざった言葉を紡いだ。


「……ああして居なくなるくらいなら、一緒に死なせて欲しかった。……あなたを犠牲にしたのだと、僕たちはそれを、悔い続けて……」

(……それは)


 クラウディアは、小さなくちびるをきゅうっと結んだ。


(あなたたちを、私のために失いたくなかったから)


 だからあのとき、置いて行く側になることを選んだ。


(これは、私への罰ね。……魂を定着させるシーウェル自身の魔法に、呪いによる反動が絡まっていて収拾が付かない。このままシーウェルの体が崩れれば、魂は永劫に囚われて、転生もせずに苦しみ続ける……)


 魔法道具のチョーカーが、脈動して鼓動を刻んでいた。


(助からないならば、せめてまともに終わらせる方法を。……それすらも間に合わなくなる前に……)


 クラウディアは、透明な剣を携えたまま彼を見下ろす。


(――私が、シーウェルを殺さなくては)


 そう思い、指先に力を込める。

 けれどもルイスの声が、クラウディアに五百年前の日々を思い起こさせた。


「……アーデル、ハイトさま……」

「…………」


 ひとりぼっちの魔女だったアーデルハイトは、王女として国や世界を守るため、いつもさびしい森の中で暮らしていた。


 そこにひとり目の弟子が訪れ、傍に居てくれるようになる。二人、三人と増えてゆくうちに、大切なものはどんどん増えた。


 その日々がとても温かく幸せだったことを、いまでもはっきりと覚えている。


『アーデルハイトさま!』

(……シーウェルは、いつも部屋に閉じこもって遅くまで勉強をしている、努力家で頑張り屋さんの弟子)


 城の片隅に閉じ込められ、不気味だと迫害されて暮らしていたところを、出会ったその夜に連れて帰った。あの頃はまだ弟子も六人ほどしかおらず、その上にシーウェルが怯えるので、当夜は六人全員で一緒に眠ったのだ。


 翌朝目を覚ましたシーウェルは、寝癖だらけのくしゃくしゃな髪のまま、嬉しそうに笑っていた。


(私のひとつ年下で、素直だけれど頑固なところがあって)


 根の詰め過ぎを少し叱ると、あのころのシーウェルは、決まって真っ直ぐな目でこう答えた。


『どれほど勉強しても足りなくて。どんな努力も厭いたくありません、だって僕は』


 クラウディアはゆっくりと剣を振り上げる。


『一日も早く、アーデルハイトさまのお役に立ちたいのです』

「…………」


 思い出の中にいるシーウェルの姿は、いま雪の上で荒い息をついているルイスとはまったく違っていた。

 それでも確かにこの子供は、アーデルハイトだったクラウディアの愛弟子だ。


「っ、かは……!!」

(体が先に朽ちては、間に合わなくなる)


「許せない……。僕たちよりも先に逝くという、死よりも残酷な結末を与えたあなたが」

(その前に、シーウェルを殺して魔法道具を壊すの)


「っ、アーデルハイトさま……!!」


 クラウディアは目を瞑る。


(――これは、私の弱さね)


 そして瞼を上げ、手にした剣の切っ先を、一気にルイスの喉へと振り下ろした。


「……!」


 その瞬間だ。


 クラウディアの振るった剣よりも先に、ルイスに突き立てられた刃がある。

 がきんと鈍い音を立てたとき、クラウディアは小さな声で名を呼んだ。


「……ノア……?」


 クラウディアの言い付けを破ったノアが、剣をルイスの喉元に突き下ろしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ