82 違和感と共通点
そのとき、窓から新しい文字が入り込んできた。
今度はノアが捕まえて、手のひらに浮かんだ文を眺める。そして、クラウディアに静かに差し出した。
「アーデルハイトさま」
書かれていたのは、カールハインツの書き文字による、『準備に移ります』との一文だ。
「……行きましょうか。有意義なお話をありがとう、スチュアート」
「アーデルハイトさま!! っ、あの、行かないで下さ……」
手を伸ばしたスチュアートを、静かに見下ろしたノアの剣が止める。
クラウディアはスチュアートを振り返り、微笑んで告げた。
「安心して。絵のモデルになるという約束は守るわ」
「望むのはそれだけではありません……!! 俺の言うことを信じてくれた。こんな人間の言葉に耳を傾けて下さった!! 俺も、あなたのお傍に」
「――――……」
スチュアートを眠らせる魔法を掛けたのは、クラウディアではなくノアだった。
がくりと項垂れたスチュアートの首根っこを掴み、そのまま寝台に放るように寝かせる。
不機嫌そうな顔をしながらも、床に放置して眠らせないところがノアらしい。
「スチュアートは長い間、よく眠れていなかったのね。睡眠魔法で昨晩からぐっすりな所為か、今日はなんだか顔色が良いわ」
「こんな奴の健康状態なんて、知ったことではありません。……参りましょう」
「まずは私の部屋へ。子供の姿に戻ったら、準備の完了までもう少しお話をしてあげる」
ノアは目を伏せ、恭しくクラウディアの手を取ると、そのまま転移魔法を発動させた。
***
五百年前、アーデルハイトの弟子のひとりはシーウェルと言って、少年のころにアーデルハイトと出会った。
年齢はアーデルハイトのふたつ年下で、死に別れた時点でも十六歳だ。
シーウェルを拾うことになったきっかけは、とある国の王族だった彼が、その血筋にもかかわらず迫害されていたからである。
彼の持つ瞳の色合いが、青から赤に移り変わるような珍しいものだったことが原因だ。
『母は僕のことを、ずっと城に閉じ込めていました』
出会ったばかりのころ、泣きじゃくっていた十歳ほどのシーウェルは、十二歳のアーデルハイトに打ち明けた。
『一度でいいから出たいと言うと、外には怖い病があると。けれどそれは母の嘘で、本当は僕を隠したかったからなんです』
その前髪を伸ばし、目元を隠したシーウェルは、それでもなお俯いている。
『母が死んだあと。……初めて会った父上には、こんなに気持ち悪い瞳の王子が生まれてきたことが間違いだと、そう言われました』
シーウェルの前にしゃがみこんだアーデルハイトは、やさしい声音で語りかけた。
『シーウェルは、私のことを拒まないでいてくれる?』
『っ、それは……!! 当然です。アーデルハイトさまは僕を、あの真っ暗な部屋から連れ出して下さった……』
『ありがとう。……ほら、よく見て。私も光の角度によって全く違う色になる、そんな瞳をしているのよ』
恐る恐る顔を上げたシーウェルが、微笑んだアーデルハイトの瞳に釘付けになる。
『……ほんとう、だ』
そして、思わずといった様子で呟いた。
『アーデルハイトさまの瞳は、すごく綺麗……』
『ふふ。シーウェルだって』
アーデルハイトは手を伸ばして、シーウェルのさらさらした前髪を指で梳いた。
露わになったその瞳は、ラピスラズリの青からルビーの赤色へと移り変わる、美しい瞳だ。
『朝焼けにも、夕焼けにも見える色。終わりと始まりの瞳ね』
『……終わりと、始まり』
『あなたの美しい瞳を、どうかそんなに嫌わないで。……あなたの父が否定するのであれば、それと同じだけ私が肯定しましょう』
そして立ち上がり、シーウェルを見下ろして告げた。
『シーウェルはなんにも間違っていないわ』
『…………っ』
すると、シーウェルはわんわんと声を上げて泣いた。
泣きに泣いて、泣き止んでからは、一度も人前で泣かなくなった。
その細い腕にたくさんの書物を抱え、昼夜を忘れて部屋にこもり、魔法の勉強を続けたのである。
『アーデルハイトさま、新しい魔法を覚えました! お待ち下さい、いまにライナルトさんよりも強くなってみせますから』
『この理論を習得できるまで、ご飯は食べません。……え、アーデルハイトさまの作った夕食? ううっ、それは……』
『見て下さい、結界魔法の新作です! この魔法をもっと極めれば、おやさしいアーデルハイトさまに喜んでいただけるような結果をもたらせるかもしれません!』
シーウェルのことを思い出そうとすると、魔法の勉強をしている熱心な背中か、アーデルハイトの傍に居ようとする姿のどちらかしか浮かんで来ない。
***
「呪いの主として考えるのは、最初からスチュアートかルイスの二択だったの」
子供姿に戻ったクラウディアは、賓客室の椅子に掛け、ノアにそう告げた。
「姫さまがそう思われたのは、眠りにつくのが王族筋の女性ばかりであることが理由ですか?」
「ええ、この時点でクリンゲイト王族の関係者だわ。その上に呪いの魔法道具を動かすには、多くの魔力が必要になる」
この国の王は、魔力量がそれほど強い訳ではない。彼の息子のスチュアートの方が、魔法に関しては優秀だ。
「そうなると、必然的に主候補は絞られるということですね」
「もちろん、他にも魔力量の多い王族がいるということも有り得るけれどね。スチュアートとルイスが比較される物言いの中に、他の人物が出てこないところを見ると……」
「少なくとも、ルイスに並ぶほどの魔力量を持った人間はいないということになる」
話が早くてとても助かる。クラウディアはゆらゆらと脚を動かしながら、説明を続けた。
「ルイスの瞳を見た時点で、シーウェルの縁者である可能性は高いと考えていたの。――瞳の色が魔力の性質を表す以上、ノアの瞳がライナルトと同じであるように、先祖から引き継がれたものが発現することは十分に有り得るわ」
五百年前と違うのは、珍しい瞳が忌避されていないという点だろうか。
そのこと自体は喜ばしいが、クラウディアが気に掛かったのはそこではなかった。
「だけど、ルイスがシーウェルの子孫だというお話であれば、何かがおかしい」
「おかしい?」
目の前に立つノアの繰り返しに、こくんと頷く。
「あれは、シーウェルの血を引いた子供ではないはずよ」
「……ですが、呪いにはシーウェルの魔力が混ざっていたのでしょう?」
クラウディアは椅子の背もたれに身を預け、目を瞑った。
「ルイスは母親から城に閉じ込められ、外に出ると病になると言われたらしいわ。私が野菜を嫌いだと話したら、『そんな気がしていた』と、当たり前のことであるかのように笑った」
「……」
「姫君たちが眠る塔は、とても強力な結界に守られていたわ。私でも探知に時間を要したから、探すための材料をノアに得てもらったの」
「材料……」
思い当たったらしいノアが、小さく息をつく。
「俺とルイスの手合わせの際、ルイスに掛けさせた結界魔法ですね?」
「そう。手合わせのあとでノアに触れて、魔法の性質を分析したわ」
クラウディアはゆっくりと目を開く。
カールハインツからの伝言が、部屋の中に舞い込んだのだ。
「準備が出来たようね。転移しましょう」
「……はい」
クラウディアは椅子から降りると、ノアに抱き上げてもらう。
そして転移の光に包まれながら、五百年前のことに思いを馳せた。
『シーウェルは、なんにも間違っていないわ』
かつてのアーデルハイトがシーウェルに告げたのは、こんな言葉だ。
そして、クラウディアがルイスに告げたのも、これとまったく同じようなものだった。
『ルイスさまは、なんにも間違ってない』
すると、ルイスは口にしたのである。
『――ずっと前にも、僕に「間違っていない」と言ってくれた人が、たったひとりだけ傍にいたんだ』
瞬きをし終えると、そこは氷と雪に囲まれた白銀の庭だった。
以前はなかったテーブルの傍に、カールハインツが立っている。クラウディアを見ると一礼し、道を空けるように傍らに引いた。
「お待たせいたしました。姫殿下」
「お茶の準備をありがとう、カールハインツ」
雪の庭に降りたクラウディアの肩に、ノアが魔法で生み出したコートを羽織らせてくれる。
クラウディアはそのコートを手で羽織りながら、にこりと笑んだ。
「……それから、ルイスさまのおもてなしもね」
「クラウディア」
テーブルについているのは、にこやかに笑ったルイスである。
「お誘いなんて嬉しいな。それに、兄上の庭に入れるだなんて感激だ」
「ふふ、喜んでくれてよかった!」
同じく笑顔で返したあと、カールハインツに告げる。
「カールハインツはお外にいて。そちらの方を頼んだわ」
「……承知しました。ノア」
「はい。姫さまをお守りします」
カールハインツは頷いて、ルイスに頭を下げる。
そしてもう一度クラウディアを見たあと、転移で姿を消した。
雪と氷の庭に残ったのは、クラウディアとノア、ルイスの三人だけだ。
こんな状況にもかかわらず、ルイスは幸福そうにクラウディアを眺めるばかりだった。
「なんだかいつもと雰囲気が違うね? 大人びていて神秘的で、そんなクラウディアも魅力的だよ」
「そう? あなたも無理せず、昔のように振る舞ってくれて構わないわよ」
その言葉にルイスは目を細めたが、ノアは訝るような顔をした。
「『昔』……?」
それから、はっとしたように目を見開く。
「まさか。姫さまが、『ルイスはシーウェルの子孫ではない』と仰ったのは」
「子孫ではないわ。けれど、呪いにシーウェルの魔力が含まれていたのは当然ね」
クラウディアはさくさくと雪を踏みしめながら、テーブルの方に歩いてゆく。
「だって、当の本人だものね。五百年以上ずっと生き続けて、いまここにいる」
追い付いてきたノアの手を取り、クラウディアはルイスに告げた。
「ルイス、あるいはシーウェル。――あなたのことを、どちらの名前で呼べばいいかしら」




