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84 懇願と喜び

「準備……?」

「そうだよ、ノア君」


 ノアはルイスを警戒しながら、ティーカップを彼の前に差し出す。

 その次にクラウディアという順番だったのは、茶会のときは主君を最後にするという慣習があるからだ。


 ルイスはカップを手に取ると、上品に口を付けてからほっと息を吐き出す。


「僕はまず、どこかの国の王族になることにした。あのお方が生まれ変わるのであれば、魔力量が多い赤子としてのはずだ。そうなると必然的に、王族の血筋の子である可能性が高いと思ったし、権力のある立場は人探しに便利だ」

「そのために、この国の王子としての身分を作り上げたのね?」

「カルロスの血を引く王室であれば、僕と同じ結界魔法を得意とする。魔法で洗脳したあとも、家族の一員として溶け込みやすいと思ったのだけれど」


 そしてルイスは、氷の庭を見回すように眺めた。


「――結界魔法の腕が良すぎて、洗脳魔法すら無意識に遮断するほどの『兄』がいることだけは、想定外だったな」


 それこそが、スチュアートひとりがルイスの異質さに気付き、怯えることとなった理由なのだろう。


「兄はとても才能があるのに、自分でまだ気が付いていない。この庭の結界魔法を見てよ、ここまで完璧に自分の世界を作り上げて維持しているなんて……。もっとたくさん話したかったし、魔法を見せてもらいたいと思っていた。この美しい結界魔法は、きっとアーデルハイトさまのための『計画』に役立つ」


 そう言って、ルイスは目を伏せる。


「とはいえ、肝心のアーデルハイトさまは見付からないままだった。待ち続けるだけの、空虚で退屈な日々を過ごしたよ」


 クラウディアは、くちびるを微笑みの形に変えてルイスに尋ねる。


「城下町に出たときに小さな子供たちを目で追っていたのは、次期国王として国民を観察する目的ではなく、私を探すためね」

「あんな市井には君を見付けられるわけがないのに、どうしても無意識に確認してしまった。挙句の果てに、隣の君が待ち人だったのだから、笑ってしまうよね」


 はは、と苦笑するルイスに、ノアは完全な警戒のまなざしを向けていた。

 もはや、ルイスに対する敵意を隠す必要もないと判断したようだ。


「――お前の願いは、なんなんだ」

「僕?」

「姫さまを探し、再会することが目的だというのなら、人を眠らせて目覚めなくするような理由が無い。まさか姫さまを眠らせて、自分の手元に置こうとでもしているのか?」

「まさか! 大切な人には、生きて目覚めて笑っていてもらわなきゃ。ノア君だって、共感してくれるだろう?」


 ルイスが真っ直ぐに言えば言うほど、ノアは信じられないものを見る目になってゆく。

 クラウディアはお茶を飲みながら、見解を口にした。


「……塔の姫君たちに会ったわ。みんな美しく身なりを整えられて、大切にされながら眠っていた」

「君にそう言ってもらえると、とても嬉しい」

「シーツをまめに替えた痕跡があって、随分と手を掛けられているように見えたわ。そこまで手を掛け、とびきりの寝台に寝かされて、『保存』されているのだと感じたの」


 すると、ノアが察して口にする。


「……何かの術式に、使うため」


 つまりは、生贄としてだ。

 クラウディアは紅茶のカップに視線を落としながら、淡々と言った。


「年齢はみんな十八歳前後。王族の血を引く器は、魔力が多くて……五百年前、まがりなりにも王女の身分だった私と同じね」


 集められていたのは、五百年前の魔女『アーデルハイト』と同じ条件の女性だ。

 ルイスを睨んだノアが、忌々しいものを前にした声音で紡ぐ。


「犠牲者が出始めたのは、姫さまが生まれてからの八年間……」

「――――……」


 紅茶を飲み干したルイスが、あくまで爽やかに、にこっと笑う。


「気に入った器はあったかい? クラウディア」

「お前、何を……」


 ノアがクラウディアを庇うように立つ前で、ルイスはそっとティーカップをソーサーに戻す。


「どれかひとつを選んだら教えて? クラウディアの魂を、あの中のひとりに移し替えてあげる。そうすれば君は、五百年前と同じ十八歳の体に、そのアーデルハイトさまの魂を宿して生きることが出来る」

「姫さまに対して、そんな馬鹿げたことを本気で言っているのか?」

「ははは、もちろん。でなければ五百年以上も掛けて、こんなことを実行していない」


 クラウディアは、冷えてきた指先にはあっと白い息を吐きかける。そんな様子すらも愛おしげに見守りながら、ルイスは続けた。


「結界魔法による魂の定着はまだまだ研究の余地があると、この八年間で思い知らされたよ。僕がどれだけ彼女たちに気を配ってみても、髪の先や爪に傷みが出てしまった。兄の魔法も借りられれば、もっと完璧に『保存』出来たはずなのに」

「……」

「完璧な器を用意できなくてごめんね。でも、いま君が入っているその体……」


 ルイスの細い指が、クラウディアを指差す。


「その体よりも、ずっと心地がいいはずだ」

「あら。どうしてあなたはそう思うの?」

「だって見えるよ、クラウディア。その幼子の器に閉じ込められて、その魂が持つ力の一割も使えていない。君が自由に、君らしく振る舞おうとする度に、魔力による負荷で気を失ったり血を流したりするんだろう?」


 そしてルイスは、ぽつりと呟く。


「……そんなのは、アーデルハイトさまじゃない」

「……」


 次の瞬間、ルイスとクラウディアの間に置かれていたテーブルがふっと消えた。

 ルイスが魔法で消したのだ。ノアが前に出ようとするのを、クラウディアは視線で制して止める。


「アーデルハイトさまは、どんなしがらみからも自由でなくてはいけない。それでいて今度こそ、死という美しくないものからも無縁でいただかなくてはならない」

「なに……?」

「五百年前に亡くなったお方には、何も望んだり求めたりすることは出来ないけれど……クラウディア。いまの生きている君であれば、『間に合う』んだ」


 椅子から降りたルイスが、雪の上に跪いた。


「五百年ずっと待っていたよ。会いたくて、恋しくて、少しでも気を抜けばおかしくなりそうだった」

「姫さま。こいつの言葉を聞かないで下さい」

「弟子の目の前で命を絶って、全員を置いて行ったお方。……残酷で大好きな、僕たちの魔女さま……」

「姫さま……!」


 顔を上げたルイスの手が、クラウディアの方に伸ばされる。


「お迎えにあがりました、アーデルハイトさま」

「……シーウェル」


 かつての弟子の名前で呼ぶと、ルイスは嬉しそうに目を細める。


 好きに呼ぶようにとは言っていたけれど、きっと本当はそう呼ばれたくてたまらなかったのだということが、隠し切れていないようなまなざしだ。


 五百年前、自分は確かに彼を置いて行ったのだと理解する。

 ルイスの表情は、ようやく迎えが来てくれたときの、小さな迷子のようだった。


「さあ、アーデルハイトさま」

「…………」

「どうか今度こそ死んだりしない、自由で完璧なアーデルハイトさまになりに参りましょう……!」


 クラウディアは、ゆっくりと微笑んだ。


 ノアが眉根を寄せるのとは反対に、ルイスが瞳を輝かせる。けれどもその顔に満ちた希望は、一瞬にして消え失せた。


「……私は、あなたを叱らなくてはならないわ」

「……え……?」


 やさしいやさしい声音で、それでもはっきりと、ルイスに告げる。



「――悪い子ね」

「……っ!?」


 ルイスが、絶望に目を見開いた。





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