85 誰が為の
「……何故ですか? アーデルハイトさま……」
五百年前の日々を振り返れば、シーウェルのことを叱ったことは、ただの一度も無かったように思う。
「だって、いけないことをしたのだもの」
クラウディアは目を瞑り、ふうっと息を吐いた。
「他所のおうちに迷惑を掛けて。――人の人生を奪ってしまうなんて、これを叱らずしてどうするのかしら」
「……っ、ですがアーデルハイトさま!」
ルイスの顔色は真っ青だ。
怯えるように震えた声が、クラウディアへと懸命に言い募る。
「この世界に転生なさったアーデルハイトさまは、きっと再び魔法によって、偉大なことを成し遂げられるはず!!」
「……シーウェル」
「僕は五百年ずっと、そのことを信じて生きていたのです。救世のためのお力を振るうのに、新たな器では不自由をなさるでしょう!?」
「シーウェル」
「替えの器を用意すれば、それに移っていただくだけでいいのです。消耗したら取り換えて、傷付いてもすぐに捨てることが出来ます! そうすれば、常に完璧なアーデルハイトさまで居ていただけるはずで……」
「……まったく……」
クラウディアは、ゆっくりと目を開く。
そして、シーウェルに告げた。
「――私のお話を、ちゃんと聞けるわね?」
「……っ!!」
ぎくりとシーウェルの肩が跳ねる。
その理由は、クラウディアがいまシーウェルに向けたまなざしが、彼には一度も向けたことのないほどに冷たいものだったからだろう。
「お姫さまたちやスチュアートのことを語っても意味がなさそうだから、まずは私の望みを話すわ」
「アーデルハイトさまの……?」
「ひとつ。……私はいま、この体をとても気に入っているの」
ルイスが目を見開き、絶句した。クラウディアはそれに視線を向けず、紅茶をもう一口飲みながら続ける。
「お母さま譲りだと聞いている、白色のお肌。ミルクティーの色をした髪に、可愛く編み込んでもらった髪型。……身長はこの二年で少し伸びたし、体が育っていく感覚は面白いわ。魔法の負荷には耐えられないけれど、へとへとになるまで魔法で遊んだあと、柔らかい寝台で眠る時間が大好きよ」
「……そんな……」
雪の上に跪いたままのシーウェルが、呟くように声を漏らす。
「ふたつ。私はもう、世界を救う役割の魔女を務めない」
「嘘です……!! アーデルハイトさまは素晴らしいお方で、そんなはずはない!!」
「いいえ、今世ではやりたいことしかやらないと決めているの。偉大なる魔女と呼ばれた私は、もはや存在しないわ」
ノアが一度だけ、物言いたげにクラウディアのことを見遣る。だが、クラウディアは撤回しない。
「私は、新しくこの世界に生まれたクラウディア・ナターリエ・ブライトクロイツとして、これからすくすく大きくなるのよ。それが楽しみで仕方がないの」
「……アーデルハイトさま」
クラウディアは指先を温めるようにカップをくるみ、中に残ったお茶を見つめた。
その表面には、八歳のクラウディア自身が映り込んでいる。
「アーデルハイトの続きを生きるのではない。だから、あなたの望みは叶えてあげられない」
「っ、嫌です……!!」
「はっきりと告げるわ。あなたがいくら、『アーデルハイトのための器』を用意したとしても」
手にしていたカップを魔法で消して、真っ直ぐにルイスを見下ろした。
「――それは、私の望みとは異なるの」
「…………っ!!」
ルイスの瞳が大きく揺れる。
彼はその場で項垂れると、ぽつりと口を開いた。
「……きっと、何かの間違いのはず」
冷え切ったような呟きに、ノアが眉根を寄せる。
「アーデルハイトさまがそんな風に仰るような、この現実は間違いです。……塔の女たちひとりひとりに、アーデルハイトさまが解呪を試みた痕跡があったのも間違い。そう、何もかもおかしい」
そしてルイスは、はっとしたように顔を上げた。
「もしかしてクラウディアは、魂の移行後の拒絶反応を心配しているのかな?」
「……お前。姫さまのお話を聞いていなかったのか?」
「安心してほしいクラウディア。確かに塔で眠る女たちは、クラウディアのことを拒んだかもしれないよ? けれどもそれは、最高峰の結界魔法を掛けてあるからなんだ!」
ルイスはどこか興奮した様子で、必死にクラウディアに言い募る。
この弁明が通じれば分かってもらえると、そのことを疑っていない表情だ。クラウディアはそれを聞きながら、冷静に目を眇めた。
「僕の魔法がクラウディアを拒絶するなんて、有り得ないから大丈夫だよ。何しろ五百年前からずっと、僕はアーデルハイトさまに喜んでいただくために、魔法を学んで来たのですから……!」
その言葉に、クラウディアは遠い日を思い出した。
ルイスの言ったことは本当だ。シーウェルは毎日ずっと、ひたむきに努力をし続けてきた。
(……左胸が、きゅうっと締め付けられるかのよう)
随分と久しぶりの感情が湧いてきて、クラウディアは手のひらで胸を抑える。
(私にとっての弟子たちは、みんな大切な人だった)
「僕は何よりも、アーデルハイトさまのために生きていました。五百年耐えて、耐え続けて、やっとあなたに出会えたのです」
(ひとりひとり、みんなが望む道を歩んでいてほしいと願っていたけれど……)
「クラウディアには今度こそ、幸せに生きてほしいんだ。クラウディアのためならなんでもする、大好きだよ……!」
ルイスが再び俯いて、崩れ落ちるように頭を抱えた。
「だからどうか意地悪をしないで、頷いて。だって、僕がこの王室に入り込んだのも、女たちを眠らせたのも、すべて……」
「姫さま! これ以上奴の言葉を聞いては駄目です!」
「……」
クラウディアはいま、悲しいのだ。
「……あなたの所為なのに……」
「――そうね」
だってクラウディアは、この弟子たちのことを置いて行った。




