87 ダイヤモンドダスト
「っ、ぐ……!」
「……あれは……!?」
警戒して身を引いたノアが、クラウディアを背に庇いながら剣を構えた。
苦しむルイスの姿を見下ろして、クラウディアは静かに紡ぐ。
「……身体年齢を変える魔法は、五百年前の時代でも限られた魔法使いだけが扱えたもの。その中に、シーウェルは居なかったわ」
「あの子供の姿は、魔法で変えたものではないと……?」
「王家の人たちを洗脳して潜り込むなら、なにも子供になる必要は無かったはずよ。シーウェルが子供の姿を取っていたのは、意図的なものではなくて不可抗力」
「う、うう……!! ぐ、あ、あ……っ!!」
ルイスが身を丸め、雪の上に額を擦り付ける。クラウディアは目を伏せ、無表情で告げた。
「五百年も無理矢理に生き永らえて、擦り減ってゆく魂の形を維持できなかった。……削れた魂に合わせて体を縮め、歪な器に収まっていたようだわ」
「……滅茶苦茶だ。どういう無理を……」
「っ、クラウディア……!!」
苦しみに顔を歪めながら、かつての弟子がクラウディアを呼ぶ。
その指先は氷のように砕け、それでも懸命にこちらへと伸ばされた。
「僕の魔法を見て下さい、アーデルハイトさま……ずっと傍に居てほしい、クラウディア……!!」
氷のように砕けたルイスの指が、魔法によって再構築されてゆく。
(……本当に、歪ね)
その首には、銀色のチョーカーが嵌められていた。
「手に入らないなら。……また置いて行かれるなら、たとえ何に反してでも……」
「姫さま。お願いです、シーウェルと戦う許可を!」
「いいえ、ノア。お前は自分の身を守る以外、動いては駄目よ」
クラウディアはマントを羽織り直すと、ふわりと椅子から降り立った。
「――あの子は、私が叱るわ」
「……っ、ああ! アーデルハイト……!!」
歓喜の光を宿したルイスが、そう叫んだ瞬間だ。
ばきん、と地面がひび割れる。
それと共に、凍った地面の狭間から飛び出した無数の鎖が、クラウディアへと襲い掛かった。
「姫さま!」
「……」
意思を持ったような鎖の先に、魔力を帯びた枷が繋がっている。それらは牙を剥いた猛獣のように、クラウディアのあちこちに噛みついた。
足枷、手枷、それから首輪。
地面から伸びた鎖に繋がれて、まったく身動きが取れなくなる。クラウディアは拘束された自身の体を見下ろし、目を細めた。
「アーデルハイト。クラウディア……!」
(……結界魔法の応用ね)
とても丁寧に織られた魔力だ。クラウディアの筋力だけではもちろん、魔法でも簡単に振り払えない。
鎖は周囲の凍り付いた木々や薔薇、さまざまなものにも絡みついた。
張り巡らされて張り詰めた鎖は、それによって檻のようにクラウディアを囲う。
(鎖や枷の触れたところから、私の魔力が制御される。……このまま放置すると数分で、魔力の混流を起こして気を失うわね)
「くそ……!」
察したノアが、鎖を素手で掴もうとした。言い付けを破ろうとした従僕を、クラウディアは叱る。
「駄目よノア。お前は来ないの」
「ですが……!」
「多少魔力を封じられたところで、短時間なら問題ないわ」
元よりこの魂に紐づくのは、幼い体が付いてこられないほどの膨大な魔力だ。
(早く解いてしまいましょう……と、言いたいところだけれど)
さすがにこれは、単純に結界魔法で編まれただけの鎖ではないようだ。
魔法で干渉しようとすれば、即座に鎖がその魔力を吸い、ぎちりと締め上げてくる。
「あなたの魔法では破れませんよ。思い出に残るアーデルハイトさまの魔力、それを暴いて研究し尽くして、すべての波長に合わせて編み上げた結界です。アーデルハイトさまの魔法では、その結界魔法に対抗できません」
雪の上に膝をつき、荒い呼吸を繰り返しながらルイスが言う。
(確かに、一筋縄では行かないようね)
クラウディアはくちびるで微笑み、いまにも剣で鎖を引きちぎりそうなノアに告げる。
「ノーア? いい子で待つのよ」
「……はい、姫さま」
「さてシーウェル。あなたも悪い子ね、城内の地面をこんなにぐちゃぐちゃにするなんて」
そんな会話を重ねながら、鎖の魔力を分析する。
雪と氷で覆われていた庭園だったのに、鎖の飛び出してきた地面はすっかり抉れてしまっている。せっかくの美しい庭だが、ここを選んだのはクラウディアだった。
「お茶の場所を、このスチュアートの庭にして正解ね。シーウェルも認める頑強な結界の中であれば、外に異常が悟られないもの」
「……?」
ゆっくりと顔を上げたルイスが、信じられないものを見るように顔を歪めた。
クラウディアの体を拘束する鎖が、柔らかな光を帯び始めていたからだ。ルイスは苦しそうに立ち上がりながら、震える声で言う。
「何故、なのですか? ……何故、鎖に綻びが……」
「そういえばノアやシーウェルの瞳と同じくらい、スチュアートの瞳も珍しいわ。頑なだけれど無垢な魔法の性質……銀色の、ダイヤモンドのような色よね」
「アーデルハイトさまの魔力を完璧に制御するよう、この五百年間ずっと考案し続けていた結界魔法なのに。この僕が、アーデルハイトさまの魔力構成を間違えるはずがないのに……!!」
「……さてと」
クラウディアは視線を上げ、檻のように張り巡らされた鎖のうち、眼前にある一本に目を付けた。
足枷が嵌められた状態でも、これならば届きそうだ。艶々に磨かれた靴で背伸びをして、目を瞑る。
そして、鎖にちゅっと口付けた。
「っ、嘘だ……!!」
ぱきん! と大きな音がして、すべての鎖が砕け散る。
結界を壊したクラウディアが、それを氷に変えて砕いたのだ。
氷の結晶に変えられた鎖は、まるで星屑のようにきらきらと輝き、瞬きながら消えて行った。
「理論上では有り得ない。有り得るはずがないのに、それでも成し得てしまうだなんて」
クラウディアはミルクティー色の髪をふわりと靡かせ、ルイスに平然と微笑みかける。
「こういうの、ダイヤモンドダストって言うそうよ」
「……あなたは何処までも、美しい……!」




